ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

バスで行く「奥の細道」(その18) ( 「松島:雄島」: 宮城県 ) 20180.3.15

2018-11-30 09:49:17 | Weblog

(写真は、雄島にある芭蕉句碑と曾良句碑)   

前回の松島の湾内クルーズに続き、今回は松島の中の「雄島」
(おじま)です。

「雄島」は、松島湾の海に突き出た形の島で、短い橋で島へ
渡ります。

”奥州の高野山”と呼ばれていた「雄島」は、瑞巌寺とゆかり
が深く、当時は、島全体が霊場となっており、僧侶や巡礼者
たちの修行の場でした。

従って、現在でも、島の岩窟の至る所に、当時の修行僧らが
刻んだ石塔婆や仏像が残っています。
また、古くから歌枕の地でもあったため、島内には、多くの
歌碑が見られます。
奥の細道の旅ハンドブック
久富 哲雄
三省堂


「雄島」に着いた芭蕉は、瑞巌寺の中興の祖である「雲居
(うんご)和尚」の庵の跡を興味深く見学します。
落穂や松笠などを燃やす煙が立ち昇る草庵(見仏堂)があり、
松の木陰には、俗世間を捨てて住む人たちの姿も見えます。

心引かれて雄島を見学しているうちに、月が昇って海に
美しく映え、芭蕉は、月と島とが一体となった様な
不思議な境地を味わいます。
その夜、芭蕉は、昼夜、絶景を見続けたため、ありあまる
感動で興奮して眠れない状態でした。


我々も、短い橋を渡って「雄島」を見物します。



島全体が僧侶や巡礼者たちの修行の場だった「雄島」は、
上と次頁の写真の様に、島の至る所に、当時の僧らが
修行した岩窟が残っています。




上の写真は、1104年に「見仏(けんぶつ)上人」が庵を
結び、12年間、法華経を読誦して過ごしたという
「妙覚庵」の跡です。

この「見仏上人」は、雄島に住んだ僧の中で最も高徳の僧
であると言われていました。


更に、島の南端へ進むと、上の写真の六角形の鞘堂の中に
収められている「頼賢(らいけん)の碑」があります。

この「頼賢の碑」は、1285年から22年間もここ雄島に
住み、一度も島を出なかったという僧「頼賢」の徳行を
伝えるために作られました。

この「頼賢」は、当時、「見仏上人」の再来と騒がれた僧
だそうです。

そして、この「頼賢の碑」は、”中世日本三古碑”の
一つで、国の重文です

しかし、残念ながら、中が真っ暗な六角形の鞘堂に
納まっているため、下の写真の様に、お堂の中の
碑の文字は殆ど読めません。



島の東側には、次頁の写真の芭蕉と曾良の句碑が
あります。

向かって左が芭蕉句碑で、右が曾良句碑ですが、
この曾良句碑は、1809年の曾良の100回忌に建立
されたものだそうです。

”松島や 鶴に身をかれ ほととぎす”(曾良)

(ホトトギスよ、ここでは鶴がふさわしい風情なのだから、
鶴に身を変えておくれ。)

”朝よさを 誰まつしまぞ 片心”(芭蕉)

(朝も夜も、松島への思いが心に浮かんでならない。
それは、私を待つ人が誰かその島にいて、私のことを
思っているからであろうか。「待つ」と「松島」を
掛けています。)
芭蕉句碑の側面には、「勢州桑名雲裡房門人 延享四年
十月十一日建立」と刻まれています。

更に進むと、瑞巌寺の中興の祖「雲居(うんご)禅師」
の別室の跡である「座禅堂」があります。




「座禅堂」は、1638年に、雲居禅師の隠棲所として
建てられたお堂で、ここからは松島湾に点在する島々を
見晴らすことが出来ます。

我々のツアーバスは、次に、松島の海岸沿いの道を外れ、
東北本線を超えて西へ向かい、「西行戻しの松」を目指し
ます。

次頁の写真の「西行戻しの松」は、西行法師が諸国行脚の
折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、
松島行きを諦めたという伝説の地です。

う~ん、ここでも西行は、禅問答で子供に負けたの?。

「西行戻りの松」は高台にあるため松島の景観が望めます。

 

前頁の写真の陸続きに見える一番右の島が雄島です。


(三省堂:「奥の細道の旅ハンドブック」から)
コメント (8)   この記事についてブログを書く
« バスで行く「奥の細道」(そ... | トップ | バスで行く「奥の細道」(そ... »
最近の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
雄島 (hide-san)
2018-07-23 11:48:03
>「雄島」は、松島湾の海に突き出た形の島で、短い橋で陸続きになっています。

とありますが、橋を渡って陸続きは理解できません。
橋があると言うことは下は海のはずですから。

海の底では地続きと言うのなら、日本とアメリカも地続きですね。

芭蕉は「雄島が磯は地続きて」と書いて居ますが、
現在は「渡月橋」を渡って海を越えており地続きではないと思いますが如何でしょうか?
雄島に渡る短い橋 (ウォーク更家)
2018-07-23 12:19:56
失礼しました。
仰せの通りです。

「短い橋で陸続きになっています」 ⇒ 「短い橋で島へ渡ります」 に訂正しました。
瑞巌寺までは行きましたが (tadaox)
2018-07-23 21:16:25
こんばんは。
奥の細道をたどるバス旅、いよいよ佳境に入ったようですね。
雄島というところは、船でなくともいけるのですか。
芭蕉も松島の景観にはいたく感激したようで、その胸中を感歎詞の連発で表現したんでしょうかね。

瑞巌寺までしか行ったことがないので、先人の心まで思い至りませんでしたが、やはり松島は日本を代表する景勝地なんですね。
芭蕉と曽良の句碑を紹介していただき、あらためて芭蕉の格の高さを認識しました。
”朝よさを 誰まつしまぞ 片心”(芭蕉)
なんて、他に作れる人がいるでしょうか。

バス旅、ずっと読ませていただいております。
まだ、かなり残っていると思われますが、このツアーは一気に終点まで行ってしまうのか、それとも何回かに分けてたどるのか、どこかで説明があったのでしょうが不思議に思っております。

いずれにせよ、俳聖芭蕉の足跡を追って、充実したブログになりそうですね。
俳句そのものに巡り会えて感激しています。
ありがとうございました。
ゴールは伊賀上野 (ウォーク更家)
2018-07-24 07:15:54
この奥の細道シリーズを、ずっと読んで頂きありがとうございます。

そうでしたか、瑞巌寺へは行かれたんですね。
ええ、雄島は、瑞巌寺の近くですし船でなくとも行けますよ。

同行の歴史の先生の説明だと、芭蕉に同伴する予定だった門人が急病になったため、ピンチヒッターとして曽良が抜擢されたらしいですが、芭蕉と曽良の句、よい組み合わせだと思います。

このバス旅行は、2か月に1回・2泊3日の旅なのですが、同行の歴史の先生が、芭蕉について熱く語り、時間オーバーになることもしばしばです。

このツアーのメンバー15人全員は、芭蕉の足跡を一つも残さずに回ろうと執念を燃やすこの先生の大ファンなのです。

今後、松島を出たら、日本海へ抜けて、山形、新潟、金沢と下り、岐阜の大垣を目指しますが、最終ゴールは、芭蕉の故郷・伊賀上野で、来年半ばに到着予定です。
あゝ 松島や  (もののはじめのiina)
2018-07-24 09:09:42
松島は僧侶や巡礼者たちの修行の場だったのでしたか。φ(..)メモメモ   大分の国東半島のようです。
修行した岩窟を見ると、ただ只 感嘆するばかりです。

「雄島」には、松島の湾内クルーズとは別口で訪ねたのですね。


> 芭蕉は、昼夜、絶景を見続けたため、ありあまる感動で興奮して眠れない状態でした。
西行さんが「最高」と詠んだ松島ですから、そら(曽良)芭蕉さんも興奮するでしょう・・・。


> 久し振りに、よい目の保養をさせて頂きました。
更家さんを驚かせて失礼しました。この酷暑を乗り切るための気分転換に刺激的なヌードをおもちしました。

     でも、まだ刺激を求めたいなら、こんな究極ヌードがあります。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4fc03169ac2588480e65ea53761e7c6d

あゝ 松島や 松島や (ウォーク更家)
2018-07-24 11:10:44
松島には、”そら(曽良)芭蕉も興奮”ですか、上手い。

そう、雄島見物は、松島の湾内クルーズ観光とは全く異なる観光でした。

私も意外でしたが、松島は、雄島や瑞巌寺などがあり、僧侶や巡礼者たちの修行の場でもあったみたいです。

ええ、想像を超える、修行の跡が残る岩窟だらけの島でした。
こんばんは。 (こもよみこもち)
2018-07-24 20:38:41
雄島のことは初めて知りました。
修行の島だったんですね。
雄島は修行の島 (ウォーク更家)
2018-07-24 21:01:59
そう、私も、雄島のことはこのツアーで初めて知りました。

個人で来ていたら、雄島が修行の島だとは気付かずに素通りしていたと思います。

個人では行きにくい場所も含めて、見落としがなく、奥の細道の足跡を巡ってくれるのが、このツアーのよいところです。

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事