ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

日光街道を歩く(21:鉢石) 栃木県日光市 (2017.1.4)


(写真は、「鉢石宿」の地名の由来となった「鉢石」)



昨晩宿泊したJR日光駅前の「日光ステーションホテル
クラシック 」で朝食をとり、ホテルの直ぐ近くの
「鉢石(はついし)宿」に向かいます。

日光街道には、21の宿場が設けられ、「鉢石(はついし)
宿」は、最後の21番目の宿場でした。

鉢石宿も、日光街道の”地名ルール”の通りに、日光に近い方
から順に、上鉢石、中鉢石、下鉢石の順に並んでいました。
鉢石宿は、本陣2軒、旅籠19軒で、人馬継立問屋は中鉢石宿
に1か所ありました。


完訳 日本奥地紀行1―横浜―日光―会津―越後 (東洋文庫)
イザベラ・バード
平凡社

英国の旅行家であるイザベラ・バードは、「日本奥地紀行1」
の中で、明治11年の鉢石宿について、以下の様に書いています。

「勾配のきつい屋根と深い庇(ひさし)を持つ家々が続き、
色合いが暖かく、所々に段差のある急勾配の道をなす
「鉢石」の長い表通りにはスイス的な美しさがある。
この町の通りは息が詰まるほどに清潔だ。」

(バードの見た鉢石宿 :「聖地日光へ」(隧想舎)から)

鉢石宿の中を通る街道は、日光山に向けて、少しずつ上って
います。


街道沿いには、両側に土産物屋が並びます。


街道を暫く歩いてから、右手に入って行くと、写真の
「竜蔵寺」があります。

境内には、上の写真の「畠山重慶の墓碑」があります。

1213年、日光山・座主の弁覚は、重慶が謀反を企てていると
鎌倉幕府に訴え出ます。
将軍実朝は、重慶のこれまでの功績を勘案、事実をよく調査
するつもりでしたが、先走った下野国の長沼五郎が、重慶の首
を切って鎌倉に届けてしまいます。
怒った実朝は、弁覚らを責めて再調査をさせ、その結果、謀反
が誤解であったことが判明します。
弁覚は、自分の誤解から起きたこの事件を悔い、この「竜蔵
寺」を建てて、重慶を供養したそうです。
この「畠山重慶の墓碑」の横には、戊辰戦争で戦死した下の
写真の「芸州(広島)藩八戦士の墓」もあります。

葬られているのは、ほとんどが20代の若者で、最年少は
17才だそうです・・・
竜蔵寺の奥の稲荷神社に、写真の「西行戻し石」があります。

籠を背負い鎌を持ってこの石の上にいた子供に、西行が「小僧
どこへ行く?」と聞くと、子供は「冬萌(ほ)きて 夏枯れ草
を刈りにゆく」と答えました。
(麦は、冬には青々としていて、夏に収穫の時期を迎えるので、
麦のことを「冬萌きて夏枯れ草」と言うそうです。)

西行はその意味が分からず「それは何だ?」と聞くと、「世に
あまねく知れる麦という草を知りたまわずや?」と笑われて
しまいます。
西行は「手強い相手だ。歌比べでは勝てそうにない。」と、
名もない子との問答に負けた自分が恥ずかしくなって、
この場で黒髪山を拝して、日光を見ずに引き返したそうです。

「西行戻し石」の隣りに、次頁の写真の「西行法師歌碑」が
ありました。
”ながむながむ 散りなむことを きみも思え くろ髪山に
 花さきにけり”
(じっとよく見て、桜が散ってしまうのを感じなさい。
くろ髪山(日光山)に桜の花が咲きましたよ。)



日光街道に戻って少し歩くと、上の写真の「そば処 魚要」
がありますが、ここが「入江本陣」の跡地だそうです。

そして、その先の街道沿いの青空駐車場の裏の本陣だった
「高野家」の庭に、芭蕉句碑が少しだけ垣間見えました。

上の写真の様に、何故か、芭蕉句碑は、この個人のお宅の
庭の中です・・・

更に、街道の右手の脇の坂を少し下ったところに、写真の
「鉢石」がありました。


「鉢石」は、鉢を伏せた様な形状の直系2メートルの石で、
「鉢石(はついし)宿」の名前もここから来ています。

日光山の開山の祖である「勝道上人」が、この石に托鉢の鉢を
置いて一休みしたのが、この「鉢石」の由来だそうです。

「はちいし」ではなくて、「はついし」と読みます。

日光街道に戻ると、その先に「鉢石山 観音寺」の案内板が
あったので、急な石段を上って行きます。

この観音寺は、弘法大使の開基と伝えられ、石段を上り詰めた
山門からは、日光街道の鉢石宿が一望出来ます。





日光街道に戻ると、上の写真の”日光の美味しい水”「磐裂
霊水」(いわさくれいすい)がありますが、この辺りまでが
鉢石宿でした。

日光街道(日光道中)のゴールです

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

更家
アーネスト・サトウとイザベラ・バードは凄い!
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
イザベラ・バードは、日本人でも未だ旅行困難な地域を、この当時に、外国人の女性1人旅ですからねえ~、旅行家というより探検家ですね。

いや~、私も最近、徐々に、サトウの凄さ、果たした役割の大きさを感じはじめています。

私も、行ってみて初めて、鉢石という石が本当にあるのを知りました。

そうですね、観音寺は特に史跡という訳ではないのですが、上がって見たら鉢石が一望出来たので良かったです。
Komoyo Mikomoti
イザベラ・バード
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
イザベラ・バードの本も読まれているのですね。
私は、宮本常一の書いたバードの旅の解説書しか読んだことがないですが、この当時に外国人女性の1人旅ってすごいと思います。
どこで読んだか忘れましたが、日本人に、日本のことはサトウに聞け、と言われたというエピソードを読んで、改めてサトウのすごさを感じました。

鉢石という石が本当にあるとは思いませんでした。

観音寺からの展望写真、とてもいいですね。
更家
鉢石宿が終点
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、鉢石宿が終点で、日光街道には、日光宿という名前の宿場町はないんですよ。

iinaさんが召し上がった日光名物「ゆば膳」の湯葉は、全品がほぼ「ゆば」づくしとは凄いですね。
前菜の「ゆば」が少し固く、順に軟らかい食感に微妙に変わるという話し、勉強になりました。
iina
鉢石(はついし)
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/3d08a99efa382a60cb92da648ec65ceb
「鉢石(はついし)」を、おハツ (初) に識りました。 φ(..)メモメモ
「鉢石(はついし)宿」が、最後の21番目の宿場ということは、終点の日光宿はないということでしょうか ?

日光の名物が「ゆば」だとは最近に知りましたが、とてもおいしかったです。 「ゆば膳」で湯葉を食べ比べてきました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/63c5c267103d3d947ccbf25c06cb9690

冤罪で殺された者を供養するために 「竜蔵寺」を建てたのでした。
いまでも 「鬼の首取ったつもりが俺の首」 なんて政治劇もありました。 馘の後には追い詰められて自殺してしまいました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4525af0decc206f3e3aa1828d53cf03a


> テレビでの「警官の血」は、2009年に2夜連続放映でしたか、知りませんでした。 見たかったなあ~。
iinaも 小説「警官の血」上下をイッキに読みました。
テレビ版はYouTubeに残ってますから、お暇なときにでも ご覧ください。

更家
みやさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ありがとうございます。
東海道、中山道に続き、日光街道も無事に完歩出来ました。

そうですか、みやさんは、5年前に日光街道完歩でしたか。
5年前だったら、未だそれ程変わっていないので、懐かしったことと思います。
仕事で4回も日光とは、お忙しそうですね。

奥州街道も頑張りますので、ブログ報告、ご期待ください。
更家
コスモタイガーさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ありがとうございます。
奥州街道も頑張りますので、ご期待ください。

ええ、日光街道としては鉢石宿がゴールなので、このシリーズは今回で終わりなのですが、
ついでに、日光東照宮を見物してから帰宅しようと思いますので、あと残り1~2回です。

そう、芭蕉句碑は、もう少し近づいて写真を撮りたかったのですが、なにせ個人宅の庭の中なので、あれくらいが限界でした。
そうか、確かに、個人でキチッと保存してる、とも言えますね。
そうですか、桶狭間合戦の史跡の中島砦跡という所も、同じ様に個人宅の中にあるんですね。
みや
完歩、おめでとうございます
随分前にゴールはしていることとは思いますが、
改めまして日光街道、完歩、おめでとうございます。

私が5街道で唯一完歩した日光街道。
既に5年前のことですが、縁あって、
以降、仕事で4回ほど日光に行っています。
(ほとんど観光はしておりませんが...)

私は未踏の奥州街道も、ぜひ頑張ってください。
コスモタイガー
日光街道
http://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
日光街道完歩、おめでとうございます。
日光街道は鉢石宿がゴールなんですね!
奥州街道も楽しみにしています。

個人宅の庭の芭蕉句碑は面白いですね、というよりもったいないというべきか…。
まぁでも考え方によっては、個人でキチッと保存してるわけで、風流心があるとも言えますが。
我が名古屋の「中島砦跡」を思い出します。
桶狭間合戦にまつわる史跡で、城好き・戦国好きなら垂涎物なんでしょうけど、ちょうど上の写真のような感じで、個人宅にあります(笑)。
更家
次の目標は奥州街道
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
いつもご愛読、ありがとうございます。

次の目標は、奥州街道にしようかと思っています。
宇都宮をスタートして、白河の関までです。
また、頑張りますので、旅の記録をお楽しみに!
船橋原人
次の目標は?
「日光街道」を歩いたことはありませんが、知っている地名が出てくると大変興味深く拝見しました。
次の目標は決まったでしょうか?
旅の記録を楽しみにしています。
更家
見どころいっぱい
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうです、そうです。
せっかく宇都宮まで歩いたのに、宇都宮止まりは無いと思いますよ。
日光街道のハイライトは、何と言っても、日光までの杉並木を歩き通す醍醐味ですから。

体調が回復されて、猛暑が収まり気候がよくなったら、是非是非、続きの歩きを!
hide-san
見どころ
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
見どころいっぱいでした。

やっぱり歩こうと言うにになってきました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事