仏壇の掃除をして飾りつけは 13 日の午前中に、そして夕方墓へ行き飾って拝んでパパ&ママを連れてくるという仕組み
今季はコロナ禍を受けて、ごく内輪でという回覧に従って明日は静かな夜になる、
片づけで疲弊してる私には願ってもないことで、しんみりと好きな肴でbeerを楽しもうと、忙中閑ありといったところへ
従弟夫婦が蓮の花を持ってきてくれて私ゃ大感激よ、
今は栽培してる方もいないので、いい花は手に入らないので、豊饒な花を見てると、あーーーいい盆だわねぇと、
子と一緒にゆっくり新盆を・・・3:00 頃に墓参を済ませ新盆を子と、献杯をして、パパにはbeer、ママには麦茶を、
小樽グラスで供えました、
お暑うございますけど盆はきました、自粛要請があった分だけリキが入りまして、今朝のスーパーは密そのものでした、
高齢者はもとよりお子まで、マスクをして消毒をして、婆と子はそそくさと必要なモノだけ買って逃げるように帰って
来てすぐに花を飾り供物を並べのし袋を親族分だけ用意して供えました、
思えば今まではパパだけを迎えに行ってたわけだけど、今年からママと二人連れ、あまり仲良しとはいえない(笑)夫婦
だったから、道中どうなるのかしらね?
これから精進を用意してお膳に、そして墓参りに行って、あとは献杯して好きなモノ頂いて、今までの労を独自に(*'▽')
楽しんで早く寝たい!疲れてるんです、つまり旅館仕様の準備をしてるんです、
帰省できないぉ方はどうぞ、
最後の鬼百合が 👆 長雨にもめげずに青空へ高々と向かって咲きました!堂々の〆の花を、
BS 252 不発弾 ブラックマネーを繰る男
客待ちに観て理解できるような安易な内容じゃなかったから、気を引き締めて(苦笑)取り組もうかな?と思った作品、
登場人物が、リアルタイムで観てきた俳優さん目白押しで、そういう意味では楽しそうだし、
今はあらゆることが詳らかになる時代だというのに、当時は何でもありのような、哀しいオナゴ達が、どうにもならない
現実に手厳しくて、
シモツケソウは 👆 遅まきながら次々と咲いて涼やかな姿と色で、
速めの墓参を済ませて、仏壇に線香を供え「お帰りなさい」の心境で、改めて育ててくれて感謝と共に、時にはツン!
時にはデレの私を、親の思いのままにならない時を過ごしたにも拘わらず、
私を毛嫌いすることもなく(ママに関しては時には一律じゃなかったけどね~ほほほ)仕方ないなあの心境だったのかな
なかなか出来ることではないけど、その接し方を見て、私は子にどう接すればいいかを知った気がする、
子がどういう時でも、少し離れて、あるいは少し近くにいて、時間をかけて見守るという様な、そうすれば親の心も知る
事が出来るのよ、
最後のヒオウギも 👆 そろそろ仕舞い花を咲かせるでしょうかね~
朝起きるなりの腹立ち日記もどうかと思うけど、高校野球の試合をテレビで観て「いつもと違うのは観客席とエール交換
選手たちの興奮はご尤も」だけど危ういなぁとは思ってた、
だって・・・・だれの責任と言うのではないし学校を責めるものでもないけど、クラスターで試合先の生徒も先生も監督
皆、今が不安だと言う、
様々な状況を考えてぉ国は GO TO と言ったとは思うけど、いつも被害を被るのは弱者、ご自分たちはキッチリ身を護って
あーでもないこーでもないと言いながら、結論を言わない処に腹が立つ、曖昧模糊がヤダ、
キッチリ「今はどうぞ我慢して」と言えないの?そして手当をすれば皆、命がかかってるんだもの、自粛するでしょうよ
海、山、川だって夏休みだから親の思いも分からないじゃないけど密なシーンは多かった、
数字だけで、棒グラフ(古)だけで怖がるのは私だけ?
将来のある青年たちの憂慮も慮って、もう少し分かり易い指針を示してほしい、
ウフフなヒメリンゴが 👆 色づき始めました!盆には飾れそうです、
暑くて暑くてたまらな~~~い一日でした、もう堪え性がなくなってきたので、辛抱はできない、ということでクーラー
のお世話になっちゃいました、なんたって身を護らなきゃねぇ、
思えば去年の今頃はママもいて、暑くても緊張感が違ったんですよね、今年はどうも気がダラけていけませ~~ん、
それに盆フェスも、自分のペースでいいし、ガラスの展示会も中止だし、追われない暮らしってストレスが無くていいわ
子と二人で、せめて新盆らしく心をこめてお迎えしたいなぁ、自粛と言われたら守らなきゃ、ここからが説教がましい、
海はにぎわってるわね、盆帰省は、迎える側と向かう側が鬩ぎ合ってて、ギスギス感は否めないけど、気をつけて楽しみ
たいとぉ他家の方々が言うならば、外野はなんとも言えないけど、婆は心配性なので気がかりです、
それに高齢者には厳しいご時世で、キッチリ自粛して何方様にも迷惑かけない日々を過ごさなきゃと、戒めをもって
過ごしてます、
あのコロナの専門家のコメンテーターさんが仰ってた「もう私は孫を迎える方ですから、孫には会いたいけれど、どうも
疎外感を感じちゃいます」って驚いたわ、気持ちは分かるけど、それはあなた様は心に押し留める方がよかったかな?
埼玉の同級生が定年を待たずに 50 代で退職して炭を焼いたからと言って持ってきてくれてから 20 有余年経った、あの頃
はママも元気で現役を張ってたから、この炭を大変喜んで使ってた、けど残ってた、
豆炭はママの購ったものだったけど、炭入れに入れてみた、この暑いのに炭もないもんだけど、捨てられなかった品と、
👉の台付き十能と火起こし(今風もの)もあったから捨てなかった、
不要になった食器戸棚を小屋に移動して、捨てられなかった未練の品を収納してガラス戸を〆ておけば昭和のあれこれが
なにせ長いこと馴染んできたものだからねぇ、
何だかんだとは言えぉひと様のぉ出入りが多かったので、盆の精進とは言えそれなりに気を遣い、まあ粗相のないように
したつもりでした、ママが生前ここで独居を続けられたのは、ある意味、渡辺センセの仰った鈍感力の賜物かと(笑)
私は出来るだけ遜って暮らしてた、それは私の本来の性分じゃないので猫を被ってた~ママの 22 年の独居を見守り、
気にかけて頂いたからだと思ったので、気を配り品を配りなるべく刺激しないように密やかにね、そしてそれに飽きると
GO TO TOKYO という手があったのでね、
それが今じゃ全くのカゴの鳥ですので、ちょっと#$%”&‘*+:;#$‘@(笑)
さてママの家をどうするかと決めかねてたので屋根とその縁をペイントして貰った、どっちにしろ◎たちは「潰せ」と、
言ったんだからどっちでもいいんでしょうし、介護の度合いを見れば(笑)一任だと思えるから、
「新盆だから」とマスクをして拝みに来て「お墓参りをしてきた」というから「いい按配だったでしょ?」と言った、
そして脱兎のごとく帰っていった、まあね、のし袋ふたつ(に◎さん◎分だそうで)供えて、
無感情な私だった、今更何かを話そうという気分もなくなってしまったのだよ、好きなようにするわと思ってるだけだよ
そして近隣にも出来るだけのことをしちゃったので、ママが世話になったであろう恩義には報いたと思えるから、ここで
普通の村人P(へっへっへ)になって気楽に過ごしたいわ、
ママの娘だし鈍感力も少しはついたと思うので、そして子の言った「自意識過剰~」を捨て去り今まで以上に勝手な日々
をやり過ごそうと思った、丈夫で過ごしたい、