最後の 👆ヒオウギの花、チャーミングです、思えば、令和二年一月二日に母が亡くなり、その五日後に叔母が逝き、
コロナに猛暑、自粛自粛と、後期高齢者に括られた私には閉塞感いっぱいで、
80 歳の元職の逝去をもって夏の扉を閉めようとしてる、長かったわ~それでもすることは多かったから、何とか追われる
ように日を過ごし、やっとここまでたどり着いた処、
一生懸命食べて程よく飲んで涼しい時を狙って動き、それぞれの出来事を消化して、親族間の無益な争いは止めて(笑)
今のところは、よ、喧嘩は好きだから仕方がないのよ、
それから あの plala の時のようなあっけらか~んのブログにしたいなあと、なにせ飽きっぽいもんで~
雪の頃、従姉の連れから、盆栽のタブ椿の花をレンタルしてきて水やりを続けて鉢を大きくしたら 👆 実が生った、
個性的な姿と色~
椿の実って色が違ったような気もしないでもないけど可愛いわ
最後の姫リンゴも採って仏壇に、木は適当に刈って、だんだん始末が始まったわ、防草シートを増やさなきゃ!
這いつくばって草削りをしてたら同級生が立ち寄った、農作業仕様の婆・帽を目深にかぶり、マスクもしてないから泥も
もしや顔についてるかも~と思ったら、何で今なのさ?
しかも貴重な農作業の時間を割いての立ち話「四六時中、家で連れと二人で息が詰まる、おまけに連れは機嫌悪くてさ」
オイオイ~オトコの愚痴かい?と思ったら、老後の悩みが深いのはオトコ?
初めて目の前に咲いてるのを見て、白い ツユクサ、その清楚な姿に驚きました、
蕊の姿も色もとてもいいじゃない? 見惚れましたわ、👇
色が少しづつ変化して並び咲きです、👇
👆 ムラサキツユクサもいい色合いでした、
今更こんな歳で親を亡くして立ち上がれない~なんてことはないし、私の場合は、親が 100 越えだったから尚更で、
昔から書いてたように、私はその時 75 だからとの予想通りで、その時にはまだまだ人生を楽しめる!
そう思ってたし、今もそう思ってるんだけど、その親のものの後片づけは予想を超えて難儀だった、それも半ばすぎて、
漸く自分のことを考えるようになった、それにしても介護という分野は、言い知れぬ疲弊の付録付きだと実感してる、
開け放した部屋の続きを眺めながら、残した気にいったものだけに囲まれてると、これはちょっと自分だけを労わってる
ようで、暑いには暑いけど、クーラーのお陰で、窓越しの青い空も気分を良くしてくれてる色だわ、
ガラスを削りながら、なかなか建たない教会✝のパーツを好きな色で埋めていくのも老後の一仕事になっていい、
そして何より食べるなら動かなきゃ🐖になりかねないから、草引きして運動にしてるんだぁ、
さっき天使の辞典を読んでたら面白かったわ~とつくづく思った次第だけど、再発刊はないべね?
👆 表門 👆 中門 👆 裏門
このちぐはぐな高さの門がどのように組み立てられるのか、他にもピースがたんまりありますのでお楽しみです、
ガラスの教会に挑戦してるんですけど、最初の外壁の色が組み立ててゆくうちに気に入らなくて、それはそれとして、
先のは色の組み合わせが気に入らなくなったので、のっけから遣り直して、外壁の一部を型紙通りに切って、削って、
銅テープを貼って格調高くしてみました、ハンダをして組み立ててからまた載せますけど、
暑くてなかなか外仕事が出来ないので、家の中ならガラスか 57577 という時間の使い方をしてるそしてそのネタをブログ
にして楽しむには、よく食べよく寝て ケセラセラ~~♬
これだけじゃ何が何だかお分かりじゃないとは思うけど、頑張ります!
ちょっと論題から外れますけど今某誌を読んでてそのセレクターさんの高ビーな論にはアタマにきた(笑)
静かに過ごそう!だなんて書いてて、すぐさまこれじゃあ、やはり喧嘩は好きなんだね~私、
高名な作家さんの娘ごを外国にお連れし案内した・・・という 57577 に対して(草引きの後に書きましょう)
その前に、
このように咲き乱れてた 👆 ナツズイセンが散っていましたのでバッサリと伐って蕾を楽しもうということに、
このようにニョキっと出て蕾が、明日には咲くでしょうか、今朝は咲いてませんでした(*´ω`*)
このぉ方はきっと件の高名な作家さんが苦手でらっしゃるのでしょう、よく歌材として詠まれる作家さんです、ここまで
にしないと実名が分かって娘ごのことも明白になりますから控えますけど、想像可能なぉ方です、
投稿歌は、「高名作家の娘さんを、外国でガイドした」というものでしたけど、私にはインパクトがあり、あの作家さん
の娘ごと旅したなら、私も詠むでしょう、
平明で、だからこそ、そこにある喜びが感じられて、いいじゃない?と読んだそんなものでしょう~素人の詠み手、
なんだから、平明の中にこそ感嘆が潜んでる・・・ような、
それを手厳しく、事実を書いただけで、例えばそこに何があったとかを詠み込めばいいのに、これじゃあ記録に過ぎない
そしてどこぞの建物が素晴らしかった、と詠んだとしてもそれこそ旅の記録でしょ?と仰るに違いないわ、
(セレクターさんの言葉をほぼ使わないで書き換えるには難しいことだったけど、なにせ素人ですので、ホホホ)
私なら(誰にも求められてないけど)「あの作家さんの娘ごならあの方ですよね、やはりご活躍で陰ながら応援してます
いい御旅でしたでしょう、羨ましいです、それに異国とあれば尚の事で、淡々とした中に、詠み手の感動が感じられます
更にこの旅を詠まれるのを楽しみにしてます、具体を添えるのもいいでしょう」ぐらいの言い方で、
他に、この高名な作家さんを卒論にするために神田の古本屋街に行った、と詠んだのに対して、卒論にするぐらいなら、
考察や批評の本屋にも行ったはずだ、作家に贔屓はあるだろうから、だなんて子供の喧嘩じゃないんだし、
イヤミの応酬ができるのならいいんだけど、一方的に評されるだけだから尚更、へ?と思う、
気に入らないなら無理に歌評の引き合いに出して欲しくはない~~♬ お願いだから歯牙にもかけずやり過ごして、と
作者は思うでしょう、
更に別件、新聞の投稿俳句について、セレクターさんが添削して掲載となった処、私の作品じゃなくなったと作者の意見
そりゃそうよ、詠みこんで全て作者に沿った解釈になれるとは限らないもの~
添削は助詞くらいが妥当だと習った私には、おそらくここぞ!というところで言葉を替えられたらなんだかなぁだもんね
投稿者のプライドだわ、でもセレクターさんにもプライドがあるでしょう、
日中は忙しない日々で、そのうえ盆中だったから落ち着いてドラマを観てる暇はなかったので今になって、しかも深夜に
観始めたら止められなかった、向田邦子特別企画
・昭和のいのち ・蛍の光 ・いつか見た青い空 ・言うなかれ、君よ別れを、この感想の前に、
下の本棚にあった向田さんの本で、カセットを聴いた 👆 向田さんは私より 16 歳ほど上でらしたけど、書いてること
の殆どは、私も経験したことがあったり、時代の様子や、親の考え、子の思いは頷けることの方が多かったのには驚いた
典型的なワンマンお父さんと家のことを忙しく熟すお母さんの表現は、長い昭和の時代を象徴してるようで懐かしくさえ
感じたのよ、眠る盃は「めぐるさかずき~~♬」をずっとそう思い込んでたという話じゃなかったかなぁ、
そして朗読なさってた美佐子さんは向田さんより 3 歳下で、やはり同じ世代を生きてきた方だから「思いは同じだ」と、
テープで対談なさった二人のナマ声は貴重な音源だった、
捨てられなかった本の中に、新潮カセットブック Cassette Tape C-60 0004 というのが出てきた、
父の詫び状 |̩| 渡辺美佐子 朗読
■A面 1
身体髪膚
■A面 2
父の詫び状
■
子供たちの夜
付●向田邦子と渡辺美佐子の対談『父の詫び状を』をめぐって とある、
昭和62年1月22日発行、幸いにもカセットを聞くカセットリコーダーがあるので聴いてまた感想を書きたいの、
向田さんの本はあるので探してまた載せましょう、
あまりに暑い日だったので勝手に夏休みにしよう!と、一日中クーラーを浴びてテープを聴いたり、本を眺めたりして、
食事(これを欠かしたら後期高齢者の私は生き延びられませんわ)以外の時を、母のよく使ってた椅子に座って過ごした
こういう日があった方がいい、あくせくと雑事に追われてへとへとになって眠るのもいいけど、
こんなに気楽な日がこようとは思ってもいなかった、長すぎた介護の緊張感はこうしてようやく私を解放し始めた~~
なんてね、
この頃なぜかぉ気楽になった気がする、私の性分は文句臭くてしつこくて、独りよがりで喧嘩っ早い、といいことなし、
だったけど、そんなに頑張ってどうするの?ってね、ここまで生きてきたら少しは肩の荷が下りて軽くなってきた、
考えたらきりはないもんね、どっちみち足掻いてみても成るようにしかならないんだし、先の日々は 75 歳の私には余生
でしょ?ならば好きなように過ごしたいじゃない?
それに、この日々は何をどうしようと思ってみたって、コロナに脅かされ猛暑に見舞われ、動こうにも動けないし、ぉ国
でさえ高齢者はお邪魔にならないように控えめにと仰ってるようなもの、
腹が立たないわけじゃないけど、どうも腹を立ててみても、何かが今どう変わるというものでもなさそうだから、
言われるがまま自粛して密やかに時をやり過ごしてみましょう、
BS 252 宮沢賢治の食卓
今朝は曇り空だったから外で❕と思ってる間もなく雨が、あれほど暑い日が続いたのだから、この辺りで一息もいいかな?
そう思って録りためておいた一本を、
土に親しみ土に翻弄されてると、東北という誼もあるか、言葉のイントネーションが心に沁みるというか、朴訥な正直な
優しい、誉め言葉ばかりしか浮かばない賢ちゃもいいかと、
思い込んだら前へすすむ、決めたら後戻りもする、こういう臨機応変なぉ方だとは思わなかったけど、家族というのは
こういう風に、親は子を護り、時に厳しく時に子の思いを受け止め、そして子は親を慈しみ、更には兄弟姉妹はこよなく
愛し合い認め合い、諍いは時にあっても思いやる心を失わず、絵に描いたような賢ちゃファミリーだった、
ちょっと理想的なファミリーの体を崩しちゃった私には耳の痛い話で、何に一番!だったかというと、
病を得た妹の看病に身を挺する賢ちゃの優しさについてだった、恋をして結婚しようと結納の場まで同行した親と子に、
やはり妹を置いて結婚は出来ないと約束を破棄するという息子・賢ちゃについて、その父は頭を畳に擦り付けるように
伏して詫びをする、不出来な息子を許して欲しいと懇願する、その母も同様に控えめながら強く詫びる姿勢にはうたれた
草引きをしてたら咲き終わりのたった一輪のフランス菊を見つけた、引き抜くには美しすぎてそのまま残しておいた、
20代からのお知り合いの元職が、介護帰省の私が2年間働いた元職場の先輩で、飲み友達・兄のようなぉ方が 80 歳で、
突然亡くなられた、まだお若いので俄かには信じられず、新聞を広げたままにボーっとしてたら元職からの電話、
「お焼香には行きましょう」というぉ誘いを受けたので会場に伺った、
この時期ゆえ、消毒や検温や social ディスタンスやマスクに気をつけての葬儀だった、一番ステキな写真を飾って、
ビデオを流して、今そこにおられるような錯覚を覚えた、
昔いつも一緒にいた 4 人組・女子が並んで座ってたら「昔の若いお姉さま方ご健在で」と少し若い元職が声をかけたので
「今も 若いお姉さま方でしょ」と静かに言い返した、相も変わらずの呼吸だった、
この頃ぉ国のいう事を聴いて自粛の日々だから、食料の買い物と草の始末だけに追われてた、少しは外の空気を吸ってる
けど、やはり色んな意味で酸欠、だったからというわけじゃないけど、やはり惜しみてやまぬ別れにはへこんだ、
親との別れとは違うけど残念、その弟ごが母の葬儀にいらして下さったので私も伺いたかった、昔の誼の方々に、久々に
会えて、皆お元気そうだったから安心できた、
後ろ姿で皆さんとのコメを始めようとした矢先だったけど、外慣れしてなかったから、労働の疲れとは異なった疲れで、
またまた少しの間籠もっちゃいそうで、以後も宜しく願います、またね、