2023/07/02
紫露草が家の都下のエリアに咲くなんて、去年朝顔を蒔いたあたりに見つけた、またまた里への暗黙のぉ誘いかしら(笑)
➋捨てられなかったモノseries
今日は”さらり” とした空気に誘われて洗濯も終え干して、久々の快適な朝を迎えた、ちょっと寝過ごして(30分ほど)
慌てて子の弁当と朝食を、いやーーー前夜には準備しておいた方がいいもんだ、
2021/06/13 北国のモノ
2021/12/05 都下のモノ
いくら捨てられない!とはいえCD、MD、レコードともなると電化製品が、さっさと捨ててしまったあの頃はママの死に
戸惑ったり哀しんだり忙しなかったりして、殆どのモノを捨てた、そのお陰で大方は整理がついてるっちゃあそうだけど、
でもね、機器がなきゃ話にならないということで前回も載せたけどこれですよ、MD、カセット双方に対応できたのよ、
捨てちゃならないモノだったということ、
2019/08/12
山ぶどうの蔓で編んだ籠に一目ぼれして頼んだ、2か月はかかったほどに作業は高等芸術だった、持ちたい!でも北国に
置いたままだから無理(^^ゞ 惜しいよ~
介護をしながら草むしりをして植えちゃならない種が飛ぶコスモス畑を造ったりして、隣の”K”ちゃんに白い目で睨まれて
それでもめげずに「きれいに咲いたよ~」なんて言いながら過ごしてた、ホンとは充実してたんだよね、
2020/05/26
ママの教材だったのでしょう、
2020/06/12
左側の台の上でガラスの作業をしてた、粉が飛ぶので普段はスリッパで真っ白い床の上だった、
この日は掃除したので撮れたようなもんです、ガラスがいっぱい立てかけてある窓辺が好きだったわ、
テーブルは客がお出での時につまみ食いやら茶飲みに利用「作業しながらでいいから~~」と言いながら茶出しは客(笑)
2019/03/10
盆や正月、春秋彼岸と仏の行事は多くて度ごとに仏壇飾りして精進作って客寄せしてた(パンダじゃないけどー笑ー)
このオシャレな津軽ビイドロで歓迎の意含みよ、好きだったわ、この色あいも手触り感も~
このぐい呑みで日本酒飲みたい!夏の冷酒は堪えらんね―――――
2020/08/15
盆の飲み締めには客に一口、筍ご飯、精進ですから椎茸、油揚げまで、津軽塗のセットでよく使ったよ、
2020/06/04
この微妙な色合いに惹かれて、これはママが造ってた果実酒に魅せられて(私は甘いのは苦手)検索して追加醸造?
多分、この黄みを帯びたのは木天蓼酒よ、珍しかった!その植物がさ、
2020/10/06
津軽塗の下駄で何故かママは履いてなくて、記念にとっておいたのね、
2020/08/07
スカッと爽やかコカ・コーラ~~♬ とっておいてよかったわ、
2020/10/06 HANDSTOPT TPB TINN 塩入れ 小物の箱の中に歯科用ルーペ、和菓子用の楊枝、ブックマーカー
2020/10/06
帯どめも好き好きだけどさり気ないのがいいわね、
部屋のどの方面から覗いてもいいほど開け放していた、冬を除いては(^^ゞそれでもあまり見え見えなのはどうかと思い
障子戸は欠かせなかったのでシーズンごとに張り替えてた、
2019/10/08
じゃなあいと部屋の中が明るくないので、そして夏ともなれば間仕切りも、これが好きでしたね~何ということもないけど
季節感が感じられて、
2020/08/03
この部屋の前では、皆が畑への道すがら声をかけて呉れてた、まあ寝っ転がってテレビを観てたら、顔を出す(´∀`*)ウフフ
「ごくろうさま~」何という意味もないけど、これが農村のごあいさつということでしたよ、お行儀ということで、
2020/04/02 向こう側の部屋に介護ベッドを置いてママは過ごしてた、目の前には畑が広がって、ベッドを上げると見えた
93 歳の頃にはまだ 57577 会に通ってて私が送迎してた、そして面倒くさいから私も入会した、
そこで繰り広げられたママと私の論戦は面白かった!ぉひとの前でも控え目ながらやってました(´∀`*)ウフフ
だって周りの方々は「羨ましいわ!」と仰るんだもの、期待に応えただけでしたよ、
あ!宇野千代センセね~好きですよ、気風が良くてオトコに強くて粋で潔くて「生きたいように生きるわよ」の精神が、
2021/06/13
ミシンを捨てた時、出てきたモノ、さすがに中には大したものは入ってませんでしたけど、懐かしいの一言で手元に置いた
2021/06/13
娘のコートのボタンが入ってた、コートは私も好きだったけどあまりに重くて(woolだったからかしら?)着ないからと
今思えば勿体なかった、
06/08
紫の花で咲いてるのは今はこの花です、サマーミスト 👆 儚さもいいじゃあありません?
06/16
探しに探しました!出版社はもとより本屋にも走りましたし電話でも確認、通販も隈なく探しましたけど販売してない、
とのことで諦めかけてた、大河の底力を見せつけられてた処、子が"メルカリ"で見つけて申し込みました、
その何が気に入ったって「・・・家族が持っていたものを整理して見つけました、サインが・・・・」この但し書きをね
私はきっと大事にされてたんだろうなぁと、それがお母様かお祖母様かは分かりませんけど、確かにサインはありました
そしてセロ袋の止めた処にも飾りテープが、はがし易いようにとの気遣いを感じました、ありがとうございました、
そしてこのサインまで、私にはとても貴重な一冊となりましたよ、
新品同様の上 1992 12 10 第一刷発行 でございましたよ、大事になさってた様子がよく分かります、読みます!
近藤富枝センセはグレイヘアのおかっぱで和服を粋に着こなしてる素敵なセンセだった、初めての作家さんの写真に驚嘆
このような著書もと知り、ご時世の喧しい状況も強ち”空吹く風”とばかりは言い
切れない、捉え方次第では・・・・芝居への愛が・・・このように抒情的な筆力を持ってる書き手は今は居らぬのかえ?
そしてご自身の思いをお書きになられ著書👇 写真をお借りしました、
ありがとうございます、河出出版者様
どうしてどうして闊達なぉ姿に同じオナゴとしては脱帽です、どうも最近へこみがちだったのは「生きてて面白くない」
に重きを置きすぎて「案外これでも楽しい方じゃないか?」と感じる心を失くしてた!詳細を書くのは控えるけれど、
考え方を変えて、モリモリ食べて体力つけて心のチカラを養って、新しいことをたくさん知ってシフトダウンは止めた!
”源氏物語” は物語として書かれたと思っていた、そこにある目的(作者は紫式部)があるなどとは想像もしてなかった、
書かれた時代を思えば・・・・国司の租税のとりたてがはげしく、流民となる者が増え・・・・・しかし「源氏物語」には
そうしたことは少しも書かれていない・・・・👈 引用
06/20
傷ついて咲いても薔薇はバラ、雨に打たれた蕾がそれでも一生懸命咲いた、今までならちょっと色が変わった蕾が咲こう
としてるのは摘み取っていた、梅雨の時期には仕方がないわと自分に言い聞かせながら、
でも今回は愛おしさが勝って咲かせてみようと思ったら、きれいに咲いた、花びらのところどころが傷ついてた、私には
絵心がないので今まではそういう花は載せなかったけど、ちょっと一筆入れてみた、傷んだ花びらの先にね、そしたらー
十分きれいじゃないのよ、メイクと思えばいいわけだ、
さて歯切れが悪い書き出しだけど、ぉ他人様の人生に口出しするほど私は人生の深みは知らない、表向き嫁にきて妻とし
母となりコースは踏んではきたけど、そんなに奈落を知らない、
ましてやオナゴの心模様やオトコの本音などには手も足も出ないとは分かってる、けど、同じ人間だもの、異性とはいっ
ても、もしや分かる処もあるかもしれないと、そのぉ方の会見を観た、
今までのそういう問題に関しての釈明会見は山ほどあって、詳らかにせず、かと言って素っ気なくもなく、十分に精査さ
れた台本のようなものに従って縷々述べるという方式だった気がした、
今回のはぉ方一人のプロデュースという前触れで、訥々と語っていた、冷静な判断と言葉選びで視聴者に不快な文言は
ないように見受けられた、妻をかばい相手のぉ連れ様への詫びと、おさおさ怠りない気遣いが感じられた、
こういう場合にここまで冷静にカメラに向かったぉ方は稀だとも、でも人間は正直です、相手のオトコさんに関して語る
口調はやはり手厳しかった、これは致し方ない、
別件で同じようなシーンがあったことを思い出した、知人の離婚の際のママの言葉の中に、
「パパとママは離婚するの、どっちと暮らしたい?」「それはない、パパはパパ、ママはママ、私には同じ様に大事な人
だから一緒がいい」その子は言った、こっちの方が大人だよ、せめて子がもう少し大きくなるまで親には装うくらいの覚悟
が欲しい、「不仲で一緒に居るよりは別に暮らした方がいい」とは大人の勝手な言い草だと思うけど、
06/14
ルドベキア プレーリーサン (サカタのタネ)「今日入荷ですよ」と言われ惹かれた、心がパッと軽くなった気がした、隣に
しゃがみ込んだ客も「あら、ひまわりみたいで元気が出るわね~」と一鉢を選んだ、ぉ方も老いの憂いかしら?
蕾もたくさんついてて咲く気満々とみた!花も出合いと言えばいえる、この日のこの時間じゃなきゃ手に入らなかったよ、
源氏物語だ大河だと騒いでて、今、世の中で盛り上がってる”物語” に触れないなんて、ブログをやってる婆の、しかも人生
を80 年(まだゆとりはありますけど)近くも凌いできたオナゴに感想はない、わけがない(笑)
以前、私が迷った時に祖母が言った「🅿子、オナゴとオトコでは子に対する気持ちは同じではない、血肉を分けたオナゴ
と同じ気持ちにならないのかと詰め寄ることがそもそも論にはならない、同じ土俵に上がってはいけない」と、
オナゴとオトコが子に対する気持ちが違うなんて思ってもみなかった私には??だったけど、その時はね、
でも確実に違いましたね、それが実感できてからは期待はしないことにしていましたよ、無駄な腹立ちを覚えるだけだから
年寄りの言葉に無駄はないってね(´∀`*)ウフフ
この花のように咲き始めたばかりの初々しいオナゴじゃあるまいし、艱難辛苦を遣り過ごし、なんとかここまで生き延びて
きた力量があるじゃないの?ただのおバカだったら、子は育たなかったろうし孫もこの青春を謳歌出来てなかっただろうよ
そういう背景がある婆の一言を、
勿論、子らに関しての養育は親の務めだから、母なら、父なら当然のことをしたまでの事で敢えて声を大にする事じゃない
ちょっとみっともないね、相手の混乱してるスキを狙ったように衝いてくるなんて、それにそういうことは双方とも世間に
曝すことでもないし、カメラに向かって演技することでもなくて、子に真摯に向かう事が先だろうに、
子らも環境を選べたなら選びたかったよ!と言いたい処を、そんな大それたことも言わず、与えられた環境で出来る範囲内
で努力して生きてるだろう、そういうことを鑑みたら、親の生き様の不都合を改めてぉ他人様たちの前で顔を曝しいかにも
という雰囲気を流すものではないと婆は思うけれども、
子らがこれから生きてゆくのに混乱もあろうけれども、生き延びるチカラは与えられてるはずだから、今、それを観なくて
も、見せなくても良かっただろうにと思うけれど、ひとは得てして理解不可能な言動をする時があるのだという学習にして
欲しいと、世間の大人たちも”青菜に塩”に更に塩 はやめて、と言いながら書いてる私もどうかと思うけど、
ぉ他人事だから触れたくはないと言いながら、触れないわけにはイかないと言い訳をし、けっこう大々的にモノ申しておら
れる方々が多いのは世情というもんでしょう、時はめまぐるしく流れてゆくのだからアッと言う間に忘れるでしょうよ、
それに誹謗中傷と言うならば、それを予測して最小限にとどめる知恵を出し合うのが、親の欄に名がある者の務めでしょ、
せめてもの責任の取り方じゃないのかしらね、
さて走ったオナゴと言うけれど、走りたくなったからにはわけがあろう、胸に手を当てて考えなきゃならないのはオトコも
同じでしょう、仕事と称して家を空けることが多かったら、それはそれでアウト!の一つです、子らは生きてるんだから、
そこで手をこまねいて「オトコの甲斐性だ」なんて大口叩いていたのなら too アウト!!
そこへの不満が、あるいは傲慢への、あるいは我慢がうっ積してたから爆発したのでしょう、でもその前にもっとそれらの
感情を何とか宥めて、オナゴの責任を果たそうとしてた処がオナゴにはありましょう「子育てをしていい母親だった」と
その連れがハッキリ言うのだもの、
オナゴが走ってしまわなきゃ気づかなかったという処がオトコの哀しい処よ、オナゴの辛抱に「俺様も辛抱してたんだ!」
重ね打ちするようじゃオトコの度量が少し足りない、
沈黙は最も雄弁なる意思表示と言われてるから、それに気づかず、気づいても気づかぬふりをしてたなら、それは狡いかも
というより逃げ口上じゃないのさ?傷つきたくないオトコの防衛本能と言えばいえるかも、
オナゴは意思表示してたようよ、明らかに誰が見ても分かるように、それを気づいた時に真向かうチカラがないもんだから
敢えて寄り添った(言葉は綺麗だけど)かのような素振りをしたんじゃないの?
「分かってないオトコね~」と思わせた責任はオトコにもあって、どんどん距離が大きくなっていっちゃったし、オトコに
も、そこは分かってて、どうしたら不利益を被ることなく、傷も浅く済むかは考えてたと思うよ、怠りない感じもするよね
今は武士の世じゃないのでね、
さてオナゴが被ってしまった不利益や信用の損失は計り知れない、それは双方のオトコを足しても叶わないというのが世間
の計算のようだから、それはそれでオナゴも現実を受け止めて、潔く退くことの方が恰好がいい、オナゴは不死身だから
必ず甦ることができます、なにせメンタルは子を産んでる分だけ強いはずです、子を育てれば世の中はその分寛大になる、
生きる道は何処にでもあります、沈黙を貫いてるオナゴさんもおられます、やはりじっと再生の時を見定めてると思えます
「選んだのはあなたでしょう」とオナゴは言われがちです、確かにそうですけど、そんなはずじゃなかった!ということも
あり得るのがこの世の中の仕組みです、今、オナゴはこれから先の人生を模索するいい機会と言えなくもありません、
やはりオトコが翻弄されてるような図式になってるのはオナゴの方が強いからだよ、そして当事者が、何か心に秘匿する
ことあればあるほど多言(弁)を弄すると、いくら計算してもぉ他人様には見えることがあるというこっちゃ、
桁違いの一般ピープルだって2年ほどウダウダしてりゃ、先行きは自ずと見えてくると婆は切に思ったのよ、婆の鋭い勘!
負けないでオナゴ達よ👩 山を越えりゃ必ず"きれい”になれるから、持ち前の再生力で、
06/15
今まさに咲こうとしてる姿も初々しくて素敵ね、蕊の様子はその生真面目さを表してるようで、失った何かを感じたのよ、
失った日々を惜しいと思ってたけど、まだまだ私が知りたいことは沢山あって、歳の事ばかり気にしてちゃあ勿体ない!
と気づいて元気が出た、知らないことがあって知る機会に恵まれたらこれを活かさなきゃならない手はない、貪欲ねー
源氏の光のモデルは誰じゃ?という視点から歴史を鑑みた本に触れて、実に楽しい、ということは、きっと今までの想像
は的外れだったんじゃないかと思い始めた、これはこれで貴重だね、だって歴史を具に辿ったことはないのでドキッ!
晶子、谷崎、円地、田辺、寂聴各センセ方の現代訳はそれはそれで面白いかった、成り立ってしまってた物語りとして、
そこに”光”はすでに現前と姿を記されてるから、改めてモデルは?と思い至らなかった、
それを推量する楽しみがあるじゃない?と気づかされる富枝センセのぉ作に触れ、読み始めたばかりで右往左往だけど、
これって追及の糸口、今までにない興味をもちゃった!
今の処は鳥羽口なので決定はできない(それ程の知識もないので)けど少しづつ真髄に触れてゆけそうよ、系図を観ると
登場人物のバックボーンがみえてきて、紫式部からそう遠くない方々が伺える、
教授の仰ってたぉ方の名も初めて活字で知ったような按配の初心者の私には興味津々な一冊だったので改めて御礼迄📚
そして明るさはあるけど曇天模様の空を眺めたり本を読んだりしながら”仕返し” の方法を考えてる(考えてるだけだよ)
私の老後のこの一時は意味があるんだろうかと笑っちゃった、
奮い立つ心がなきゃ生きてる面白みがないというほど手向かうことが嫌いじゃない性分だもんで困るのよね~正義は必勝
だと思うから厄介なのよね ”許容するにはお主の悪事の数々は目に余るもんじゃった!” 時代劇じゃないけど(* ´艸`)クスクス
書けば事実は薄まってゆくらしいから、
06/15
一鉢の中にオナゴの人生が、私にも真っ盛りの時があったわよ、あったからこそ錆びついてる今が"悔しい"いや"口惜しい"
ボチボチどうしてそういう気分になるかをじっくり文字にしてみようっと!
買い物も熟して「オナゴばかりが辛い」とか言ったてけど気分が変わって、どうにか取り戻したような気がした、
雨も上がったしちょっといい気分~~♬ オナゴは気紛れ、そりゃそうですけど(´∀`*)ウフフ
Que sera sera ケ・セラ・セラ
分からぬ先の事をかんがえてみても、なるようにしかならないのよとの、なるようになるとのことでしょうけど私は今の
処はしたいようにすると思ってる、そりゃね、ひとが思い通りになるとは限らないからということでしょうけど、
いいじゃないの~♬ したいようにすると思う念力が未だあるならば、それは未来が明るく広がるということだもの、
06/14
"初雪草(トウダイグサ科)氷河"を探してた、まさか花屋に売ってる花のようには思えなかったので半ば諦めながらも、
そこはホラ婆です"しつこく"度ある毎に探してた、
北国で花と遊んでた頃、小屋の前に一本のハツユキソウを春先に見つけて、支柱を差し大事に咲かせてた、花に興味ない
頼んでた草むしりのひとが雑草扱いをして抜いたらしく見当たらない、せっかく楽しみに眺めてたのに! と言わずスルー
したのだった、よもや都下で出合えるなんて最高じゃないのさ!
06/15
この葉っぱの様子がすてきじゃない?名からしていかにも冬!という感じだけど初夏まで楽しめるんですよ、そして
地べたに植えれば来春にはちゃんと咲きますのでね、今は鉢で楽しんで後直植えします、待てば海路の日和ありという
こっちゃ、・・・・夏から秋に葉緑が白くなり、株全体が美しくなります、花殻はこまめに取り除きましょう 👈
06/14
松葉牡丹はこの家が気に入ったらしく咲きっぷりがいい、花殻をこまめに採って咲かせてたら、なんと!種が零れそうに
なってたのよ、78 で初めて見たよ、この小さな黒い種を、それでプランターを移動して種が零れてもいいようなエリアに
置き換えることにした、
何で今更のように若い頃のグチを再燃させたかというと、二人で老いを迎えざるを得ない状況になって、またもや当時の
力関係が再燃し始めたからなのよ、言いなりになると思い始めたようね?
あの頃は子育てという楽しみや遣り甲斐や、自分の若さや、籠の鳥ながらも趣味にも興じる意欲があったから、なんとか
引き換えに、自分を宥めながら過ごす知恵を駆使して、自分の希求する現実へ近づけようと努力できてた、
でも今は違う、お互いによれよれになって(笑)
でもそれに気づかぬ振りをしながら毎日を、様々な制限下で過ごさなきゃならない、うっ憤は溜まる一方で解放の仕様は
なし、それでも家庭に居た主婦は子と共に、何とか心身共に自立の方法を得ながらの日々だった、連れは社会に揉まれ
ながらも逞しく生きてたように見えて、実は家庭への依存症の様な状態じゃなかったの?
私はDr.じゃないから分からないけど、妻が何とかしてくれる、妻に丸投げ作戦、ちょっと拗ねれば思いが通るというよう
に、思えば幼稚なだった(あら、真髄?)のよね、ハッキリ言いすぎます?いいのオトコの敵になっても、婆ですから、
母親として、それこそ逞しく子を大人にしなきゃならなかったから、自分の思いなどすっ飛ばして一心不乱に生きてた、
「妻なんて母と同じで easy ジャン!」と思ったのかもしれないけど、その時は忙しなくて真っ向勝負する暇が、妻には
なかっただけで往なしてしまったけど、今は違うのよ、時間も余禄もたっぷりあるから手ぐすねを引く余裕があるんです
ですから、easy だと思った妻のように自立して、少しは妻の心の動きも気にかけて、自分が老いに地団太踏んでる暇が
あるならば、泡と消えた love だろうとなんだろうと、子を慈しんだ連れに少しは甘えを捨ててほしい、これ、うちの場合
ですけど、少し気がかりになられた夫様がおいでになったら、ちょっと試してご覧なさいませ、easy でしょうよ、
「今までホントに世話になった、これから先も宜しく頼みます」毎日が変わりますよ、寛之センセのお言葉を解釈して、
うちは 50 年の端境期ですけど(´∀`*)ウフフ
06/15
きれいだわと楽しんでただけだったのに、このうえ種をくれるなんて―――👆育てるということだよ、オナゴの本質です、
さて今更🅿ごときが拙い文章でオトコ【D】を語るなんて烏滸がましい、とは十分承知の上ですけど合点がいかない事には
黙ってられない性分でして(笑)
若い頃、嫁になるまでは今まで語ってきたように親族や親や近隣の人達に優しく見守られ、転勤族の父と一緒に家族で移動
して、新しい土地でも近隣や学校の先生や生徒たちにも優しくされて、一度として泣いたことがない、
そういう私はこれで中々小心で(どこが!と言われそうな気もしないでもないけどそうなのよー笑ー)ただ一度だけ小学生
の頃、男子と喧嘩して廊下に立たされたことがあったくらい、バケツは持ってなかったような気はするけど(´∀`*)ウフフ
負けん気な処もあって可愛いっちゃあ可愛いんじゃない?自分で言うのもなんだけど、
それに得手勝手は私のどうしようもない性分ですので、偉そうなことばかりは言えた義理じゃないんですけど、そこは
差っ引いて話を進めることになりましょう(^^ゞ
それが嫁になって【D】と暮らすようになって理不尽の日々が多すぎて「やってらんねー!」と思い始めて、それでも母親
としての責任と思い辛抱はしたわけよ、その頃は姑もまだ家に来てなかったので、子育ては思い通りにできたし、可愛いい
洋服のぉソロを着せて赤い二人乗りのベビーカーに三人乗せて散歩したり、公園で遊ばせたり、専業主婦の特権ですよ、
そこにもしオトコがいたとしても何の役にたつのでしょうか?
うわの空での子育てなんて役に立つというよりは、ぅ――――ン、かえって気を遣って面倒だったかも知れないけど、
思い出した!娘がまだ1歳未満の”風邪事件” における【D】の電話での返事、いや今なら確実にモラハラに当たるでしょ
私が期待した返事は「それは大変だろうけど駅前のぺけぺけ小児科に連れてった方がいいかも」こういう修飾語の入った
高度な答えを想像したわけよ(笑)
私はね、そしたら「何言ってんの?俺は今仕事中で忙しいの、自分で判断しなよ」驚いたでしょ?「帰って来い」と言う
わけじゃないだろう~このオトコには甘えるのは止めにした、
結婚してわずか1年8か月過ぎごろの事よ、私は家電をガシャ!!! と切って小児科へ行った、その時から相当の事がない限り
子らの病気発症については独りで判断することにした、今から 49 年程前のことなんだけどね~ そこから自立が始まった、
オトコの言い分は要約すると「家族のために”ならぬ堪忍するが堪忍”とばかりに仕事をしてきた、それでも連れ🅿に感謝
の言葉一つもなく当然のようにサラリーを要求され(ちょっとお待ちなさいよ、要求っておかしいじゃないの、現場で子ら
を育ててるのは私、だったらその必要経費は当然お支払いして頂かなきゃ(´∀`*)ウフフ)朝から晩まで馬車馬のように働いた
のはオナゴですよん、専業主婦をおもちの旦那さんは、今更でも認識するべきです、甘えなかった奥方の天晴ぶりを!
それで子らは立派に育ったのですもの、感謝をしなければならないのは旦那さん方ですよ、
それに休日はあってないようなもんで(あら?休日は休日だったのはあーたで、私は朝昼晩と3度の食事の用意をしてた時
横になってテレビを眺めてたのはあーたでしょ?笑わせてくれてはは困ります、休日があるだけでもいいじゃありません
の?オナゴに休日なんてありませんでしたよ👩)
とまあこんな言い合いになりますわね、このブログは怨念ブログか?とお思いの方もおられましょう、けど、各位のぉ連れ
様も一度はこういう思いはなさったと思いますよ、ただ口になさらないだけだったのでは?サラリーと仰いますけど、家を
護るぉ方がいればこそ、仕事に没頭できるというもんでしょう?
仕事に没頭すればした分だけ査定されて、し甲斐があったというもんでしょう?ぉ連れの無言のぉ働きがあればこその賜物
でしょう、なのにそこに価値を見出せないとは傲慢の一言に尽きるんじゃありませんの?これってうちだけ?
何時まで根に持ってグチってるんだ?と仰るでしょうけど、寛之センセもお書きのように過去回想は頭脳には宜しいようよ
どんな内容だって思い出は思い出~ですよ、楽しいことはなかったのか?と仰いますけど”楽しいこと<悔しいこと”の図式
は永久に不滅です by Nagasima
言った方は忘れてる、けど、言われた方は忘れない、これ正式で賞味期限なんてないのですよ、ただただ子が可愛いから、
あーたの寝言のようなウヤムヤは聞き流し、家をきれいに洗濯は日に何度も、食事は可愛く盛り付けて、あーーあ手元に
当時の写真がないのが口惜しい(´∀`*)ウフフ 子らを可愛らしく産んだのもオナゴです、
私もバカだけじゃないので(何を今更よ、ぉバカだからグチってるんじゃないの、ぉ品がないわね)記録だけは取ってる、
今風な加工できる音や姿じゃなくて”肉筆” だからね~これって案外リアルなんだよ、文字の乱れは~心の乱れ~♬演歌よ
書く作業ってうっ憤が晴れるものなのね、つくづく実感してますよ、でもね、やはり何でもかでも書けないこのもどかしさ
これが奈落の底に落ちるのを防いでくれてます、だから大丈夫よ、
そして誰もが経験した”籠の鳥” の長い日々が過ぎて「家族とはあまり縁がない」なんて言ってた【D】は家庭を持った途端
に家族との付き合い回復をして、いかにも私が好んで【D】家族を招くような体裁で、姑小姑その連れその子達を家に連れ
て来て、私を家政婦(あら失敬!)のように扱い始めた、そりゃお出でになった客には心を込めてご接待!と躾けられてた
私ですもの、出来る限りのご馳走をしましたよ、
そしてお泊りもあって、しかも【D】自身は”仕事” が長引いて帰宅しないとの電話一本で外泊、その家族も別に【D】が
居ない方が清々するらしく「え?帰れないの?」ぐらいの反応で酒場状態に(´∀`*)ウフフ 嫌いじゃないからいいんだけど、
その遣り口(全くもって下品で申し訳ありません)に腹立ち倍々となり乍らも、ここはそ知らぬふりして歓待してました~
何しろ車でのお出でですから準備万端ですから言葉もありませ~ん、こうして幾度も続いたお家で接待に私の堪忍袋の緒が
切れた!「私の仕事を増やすな、そういう時には在宅するようにね、逃げるな(;一(;一_一)」と、
訊けばどこのお宅でも息子(姑+息子の弟妹連れ)の家には訪問したいらしく、ご近所でもそういう訪問が多く、接待にと
大童の嫁がグチって立ち話は多かったですよ~ん、細かいことだけど「直箸」だけはイヤ!と嫁軍、
「世話をかけてすまん」とでも言うなら未だしも何も労わりもせず当たり前の事のように平然としてた夫たち、金曜日の妻
たちじゃないけど週末はイヤだったでしょうよ、従順を装ってた妻たちは(笑)
その後の後片付けは、大掃除に洗濯に布団干し、器の手入れや収納と、余計な仕事増やすな!何十年も前の事だけど昨日の
ように鮮明に覚えてる、年取ると過去の事はありありと思い出されるようになってるらしいわ、