goo blog サービス終了のお知らせ 

pretty woman story again

趣味はそれぞれ軽く浅く楽しく
華の 80 歳となりました🌹
オナゴの色々(´∀`*)ウフフ

@仙台育英 @夕暮れに @散歩 @祝!!! 宇野さん @チューリップ@(d) キッチン・ 曇天に(s) テネシー @マリーゴールド@祝 WBC!!! @茶店擬きⅡ

2023-03-23 | #日記

 

03/28

今まで拘ってきたというか思い入れが強かった仙台だから、応援したいなあと、60年前、あの2月のまだ雪が残ってた時

にオーバーを着込んで、幼馴染のテンプルちゃんと受験のために仙山線に乗り、大都会の(そう思ってた、お上りさん)

仙台へ向かった、朝ご飯のための弁当を開いた「P ちゃんのと取り替えてよ、そっちの方がいい!」とテンプルちゃんは

言った、「なんでや~?」と訊ねたら「だって私の牛乳とパンを買っただけのものだよ」(怒)

母に持たされた卵焼き+鶏肉の焼いたのとほうれん草のお浸しくらいのもんだったのよ、

そしたらテンプルちゃんが言った「ほらね、仕事してるからってうちの母はこんなもんよ、娘の受験にパンと牛乳?」

「いいじゃないのよ、美味しそうだよ~」私は言ったけど、テンプルちゃんはうちの母の弁当がいい!と言いはった、

私はパンも食べたかったから(クリームパン?アンパン?)交換した、

 

テンプルちゃんも私も父親が公務に就いてたから違いはないけど、テンプルちゃんの母は外交が上手で、よく流行った

化粧品の拡張がかりで、うちに母は奉行事務で、時間帯と職種がちがっただけで、テンプルちゃんが拘るには別の案件

があったのよ、ぉ他人の母親は良く見えるというあれだったのね~

 

「うーーーーっ、旨いわ」テンプルちゃんは唸った、私もパンも美味しかったけど、こういう話をふと思い出すように、

仙台は私らの青春の始まりだったのでね、

 

 

03/28

龍谷大平安の選手の皆さんご苦労様でした、そして仙台育英の皆さん、おめでとうございました、整列なさった姿を拝見

して高校野球の清々しさを再確認しました、笑顔も絶やさず、監督さんにも素晴らしい時間を頂きこころから感謝です、

次回の試合も、頑張って下さい、応援してます🥎

 




 

TBS   夕暮れに、手をつなぐ  火 10   北川悦吏子・脚本

TBS

オトコとオナゴの出会いはどこにでもあって、私は出合い頭だと思ってるけど、大人になってすれ違っても何かきっかけ

がなきゃ、落としたイヤフォンを拾ってあげただけだったのに、ここに縁がなかったら「ありがと~」「いいえ」だけで

終っちゃうんだよね、そこがオトコとオナゴのインスピレーション?古いけど、やはり第一印象だよ、

そして恋するかどうかは、時間をかけて色んな出来事に遭遇して、それが恋へ恋へと動くかどうかは魅力あるのみ(笑)

 

時にはライバルが現れたり、仕事で絡んでますます近づいて、それだって誰がどう

しても止められず糸が絡んじゃうわけで、それが仕事の上だからとか、相手が思ってくれないとか難儀なこともある

けれど、今はオナゴからだって like you ってさばっと言える時代だし、

 

この物語には 思いがけない人達がエールをおくり何とか纏めよう

とするあたりが温くていいね~さらに伏線として同業者となった分かれてた娘に強力な助っ人が現れて先は明るい、

 親子なんだし別れて暮らしてた日々が長かろうと、ひとこと嫌味

も言ったとしても血脈は優しいもんよ、娘の将来を何とか成功させようと思うのは親心、

 

けれど こちらの恋もオナゴには譲れない気持ちだったし

さてどうなるの?婆は観ましたね~欠かさず、それは何故かといえば、あの家の佇まいもそうだったし、年長者が物語の

中で指針を示してくれる重要な役割を担ってたし、懐かしいシーンがたくさんあって婆にはとても分かり易い理解の範疇

だったからよ、77 向けのドラマなんて少なくなってきて「ついていけない~」というのが多い中でこころに響いた、

 

2人がシンガーとしてデビューして紅白に出るまでになった時には

さすがのすずちゃん役は、自分の仕事の先行きも悪くはないのに揺れていた、それは廉君役が、

もしや自分に心がなくなっちゃってしまったんだろうなぁと思う日が多くなってきたからよ、どこかで信じてるけど、

CMのボードやテレビでのインタビューを見れば、どうしたって寂しくなっちゃうわけだわ、

 

そして私が描いてた結末がまた素敵だった  TBS

このシーンの余韻で分かるというもんよ、キャストもそうだけど、物語の運びの好き好きはは観客が決めていいんだから

ホンもよかった!北川悦吏子さんは堂々のアンチへの持論が強気でよかったわ~ご活躍を💟

 




03/27

今朝も曇天で予報は外れて、洗濯物は家の中に干して、柔軟剤の香りに誘われて散歩に出よう!と思ったら止められない

まあ家の中と周りばっかりだったので、たまには私鉄に乗ったり、人並みに紛れてもいいかなぁと、

委縮してたのは”こころ”ばかりじゃなくて”意欲”だったのね~PC 遊びは簡単で時間も自由だし、もっと言えば洋服だって

部屋着でいいんだもの、変化なんかあるわけないわ、ということで少しぉ飾りして、荷物は持たずにポシェットに最小限

の必要なものを詰めて歩いてきた、

 

それほど着てた洋服も違和感なかったし、季節外れでもなかったし、姿勢に注意しながらテクテク歩いたら、恐らくは、

心身にたまってたモノがすっ飛んでいったのね~気分は上々だったよ、歩いてみるもんだ、2時間ほどがいいかな?後で

 




家の軒下のチューリップは土をお気に召したのか 03/23

何だか絵に描いたような姿で嬉しいわ、赤~白~ピンク~♪ こういう雨模様の日には~~~しなきゃならないことは

あるのよ言葉遊びがね、その前に、  

 

宇野君おめでとうございます💐

なかなかジャンプの瞬間は撮れない、当然ですよね、素人の上に婆で判断力が鈍ってきてますんでね((´∀`))ハハハ

だから飛ぶ前と着地という感じの、それでもステキな瞬時を!撮れたらいいなぁ、

 

03/25

宇野さんの弛まぬ努力と周りの皆さんの指導と協力と、そして見守る観客とが一体となった空間に一心不乱に滑る緊張感

婆仕様のスマホにしちゃ、私としては好みのショット!!!

 

03/25

優勝のシーンはニュースで見つけたら挑戦してみようかしら?見せて頂き感謝です💙(色合わせのハートです念のため)

03/25

深い意味合いの言葉をさらりと言える宇野さんに感動!そして何よりオナゴを大事にする気持ちもさらりと言う優しさ、

ちょっとオトコのテッペンを拝見できて楽しかったわ、素直なのがとても婆のこころに響いたのです、

 

 




03/1903/19

ラナンキュラスとローダンセマム、ルムチコーレを何時ものようにポチッと切って、思い切って(´∀`*)ウフフ

 

03/22

以前にドライにしておいた花と合わせてみようかなあと目論んでる処よ、それには雨の日の後じゃあんばいが悪いので

先に切って下げましたよ、もう少し好天が欲しい処、だって微風もないので、

 

テレ朝  キッチン革命  羽原大介・脚本 土9 日9

テレ朝(お借りしました/御礼)

録画しておりましたのでちょっと朝に観たら惹かれました、時代と台所(厨)そして俳優さん達に、

テレ朝

横田綾子さんと姉さんとの先行きが楽しみだし、名立たる出演の方々の物語にも興味が、

薬師丸ひろ子さん、葵わかなさん、そして、伊藤紗莉さんとお揃いで期待してます、そしてガラス✨

テレ朝

計量してるこのガラスの器にはとても惹かれました、どうなってゆくのでしょうか?

 

 




03/23

”青空いっぱいに桜” とイキたい処だったけど昨日の散歩は致し方なし、でも載せておかないと時季外れになって、いつ

かのようにノー桜じゃ寂しいのでちょっと気持ちだけでも、近所の空き地のこの枝ぶりは好きで、雨の前に間に合った、

もう一度機会があったら青空に桜の一枚が欲しいわ、

今までのと違って、別な感慨をもつでしょ?懐かしいには同じことだけど♫

 




03/23

どんな花がいいだろうかと店先で考えて、花束はたくさん載るだろうから”マリーゴールド” American flowerだしね、

派手だし色合いも情熱系で好きだし、第一花の名が”Mary GOLD”ですもん!

 

 💐 栗山監督 優勝おめでとうございます、試合中の時折り拝見した表情の厳しさに、心中をお察しするとも、

言葉もありませんでしたけど、勝利の笑顔の素晴らしかったことはこの上もない喜びでした、

 

03/23

素人の上、テレビの前で瞬間を写すのは私にとっては至難の技でしたけど、とても素敵な笑顔のショットで載せさせて

頂けて、監督さんには朝から楽しませて頂いた心からの御礼です、選手の方々にも同じく御礼です、

 

03/23

雰囲気だけでも残したいなあという婆の思いが少しは伝わるでしょう、婆仕様のスマホでテレビの前でリアルタイムで、

私にしちゃ渾身の臨場感(笑)

03/24

 

時にはホッとし時には独りで自分との闘いを静かに続け、そしてステキな表情の青年でした、お行儀がよくて感心です

 

まあね~これほどのぉ方々、方々が感動した試合でしたので、これもまた嬉しい事じゃあありませんか、

個々のハッキリ・クッキリ写真もありますのでそうのうちね、楽しかったわ🥎

厳選した因んだ品々を~詳細は追々です、なんたって集中しちゃいましたので(´∀`*)ウフフ

 

野球を観てるとそのひとの性分が分かり易いというのは本当よ、negative キャンペーン VS  positive キャンペーン

(そういえば以前この題材を 57577 にしたらウケがよくて、何処にもそう言う事あるらしいとセレクター曰く)

(P)「大丈夫!ピンチの後にはチャンスだよ~」一緒に観戦してて(テレビ)心地よいエールでしょうよ(P)

【D】「なんでそこでピッチャー替えるかなぁ」(P)それが監督さんの采配の妙でしょうが!言いたくなるけど言わない、

(P)「ナイス バッティング!」すごいなあ、そこまで転がして相手を避けるなんてテクじゃん!走者の後押しいいねぇ

【D】「そこでホームランだろ、追加点じゃなきゃ!」あーーあ、一緒に観るんじゃなかったよ(P笑)

とは思いながら言葉にはしないでこころの中で私は呟いてただけで、【D】はいかにもという感じで言い切るのが解せず

「君は監督か~?」と言いたくなったけど耐えた、まあね、やり取りが面倒だしさ、そして私は沈黙の勝利だったわけよ

それが実生活にも表れてると思えば頷けない事もない、イヤ、まんまだよ、まんま、合うわけないわ(´∀`*)ウフフ

 

 




 

オトコ(大正4生まれ)オナゴ(大正8年生まれ)夫婦の話 

茶店擬き Ⅱ

ローダンセマムの花はドライにしてる途中では花のままで、これって花びらが薄くはないのね、天候にもよるけれど、

 

 明治生まれの姑と大正生まれの嫁の古――――い話ですから念のため」、

農家の家々の真っただ中に親の地所だからといってオトコは甘えてその地に建てたのは波乱の幕開けと言ったけど、

出だしは確実にそうだった、だって”茶店” 状態だもの、それに持ち込みだから「いいべや~」の客のマインドだし(笑)

それにオナゴは新入りだから、なるべくはトラブルは避けたいから「いいひと」でいると決めたというからね、

 

そこまではまだまだ容易い事よ、バックに本家があって、オナゴの連れのオトコは単身赴任で、オナゴは口が堅くて、

一切ぉ他人様の話はもらさないということを実践してたから、まあ、信用を得たとでもいいましょうか?

商売じゃないし、ぉひと扱いも実家で教わってきてるからよもや軽々な態度はとらないようだったし、そりゃあ客は、

居心地はサイコー!だったでしょうね、

 

それがオトコの身内も聞きつけて出入りして、別家の嫁の分際で農村の人気をさらってしまっては本家筋は面白くないよ

そこで友に誘われて奉行の「臨時」を始めてしまったから、その安息所がなくなった!

一度経験すると、それじゃあ、それに代わるものをと人は誰でも求めます、農家じゃ忙しなくて家族は多いし、オトコ達

も常駐だからね~やはりどこもなかったらしい、オナゴは「臨時」を始めてやっと”茶店” 擬きをやめられた、

 

オナゴが奉行へ通うようになってからというもの、ひとが変わったように明るくなって、子らにも優しくなって、畑も

合間にちゃっちゃと熟して、何の不満もなくなって、おまけに 57577 仲間が増えて、これが人生最良の日々よ、

 

そこへですよ、何の迷いか、或いは前から考えていたのか連れであるオトコが「転勤する」だなんて「早いべ!」オナゴ

は、それでも奉行だけは辞めないという持論をもって事の成り行きを見守ってた、

そこへオトコの母で、オナゴには姑に当たる婆様が言った「農家はつがね(継がない)がったども、それでも戸籍上では

○○家(オナゴには○○家と言われても自分の実家の方が◎◎家だと思ってたー笑ーとのこと)の長男なんだがら、大事に

して、今まで留守にした分の面倒してくれな~(面倒みてちょうだいね の意)」

へ?朝晩の支度はそれなりにしますよ、でも家に居ながらにして、またまた息詰まるような暮らしは、今更ご免被りたい

そう思いながら事を荒立てずに、まだ赴任地も決まったようでもないから「わかりました~」とオナゴは往なしたらしい

 

でも農村のその時代の嫁の立ち位置は、勤め人が夫の場合、家にいて送らねばならず、(玄関の先の最初の曲がり角)

向かえも玄関まで出て行ってかばんと帽子を受け取って、背広上下を衣文かけに、着物を着せて、今なら何様?(笑)

 

それをオトコの母親は歩いて何分の別家へ鮎や漬物や街で買ってきた鮭や”かど”(鰊のこと)と日本酒を下てパトロール

嫁としちゃあやってられないでしょう?酒の肴の支度の手は省けても、その後片づけや子らの食事や、食後の茶飲み客

あーーあ!それでも農村の人の口に戸は立てられない(昔のことですよ、昔のこと、だから今に置き換えないでね)から

いい嫁を装ったばっかりに苦渋の日々が続いたとのこと、今なら我慢はしないでしょうけど、

 

オトコの赴任地ね、それが地元じゃなくて他県の大都市で、とても通勤はできないということで、またまた借り上げ官舎

しかも時代のせいか4階建てのこじんまりとしてマンション風で家族向けのようだったとのこと、

そこで子がその地の学校へ入学したのを機会に同居するということになった、誰が一番喜んだかは言うまでもなくオナゴ

連れも、小難しい子もいない(笑)

 

仕事ぶりが丁寧で受けがよかったオナゴには即またまた奉行の「臨時」の話がきた、さすがにオトコは自分の居ない時間

と限定してOKを出した、そりゃそうでしょうよ、本家筋は別として、農村内でのオナゴの評判は良かったからオトコも

その頃はまだ鼻高々でいられたんでしょう、それにオトコは子と一緒に暮らしてるから気が紛れたということもあったで

しょう、オナゴの姑も、農村内の噂に満更でもなくなったのか、それとも大隠居となって気が楽になったという事もあり

ごちゃごちゃ言わなくなったらしかった(´∀`*)ウフフ

 

それでもオトコが退職するまでは奉行で仕事をつづけたオナゴは少しは満足してたようだ、週末・夫の世話は出来るわけ

だからね、子は学生生活満喫で、オナゴも週末は休みだし家事の不足な処を補ったり、畑の始末をしたり、子らの進級、

進学 etc. なんでもござれだった、

おさおさ怠りなく自力で済ませてしまうし、ちょっとオトコの出る幕がなかったかなぁ?

 

だからって家の中の家族状況が停滞するわけでもないし、ケチ(あら、失礼、そういう表現だったもの)のつけようなし

そうなってくるとオトコはどこか面白くなくなってくるの?いいじゃない、居心地のいい家庭となってるんだし健全よ、

 

それに時々はオトコの留守の時に”茶店擬き”が復活して、オナゴにしてみれば外でも楽しく充実、家でも持ち込み仕事を

したりして充実の極みだった、オナゴには間がいいというかオトコには間が悪いというか、

 

オトコに生まれて仕事に邁進できるようにオナゴが瑣事を整えるということに慣れ過ぎてたんじゃないの?そのオトコは

オナゴが仕事をするということは瑣事を自力で整えてからのことで、しかも、福利厚生などは望むべくもない時代だった

それに制限つきで同じ仕事を熟したとしても、オトコの足元にも及ばない扱い=仕組みだったらしい、

 

オトコというだけで優遇されていた時代にオナゴは添えもののように、なら、オトコ自身がそれに気づいて謝恩するか

といえば「当然だべ、オナゴだもの」と言い捨てちゃ、連れのオナゴに失礼極まりないと思うけどなぁ、

 

そして待ちに待った退職に至ったオトコは堂々の地元凱旋となった、とうとう地元では空席に恵まれなかったので、最後

の勤めは他県の大都市ということになった、後で聞けば地元のエリアでの退職は、他県の大都市での退職よりは分が悪い

と(詳細は流石にオナゴも把握できなかったようよ)何の分が悪いかはちょっとねぇ、昔のことだから、

 

退職したオトコには当然”天下り” という話があって「地元で」これ以上の話はないでしょうよとオナゴは勧めた(笑)

その時のオトコのセリフ「俺が天下り?ほんたこと(そのようなこと)してまでしがみ付きたくね!」オナゴはキレた、

 

そこから話がややこしくはなるけど、実に現実的で面白い(そりゃあぉ他人事としての は な し)誹謗中傷の類いじゃあ

なくて、あるあるという風に軽くとらえて貰いたいわ、深刻じゃなかったから書けるというもんです、このあたりまで

すすんできたら大概の予想はつきましょう、親族モデルが(´∀`*)ウフフ

 

オトコが家にいると決めたんだからそれはそれでいいでしょう、オトコの沽券ということでしょうか、それで気が済んで

十分働いたんだし、これから先は好きな庭いじりや本読みやぉ酒を楽しんで、満たされた老後をおくることもいい事だし

けれど、そのまま奉行で「臨時」を続けてたオナゴにオトコはこう言った、

「私の年¥もあるし私の退職¥もあるし、無理して仕事にいかなくてもいいんでね~が?」きましたね~よく聞くセリフ

が、今まで健全に家庭を築いてこられたのは偏にオトコが外で働いて月給を貰ってきたおかげだとの意味合いね、

 

オナゴにだって言い分はあった、それまでは家事や子育てに専念してたから、そこに生きがいを見つけ、時にオナゴ同士

で茶飲み話して、気分転換も図れ、趣味もあったから日々は過ぎていったのだ、オトコとオナゴの分業という事でしょう

それを「私の」「私の」と繰り返されたんじゃ堪ったもんじゃない、気分もいつしか消沈し、今まで思い描いてた楽しい

明るい老後は何処へすっ飛んで行ったのかと、オナゴだって考えるわ、

 

大正オトコと大正オナゴの微調整は出来る時はあったのよ、それなのにそのオトコが気づかず、オナゴは気づきながらも

案件として提案できるような時代じゃなかったので臍を嚙む思いをした次第ということらしい、

 

 




03/22

サイネリアもこのように咲き揃うと女学生さんのような気がするのは私が婆だからよ、若い頃が懐かしくて仕方がない、

だって 17 で転校して女子がクラスに 10 人前後だなんて想定外よ、モテないわけがない(笑)

それでも4クラスあって理系2文系2クラスで、文系の方が女子が多かったわね~

理系にいく生徒は比較的ツンケン派で文系は微笑み系かな?大昔のことだから、そこは拘らないで読み流して欲しいわ、

 

席順はあいうえお順で、前にも言ったように選べないんだから当たり外れがあって(これだって今ほど言葉に執着なし)

本人たちが大っぴらに言うのが現状だったしね~「あなた、当たったね!」とかさ(笑)

 

それでも男子も言ってたんだからもはや無法地帯のようなもんで、それで傷つくとかなんとかグチグチいう男子も女子も

いなかった「席替えに賭けるわ!」というように、

 

の前に、前例がなかった女子転入のわけが分かった、暫くしてからだけど、その年には男子ひとり、女子ふたり計3人で、

親の職業が基になったなんて、今なら差別コールが起こるでしょうに、詳細は60年も前だからいいでしょうか、

男女ふたりは親が教育関係、ひとりは親が司法関係ということで、「オナゴだからという理由では断れねべ~」という処

 

更には前に入学してた学校のレベル(今で言ったら偏差値?)が上だから断る理由にならないって、

それでも「建前としては編入試験はしなきゃならねーべ」ということで、各自別々に行われたらしいけど、点数は発表

されなかったので知る由もないけど、そりゃあ高得点だったんだよね、だって建前と面子だっていうんだから(´∀`*)ウフフ

 

3人は同じ文系のクラスに入れられ、しかも英数のABC クラス分けの時にはこれ見よがしに C よ、3人は点数を見せ合って

るから分かるわけよ、まあ次回からは相当のクラス、もちろん A ですよ(笑)60 年前の話ですから笑い話よ、念のため

                                        👇もね

あら、恋の話ね、  転校して登校したその朝に席が前後して、帰りには友だちの家の用で寄った文具店ですれ違って、

「席が近かったO君じゃないのさ」と友に囁いたら「そうだよ~」と言って会釈しだけのあの彼よ、

次の日、登校したら「昨日はどーもー」ってO君が言うから「おはよう~」と返した、そりゃい挨拶ぐらいはするべよ、

それだけだって周りの目は興味津々の様子だったのよ、新入りは(私よ、私)なんで O と挨拶する謂れがあるんだ?

しかもたった2日目で(笑)

 

そうね~O 君は今で言ったら MJ 並のイケメン(その頃は美男子って言ったけか?)だから、周りの数少ないオナゴ達は

騒めくよね、今までは美人軍団を張ってた数名がつるんでて幅を利かせてたようだから、 

私ですか?自分の口からは言えませんけど「緑はるかに」の映画のぉ方には似てると言われてました(* ´艸`)クスクス

 

男心というものは、同級生のオナゴに求めるものは自分より優れてればいいというもんでもなさそうだった、当校限定!

背が高いよりはやや低め、大柄(いやいやこれは昔の話で今は違いますよ、誹謗でも中傷でもなくて勝手論よ)より小柄

超美人よりは、可愛らしい方が好みじゃなかったの?

 

おまけに目新しい同級生だし、元々は地元だし、その成り立ちは十分承知だし、制服は元の高校の(3人共そうだった)

を着てて仕立て上がるのを待ってるんだし目立ちたくなくたって目立つわなぁ、

 

私には幼馴染のテンプルちゃんも別クラスにいたし、母方親戚の「オナゴがこの学校に転校だぁ!?」と言い放った先輩

もいたし、そうそう標的にはならずに済んだ、そして他の2人も父親の転任で来たわけだから標的には出来ず平和な転校

事情が続くことになる、

 

席は前後でも馴れ馴れしく話すことなど出来る時代じゃなかったから、暫くは挨拶ぐらいで一日は終わっていた、だって

オナゴの軍団の目があるし、私も転校生が目立つと碌なことは無かろうぐらいは察知してたし、小学校の転校とは違う、

それでも 17 といえば年なりの感情ぐらいは育ってたわけだから(笑)気にはなってましたよ、

 

ある日、O と幼馴染の A が下校時に私に声をかけた「ちょっとバレーの練習試合を体育館で観ねが?」私は初めて話す

A のことはよく知らないから躊躇した、O と呼び捨てにするくらいだから親しいんだろうなぁと思い「いいよ~」と同行

あの頃の体育館にはギャラリーなんてなくてホントにだだっ広いただの体育館だった(笑)

 

1年組VS2年組だもの、結果は知れたもんでしょうけど、それなりに見どころもあって、1年の女子数は増えてたので、

(何故だか知らないけど一割相当女子が、そうじゃなくて合格できるようになったのよ、今思えば当然の話だけど)

賑やかな試合だった、やはり O 君は目立ってた!背は高いしハンサムだし、それにアタッカー!!!   

いや~~転校してきてこのようなシーンに出くわすとは思ってもいませんでした、A はいつもより煩い私にビックリした

ように言った「P さん、スポーツするのか~?」私は「観るだけよ、全然できないし走れもしないよ」と返事した、

A (昔はオナゴがオトコを呼び捨てOK!だったので、ちゃんづけやさんづけのオトコの決め方の基準は分からない)が

O からの”車屋さん” (これで分かるようだったら相当ひばりさんの歌のツウよね(´∀`*)ウフフ)の役割りだったんだ(古)

 

当時、その学校には市外の中学校から入試で入ってて、しかも市から近い順に(総人数が多いので)入学者も多くて、

一番遠い町からの入学者は大体女子2~3名くらいと決まってたような数字、それが私には解せなかったけど、そういうも

んだったんだね、優秀な女子だっていたというのに、でも女子高も人気があって「お嬢さんは女子高」という向きもあっ

たから一概には言えないけど、だからむしろ男子高生には女子校の方がお好みが多くて、そういうカップルもいた、

 




 

 

 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする