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pretty woman story again

趣味はそれぞれ軽く浅く楽しく
華の 80 歳となりました🌹
オナゴの色々(´∀`*)ウフフ

@春の雪 @咲き盛る @tanka パンプスの @ 婆は @菜の花 @クンシランの蕾@桜のハガキと

2022-03-16 | #日記

03/22

昼寝から覚めたら雪だった!雨は雪に変わり寒くて「春~何処へ行ったん?」という感じでビックリ( ゚Д゚)

2F のベランダをのぞいたら小雪が~って冬?のようよ、

03/22

それでも👆クンシランは少し色づいてた、軒下のビオラとプリムラ👆は雪を被って寒そうだった、どうなってるの~

 




03/20

家の前の軒下にビオラとプリムラが今を盛りと咲いている 👆 いい色合いだわね、春です、

 

さて細かい話だけど 57577 に ”桜が咲き誇る” と詠まれた一首について、セレクターさんが仰った、

「咲き誇るは意志があるように思えます、むしろ咲き盛ると表現した方が妥当です」と、私は聞き慣れていた咲き誇る~

に何の違和感も持たなかった、今にして思えばそのような小さな拘りも言葉遊びには必要なのではないかと、学びでした

 

春と言えばオナゴ同士の長話、関東に住んでるけど今はご時世で会えない、なにしろ 17 で転校先の学校に居た同級生

だから歴史は長い、そして 77 の歳祝いを控えてるから話のネタは満載で、

近況報告やらはほんのさわりとでも言いましょうか(´∀`*)ウフフ 

 

ご飯支度や跡片づけは卒業したい! これ 76 のオナゴのため息交じりの希望(本人は”美味しい”といわれりゃ作る流れ)

80 過ぎのそのぉ連れは「あなたは若いんだから」と言いながら、あれしてこれしての連発で、言われるオナゴはいつも

「そーーよね、私若いんだし、してあげようかな?」思っちゃうそうな、でも疲れることは日に日に大きくなって、

「私、いつまでご飯の支度?」と呟いてしまうらしい、

 

「オナゴの務めとの暗示で(笑)出産、家事育児、介護を担い、相当な無理をしてきたはずだから疲れて当然です、

幾十年過ぎたやら、ロボットじゃあないんだし、でも、オトコにはちょっとわからないかもね~」と自問自答してた、

説明するのも面倒だと言いながらも「諦められない!せめて一食くらいは支度してよ」と交渉中だとか、

「婆は疲れてるんですよ(*´Д`) と言ったら、そしたら言うかしら?爺も疲れてるんだよ~」って、同級生は笑ってた、

仕事をしていたオトコには休日があった、その時にもオナゴは家事に勤しんでた、というか勤しまざるを得なかった、

家のことをするのはオトコの沽券にかかわるとでも思っていたような、古いわね、オナゴの家事に休日はなかったんだよ

 

で、オトコは外でオナゴは家で、職場が違っただけのことと思い直し、

オトコ「ずっと仕事をして家族を養ってきた」と口が裂けても言わないで、オナゴ「家事育児をずっとやってきた」と、

恩着せがましく言わないで、老後は even と思えれば、あとは家事を分担したらうまくいくんじゃね? 

 




☆彡 好きな一首

03/21

こんな小さな蕾でも 👆 咲く気を感じるから不思議だわね、そりゃあ、セレクターさんの仰る通りに花に意志はないと

分かってるけれども”懸命に咲く”と表現なさったぉ方もおられるわけで、

 

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命いのちをかけてわが眺めたり 👈 引用

ステキな一首だと春がくるたびにそう思う、またそう思わせてくれるから、言葉運びが巧いからだなぁと、

桜の花が一生懸命咲いてるんだから私も懸命に眺めましょう・という感じだと思うけどかの子さんらしい、

 

情熱系の女性だったから愛の経験はかずかずあってしかも個性的、お宅に方々をぉ招きまでして時間を共にするだなんて

想像の域を超えてた気がする、大胆かつ深い慮りもなきゃ成立しない話だわね、何処にその重きを置くかが重要だとも

そのぉ師匠さんが与謝野晶子センセとはご縁ですわ、

 

  • パンプスのつま先つんと突き立てて薄氷砕き春を始むる (被衣) 2018/ 04/ 02

重い長靴を脱いでパンプスを履くと身も心も浮き立つ、足元の薄氷を踏むとその音とともに、春がやってきたなぁと、

韻をふんでみましたのよ、

 

 




03/16

寂れた線路沿いに、誰かが棒で仕切った一角があって、そこには作業用の道具が置かれ、まるで小さな畑のようだった、

植えられたのか、種が飛んできたのか分からないけれど、👆 菜の花は鮮やかに咲き盛っていた、色がいい、

途中に野暮用があったので、一つ手前の駅で降りて歩いた、スニーカーにしてよかったわと思い乍ら、桜を探したけれど

線路沿いには見つけられなかった、  とまあこんな感じで(´∀`*)ウフフ

 

☆彡 17で入院した時の話の続きを、

母は毎日歩いて見舞いに来た、およそ一時間くらいはかかったと思う、そのようなことは気にも留めずに歩くのを好んだ

母は運転はしなかった、60 年前のことだもの、皆そうだった、

だからと言って、誰かに頼んで車を出してもらうなどというような面倒なことは好きじゃない母だったから歩いたのだ、

それに若い頃、女学校に通うために実家から最寄りの駅まで1時間40分を歩いて通ったくらいだと言ったから頷ける、

 

その日は母は『◎文字屋』と印刷された薄茶色の紙袋を下げていた、珍しいなぁと思い「それな~に」私は母に訊ねた、

「原田康子」と母は言った、原田康子さんはまだ読んだことはなかったので私は首を傾げた、

それでも、北海道の女性の作家さんのベストセラーが!ということは知っていた、母は読んだのだろうか、それとも

読んではいなけれど新聞などで知って興味を持ったのだろうか、

『挽歌』を手にした、新潮文庫だった、茶色のしおり紐を最初のページに移し、すぐにも読みたかったけれど少しは母に

遠慮し世間話に相槌をうった、

 

その内容は衝撃的だった、母はこの内容を知ってか知らずかは分からないけれど、母の志向になかった次元の物語では?

もしや母の思いの中には、こういうジャンルもあったのか?と不思議な気分に捉われた、

でもそれは 17 の私にはちょっとは見たい大人の世界のような気がして、どんどん引きずられていった、病室だとは忘れる

それほどに、今風に一言で言うには惜しいような、北海道という土地の持つ神秘的な空気を醸し出してた、

そういう時に父は単身赴任先の仙台から家に戻る途中に私を見舞った、

 

父はご機嫌だった、久々の家帰りだし、娘の入院もそうそう深刻なものじゃないと聞いて、父の本の嗜好は歴史小説、で

ここまで書けば大体察しがつくでしょうけど”私本太平記” 吉川英治 名は知れど内容は、私は知らなかったけれど、

偶然にも夫婦は娘の入院先に本の差し入れとは、講談社の箱入りで中本は布張りだったと思う、4巻あって機会があるたび

一冊ずつ買ってきてくれた、今も北国の本棚にあるんだよね、

 

けれど「おとーさん、私は 17 の娘だよ」とは言わず、「後で読むね~」なにしろ仙台からわざわざ運んでくれたんだから

どちらにも気を遣う出来た娘だったのさ、

 

それで『挽歌』

 




☆彡 ここではリアルタイム

このエリアでなかなか花に巡り合えないけど、この菜の花の潔さには参りました!やはり春の色ですわね、このところ

あの3回目のぉ疲れでパッとしない幾日かを過ごしましたけど、今日の野暮用を含んだ散歩の効用か(って言う?)

夜のbeerが美味しかったです🍻

やはり動かなきゃイケませんね、明日はもう少し遠出して、桜の花を get!!! といきたいもんですわ、物語はすすみますよ

 

桜を楽しみたいだなんて言う私の得手勝手はとんでもなかった、寒くて雨で外出なんて出来ない日となり、受け止めた

また冬に逆戻りで落ち着かない、こういう世の中ですから致し方なく、遅れた年賀状へのご挨拶の一言に切り替えた、

 

03/18

郵便局もぉ商売ですから工夫は惜しまない、季節ごとのハガキや切手が沢山ありより取り見取り、今はラインなどで済む

ので敢えて面倒(と思われてるでしょう)な手紙やハガキは敬遠されがちですけど、婆にはとてもいいひと手間ですのよ

頂いて春らしい気分が味わえるんですから、それはそれでいいじゃない?

同級生も趣味仲間も、だんだん遠くなったりあちらへいったりですので、残ってる方々は大事なんです、”時代を共にした

かけがえのない存在"なんですよ、

 

03/18

富士りんごのりんごパイ 👇  👆 Le  repasu 

サクサクの生地の上にバニラビーンズ入りのカスタードクリームを絞り、富士りんご半分をまるごとを包みこむ、

 

03/18

三回目を受けに行った【D】が買ってきた、気が利いてる~久に、

甘いものを頂いて、ハガキを書きながら、寒い日も遣り過ごす知恵ぐらいはもった婆でしたぁ、

 




03/17

なんて清々しいのでしょう 👆 クンシランの蕾、このような萌黄色って好きですわ、春そのものですもの、家の中で

無事に冬を越え、咲こうかな?の意気が感じられます、

 

☆彡 老いの身になれば尚のこと、道は少なくなって二つに一つといったところだろうか、それを決めるのは至難の業

そこは母に学ぶことにしてたので、私にはあっさりと決まるはずだった( ゚Д゚)

ところがこうも世の中が喧しいとなれば、安易にこっちの道!だなんて選択できない状況に、それは自然が相手だったり

はたまたぉひとが相手だったりすれば複雑になる事このうえなし、

母の時代はそれはそれでよかったけれど、家族の有方や価値観が変化してしまった今には通用するもんでなないじゃない

甘かったわ(笑)大げさに言えば、

元気で過ごせて家に居て食事が出てきて「連れの様子次第で家内(私ですよ)のその後も変わります」(笑)だなんて、

あまりに御無体な~他力過ぎて腑に落ちない~、何処までも得手勝手な私なの?と思わないでもないけど、今までの努力

忍耐の積み重ねの結果がこれ?(* ̄▽ ̄)フフフッ

洗濯掃除して後片づけして、時間に縛られ、自粛自粛の繰り返しで、仕方がないとは思えども、もう少し道はないのか?

考えてみるわ、「贅沢言ってんじゃない!」と言われれば「ハイ!贅沢です」としか言いようもないけど(*- -)(*_ _)ペコリ

 




03/17

そして咲き終えようとしてる 👆 クリスマスローズも、それはそれで有終の美、楽しませてくれてありがとうの気持ち

 

ありがとうと言えば元職の言葉がキラリと光ってたのでご紹介を、

☆彡 オナゴの仕事の出来高のことを書きましたけど続きを、その元職・H ちゃんは今回もいいことを言った!

「P ちゃんと職場で出会って 50 年経ったんだよね、その間途切れることもなく折々に会ったり、食事しながら喋ったり

旅をしたり出来て本当に良かったわ、ありがとう~、元職・R ちゃんと3人で長いことつき合ってもらったよ、

同じ様な環境ということもあるね、例えば長女で、親の介護、子育て、孫育て、何かがフィットしてたんだわ、そして、

離れて暮らした時期が長かったのに、どうしてかなぁと時々考えたりする時があるんだよ、それは 25 歳あたりからの時間

そしてお家の様子や家族の有方を認め合って、差し出口せず、心の距離感がよかったんだと、足して 224 になったんだよ

今更ながらありがとう、これからも宜しく」

こういう気配りの言葉を、ためらうこともなく伝えられるという心のゆとりじゃあないの?

 

さて H ちゃんの奮闘記はここから始まります、先ずは二軒(娘家族)(姑とHちゃん夫婦)の家で掛け持ち・主婦業を、

舅をおくり落ち着く暇もない仏事、これは所によって異なるでしょうけど、このエリアではまだまだ怠りなく回数を熟す

こういう習慣が根強く残ってるから大変です、

 

姑は仕事を辞めませんから当然すべての家の仕切りは H ちゃんの肩にどかん!と、朝は早くから二軒の家の食事の支度、

洗濯、掃除から、孫が生まれたばかりでしたからbaby-sitterも含めてですから、言葉では簡単に書けますけど”育児”もよ、

それが朝から晩まで続くのですから、このあたりでそのお連れが登場しても(だって退職後ですからね)いい処ですけど

生まれついてのぉ坊ちゃま育ちですから、して貰って当たり前「何故にボクちゃんが家事なんて?」というぉ連れさんで

「家のことなんてしたことないし~」と、昭和 20 年代前後に生まれたボクちゃんて皆そーだったのかしら?不公平~!

 




☆彡春だというのに寒いです、

cableテレビ 501  弥生、三月

 

         

枯渇しがちな心に沁みる映画でした、長い人生で色々な出来事があろうけれども、そして立ち上がれないようなことが

あれば必ず、誰しもが戸惑い迷い自分を責めたりしがちだけれど、時間がいつの間にやら解決の道へと、

 




  

コメント (18)
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