goo blog サービス終了のお知らせ 

pretty woman story again

趣味はそれぞれ軽く浅く楽しく
華の 80 歳となりました🌹
オナゴの色々(´∀`*)ウフフ

@ビオラ @アネモネ@スイセン@ 57577 @サクラソウ@心の奥行き

2024-01-19 | #日記

2024/01/20

ビオラは可愛いし強いし、どんどん花を増やせるし、これってオナゴの生きざまにも似て

小雨が降り始めたら鉢植えに水遣りを少しする、皆ははてな?と思ってるようだけど、鉢の表面の土が乾くとよほどの雨

じゃなきゃ沁み込まずに上滑りする、呼び水のように鉢の表面の土を濡らしておくだけで雨は鉢の土に浸み込む、私考よ

左側の萎れた花を摘み切れなかった、だってまだ花だもの(´∀`*)ウフフ

 

NHK

兼家がその息子・道長に説教する「ふらふら外を歩いてないで出世のために学問に精を出せ、歌も詠まずじゃ道は遠い」

子が言った「外のことを見聞きして世の中を知るのも大事でしょうよ」と、兼家の所業をみてると出世はいいけどぉ人の

気持ちというものを蔑ろにして、我が意だけを中心にものごとを考えるのもどうかしら?そして子に無理強いをする、

「父が面倒なことを言う」と拗ねる弟・道長に姉・詮子が「取りなしておいてあげるから」と逞しい、

 

NHK

このシーンは間違いなく「雨夜の品定め」以外の何物でもなかった、源氏物語には曖昧なところがあって、そこを衝いて

オマージュと称して、道長、公任(町田啓太さん)、斉信(金田哲さん)がオナゴからの文(歌)をあれこれ読んでは

感想を言い合うシーン、このようにして私も予習の成果を感じることが出来るからまあいっか―――

道長の今の処の考え方や行動は悪くはないとおもうけどなあ、好奇心がなくなったら人はお終いよと言いたいわ、

 

(吉田羊さん・詮子 円融天皇・坂東巳之助さん

                       ┃

                                                                             懐仁親王

兼家の思惑通りに娘の詮子は円融天皇の妻になり懐仁親王を得て、万々歳と身分相応にものを考えりゃいいのに。兼家は

それじゃ足りなくて、懐仁親王を天皇にするためには早くに円融天皇が辞してくれなきゃ困るんだよと、息子の道兼に、

もみ消してやったんだから今度は「毒を盛れ」だなんて親とも人とも言えないワルだよね、

親の因果かどうかは知らないけれど、その前に式部の母親に手をかけて、親に見向きもされないうっぷん晴らしをする等

言語道断、更にはそれをもみ消した兼家はまたまた道兼に手を汚させようとする、親の風上にも置けないわね、

 

式部は母を道兼に殺められたことを父親に伝えるけれど「忘れるんだ」の一点張りで頑として譲らない、その根底には

自身の職と式部が道長の娘、彰子に仕える話が二つあって、そうそう簡単に道兼の所業と引き換えには出来ない考え、

いやいや平安時代のオトコの考えは到底、理解はできない、そこを差っ引いてドラマを観ないと途中下車の憂き目もない

ではない(´∀`*)ウフフ

それにしても”オマージュ”  とは言ってくれるわね、”でっち上げ” よりは聞こえがいい(笑)

 

 

 




2024/01/19

アネモネがこのように美しく咲いた、真っ赤な花びらに比してこの蕊の濃厚な色合いは好きだわね~そして和らげるよう

に周りを白で囲んでる、この花の姿に私は平安のオトコの dream を感じた、ちょっと考え過ぎかしら('∀'*)ウフフ

ザ・藤原に猛進してるもんだから、久々の充実教材に久しくしてないぉ勉強の楽しみを感じてる、

 




2024/0/19

水仙の白がいい、そしてその隣には咲き休んでるバラの棘もある、この棘は平安には欠かせないアイテムで、どの時代

にも意地悪はあるものらしい、

咲きそろってるパンジーやビオレが負けじと咲いてる、これってちょっと平安の世の想定にならないかしら?

 

そろそろ宿題の準備を始めないとまたまた〆切前日に速達の憂き目に合うやもしれない 57577  の 10、まずは初戦

 

〇・・・・・電話の奥に・・・・・      〇・・・・・一番大事・・・・・

〇・・・・・時は残酷・・・・・       〇・・・・・揚げ出し豆腐を・・・・・

〇・・・・・真白き水仙に・・・・・     〇・・・・・恋しと書く文・・・・・

〇・・・・・赤の色冴え・・・・・      〇・・・・・青山墓地に・・・・・

〇・・・・・顔の手入れは・・・・・     〇・・・・・独りになった・・・・・

 

 




2024/01/19

オナゴ達はオトコが通ってくるのを待ってる、どうしてオトコが傲慢に生きられたのかしら?思うにはオナゴだからって

卑屈にならなくてもよかったんじゃない?産めるパワーはあったし、オトコのように権力にしがみつかずとも十分過ぎる

生命力と係累をつくるのは偏にオナゴの持ち味だったんだし、オトコに横槍を入れられても物ともせずに凌ぐチカラは

むしろオナゴの方が優れてたと思える(あら、ごめん!平安の世のことだから)

 

The Carpenters - Top Of The World • TopPop

深い意味はないのよ(笑)

まあ今は私は既に卒業した気分の歌で、お先に失礼~という処も違うけれど、歌詞の内容は別として明るいtempoが宜し

このぉ嬢ちゃんは誠実実直でなかなか深層心理が大変だったようだけど、さすがプロです、微塵も感じさせない、

だから尊敬もしてたし好きでしたよ、

 




2024/01/11

玄関横の軒下にサクラソウが咲き続けてる、小さなポットから植え替えて以来増え続け、絶えることなく、このような

小さなシーンを眺める楽しみは格別よ、花びらの動きも可愛らしい、

 

この頃”式部”に埋没してて、これがまた気に入ってる時間なんだよね、老い夫婦の愚痴なんて書く暇がなかったけど、

ちょっと面白い夫婦の一瞬があってね、それは、同席してた子にどう伝わったかは知らねども(笑)

 

珍しく私も気分のいい時にテレビを観ながら、飲みながら、ニュースを観てた時だから恐らくはオトコとオナゴの話題で

その時の感想を一言つぶやいたんだよ、私がね、「そんなことでゴチャゴチャ言わなくたっていいじゃない、折角の平和

が台無しね」と言った、

 

連れはなんでその時に限って癇に障ったんだか知らないけれど「俺に上から目線でモノを言うなよ!」と躍起になってた

から「なんで私があなたにいつもいつも謙らなきゃならないのよ」と言い返した、いつもなら長期戦になる処だったはず

けれど、何故か引き下がった連れ、よほど手厳しい口調だったんだね、私、子の手前を考えたのかな?

 

思えばいつも口惜しい思いを噛みしめてた、平安の世じゃないけれど、自営業をいいことに東京の繁華街に一室を設け、

事務所と称して連れは便利に使っていたらしい、私は行った事がなかったので、

後に現状視察で泊まり込んだことがあった、それで大方の連れの過ごし方がつかめて、いやーーー自由そのものだったの

よ、これじゃあ子供のいる自宅など目じゃなかったわけだ、

泊るも自由、子育て中の相模原に時に帰るのも自由、連絡はなし、予定も行く先も分からない、子育て中の私は忙しい、

連れが帰ってくると、食事の支度や雑用を増やされる思いしかなくて、心の奥底では「今はその不在こそが楽だ!」と

思ってた事は確か、おーーお書きたくなってきた((´∀`))ケラケラ

 

ケータイの流行りに乗じて、あの大型電話をいち早く得意げに持ち歩き(あれって滑稽な感じだったのに、本人は満悦な

処が可笑しかった、今思えば常に荷物を持ってただけに過ぎないというのに)子供がおもちゃを得意げに見せるように、

好きなバイクを乗り回し、仕事と称してまるで親としての認識があったのか、今は疑わしい(笑)

まあね、振り込みさえ守ってくれれば子らと私は悠然と過ごせたわけだし、利害が一致してたということかな(´∀`*)ウフフ

 

「今日は帰るわ」「あらそう?」と、そんな会話ぐらいで、ぱっさぱっさに乾いてた夫婦だった(* ´艸`)クスクス

私はね、産んだ責任と、子育ての大変さよりは、2歳2か月で「お姉ちゃん」と呼ばれる長女と、次に生まれたツインズの

長男、次男を可愛く身支度させて、赤い二人用のベビーカーに3人を乗せ、3人お揃いの洋服で散歩するのが好きだった、

自分の口で言うのも可笑しいけれど「可愛いわね~」とぉ声がかかると甲斐がある、私もそう思ってたので育児は充実

してた、一極集中しかできない私だから、連れの乱行なんて知ったこっちゃない!

 

そういえば連れは出産にはノータッチ、私は実家でパパとママの惜しみない全面協力で偉業を成し得たし、その後も都度

つどに里帰りして、北国の自然を子らに楽しませることに勤しんだ、

子供の誕生日も4人で家で花を飾ってケーキを食べて楽しんでたし、連れの手を借りなきゃ出来ない事などなかったし、

予防接種も検診も病院も3人車に乗せて独りで熟してた「帰ってよ」と意地でも言わなかった、役に立つわけじゃなし、

気の利かない相手にイラつくよりはどんなによかったか(* ´艸`)クスクス

 

あの頃はまだまだ布おむつで、一日に 60 枚を洗っては干し洗っては干しを繰り返してた、それが苦じゃないのは、

洗濯+干しが好きな作業だったので、まあ、なんていいお母さんだったのかしら?

そういう日々に工夫を凝らして過ごせた若さって貴重ねぇ、

 

何を言いたいかって?今老いた連れの姿を眺めながらつくづく思う、あの紙っぺらにハンコを押す勇気もなく、当然、

これからやって来るだろう老いの日々を私が黙って続行すると思ってる(思ってないかもしれないけど)図々しさが

気に入らないね(笑)

式部じゃなくても物語は、大抵のオナゴにはあって、文字にしない、言葉にしないだけだということをちょっと振り返る

時もオトコにはあってもいい、いや、なきゃダメだわね、

そういう心の細やかさも必要なんじゃないかな?若さを失ってしまった事実を冷静に受け止めないと、それはオナゴも

同じだろうよと思うかもしれないけれど、オナゴは一筋縄じゃあイカないんだよ、これが、

オナゴには”心の奥行き” があって、何を考えて今を過ごしてるか分かんないよ、伊達に五十年を過ごした訳なし(´∀`*)ウフ

 

第2弾!

って書くとあの何の様で頂けないけど、こっちにもこっちの思いが湧きたつこともあるのよ、前にも書いたけど未だ納得

出来ない連れの一言、この頃平安の世をさ迷ってたので愚痴ってる暇がなかったから一気に、

「あなたって働くのが嫌いなんだね~」としたり顔で連れが言った、

「戯言をお言いじゃないよ、私は親に採らせて貰った資格を活かす仕事だけをしたかっただけじゃ!それを寸での処で

止めておきながら今更何を、もっともね、そしたら3人の子は自力で育てられたということを先刻承知のあなたは、私が

さっさとバイバイしそうな気配を読んでたのね(´∀`*)ウフフ」 ご時世だもの、3弾!もあるかも(* ´艸`)クスクス

 

第3弾!

私が潜入捜査(笑)

をしてると連れは気づかなかった、あるいは連れが多方面に(くすっ)「妻が来てるんだよ」と言えなかったせいもある

(気が小さいからね)ので、通常業務を始めた私、電話のあるデスクに陣取り、連れが仕事現場(冷暖房設備工事の請

負)に行ってる間は受け付け電話に出た、小さなマンションの一室に一部屋用意して、デスクは二基、電話は二本、一端

の事務所の体で、時間に応じてバイトのオナゴが(年齢問わずホホホ)出入りしてた、

 




 

450  

 

  

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする