蓮池薫『拉致と決断』2012
何と言っても蓮池さんの本はこれ。この本は蓮池さんが帰国して、10年目の作品です。子どもたちが帰って約8年、やっと書けたとあります。日本に帰ってよかったという確信が持ててはじめて書けた本。
24年間の拉致生活、いろんな「決断」があったとわかる。冒頭にも書いている、一時帰国時の、日本にとどまる決断。人質のように子どもたちを残してきている故、その決断の難しさ。拉致された当初の深い絶望の中で、「このまま死ぬわけにはいかない」という決断。子どもたちのために、拉致された日本人であることを忘れて「北」で、朝鮮人(在日の帰国朝鮮人)として生きる決断。
約30編ほどの作品群で、「招待所」での生活の様子や、「北」という国を内側から感じとったさまざま事情が語られる。時には、身近に感じたアメリカとの戦争の危機。
ところで、蓮池氏のその目線であるが、「北」の人々に対しての同じ人間として見る目が印象的である。拉致に対する怒りは当然書かれているが、それよりも強く感じるのは、今を生きている「北」の人々への共感の視線である。
彼の遊びも紹介される。
問題、次の内から蓮池さんが実際にやっていないものを一つ挙げよ。
1 木の枝を削ってゴルフクラブを作り、ボールも手作りした。
2 手作りの弓やパチンコで、キジやスズメをとろうとした。
3 木を削り、紙ヤスリも自分で作って磨き、麻雀パイを作って奥さんと楽しんだ。
4 竹を削りそりに、木の枝をスティックにして招待所の裏山でスキーを楽しんだ。
まだまだ語らないこと、語れないことがたくさんあるに違いない。今もなお「北」に取り残されている人々がいる事実。何かを書くことで、その人たちへの影響を危惧することもあろう。また、その人たちと自分の境遇の差から憚ることもあるかもしれない。奪還にはいろんな人の行動や支援があった。そのいろんな人のことを考えると、自分の考えや立場に関する自由な発言を遠慮することがあるのではないか。現代の日本を見て率直に感じるところもあろう。が、思いのままを語ることも難しいのではないだろうか。
蓮池さんは、「俺は、何でも言いたいことをしゃべる人間ではないよ」と言うかもしれない。でも言える範囲でいいですから、遠慮せず、思うことはことはしゃべってください。せっかく、「自由な」日本を選択したのですから。
何と言っても蓮池さんの本はこれ。この本は蓮池さんが帰国して、10年目の作品です。子どもたちが帰って約8年、やっと書けたとあります。日本に帰ってよかったという確信が持ててはじめて書けた本。
24年間の拉致生活、いろんな「決断」があったとわかる。冒頭にも書いている、一時帰国時の、日本にとどまる決断。人質のように子どもたちを残してきている故、その決断の難しさ。拉致された当初の深い絶望の中で、「このまま死ぬわけにはいかない」という決断。子どもたちのために、拉致された日本人であることを忘れて「北」で、朝鮮人(在日の帰国朝鮮人)として生きる決断。
約30編ほどの作品群で、「招待所」での生活の様子や、「北」という国を内側から感じとったさまざま事情が語られる。時には、身近に感じたアメリカとの戦争の危機。
ところで、蓮池氏のその目線であるが、「北」の人々に対しての同じ人間として見る目が印象的である。拉致に対する怒りは当然書かれているが、それよりも強く感じるのは、今を生きている「北」の人々への共感の視線である。
彼の遊びも紹介される。
問題、次の内から蓮池さんが実際にやっていないものを一つ挙げよ。
1 木の枝を削ってゴルフクラブを作り、ボールも手作りした。
2 手作りの弓やパチンコで、キジやスズメをとろうとした。
3 木を削り、紙ヤスリも自分で作って磨き、麻雀パイを作って奥さんと楽しんだ。
4 竹を削りそりに、木の枝をスティックにして招待所の裏山でスキーを楽しんだ。
まだまだ語らないこと、語れないことがたくさんあるに違いない。今もなお「北」に取り残されている人々がいる事実。何かを書くことで、その人たちへの影響を危惧することもあろう。また、その人たちと自分の境遇の差から憚ることもあるかもしれない。奪還にはいろんな人の行動や支援があった。そのいろんな人のことを考えると、自分の考えや立場に関する自由な発言を遠慮することがあるのではないか。現代の日本を見て率直に感じるところもあろう。が、思いのままを語ることも難しいのではないだろうか。
蓮池さんは、「俺は、何でも言いたいことをしゃべる人間ではないよ」と言うかもしれない。でも言える範囲でいいですから、遠慮せず、思うことはことはしゃべってください。せっかく、「自由な」日本を選択したのですから。
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