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pretty woman story again

趣味はそれぞれ軽く浅く楽しく
華の 80 歳となりました🌹
オナゴの色々(´∀`*)ウフフ

@ジュリアン・フェス @やっと @ 結婚って (s) 飾りじゃ @Tちゃんちの @介護の前哨戦 (b) あなたの

2023-02-14 | #日記

チョコチョコ追記してるからぉ暇なら読んでね、やはり二番手の方が書きなぐり易いわ(笑)

02/1818:56

プレミアムバラ咲きジュリアン  ブルーベリーのムースⓇ 4月までは楽しめます!葉っぱは違うけど、バラにしか見えな

かったのよ🌹 ジュリアンの品種改良の関係者各位には伏して御礼を(゜.゜)(*- -)(*_ _)ペコリ

 

私が急くように過去のことを書き連ねて(ある意味楽しんでるんだけど)それにはわけがあって、4月になったら、

結婚 50 年、私78、飽きっぽい私が取り敢えず 50 年もまい進してきたんだもの、上出来というもんでしょ?

そして何処で希望が潰えるかを思ったらモタついちゃいられないということに気づいたからなのよ、

 

「この先の希望ったって高が知れてるでしょ?」いやいや、老い人には老い人なりの”自由”があるじゃないか?と、

今の処、家族はそれぞれ邁進してるし親はあちらへいってしまったし、私には残されたチカラがあるし、余力か?

何かしたいじゃない?

 

それにはモタついてた今までの事情と”さらば”しなきゃ前へはすすめない、惜しみなく自分で書いて読みたかったのよ、

読んでみたら我ながら面白かった、前半は少々こころの余裕がなかったらしく言葉は足りなかったけど(笑)

 

そして削除したままじゃ、物語は時代をも反映してるんだし惜しい!ということで、書き尽くして出直し 78 ブログを

と思った次第なのよ、捨てたもんじゃない、この人生の残りの日々を精々謳歌したいもんです、

「100の母親の娘だから長生きするよね~」と同級生に言われてるようだけど、こればっかりは神の思し召しなので、

せっかくだから楽しむぞ!

 

書いてゆくうちに肩の荷が下りるように軽くなってゆくのは何故だろうか?きっとあまり気持ちのいい事ばかりじゃない

ので重かったうえに、私自身の事じゃなくて父母の思いを重視したので”江戸の仇を長崎で”のような気分はあるだろうね

パパやママの人生が変わっちゃたのを目の当たりにしちゃったもんだから、義憤に駆られてという処よ、

長い宿題だったけど、こうして地元から離れて書いたら、他人事とまでは言わないけど、

カオ(それぞれの)はチラつくけど会わずに済むからね~冷静なもんよ、

 

あんなに呑気で可愛がられて有頂天になってた子供(私にだって子供のころはありましたよ、ちょっとツンデレだった)

が、いつの間にやら権化と?もともと菩薩様じゃあないけれど(⌒▽⌒)アハハ!

 

今となっちゃあ意味があったんだかなかったんだかは分からないけど気分は悪くはないわ、そして姉妹は仲良くという、

親の教えに背いてまでも~♬だけど、それぞれが自立して家族を守ってゆけばそれでいいとも思ったのでね、

父は3人が娘だと知った時には落胆したようだけど、娘にもいろいろあるんだから案外よかったんじゃないの?

婿取りも悪くはないけど、ぉ他人様(ぉひと様ってぉひと様よー笑ー)の一生を左右するような決断は、私には荷が重

すぎただろうから、これが正解だったのよ、”名を捨て実を取る” ってパパは言ってたじゃない?

 




02 /14 15:05

プレミアムバラ咲きジュリアン ブライダルベルⓇ 本品種は種苗登録品種です。営利目的での自己増殖は禁止される 

登録番号 第 17150号 なかなか難しいわね、

 

やっと介護 

介護の話になかなか届かないのには、田んぼの一件から私の気持ちはすっかりグレたのだった(笑)

 

介護を始めるにあたって、当事者は私利私欲を捨てることを確認し合わない事には出来ない相談というもんだった、

これは経験したから、だから言えるのかも、姉妹3人で美しくも優しく相談し合って親の介護をするならば話は別です

けど、間々あることは途中で考え違いが生じて纏まりがつかなくなることが多いのよ、

それと3人なら3人で開けっぴろげで対峙しなきゃならなかった、腹に一物あったなら止めた方がいいわ、

 

それにもう一つ大事なことは介護される(ここでは親としましょう)本人様が例えばその娘を信頼できるかどうか考え

ないとイケないわね、途中で差し替えなんてしようものなら、ますます複雑怪奇になって(大げさだけど本当だもん)

収拾が出つかなくなるよ、これが難問なんだよ、

 

親だって子らのすべてを熟知してるわけじゃないし、ぉ他人の嫁になって変化もあろうし、見極めるには相当の親ヂカラ

(そういうこと言ってた若者たちがいたねー)が必要と、

よしんば思い描いてたのと違ってる!と被介護者が気づいたら即、モタつかないで路線変更した方がいい、他の面子に

グチは言ってもいいけど、人間だし、でもその結果はぉ他人様にお願いするという手立てでね、それもいい事よ、

私なら挙手しても選びます、楽しいこともいっぱいあると叔母をみて知りましたしね、

 

私らの家の場合、のっけ(from the beginning)から姉妹の考え方が違ってて、更にその連れたちが暴走したから、

うまくいくわけがなかった(笑)

何をしたかって?これは誹謗中傷に当たるやもしれないので敢えてここでは触れないけれど(武士の情けです)ずっと

読んでりゃ分かる事かもね、

 

それと介護は仕事です、けど、ノーギャランティといってもいい、ただそこに含みギャランティなどを要求するような

連れを持ってる場合には相応しくないかもね~たとえば「うちのが」とか「うちのにも」とか「手合い(失礼千万です

私には分かってますとも(*- -)(*_ _)ペコリ)のぉ強請り」のような、

親に感謝の気持ちがないなら介護などには手を差し出さない方がお互いの為だと思ったけど、

 

介護のパワーはわいてくるもので、無理に引き出すものじゃないから、そこを勘違いすると頂けない結果になってしまい

がち、何だかんだと言ったって、手際よくて判断力があって、決断素早く実践!じゃなきゃ出来ない仕事だからよくよく

考えた方がいい、事実労働が出来なければ外野で文句たらたらも、それはそれで実力だから、

 

誰もこんなことは教えてはくれないし、親だって決めかねてるような按配だもの、全景を見渡して冷静な判断が不可欠よ

 

順番だとか血脈だとかに縛られて、その気になったって継続出来なきゃ何もならない、白旗揚げた方がいいに決まってる

そうすれば人は淘汰される、出来ない人には出来ないから”専門分野”となってるわけだ!

 

専門分野は一人いればいいのよ、人数が揃ったからって仕事が楽になるわけじゃないし、イラついて気が重くなることも

ある、だって思い通りに介護を熟してくれるわけじゃなかったしね、根性が足りなかったよ、

 

食事の支度や後片づけや洗濯・掃除から外周りの事、誰が気に入るようにやってくれますの?それぞれが常駐するわけ

じゃなくて通いですから、それに訪問介護の介護士さんや看護士さんやDr.さん、への対応は3人いれば3手間かかるという

現実だし、精通してて手際が良くて清潔で料理上手とくりゃ私しかいなかったじゃありませんか(笑)

 

介護でもめる原因はハッキリ言って損得勘定をする人がひとりでもいたらアウト!!! です、介護は得するためにあるのでは

ない、さっきも言ったように奉仕の精神がなきゃ最初から無理というもんですよ、

まあ”おこぼれ”があったら lucky!!! 程度です、そういう鷹揚な気持ちがなきゃ頓挫の憂き目ですわよ、ノッてきちゃった

つづきあるかも、   あります、

別にぉ代官じゃないんだから物語としてはお腹を抱えるような笑い話にするテクは持ち合わせてるからさ、

 

 

 

親がいないんだし今更、姉妹喧嘩する必要もないし、誰に心配かけるわけじゃなし(´∀`*)ウフフ したい事は見つかったし、

もう少し時間をかけて多方面で検討する必要はあるけれど、希望はあくまで希望ですよ、ないよりはいいと思ってる、

 

 




 

02/14 15:10

プリムラ ジュリアン 11 月には地植えだったけど、鉢上げして部屋へ、順調に咲き続けてますよ、

 

今朝、6チャンの”プレバト”の再放送を観てたら、久々にひとの感情がわきたって鬼の目(私)に涙が滲んだ、あまりに

久々のことだったから「あぶねーなぁ」と思いながらも考えた(笑)

 

すっかり枯渇してたはずだった、”感情”なんかは素っ飛んでしまった”と思ってた、私は私が愛おしいなあと思っちゃった

のよ、これはなんなんだ?戸惑った、

 

 

明菜ちゃんには思い入れがあって、歌がすこぶるつきのぉ上手、ちょっとやんちゃ風な言動が可愛くて、一途に愛した

オトコがいて充実してた、傍から見ても幸せのモデルのようなオナゴの日々だった、by news

のに、オトコの心変わりが、用意周到な大人たちの思惑によっておもいがけない方向へ、勿体ない、あの歌声とdance

と華やかな美貌と才能を途中でダメにするなんて、

でも今は you tube でお目にかからない日はない明菜ちゃんの歌とdance、きっと大きな画面で復活することを願ってる

低迷の時期は誰にだって有りうる試練だから、前向きにね、

 

花は思いのまま咲いて、咲かせて楽しいし、 you tube を堪能して、一日があっという間に過ぎるし、ドラマの再放送を

観て楽しんで、月一の 57577 も順調だし、ちょっとシュールに過ぎるけど面白い本も見つけたし、食事は美味しいし、

🍹も美味しいものを見つけたし、痛くもかゆくもないし、一体足りないものはなんだ!?

 

02/17 5:17 am

ノースポールがうちに来たのは 10/28 増えて逞しくなって咲いてる様子を見ると、負けちゃいらんないわ!

それが頑張り過ぎなんだよと分かってはいるんだけどね、日陰の花が私かしら(^^ゞ

拓郎さんも陽水さんも雅俊さんも小田さんも、玉置さんもユーミンさんも桑田さんも歌って欲しい~♬、

皆さん退かれてしまって、そこも私には大きな喪失感だもの、

 

女優さんの一句で、ここにそのまま書けない(著作権)けど、”気づかぬうちに肘に青あざが出来てて、春のせいよ”

好きだなあ、そう思わせるような優しい一句で、そこに女優さんの感性が光っててつくづくいいなぁと思いながらも、

オナゴは気づかぬうちに傷ついてることが有る、と思ったら胸キュンだったのだよ、不思議ね、場数を踏んできた(笑)

(チョッと品のない言い方だけど、なんだかピッタリしちゃった感じがして)77 のオナゴの感情なのか?ってね、

 

忘れてた”甘え” だと気づくのに少し時間はかかった、

長い間のツケがまわってきた!のよ、3人の子育ての緊張、家庭での孤軍奮闘、止め処ない家事、長女意識、北国での雪

近隣との冠婚葬祭、二拠点双方への気遣い、母をおくった後の呆けたような時間への心無い連れの言葉、

 

何をしても労わられな無味乾燥な空気、何かしたい気分はあるのに達成感はない、これ以上何をしたい?贅沢だよの言葉

閉じ込められてる感、出かけたいような出かけたくないような曖昧な感情の揺れ、抑制、過ぎる自制、

 

ぉ洒落したいけど洒落る機会がない、億劫な気持ち、出かけても早く家に帰りたくなるせわしさ、友達との共有時間なし

お喋りで明るくて素っ飛んでて楽しいオナゴだったはずなのに~何でかしっとり派になっちゃった自分への不満!

 

復活なんて出来ないじゃん~と腹が立ってきた、まずいわね~あまりに本意じゃない日々が続き過ぎたせいか~?と、

思えなくもないんだよね、弱音からは遠すぎたもんね、あーーぁ可哀そうな P ちゃん(´∀`*)ウフフ って自分で言うかよ?

 

そもそも結婚てなに?

結婚 50 年だから大びんで言えることがある、継続はチカラですからね、

”大びんで”って方言だと思うけど、父がよく言ってた「あのひとは大びんでものを言うから心が伝わらない」

分かりましょうか?今風に言えば高飛車とでも、見下すとでも、

これがキーポイントだったんだね~私にとっては、

 

世の中にオトコは数あれど、私の周りの人たち、父方の一部、母方・血脈に関してはひいき目でしょうけど上出来でした

ので、私は世の中にはこういうオトコしかいなんだと思って育ちました、だから打たれ弱かった!最初はね、

でもいいじゃないのよ、世の中を拗ねてみるよりは、

それが現実は厳しくて「う?」の連続で、特に結婚に関しては「う?う?う?」だった、この短い表現で分かると思うけ

ど、分野が違い過ぎて順応できなかった、

 

でも一たび嫁にきちゃったからには、そうそう簡単に引き返さないのがプライドだと思ったし、子供を産んで育てるの、

未知との遭遇が魅力的だった、可愛かったからね~何度も言うようだけど、

 

お洒落させて、お揃いの気に入った洋服を着せて、赤い乳母車に3人乗せて散歩する時なんてワクワクだった、楽しみだっ

た、手元に写真がないのが惜しい!👉に入れましょう、後で、

私に自分以外を大事だと思える感情があった事に初めて気づいた時でもあったし、とに角4人で過ごす時間がステキだった

それで結婚も悪くはないと思ってた、

 

生きてきた環境が違うだなんて、価値観が違うだなんて、ものの言い方が違うだなんて(ここに大びんだが入るのよ(笑))

家庭というものへの対応の仕方が違うだなんて、暮らしへの丁寧さが違うだなんて、知らなかったんだよ、

これが子らが言う「あなたが選んだんでしょ?」への答えですよ(´∀`*)ウフフ

 

言い分なんてどちらにもあって当然です、けど、妥当な線引きということはあるでしょうよ、一方的に押し付けるのはfair

じゃないわよね、ということで、親ガチャとか言われてる昨今ですけど、言われるような子を育てた親に分がないかな?

なんたって親が大人じゃなきゃならないんだから、

 

差し当たって今まで子の口から「親ガチャ」の言葉が出てないだけでも、不出来な母親としては有難いと思っています、

そして子らは私のような不甲斐ない母親を、母親だと思ってくれてるようだから御の字です、私にはそれが結婚です、

含みがあり過ぎて可笑しい方向へ?それを慇懃無礼といえばいいのかしら?気に入ったわ、このショートショート(嬉)

 




02/14 25:1

プリムラ ジュリアン イルミネーション PD-189 型 04-093-G0110 これも11月から咲き続けてます、

 

 

T ちゃんタバコ屋 2

それは今でも私の”腹立ち日記”より

タバコ屋の娘 T ちゃんは東京に呼ばれ母ごの介護をすることになった、東京は代田に兄たちは手際よくも部屋を借りて、

母ごを転居させ T ちゃんは上京したその日から母ごとの2人暮らしが始まった、

「勿体ない!」と言われるような職種をなげうって駆けつけた T ちゃんは仕事も探さなきゃならなかった、いくら仕事は

向こうから舞い込む時代のこととはいえ、東京じゃ知人もいないし、卒業しちゃって何年も経ってたから就職課にも縁は

なかったし、ホンとにその兄ちゃんたちも勝手だよ(怒) 他人事ながら、

 

そして地元では T ちゃんが上京するやタバコ屋を解体し始めた、一族は駅前の地べた殆どを所有し、大型駐車場を作る

計画があったので、一番条件のいいタバコ屋の立ち退きを待ってたらしい、

T ちゃんの母ごは、その実家からの援助で4人を大卒に出来たのだった、でも「冷たい仕打ちじゃない?」他人の私は

そう思った、若かったしね、それも T ちゃんのお爺ちゃんが亡くなって間もなくのことよ、

だからその兄ちゃんたちは知ってたから逆らえなかったのね、謂わば生前贈与だったということよ、

 

T ちゃんは資格を活かすことなく、あれほど母ごが苦労して授けたのにと思うと、私が今親になってみて実感できるけど

残念で堪らなかっただろう、それでも達成感ではあったのかもしれない、母ごは日を追うごとに地元へ帰りたいと言う

ことが多くなり、T ちゃんは、時間が自由な仕事を探して母ごの介護に明け暮れた、20代だったから何とか出来た、

そしてやがて兄たちとの間に距離ができた、兄たちは T ちゃんに母ごを預けっぱなしにしちゃったのだ、

なんたって、その嫁たちに「姑はイヤよ」言われりゃ、兄ちゃんたちは NO!とは言えなかったろうもんね~

 

02/17 14:06 

ストックが初めて地べたに植えられたのは 去年の11/28だった、それから外で頑張って咲いたり咲かなかったりしてた、

けど余りの寒さに凍ってしまいそうだったので鉢上げ、切り戻しをして家で育ててた、

新しい花が咲きましたし蕾もたっぷりついて楽しみですよ、

 

 

T ちゃんタバコ屋 3

T ちゃんの母ごの元気がどんどんなくなってきて東京暮らしは危ういかなぁという話になった、その兄たちは T ちゃんに

お任せコースで、長男夫婦は海外へ、2男夫婦は在京だけど子が3人いるので母ごを看る環境は整っていない、

3男夫婦はぉ偉いさん夫婦の娘を嫁にしたので、そっちのぉ宅にかかり切り、4男夫婦は私らの同級生を嫁にしたので、

一番気心が知れてるということで、3人の子は居たけど母ごを引き取ることになった、

 

T ちゃんは独りになってホッとしたのか結婚しちゃった!「イタリアへ行こうよ」という口説き文句にあっさりと参って

画家夫人となった、当時の画家はよくある艱難辛苦の苦労人、兄たちは反対したけど、私らも「結婚しなくても同棲で」

と言ったけど「もう30過ぎたし~」と言って決めた、それで子を2人授かって普通の暮らしができるはずだった、でも、

世の中芸術家に優しい時代はそうそうない、苦難の日々で、イタリアなんて何処へ飛んじゃったか~三鷹の空の下で、

それでも T ちゃんの意地と度胸でなんとか日は過ぎた、

 

そのうちに4男の嫁・同級生は「お義母さんは我がままで看られない!しかも連れさんは家に帰ってこない日が多くて、

私に任せっぱなし ~子育てと一緒じゃとてもとてもヤダ!出来ない」と反旗を翻した、

 

それでまたまた T ちゃんの出番がきた、長男夫婦の家が海外赴任で空き家だったので、そこに T ちゃんファミリーと母ご

が移動した、そして¥の援助を他の兄たちが負担することとなった、一番いい形じゃない?

洒落た洋風の家に住んだ T ちゃんの連れ・画家は何を勘違いしたのか、欲しかったアトリエを手に入れたようなもんで、

画商や画家仲間が出入りして大賑わいで、母ごのことなんて歯牙にもかけない有様となった、

 

それに¥は3人の兄たちからの help でなんとか賄えるようだった、そもそもT ちゃんの家族も大地主の一族だったから

ヒトがいいに決まってる、その好意が仇となって連れ・画家を勘違いさせてしまって、 T ちゃんファミリーは長男夫婦の

家から出ることとなった「もっときれいに住め!」という理由だった、

 

その時の私ら同級生は結束は固かった、とにかく住む家を関東の北寄りの県に見つけて転居、その時も連れ・画家は当然

のように家族についてきた、家も探さないし転居のことにも手伝わないし、同級生の家でも客のように踏ん反り返ってた

 

おまけに”アトリエ”と称して関東南端に小屋のような部屋を借りてて、その費用も T ちゃん御用達、おかしいじゃない、

「アトリエが欲しかったら絵を描け」(失敬!)とばかりに責め立てて籠らせて何とか形を整えた、

 

あの頃の同級生は燃えていた(笑)

学年で一番で、大学は誰もがうらやむ ”R大学”で 、boyfriendはイギリス人の端正な金髪オトコ、連れて北国に凱旋(笑)

T ちゃんは学年のだった、それが忘れられなくて「そうだ!皆で個展を開いて絵を売ろう」となった、

商売人の(あーー申し訳ない、だって私ら素人ながら燃えてたし若かった!)画商は入れないで、当時の新宿伊勢丹へ!

名もないa画家を堂々の素人売込み、そりゃビックリしてましたよ伊勢丹も、地方の同級生ですなんて名乗られたってね

(´∀`*)ウフフ

 

でも名刺には事欠かなかった、同級生はあの新聞社、あの商社、あの広報関係、あの雑誌社、自営業者ながら仕事で付き

合いのある有名処の名刺を持って乗りこんだのよ、そして催事場の一角をget !!!             つづく

このシーンは山場なので後で書くね、

 

 

 Tちゃんタバコ屋 4

なんでTちゃんちの事を細かく覚えてるかというと、そこから学んだことがたくさんあって私には初めての事が多かった

家仕舞い、親の介護、兄妹間のできごと、ぉ家の騒動、オナゴ親の成すべき事、勉強になって私の今までの決め事の指針

に他ならなかったから、そしてひとは同じ親から生まれても同じ考えにはならないし、なれない、連れにも由るし、状況

が大きく関わってきて一筋縄ではいかないと知ったのよ、それでもTちゃんファミリーは好きだったし尊敬してた、

 

ぉ家の騒動からね、旧家だったので地元じゃ名の知れた商家だった、その爺ちゃん(Tちゃんからみたら)には会った事

があって、遠くからだったけど、農家育ちの私には年寄りの概念が変わるほど素敵な爺様だった(´∀`*)ウフフ 草刈正雄さん

のあの姿のようだった、

Tちゃんの母ごはその一人娘(兄たちは居た、だってTちゃんの従兄のひとりは、私の元職の先輩・同僚だったから、

ご縁ですよ、)だったので爺様はよくタバコ屋に来てタバコを吸いながら街ゆくひとを眺めてた、

 

そしてその爺様が亡くなって、Tちゃんの母ごの兄・伯父さんが商売を継いだころから風向きが変わってきた、あんなに

好々爺だった人の息子でも商売人となれば、手厳しくなるもんなんだと知った、

そしてタバコ屋の立ち退き騒動が始まったのよ、身内でそんなことも有ると学んだ私、現に田んぼ騒動であったし(笑)

 

そして家仕舞い、これは私たち同級生とTちゃんとでほぼ片づけて、同級生はTちゃんの兄たちが残していったホンの山

から好きな本を引っ張り出して譲って貰うことにした、私は古い丸い小さなテーブルとアメリカーナ全冊を譲って貰った

¥と引き換えにしたのはTちゃんと母ごの上京が避けられない事実となったから、その一端で皆で相談して決めた、

家財道具は家と一緒に潰す事となった、その時の解体作業は今のようには厳しくなかったので、

 

大きなボストンバッグに母ごの着替えと持ち物と、Tちゃんの身の回りの必需品をバッグに詰めて、送るものは転居先の

三鷹に送った次第、その時に私は年とった親を移動させることはしない!と決めた、

 

母ごの介護についてはオトコ4人、オナゴひとりの子らがいても、独りが責任持つ仕組みにしなきゃ頓挫すると知った、

頼りにしてたであろう母ごの事を思うと不憫でならない、同じオナゴ親として、それで結局なあなあ介護は、会議は踊

るになるだけだから、私は独りで最後まで介護を諦めなかった、

 

オナゴ親の決めておかなきゃならない事は、家で、或いは家の近辺で老後は過ごせるように、それがたとえ少しばかり

不本意でも彷徨うよりは絶対にいいとこの目で見たから、だから私は時には疲れて揺れたけど、地元で介護を完遂した

葬儀も悔いのないように無理したって何したって花で送った、私が何処で潰えるかの話をしたけどこういう経緯が前例

となって戒めてくれたからだ、今が私の差し掛かってる処よ、

 

書くのも哀しいし書かないのも寂しいし、でもTちゃんの頑張りには頭が下がるので称えたい気持ちがあって、聞く人は

どう思うかは知らないけど、やはり書くわ、

 

仲間の一人だった異業種で働いてて、タバコ屋を並行して営業してた同級生が、地元で結婚した、離れて行かなかった

のが有難くも退職したので、かかりきりで手伝ってくれた、そしてTちゃん母子は三鷹へ引っ越した、

 

その後、後を追うように同級生が上京し、都の採用試験を受けて元職に就いた、私は嫁にいき、杉並の天沼に住んだ、

暫くは平穏で「元気で暮らしてるか?」ぐらいのスタンスでつき合ってた、

時には同級会や同窓会でワイワイ楽しく集っては喋って飲んで踊って、40代の華やかな日々を満喫してた、

 

不幸は突然やってきた!Tちゃんの連れさんの画家が病死した、子二人はまだ小学生で、その借りてた家を帰さなきゃ

ならなくなって、Tちゃん親子はまた兄の家に暮らすことになった、

 

そして日は過ぎてT ちゃんの母ごは亡くなり、あのタバコ屋を仕切ってた、別職の友も亡くなった、この友は T ちゃんの

最も長い友人で幼馴染だったので T ちゃんの落胆はいかばかりかと案じてた、

そして T ちゃんはというと、子たちと同居はせず、小猫ちゃんと暮らしてたけど、病に臥したとの風の噂だった、連絡の

取れないような症状があり、私らの事も分からなくなったとのこと、ぉ子達とも交流もないし、T ちゃんの兄も亡くなっ

て、残された妻になった同級生は、息子さんが病に臥してるので看護をし乍ら同居して一時も離れられない症状だと、

それぞれの人生が遠くなってしまって、寂しくて悲しいけど現状は受け入れなきゃならないと、幼馴染のテンプルちゃん

と私は、T ちゃんとの再会を諦められないでいる、

 




02/14 15:14

プリムラジュリアンを11月に地植え、初めて鉢上げしたのがこの色で、それ以来咲き続けてるのが嬉しいわ!

 

田んぼ 

介護に行く前の助走が長すぎるとは思うけれども、ひとの一生を仕舞うのです、そう簡単にはイキませんわ(笑)

 

ママはそれまでパパの家の人たちに心を許さなくなり、それは口にも態度にも出しはしませんけど、大事なことなんて

一切、相談はおろか詳細には触れないスタンスでいたようです、だって私も傍で暮らしてて見てましたので、

更には、父の家では一人の伯母を除いては学業不要の精神でしたので、農家には丈夫な体が必要だというあの精神です、

ママは教師の端くれ(おやまあ)でしたので敬遠されてたのね(*´Д`)

 

奉行から通知があって”共同名義の田んぼについて協議” などという紙ッペラがチラついたら色めき立つのは仕方がない

関係者なんだし、ということで母の家に集合した、母は存命中でした、

父が亡くなった事に由る色めき立ちですから(´∀`*)ウフフ

集合する前に話を決めなきゃならない案件があって、そこから揉めたのは想定内、先ずは家族、母◎+娘〇+娘△+娘◇で

 

〇「一人の名義にするのは賛成、母ひとりの名義で」△「ウーーン、✖✖(その連れ)の意見を聞かないと」

◇「それはそれぞれに権利があるんじゃない?」へ?連れまで参戦するんかい?私は不思議な気分になった、

だって父の持ってしまった(こういうと、どうしてそうなったかに触れないと分からないよね~ゥーーーン)ものでしょ

 

〇「いいから◎の名義でいいんじゃない?ウン千万の話なら兎も角さぁ、ケチなことは言わないで、面倒くさいわ」

△「なにもソンな言い方しなくても~おか~さんにすればいいんじゃね?」(´;ω;`)ウゥゥ 〇「泣くことでもね~べぇ」

◇「おかーさん一人の名義にしたら、きっと後で本家に騙されてハンコ押しちゃうよ」(# ゚Д゚) 

情けないなぁと〇は思った、

この時もどの時も◎の本音は分からず仕舞い、きっと本家の嫁として不本意なことが多過ぎたので、世間知らずのママは

「ビタイチモン要らね!」だったのかもしれない、パパ気が利かなかったよ、それ位の遺志は夫としてママに残さなきゃ

ならなかった、でもパパの娘の私〇がついてるから心配は要らないけど(笑)

 

パパの法律を齧っていながらの不手際、紺屋の白袴だぜ、

本家筋では当然貰いたくても貰えない人が多かった、やんごとなき家じゃなくてホンの末端の農家ですけど、直系の長男

の嫁のママには黙ってても放棄をしない限り、離縁でもしない限りは(離縁してもついてくるのか?)、田んぼは転がり

込んでくる寸法だった、私も亡パパの思うツボにはまってきたか?ヤリ手じゃないけど、ちょっと品に欠けてきたわね、

 

やっかまれてたのよ~ママは「嫁の分際で」と、古い話なのでね「田んぼが欲しくてここにいる」なんても言われてたし

 

私ら3姉妹の方向性の違いと、性分の違いと、それぞれの夫婦の様子が分かるでしょ、微々たるものに興味をもってしま

ったから仕方なし、だけど品性は保たなくちゃね、パパの顔に泥を塗るような出方じゃみっともないもん、

ママ◎はこの時は何も言わなかった、そこに私は持って生まれたぉ品を感じるね、娘の私が言うのもなんだけど(笑)

 

誰にも味方はできないし、かといって自分の主張は親としては出しにくかったのでしょう、嫁としてはもっと凛として、

近くに住んでる△夫婦に白羽の矢をたてるのも一案だと私は思ってたけどね、

そして話は進んだかに見えた、◎の家に、本家・宿敵、◎〇△◇がハンコをもって集まることになったんだから、

 

ところがクレーム「△夫婦と◇夫婦が行くから◎さんと〇とで待ってて~」△◇が前打ち合わせしたらしい、え?

微々たるものに7人?笑われる~(*ノωノ)よ、地元にいる◎としては居たたまれねべ、

この話になると私の記憶の糸はするすると手繰り寄せられるのは何故?物語として成立する程の年数が経ったのと、今が

安定してるからよ、きっと、

 

02/19  6:16

リナリア プルプレア&ブルガリスは勢いよく咲き続けてる、右下のはシクラメン、これも長い、花も人も手入れが大事、

咲くより咲かせます!

 

開けてビックリ玉手箱じゃないけど、オナゴ4人の姦し過ぎるであろう遺族(だってパパが亡くなったんだから)会議は

ある意味においては交流会でもあるし、言いたい放題も許されるし、ご苦労さん会ともなるはずだったのに、

そこにあろうことか、大のオトコ(△◇の連れ)がついてくるとは私ゃ考えてもみなかったし、ママだって目を丸くして

「なんだってぇ、オトコの人まで動員してしまったかぁ」ってね(笑)

 

議長は長女よね ̄〇「微々たるもので集まって頂いて、これはオナゴ子どもの話だから」と皮肉をぶっこみながら始めた

〇「これはおとーさんの遺したものだからおかーさんひとりの名義でいいよね、だからハンコを押して」

◇の連れ「あのーうちのにも権利はあるんですよね~」のっけから手を挙げてまで言うような意見かぁ?

大体お宅の家族会議じゃないんですけど、

△「私もこの先退職したら、農家として(JAマン)として仕事をしてゆきたいので、うちのに田んぼの名義をつけて貰い

たいのよ、農家じゃないと農地は買えないから」

オイオイ、君たち心得違いも甚だしいわ、今はママのために名義を一つにして高齢化社会に向かってゆく一つの手立てと

して、ママに持ったて貰うのが筋というもんでしょうが!私はもう少しで啖呵を切りそうになっちゃった!

え?これって誰のための何のための会議?親睦会じゃなかったの?

 

ママはどう思ったか知らないけど(聴いてもいないので)私はつくづく思ったのだ、これを娘△◇が直接ママに願ったら

ママはきっと OK! したと思うよ、だってパパの遺志は結局は娘たちの為に使いたかっただろうから、

 

〇「ちょっと待って!何を言ってるのか分からない、大体それは娘(△◇)の代弁なの?娘が元気なのに、娘の意見を、

訊かれてもいない婿たちが何を四の五の言ってるのよ~」長女ですからそれ位は言うってもいいよね、大体こんな時、

連れのチカラをあてにする気が知れないわ、独りで立て(⌒▽⌒)アハハ

 

△も◇も、ウンでもスンでもなく視線を逸らすのみ「全く~根性無しだわね」と思いながら〇の私は鋭い視線を向けた、

後で聞いたら”刺すような”視線だったそうだ、

 

さすがママです「もういいです!法に従ってください、私は要らないと言いたい処だけど、何も持たないと発言権が無

に等しくなるので、田んぼは本家と持ち分のまま登記してもらいます!」伊達に司法書士に向かったオナゴじゃなかった

そして、ママ 3/6 〇1/6 △1/6 ◇1/6  と相成った、あの連れさんたちはこれで希望通りになったのかしら?後には触れず

 

今となっちゃ田んぼは時代と共に価値がなくなり、維持するのも大変になり持て余し気味となった、コメに農機具は必須

それが大変で、その子や孫たちは継農を避け、勤め人を希望する、売買しようにも欲しいひとは居なくなった、

処へ大型店舗や奉行関係の老朽化による建て替えの時期や、介護施設などが必要とされる時代がやってきた!

 

"とちおとめ"でティ―time、ぉ嫁の地元ですので、

 

やがて農村に予想もしなかったバブルがやってきた!地元の商店街はシャッター通りとなり、駐車場のない店は客に敬遠

され閑古鳥が鳴くような按配に、今までの賑わっていた店店は急な変容に対応できずに次々と閉店の憂き目を、

誰がこんなことを予測できたでしょうか?商工会議所も打つ手なし、というより知ってても経験なしのため、手を拱いて

た節もある、勤めてた後輩から聞き出したことだけど(申し訳ない!)

そして郊外に広がる田んぼに杭打ちが始まって、またも色めき立ったのです、個人的な事というよりは公的な仕様ですよ

 

乗り遅れちゃイケない!と田んぼの所有者はあれこれと噂話に沸騰し、探ったり探られて、あの和してた農村に違和感が

人間の欲ってキリがないのね~他人事のようですけど他人事ですから(´∀`*)ウフフ          つづく

 

いつまで不動産の話に終始するんじゃ?かもしれないけど、そういう問題に直面するたびに、本家・宿敵と別家・私らの

関係が歪になって、姉妹間の関係も抜き差しならない関係になって、そして介護の暁には美しく優しい相互扶助にならぬ

現実となってゆくんだから、これから経験する若者もあろうから、婆の戯言と読み流しておくのもいいかもよ、

 

あっちの田んぼが売れたとかこっちの田んぼが売れそうだとか、寄ると触ると話が大仰になり、自分の処にも美味しい話

が舞い込んでくるやもしれないと、農作業なんてそっちのけでオトコ達の茶飲みが多くなったらしい、

その時私は思ったね、引誘できる話ならいざ知らずタナぼたを目指すんだもの、策を練ろうにも練られる話じゃないべに

果報は寝て待てというじゃないのよ(笑)

 

そして終に痺れを切らしたオトコが本家・宿敵だった、私はこういうことはあろうかと応戦の構えは出来ていたのさ、

「おばちゃん(ママのことよ、今まで呼んだこともなかったのに急に下手に出るなんて魂胆ね)に頼みがあって来た」

「いらっしゃい!ママと直接話して頂戴ね、私はその場に茶出しで座らせて貰うけど意見はないわ、何かは知らねど」

”百も承知よ二百もがってん!” こういうセリフあったっっけ?後で検索してみるわ、

 

02/18 4:48 残り咲きで妙に美しい色合いでこの欄には相応しい

 

正座して息子のような年頃の本家・宿敵に対峙したは母いつの間にか着替えていた、私は外で草むしりをしてたので作業

着のまま、この落差に心の表れが、

「どげたことですべ(どのようなことでしょうか)私でわかることですべが?」宿敵の視線が泳いでた、

「いつまでも田んぼの名義を共有にしておくのも後々面倒なことになるかもしれない、この際、譲って貰われねべが?」

単刀直入ってこのことだよね?私は聞きながら茶を啜ってた、以前書いたのとは言葉が違うかもしれないけど要約すれば

同じ事、ニュアンスでいくしかないわ(^^ゞ

 

 ”本能寺じゃあないけれど” これって題名にはいいかも📚今風で、

 

私は大体内容は推量してた、目敏いようで目敏くない宿敵なので、でも年は上だしオトコだし、それにその父親の代から

代々の農業を廃業しないで持ち堪えてきたわけだから尊敬はしてる、後継者がいないのだから(その息子は継農はイヤ)

先々を思えば田んぼが売れるうちに売りたいというのが通り相場だべ~とね、

みんなそうしてアパートなんかに転換してるけど、人口を思えば先細りで維持費がかかるだけだとは想像に難くない

のに、流行りには弱いんだよね、

 

「おれも歳だからこのあたりで田んぼの名義をキレイにしたいと思うからハンコついてください」と宿敵は切り出した、

「ハンコはつきましたべや~」とママはおっとりしたもんよ、

「もう一つ残ってた、私の持ち分の少ない方が未だ名義変更されてなかった」なんだよ、まだあったのか?

「どのあたりですべ~?」とママ、宿敵は言った「言っても分からないと思うけども$%#&”**?$&」

「ふーーーん、宿敵ちゃんはどげしたいなですかぁ?」おっとり刀っていったっけ?

宿敵は言った「この際だから共同名義はやめて俺一人の名義にして貰いたいなよ~」

「私も先が長くないのだから賛成です、でも娘たちにも意見はあるべから訊いてくださいな、これから先は娘で」ママは

毅然と言い切って席を立った、だって”欲しがって采配を揮ってたな”んて言われるのがオチだからね(笑)

 

先手必勝というじゃない?私は今度は切り出した「直截すぎるけど、田んぼを売れれば売りたいんだよね?」

宿敵は沈黙、「買う方の、つまりは公的な売買にすればいいんだよね?欲しいのは役所関係?」追いコメをした、

 

ここで勘違いも甚だしいことが起きた、誰も私ら共同名義のものを欲しいとは言ってるわけじゃなくて、宿敵の願望だ

つまり田んぼを売る時には一括して自分名義で売りたいということらしかった、

「宿敵ちゃん~もし売れたら持ち分で分ければそれでいい事じゃないのぉ?何も急いで名義変更しなくても」私は言った

どっちも捕らぬ狸の皮算用(笑)

 

02/19  12:55

こんなに綺麗に咲いてるネメシアの花の下で皮算用だなんて、なんて慎みがないんでしょうね?仕方がない、ここを通過

して初めて私の気に入った日々をおくれるかもしれないんだから、それにしてもきれいに咲いてるよ~家の中で、

温室育ち~♬

 

それでも頑として名義を欲しがる本家・長男は「おばちゃんに、なんとかハンコを押して貰えねべが」と頼み込んできた

共同名義なんだから微々でも、美しき3姉妹の名も記されてる、

挙句の果てには司法書士も同行の上、我が家に乗りこんできて茶を啜ってた、

 

私はママ次第だから呑気なもんよ、草の始末の方が気になって早く決めろ~や!と思ってた、なんでそんなに拘るのかが

分からないもんで(´∀`*)ウフフ

私の記憶が正しければ(以前書いたこのシーンの記事が見当たらないので、もし見つけたら修正します)ママはウン!と

言ったので登記の話になったわけだ、田んぼの話だけど、まだ山場はあった!

 

ここでまたもや本家・長男は策を弄した、私だけがそれに気づいた、だって介護の後半はほぼ私は住み込みのようなもん

近隣は口さがなく「離婚して東京から戻ってきた」と言ってたほどらしいので(笑)

私ゃそう簡単に事は決めないのよ、潜入捜査を心ゆく迄し終えてからじゃないとね、刑事じゃないけど、

 

「本家・長男ちゃん、私はそんな□□□¥(ここは一つ成りきり不□産屋のように)は要らないから、今まで維持してきた

この辺りの地べたをママの名義にして頂戴よ、それが贈与になるというなら、私の頂くはずの分で補填すればいいと思う

んだけど、いつまでも共同名義なんて次の世代の人に宿題を残すようなもんじゃないの?」

司法書士さんも同席の上だから分かり易くて好機だと思ったもんだから、そして正規の手続きを踏んだうえで正しい名義

変更がなされた、もちろん費用は P 持ちですよ、私ゃオナゴだけどケチじゃない、第一そこでケチったらオナゴが廃る!

 

私が依頼した司法書士さんは私の同級生で、本家・長男の司法書士さんの父君に当たるので話は早い、私の亡父を仕事柄

知ってたので隠し立てのない透明なガラスの部屋での決済だった、ただママの名義には年齢的なものもあって二度手間に

なるから長女の私ということになったけど、長く住んだうえでの売買だから格安で、

こういうのを漁夫の利といったかしら?強欲婆といわれてもいいの、墓に古い家にモノの山、これから捨て活しなきゃ

イケないんだよ\(^o^)/

 

案の定、連れは言った「そんなところに土地持ってどうする?」この話はもっと面白い、後で、

大丈夫!78 前までに済ませますから、

 

父が存命なら104 歳となる年だったから、農家の百年戦争のようなもんだった、近隣にもそのように、不在地主や小作法

農地解放に由る変化でアタフタした、奉行だって大前提には農業を守るとの建前、農家が優遇されてた時代だったから、

挙って田んぼ持ちになったヒトやらなくしたヒトやら、まあ、混乱だったのよね、

少なくとも農村内で親戚づきあいのある家で、本家別家の不機嫌は4軒は知ってる、でも若い人たちは成り行きを知らない

から、うちに拝みにきた時なんて(笑)ってしゃっべってたもんね、時は過ぎゆく~~~♬

 

あちこちにこの種の問題が起きて長引いてた、親族間の裁判などがあって、どうする?農家 の体だった、

 

「ハンコ持って集合!」は〇△◇も好きな分野なので(笑)

遠方だろうが近隣だろうがスーツ着て実印持ってすっ飛んでくるのはお決まりのコース~わっかり易いよね、その時には

本家・長男+ママ+3姉妹(美しいね~この響)揃い踏みで、共同名義分+ママ個人分を売買という形で¥は動いた、

農村では噂になった位のニュースで、やっと本家と別家が「ハンコを押すらしいぞ~」

持ち分に従って分配され事なきを得た、これで△◇の気が済んだだろうし、その連れも納得したんだろうね、それとも、

打合せ済みだったのかもしれない、いいんだけど、

 

そして正しい申告をして正しい税¥を払って事は終わった、これで3姉妹も縛られることなく freedom !!! 本家・長男とも

「おはよ~さん」のような挨拶のみに終始すればよくなった、田んぼはどうなった?売れてない( ゚Д゚)とのこと、

 




 

 

 

コメント (2)
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