羅生門の楼の内をのぞいた下人が、老婆が女の死骸から髪の毛を抜くのを見て、憎悪の念を燃え立たせる。「老婆に対する憎悪」と言えば正確でなく、「あらゆる悪に対する反感」と本文では記されている。その下人の判断を芥川は次のように解き明かす。
「下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。したがって、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、※それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。」
①原因や理由に基づいてする判断が「合理的な判断」で、下人の判断が「合理的なものでない」こと。「合理的な判断」でなければ、感情的・感覚的判断ということ。『羅生門』の文章の語では、サンチマンタリスム(感傷癖)におかされた判断と言ってもよい。
②※「それだけ」は「死人の髪の毛を抜くということ(その事実)だけ」を意味し、「だけ」という限定に着目して文脈で考えると、「なぜ(原因・理由・目的)に関係なく」という意味でもある。こう考えると、下人の判断は、原因・理由・目的に関係しないという点で絶対的な判断と言うことができる。
(ここで「絶対的」というか、「即物的」というかは、微妙な問題である。この点、再考)
「絶対的」ということは「不変」という意味ではない。他のものとの相対的な関係の上で下されたものではない、という意味である。
この芥川の設定した下人の心理の構図は、ある意味で「強く」、ある意味で「脆い(変わってしまう)」のである。それ故、「なんの未練もなく飢え死にを選ぶほど」であるし、一方、老婆の論理で美事「盗人になる勇気」を手に入れる合理的根拠となるのである。
「下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。したがって、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、※それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。」
①原因や理由に基づいてする判断が「合理的な判断」で、下人の判断が「合理的なものでない」こと。「合理的な判断」でなければ、感情的・感覚的判断ということ。『羅生門』の文章の語では、サンチマンタリスム(感傷癖)におかされた判断と言ってもよい。
②※「それだけ」は「死人の髪の毛を抜くということ(その事実)だけ」を意味し、「だけ」という限定に着目して文脈で考えると、「なぜ(原因・理由・目的)に関係なく」という意味でもある。こう考えると、下人の判断は、原因・理由・目的に関係しないという点で絶対的な判断と言うことができる。
(ここで「絶対的」というか、「即物的」というかは、微妙な問題である。この点、再考)
「絶対的」ということは「不変」という意味ではない。他のものとの相対的な関係の上で下されたものではない、という意味である。
この芥川の設定した下人の心理の構図は、ある意味で「強く」、ある意味で「脆い(変わってしまう)」のである。それ故、「なんの未練もなく飢え死にを選ぶほど」であるし、一方、老婆の論理で美事「盗人になる勇気」を手に入れる合理的根拠となるのである。
