ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

宮本武蔵 最後の5年間 (その2:島田美術館)2015.2.11


(写真は、切込みが入っていて武蔵が立つ、
 ユニークな島田美術館の入場券)

前回は、今月帰省の際に訪れた、宮本武蔵が
「五輪書」を執筆するために籠ったという
「霊厳洞」(れいがんどう)をご紹介しました。

そして、もう一か所、帰省の際に訪れたのが、
武蔵ファンなら外せない「島田美術館」(熊本
市内)です。(700円:火曜休館)

島田美術館は、熊本市交通センターからバスで
10分の慈恵病院前から徒歩5分です。



島田美術館は、こじんまりした個人経営の美術館
で、細川ガラシャ着用小袖などの細川家ゆかりの
衣装、書画、調度、武具が展示されています。

この美術館の特徴は、晩年の武蔵の肖像画を
はじめ、武蔵関連の水墨画、書状、刀剣など
の貴重な作品が所蔵されていることです。

私は、島田美術館を訪れるのは3回目ですが、
武蔵の作品を、じっくりと時間をかけて鑑賞
したのは初めてです。
また、隣には併設の雰囲気のよいカフェも
あります。

武蔵は、熊本では、兵法書「五輪書」を著し、茶、
禅、書画に親しむ静かな日々を送って、最後の
5年間を過ごしました。
熊本へ来る前は、武蔵は、各地の有力大名に剣術
指南を請われ、客人として各地に逗留しました。
各地の有力大名の客分として対等に接し続ける
ことが出来たということは、武蔵が、当時に
おけるトップクラスの文化的要素を備えていた
ことを物語ります。

島田美術館の館内は撮影禁止なので、当館所蔵品
に係る下記の「武蔵絵葉書セット」(600円)を
ご覧ください。

上の絵葉書は、 江戸時代後期に描かれた「13歳の武蔵」です。
有馬喜兵衛と戦って初勝利を収めた少年の頃です。


上の絵葉書は、県重要文化財の「宮本武蔵肖像」です。
立ち姿は、五輪書の水の巻にある「兵法身なり
の事(闘う時の姿勢)」をよく表しているそうです。

上の絵葉書は、 宮本武蔵筆「枯木鳴鵙図」です。
人の気配ですぐ飛び立ってしまいそうな、ありの
ままの生き生きとした野鳥が、円熟した筆で表現
されています。
武蔵は、一流の剣士であったからこそ、この様な
卓越した画力を身につけることが出来た、と
言われています。
若かりし武蔵が、武者修行の旅で、山野をめぐり、
自然を観察することで、剣士としての感性を
育てた経験がこの絵にも生かされているそう
です。


上の絵葉書は、 伝宮本武蔵作「左右海鼠透鍔」
(さゆうなまこすかしつば)です。
鍔(つば)とは、刀の柄を握る手を守る道具です
が、左右海鼠透鍔は、武蔵考案の伝承をもつ刀の
ツバで、防御性よりも、刀を片手で扱いやすく
する軽量化を重視したデザインは、武蔵好み
だそうです。

海鼠(なまこ)は、つばの左右の空洞の形が
ナマコに似ているからだそうです。

下の絵葉書は、伝宮本武蔵所用「刀:無銘」です。

この刀は、握る部分が、武蔵用に21センチほど
短く削られているそうです。
上記の刀とツバは、武蔵が、京都の名門・吉岡
一門と全面戦争になったときに使った物だそう
です。
武蔵は、肥後熊本藩主・細川忠利の客人として
最後の5年間を熊本で過ごしました。
これは、細川藩・家老の松井興長が、武蔵の養父
であった兵法家・新免無二(しんめんむに)の
弟子だったからだそうです。

武蔵は、60歳の1643年に霊巌洞に籠って、
「五輪書」を1年半で書きあげ、完成の
すぐ後の1645年に亡くなっています。
五輪書 (岩波文庫)
宮本 武蔵
岩波書店


「五輪書」とは 仏教で万物は地、水、火、風、空
の五輪からなっていると考えられている事に
なぞらえて、武蔵が自ら完成させた二天一流を、
兵法書にまとめ上げた5巻の巻物です。

自分の体で学んだ事柄を、自分の言葉だけで
書いたと自負する「五輪書」は、世界的な
ベストセラーとして名高いですが、武蔵自筆
の原本は、徳川家光に献上したため、明暦の
大火で焼失したらしいです。

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コメント一覧

更家
古美術品の収集家
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうなんですか、京都には宮本武蔵の襖絵があるんですね。

島田美術館は、故島田真富氏の、自分の収集品を国民共有財産にしたい、という意志を実現するために、昭和52年に開設されました。

氏は、宮本武蔵や熊本城など、武人文化や古美術の研究者でしたので、それらにかかる歴史資料や古美術品の収集家でもありました。

現在の美術館、併設の喫茶店などは、氏の旧宅の跡地に建てられたものです。
個人経営ということは、かなりの財産家だったのでしょうね。
Komoyo Mikomoti
武蔵の絵画
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
宮本武蔵の絵ということで思い出しました。
京都・東寺の子院の観智院というお寺で、
襖絵が、宮本武蔵とあって、
ただの剣豪ではなかったことを知りました。
才能豊かな人だったのですね。

個人経営で、これだけの収蔵品が集められるというのは、
かなりの財産家だったのか、それとも家臣レベルの家柄だったのか、どうなんでしょう。
更家
武蔵は実在した
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、中学時代、お通さんのファンだったんですね。

私も、今回の帰省で、武蔵が、実在した生身の人間だったことを実感できました。
みなりん
お通さんになりたいと思ったことがあります
http://blog.goo.ne.jp/greenblue7778
こんばんは、更家さん。

中学時代に吉川英治の「宮本武蔵」を読んで、追いかけてゆくお通さんの気持ちに共感しました。

さて、島田美術館を初めて知りました。
宮本武蔵が実在の人物であったことが現実的によく理解できました。
ありがとうございます。
更家
「宮本・吉岡決闘之地」の石碑
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
へ~、一乗寺下り松には、「宮本・吉岡決闘之地」の石碑なんてあるんですねえ!
知りませんでした。
島田美術館の刀とツバと併せると、リアリティが出できました!
iina
一乗寺下り松
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ea942dd05c0fb5a97272aa49744e0317
赤いちゃんちゃんこを着た「宮本武蔵肖像」を、50年ほど前の熊本城で見たことがあります。
武蔵は、目力が強く異様な風格を備えていたと伝わり、彼方此方に客分として招かれ、お金に窮したりお金に頓着した気配
さえありません。

>刀とツバは、武蔵が、京都の名門・吉岡一門と全面戦争になった ときに使った物だそうです。
一乗寺下り松に行きましたから、そこで実戦に用いたとは生々しく血なまぐささを感じます。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/317508e3f71ecdbc9baceb5e1b1051a4

ちゃんちゃんこも和服で、やはり呉服屋に売っているのでしょうか。
「呉服と和服」の話題は、簡易ホームペーシ゜の時代にラジオで聴いた話を、日記に書いたのをアレンジして綴り直しました。

更家
古文調で・・・
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
岩波文庫(540円)は、156ページで短いですが、簡単な注釈はあるものの、古文調で読み難いです。

武蔵は、例えを用いたりして、極力、平易に、具体的に、書こうとしている、という努力は感じます。

従って、読むと、何となく意味は分かりますが、お勧め出来るか否か微妙です。

やはり、正確に読み取るには、古文の知識や剣道の知識が無いと、という感じでしょうか。

ご参考までに、以下に1例を転記します。
 多敵のくらいといふは、一身にして大勢とたゝかふ時の事也。
 我刀わきざしをぬきて、左右へひろく、太刀を横にすてゝかまゆる也。
 敵は四方よりかゝるとも、一方へおいまはす心也。
 敵かゝるくらい、前後を見わへて、先へすゝむものに、はやくゆきあい、大きに目をつけて、敵打出すくらいを得て、右の太刀も左の太刀も、一度にふりちがへて、待つ悪しし。
hide-san
興味深い記事
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
なかなか興味深い記事でした。
五輪の書でも読んでみましょうか。

岩波文庫の中身は、古文調でしょうか?
或いは現代文に直してあるでしょうか?
例えば「相手を知り、己を知らば、百戦危うからず」とか。
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