(写真は鈴鹿峠の国境の道標)
膝痛を抱えたままで、悲壮な覚悟で、坂下宿を抜け、いよいよ
鈴鹿峠に挑みます。
旧街道は、集落を通り過ぎると、山が深くなり、杉林の
細い道になりました。
片山神社から右側に向って続く、所々に石畳の残る写真の
山道を登っていきます。
この石畳が、「二十七曲がり」と呼ばれた鈴鹿峠越え
のスタート地点らしいです。
少し歩いてゆくと、写真の国道1号の高架が見えて
来ました。
国道1号の高架をくぐり、坂を登っていきます。
石段の坂がキツくなって息切れしてきました・・・
しかも、左足の膝の痛みが消えません・・・
でも、そんなことを言ってはいられません!
すぐに、国道1号の横の広場に出ると、更に、広場の奥に
階段の続きがありました。
痛む左膝を曲げないで、引きずる様にして、階段を
登ります。
この階段を登ると、芭蕉句碑がありました。
「ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山」
(上の写真は、馬の水飲み鉢)
坂道が終わると、突然、平らな杉林の中に出ましたが、
何と!
ここが鈴鹿峠でした。
”難所・鈴鹿峠”の噂に怯えていましたが、来てみると、
箱根峠に比べて、あまりに楽だったので、拍子抜けして
しまいました。
え~っ! もう、終わりなの?
早朝に関宿を出発したので、9時に峠に着きました!
何だか、逆に、物足りない?
昔から、鈴鹿峠が難所だと言われていた本当の理由は、
実は、山賊だったらしいです!
警護のついた皇女の行列すら、山賊に襲われ身ぐるみ
剥がされたということなので、一般の旅人にとっては
恐怖の鈴鹿峠越えだったのかも知れません。
東海道の旅は、山賊の被害が多かったので、町人でも
旅をするときは、脇差しを差すのを許されたそうです。
そうか、それで、弥次さん喜多さんも脇差しを差して
いるんだ!
なるほど!
鈴鹿峠は、伊勢の国(三重県)と近江の国(滋賀県)
の国境です。
江戸時代には、鈴鹿峠に6軒の茶店が軒を連ねていた
そうですが、今は何も残っていません。
鈴鹿峠越えでは、途中で人と一人も会いませんでした。
季節のせいでしょうか、 平日だからでしょうか、
それとも、そもそも鈴鹿峠を歩いて越える人が少ない
のでしょうか?
峠から茶畑の中を、坂を下って行くと、その茶畑の先に、
下の写真の万人講常夜燈、そしてその隣にトイレと休憩所
がありました。
左足の膝の痛みが消えないので、少し休んで膝の回復を
待ちます。
旧東海道は、すぐに国道1号に合流します。
鈴鹿峠から土山宿まで、約6キロ、ほぼ国道1号に沿って、
非常に緩やかな下り坂が続きます。
すぐ横を猛スピードで走り抜けるダンプの風圧に耐え、
膝痛の左足を引きずりながら歩きます・・・
国道1号の緩やかな下り坂の向こうに、土山宿の町並みが
見えてきました。
田村川の海道橋を渡り、やがて、道の駅・あいの土山に
到着です。
一歩歩くたびに、軽い膝の痛みが全身に走ります・・・
残り、JR貴生川駅まで、あと11キロ!
平地とはいえ、膝痛を抱えたままでは厳しい・・・
坂下宿から土山宿まで約10キロです。
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更家
船橋原人
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