02/21
夕日に梅とはいいですよ~とは言いながら、ニュースで雪国は大変な様子で、載せるのに躊躇していました、
北国の母の家は、おかげ様で近隣に見回り、無理のない道つけを頼んで、ぉ相手にも手慣れたことゆえ快諾してもらって
一安心というところ、三ケ月間ぉ世話になり、もう少し延長には有難さはこの上ないですよ~
父と母、そして瀬戸内寂聴をモデルに逃れようもなく交じり合う三人の<特別な関係>を、長女である著者が描き切った
衝撃作・・と帯に堂々の版元、名指しされた瀬戸内さん「作者の父と私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」と推挙
やはり作家さんのメンタルはある意味において強い!としか私には言いようがなかったのよ、
その前の寂聴さんの恋人は Oda Jinjirou センセで、わが県の美男作家さんだった、このぉ方に寂聴さんは作家の手解きを
何となく気が惹かれたには、そのご縁があったということだろうか?確か、このセンセの娘さんの編集者としての仕事に
寂聴さんは一役買ってたような気がする、懺悔の気持ちもあるからかしら?話が逸れちゃいました、(m´・ω・`)m ゴメン…
さて”あちらにいる鬼”を読み始めて奇妙な錯覚に陥った、これって寂聴さんの?というような、きっと荒野さんに対して
も、寂聴さんは懺悔の気持ちをもって発刊に寄与したのかもしれないなぁと、これ私の勝手な憶測だけどね、
帯を書くってそういうことも、
NHK BSP 「愛を生き切った人〜瀬戸内寂聴の99年〜」
寂聴さんの番組を拝見!早朝の録画録り置きをこなさなきゃならなかったので、いや~見てようございました、だって、
このような今を時めくぉ方々の集合写真があったなんて、さすがです\(^o^)/
後方の中央のぉ方が井上荒野さんで江國さん、角田さんとなれば、
02/23
本の装丁は大事だと思う、内容を知らずに装丁次第で手に取って読むか読まないかを決めるわけだから、もしその色模様
が気に入れば尚更「そーだ!読もう~」となるわけだもの、
さらにはその題名が、並べてみるといいですね~「ぬるい眠り」「対岸の彼女」そして「あちらにいる鬼」って唸ります
その最初の言葉、ぬるい・・・対岸の・・・あちらにいる・・ことの限定をしないで、なんだろう?と思わせる手法、
これって 57577 にもいえることのよう、読者がいる限り、そのこころをひかなきゃね~
そして帯、これは本の近い情報を、あるいはキーポイントを網羅する、しかも短い言葉で、チカラがなきゃ出来ないこと
そこに興味を覚えて読もうかな~と、本当に久々のワクワク感だったわ、
本屋には久しぶりに行った、長いこと本を読むことを忘れてて、57577 も忘れてて、ただただコタツムリだった(笑)
私はどうしちゃったんだろう~と思いながらもエンジンはかからず、流れてるテレビの画面を日がな眺めてた、
やっと読む気になって、詠む気になって、少し気が上がった!
さて瀬戸内さん、小田さんまでの恋の流れは知ってたけれど、井上さんに関しては知らなかった、え?驚愕した今朝は、
そして荒野さんの”あちら ・・・・”に辿り着いた、ミーハーとは思うけれども、いいじゃない?
02/21
クリスマス・ローズの蕾も色づき膨らんで、私にしたら久々の喜び、なにせ眺める日々が長すぎて~
というわけばかりじゃないけれど、やっと気分が解放へ、こういうことってぉ日柄ものともいうので、時間はかかるのよ
そしていつかは気が晴れる~ってね、
いよいよ私です!って動けそうだわ、焦らずゆっくり過ごせたからよかったかも~
家の前で道路工事が日がな一日続いてて、3月までに予算を使いましょう~系の工事のよう、でも世の中は持ちつ持たれつ
だから強ち否定するものじゃあないけれど、奉行も苦肉の策というでしょうか、
漱石の”それから”という小説はオトコの人生の行く先の話だけれど、しかも難題を背負っての愛の暮らしを決心すると、
私にはそういう危機含みの”それから”はない(笑)ない方がいいよね、子も戸惑うだけ、私の先は最早みえたようなもん
というわけで、どうしたもんかな~と思いあぐねていた(まだまだ人生は捨ててませんわよ、何かいい事あるかも)処、
いい雑誌を見つけた、コンビニで手に取ったら、なんとまあ気に入ったキャプションが並んでた、ので買った、
子は言った「きっと店員さんは 60 歳になったんだろうね~と思ったかも」( ゚Д゚)
子も大人になったもんだ「もうすぐ 77 の母とは思わなかったかも」上手いね~「そうだよね」私は言った\(^o^)/haha
親も子も呑気です、
ちょっと引用すると、冠婚葬祭は失礼する、リフォームや引っ越しはしない、同窓会には欠席のお知らせを、
子供や孫やきょうだいと距離をとる、お墓を手放し仏壇を処分する、人と比べて生きない etc.
歳を経るごとに失くしてもいいものが増えるって、目から鱗でした、
いいじゃあありませんか?私が立ち止まってた問題が列記されてた!そして答えまで、これから読んでまた感想を、
毎日が私には休日だけど、子が休みの日が家事の休日で、金曜の夜から土曜日の一日はいい時間ですよ~まったりと、
手抜きランチで 👇
若者はやはりBig Mac ですよね~ポテトの大も復活!!!
裏の一角に子が敷いた砂利 👆 まあね、気分がゆったりして、これで梅が満開になったらもっといいんだけど、
なかなか【D】と子の休日が一緒にならないし、子には予定があったりして家を空ける時もあるから、今日は揃い踏み
だったから、ちらし寿司にした、ひな祭りをしようにもこの家には雛がない、
子や孫とも交流できない今なので会えないし、仕方がないから爺婆と、【D】は生ものは頂けないから、生無しちらしを
そして夕刻には早めに準備し始めて、
母はちらし寿司が好きだった、具は季節の野菜や卵、時には背負子さんが庄内方面から運んでくれる魚を譲ってもらい、
下ごしらえして散らしてた、今思えば幼い私たちに、せめてもの心づくしだったような、
誕生日や正月やひな祭り、あるいは節句や春休みや冬休みの長期のぉ休みの日々のテーブルを飾っていた気がする、
そういう時には父の日本酒のとっくりとお猪口が並んでた、
そういえば今では”おにぎらず”などと名がついてる、ちょっと大ぶりの海苔巻きがあるように、海苔を切って広げて、
そこにご飯を薄く敷いて具を重ね、巻かずに、サンドイッチのようして並べてた、
誰のだったか覚えてはいないけど、誕生日にハムや卵焼きや菜の花の浸しや、漬物(塩漬け、みそ漬け)をアレンジして
狭い部屋で(青森県八戸市)折り畳みの丸いテーブルに正座して食べたものだった、懐かしいわ、
松島トモ子さんが母上の介護並びにおくりについてユーモアたっぷりに話してた、同じく 100 の旅立ちだったとのこと
同年だし、少女雑誌の表紙で馴染みのトモ子ちゃんで、よく共演してらした 小畑やすし 君という名を思いだしたけど、
どうかなぁ、介護中はケアマネさんから
「仕事はやめないで、休まないで、その後はあなたの人生なんだから、70 過ぎて仕事をと言っても遅いのよ」と的確です
その葬儀の時の事を、坊様の話から、戒名や墓のことや、思いがけない¥のことからを面白く話されてて、率直さに苦笑
この話には失礼だけど、それ系の話は私も経験してるので、心の底から同感した(*´▽`*)
そして今は寂しいと、折に触れ思い出すと、うんうん、で、思い残すことはないというところも うんうん、
こうして私はブログの話にするわけで、仕事じゃないけれど、
02/17
青い空に春を感じた 👆 アネモネ・オーロラが咲き、やっと心模様も華やかになりつつあるような気はする、
元職・71 single より電話があって久しぶりに話した、宮城県・友で同窓生で、なかなか縁が深くて(´∀`*)ウフフ
趣味嗜好が同じで、旅が好き、能から歌舞伎、映画や読書と、話が合うから長持ちしてた、
それぞれの親の介護で、長女としてのぉ努めも同じように熟して、やっといろいろ世間のことを知った、晩生の友なのよ
親の家の後片づけや墓の、あるいは仏壇のぉ片づけも含めて、あ!古いタンスや食器や、数え上げればキリがないほど、
塗り膳や座布団や家具まで、昭和の空気満載の品々が数多くて、気が遠くなるような話、親の嫁入り道具やら、
古い家一軒を片づけるなんて至難の業だけど、互いにちょっと未練があったりして、なかなか捗らないのは実情で、
「今は雪もあるし寒いからと、どうしようもないいね」ため息混じりに、
令和の若者たちには無用の長物でしかないしね、残せない~って、それだけじゃ話は終わらない(笑)
02/17
やんごとなき世界の話や、老後の楽しみ~たって、あれほど輝いてた日々にコロナ禍で陰りが出て、
どなたさんにも同じ状況だと思うけれども、試練の日々に置かれてる話、いろいろ、
「こんなはずじゃあなかったんでね?」と、オナゴ同士は姦しいわけさ、
「私らにこのような老後だなんてひどくない?」と、なにしろ世間を知ったのが遅すぎて、親を亡くして初めて知った!
事ばかりで右往左往のと言った方が~よいかなぁ、
「Pちゃん~が 80 に近づい てるなんて信じられない」と、そうなんだよね、自分でも信じられない、互いに疲弊の時を
経てやっと蘇生したかのようにべらべらべらと、気分転換にはいいもんだった、