ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その19) ( 「松島:瑞巌寺」: 宮城県 ) 2018.3.15


(写真は、瑞巌寺の庫裡)   

松島~の サァヨー~  瑞厳寺ほどの~

寺もない とエー~
あれはエー~  エイトソーリャ~  

大漁だエー~

(ここの村は 松島の瑞厳寺ほどの 立派な寺もない

    小さな村だけど 今日も魚がいっぱい獲れたよ。)

この歌は、松島湾一帯に伝わる民謡で、カツオ漁の大漁

祝い唄として歌われた「斎太郎節(さいたらぶし)」

です。

「瑞巖寺(ずいがんじ)」は、鎌倉時代に、法身(ほっしん

:真壁平四郎)禅師が臨済宗円福寺として開山しましたが、
その後、伊達政宗が、現在に残る大伽藍を完成させて、

伊達家の菩提寺としました。

我々のバス旅行は、松島の五大堂の近くの観光桟橋の前で

バスを下りて「瑞巖寺」へ向います。

瑞巖寺の総門をくくると、厳粛な雰囲気の杉の巨木が

そびえる参道が続きます。




参道の奥には、上の写真の仏像の彫刻で埋められた洞窟

遺跡群と西国三十三観音が並んでいます。

 


 

中門を通り、本堂(方丈)に入ると、次頁の写真の
絢爛豪華な障壁画が見られます。


(撮影禁止のため境内展示のパネル写真から)

この障壁画は、1622年、狩野派・長谷川派の有数の絵師に
よって、211面にわたって画かれたものです。

芭蕉は、この障壁画を60~70年後に見て、「奥の細道」の
中で、”七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝し、佛土成就の
大伽藍とは なれりける。"と、絶賛しています。

(七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾り

が光り輝き、仏の住む世界をこの世に実現する大寺院と

なったのである。)

当時の障壁画は、360年の歳月を経て劣化が著しくなった
ため、昭和60年から10年間にわたり、保存修理と模写作業
が行われました。

そして、実物は宝物館に収蔵されたため、現在、我々が見学
出来るのは、芭蕉が当時見たのと同じ色彩に復元模写された
襖絵です。


(鷹の間:境内展示のパネル写真から)


本堂には、藩主が出入した上の写真中央の御成玄関(国宝)

があります。

御成玄関には、左甚五郎の作といわれる欄間彫刻があります。
(撮影禁止)

上下の写真は、「庫裡(くり)」と呼ばれる禅宗寺院の台所
ですが、このため大屋根の上に更に煙り出しが乗っています。



(中門)

1609年に完成した下の写真の本堂は、熊野から運ばれた

檜・杉・欅で、京都の大工衆が腕を競ったそうです。



(本堂:瑞巖寺のパンフレットから)


(上段の間:境内展示のパネル写真から)


(室中孔雀の間:境内展示のパネル写真から)


瑞巖寺の隣の次頁の写真の円通院は、19才の若さで
亡くなった伊達政宗の孫の光宗を祀ったという寺です。





(赤丸印が瑞巖寺)


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コメント一覧

ウォーク更家
ソロで歌って優勝しプロの歌手に
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
この曲は覚えやすい曲ですが、歌うのは凄く難しいと思います。

メインの部分をソロで歌って優勝した同級生の方は、民謡を歌いこなせる名手だったのでしょうね。

そのままプロの歌手になるとは凄い話しです!!
こもよみこもち
おはようございます。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
個人的な思い出ですが、
冒頭の歌、クラス対抗の中学校の合唱コンクールで歌った曲です。
優勝でした。
その時、メインの部分をソロで歌った同級生は、後にプロの歌手になりました。
ウォーク更家
伊達男の菩提寺
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、瑞巖寺は、さすがに伊達男の伊達家の菩提寺だけあって、想像以上に見事でした。

特に、復元された障壁画が色鮮やかで印象的でした。

洞窟遺跡群の仏像と西国三十三観音は、瑞巖寺の建物とは時代も違うため、瑞巖寺の境内の中では異なる雰囲気でした。
もののはじめのiina
仙台の伊達ぶり
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/07a594e9b946874a54421ade2b828cb4
「瑞巖寺(ずいがんじ)」は、、伊達家の菩提寺になっただけあって、すごく立派です。さすが伊達男の国です。

洞窟遺跡群には、仏像と西国三十三観音が彫られているとのこと、見てみたいです。
                                      仙台も好いですね。


> 現役時代に、仕事帰りに、よく神宮球場に立ち寄って観戦していたので懐かしいです。生ビール半額も懐かしいです。
そのころから生ビール半額ディがあったのですね。
また、打ち上げ花火も期待したのですが、翌日が花火ディでこの日はなかったです。毎夜打ち上げと思ってました。

ウォーク更家
瑞巌寺は小学校の遠足で
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、瑞巌寺は、地元の小学校の遠足の目的地なんですね。

そう、私も、「さいたろう節」が「瑞巌寺ほどの立派な寺は無いが・・・」という意味だというのは、今回、初めて知りました。

仰せの通り、写真では分かり辛いですが、参道は、海水による激しい被害の痕が、未だ生々しく残っていました。
これにより、多分、参道の並木も数が少なくなっているのだと思います。
船橋原人
瑞巌寺
小学校の遠足で初めて行って以来何回も訪れましたが・・
「さいたろう節」は意味も理解せずに大声で歌っていましたが、「瑞巌寺ほどの立派な寺が無いが・・・」という意味があったのですか?
参道の並木も数が少なくなっているようです。
津波の被害が少なかった松島ですが、参道は海水により
被害もあったのでしょう?
ウォーク更家
瑞巌寺の修復完了
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、本堂は修復中でしたか。
我々は、修復完了後の障壁画が見られてラッキーでした。

この後、松島クルーズをして、昼食のために青葉城へ行きました。
hide-san
瑞巌寺
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
ボクが訪ねた時は本堂は修復中で残念ながら見ることが叶わなかったのですが、
修復完了して居て、良い障壁画をご覧になれましたね。
羨ましい!

その代わりに庫裡から中へ入って、
伊達政宗の位牌などを見ることが出来ました。

この後は青葉城へ行かれたのですか・・・・。
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