毛利正道のブログ

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統一教会の支配を受け入れる安倍氏を国葬の対象とするなどもってのほか/私の住民監査請求書

2022-08-26 16:00:33 | 日記

いわば「ひな形」は、北海道の弁護士らから作成してもらったもので、既に全国数県で提出されています。私は、一人で申し立てたものですが、特に、長野県在住の宮島喜文氏「事件」から明るみに出た、安倍晋三氏が統一協会の支配を受け入れていた事実に我慢できず、その点を大幅に加筆したためにあえてそうしたものです。むろん、他の国葬反対理由は全てそのまま踏襲しています。

 

      長野県職員措置請求書

 

 

地方自治法第242条第1項の規定により、別紙事実証明書を添え、必要な措置を請求します。

 

2022年 8月26日

 

長野県監査委員 御中

 

       請求人     毛 利 正 道

 

第1 請求の要旨

 

1 概要

 

 日本国政府は、2022年9月27日に「故安倍晋三国葬儀」(以下「本件国葬」といいます。)を挙行することを閣議決定しました(資料1)。

 本件国葬は国費をもって行う国家儀式と考えられますから、これに 阿部守一長野県知事(以下「知事」と言います。)及び丸山栄一長野県議会議長(以下「議長」と言います。)が公費にて出席・参列すること、すなわち本件国葬に関連して公費が支出されることが相当の確実さをもって予測されます。

 ところで、請求人は、本件国葬が以下に述べるとおり、違憲・違法なものと考えており、その結果、本件国葬に関連して支出される公費もまた違憲・違法な支出になるものと考えています。

 そこで、請求人は、地方自治法第242条第1項の規定に基づき、長野県監査委員に対して、本件国葬に知事及び議長が参列するに際して公金を支出することを差し止める措置をとることを求めます。

 

2 対象となる長野県知事及び長野議会議長の行為及びそれに関する公金の支出について

  

2022年9月27日に挙行される「故安倍晋三国葬儀」に関して、相当の確実さをもって予測される知事及び議会議長の参列・出席に関連する公金の支出行為一切(随行職員に関する支出等も含む)。

 

3 本件国葬の違憲性・違法性について

 

  •  はじめに

 本項においては、なぜ本件国葬が違憲・違法であるか、という点について述べます。

 まず、そもそも「国葬」とはいかなる性質をもつものなのかについて述べます(⑵)。そして、現時点で請求人が把握している本件国葬が挙行されるに至った経緯を述べ(⑶)、本件国葬が日本国憲法に照らして違憲であること(⑷)及び本件国葬を実施するについて法的根拠がない違法な行政活動であること(⑸)について述べます。

 

⑵ 「国葬」が持つ歴史的政治的意味について

そもそも「国葬」とはいかなる性質をもつものなのでしょうか。

日本最初の国葬は、1883年に行われた、岩倉具視の葬儀ですが、その原型は、さらにその5年前の大久保利通の葬儀だったと言われています。大久保家の葬儀でしたが、天皇が弔意の品を贈り、勅使を派遣しています。その費用には国費が支出され、政府職員も要員として派遣され、国葬に準じたものとして行われています。これは、暗殺された大久保の葬儀を盛大に営むことで、「政府に逆らうことは天皇の意思に背くことだ」ということを、内外にアピールすることで、いまだ不安定な明治政府の基盤を強めようとしたものでした(資料2<宮間純一氏の新聞記事>)。

そのことは、国葬について定めていた「国葬令」(資料3)からも読み取れます。国葬令では、天皇・皇太后・皇后の葬儀である大喪儀と、皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃及び摂政在任中の親王・内親王・王・女王の喪儀を国葬とするとしたうえで(同令1条、2条)、皇族以外の「國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ」とされていました(同令3条)。「特旨」とは、すなわち天皇の「思召」を意味します。「國葬ヲ賜フ」との「特旨」は、勅書の形式をもって公にされ、内閣総理大臣はこれを公告し、葬儀の式次第は総理が案を作成して勅裁を経たうえで決定されることになっていました。つまり、「國家ニ偉功アル者」の葬儀は、天皇の「思召」をもって、天皇の命令により、内閣の主導で実施される形がとられていました。

また、国葬令4条は、「皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ葬儀ヲ行フ當日廢朝シ國民喪ヲ服ス」として、臣下の国葬当日、「国民」が喪に服すことを義務付けていました。これは、「国民」の立場に立てば、国葬の対象となる人物に対して、生前の「偉功」を讃える場が、国民の望むと望まないとにかかわらず、政府によって用意されることになるのです。こうして行われる国葬には、莫大な国費が投じられ、新聞各紙もこれを大きく報じています。ほとんどの国葬は東京で行われたようですが、東京から離れた各地の行政機関・学校・宗教施設などでは、葬儀の前後に遥祭が営まれるようになり、その葬儀の場にいなかった人たちも間接的に「國家ニ偉功アル者」の死に接することとなり、全国を巻き込んだ一大イベントになっていたのです(資料4<国葬の成立3・4頁>)

平民出身者で初めて国葬の対象となったのは、日本海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六海軍大将です。これは、国民の戦意高揚をもたらしました。山本は、1943年4月18日にブーゲンビル島上空で乗機が撃墜され戦死しましたが、その死はしばらくの間公表されることはありませんでした。しかし、5月21日に大本営からその死が発表されるとともに、国葬とすることが決められました。当時の新聞報道(資料5)は次のようなものです。

情報局発表(昭和一八年五月二十一日午後五時)

天皇陛下に於かせられては聯合艦隊司令長官海軍大将山本五十六の多年の偉功を嘉せられ、大勲位功一級に叙せられ、元帥府に列せられ特に元帥の称号を賜ひ、正三位に叙らせれ、薨去に付特に国葬を賜ふ旨仰出さる

同年六月五日に行われた国葬に際しては、東条英機首相は「元帥の闘志を継げ」と国民を激励しました。

また、全国民が喪に服することとされ、午前10時15分を「国民遙拝の時刻」と定め、遙拝式を行うことなどが通達されていました。

このように、「国葬」は、国家が特定の「功臣」の死に政治的な狙いをもって、積極的に介入しているのです。特に明治憲法下における天皇の介在はその点を強調する意味合いがあったと考えられます。

 

国葬令は、1947年に「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和22年法律第72号)第1条の規定により、失効しています。その理由は、日本国憲法の基本原理と両立しないからです。そのため、現在の日本において、国を挙げて行なう公葬を規定する法は存在しません。

地方公共団体においても、1946年11月1日内務文部次官通達で「地方官衙及び都道府県市町村等の地方公共団体は、公葬その他の宗教的儀式及び行事(慰霊祭、追弔会等)は、その対象の如何を問わず、今後挙行しないこと」と地方長官に命令が出され、行政が主導して宗教性を伴う慰霊行為を行うことは政教分離の観点から全面的に禁止されています。

日本国憲法の下では、皇室に関するものとして、1951年の貞明皇后に対する「事実上の国葬」と、1989年の昭和天皇に対する大喪の礼(皇室典範に基づくもの)の2回があり、皇室以外では、1967年に吉田茂元首相に対する「国葬」が行われています。もっとも、首相経験者については、その後も国葬が検討されたようですが、根拠法令がないとのことで実行されず、ノ-ベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相を含め、近年まで「内閣・自由民主党合同葬」が慣例的に行われています。

 

⑶ 本件国葬の挙行に至る経緯

  本件国葬が挙行されるに至った経過は、次の通りです。

2022年7月8日午前、同月10日に執行される第26回参議院議員通常選挙の選挙応援のため奈良県内を遊説していた安倍晋三衆議院議員(元内閣総理大臣、元自由民主党総裁)が、街頭演説中に銃撃を受け、同日午後に亡くなりました。

岸田文雄内閣総理大臣(以下「岸田首相」といいます。)は、2022年7月22日、亡安倍晋三氏について本件国葬を行うこととし、その名称を「故安倍晋三国葬儀」とすることなどを閣議決定しました(資料1)。岸田首相によると、安倍氏について国葬を行うことについて、①憲政史上最長になる8年8か月にわたり内閣総理大臣の重責を担ったこと、②東日本大震災からの復興、日本経済の再生や日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を残したこと、③外国首脳を含む関係社会からの高い評価があること、④選挙中の蛮行による急逝であること、と説明しています(資料6)。

 

⑷ 本件国葬の違憲性について

ア 日本国憲法の根底にある個人主義(individualism)

 請求人が、今回の監査請求をするにあたり、もっとも重要だと考えていることは、私たちの住む日本社会において、私たち一人ひとりが、等しく尊重される社会であるということです。

 憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定しています。これは、私たちの社会を考えるうえで、極めて重要な前提を示している部分です。なぜ、私たちは社会を作るのかという根本的な問いに立ち返る部分でもあるからです。私たちを取り巻く社会的関係を一つずつ取り除き、最後に残った「私自身」「あなた自身」という独立した存在を「個人」といい、その個人一人ひとりは自由で平等であるという前提が共有されていなければなりません。その「個人」が持つ自由や権利を維持・発展させるために私たちは社会を作り、その社会を運営する際に、運営者たる権力者にたいし、構成員の侵してはならない自由や権利を「基本的人権」という形で注意喚起をしているのです。

 このように、私たちの社会は、何よりもまず、私たち一人ひとりが等しく尊重される存在であるということを大前提として成り立っており、これを個人主義と呼んでいます。この反対概念は全体主義ということになります。

イ 憲法14条違反

 このように述べたところで、現実社会をみると、それぞれの個人は決して自由で平等であるとはいいがたい状況にあることはわかります。男女の性差であったり、障害の有無や資産の有無などいたるところに物理的な格差があるからです。

 しかし、私たちが、心のうちで何を考えようと、いかなる神を信じようと、あるいは仏を信じまいと、誰かを愛おしいと感じようと、あるいは殺してしまいたいほどに憎しみを感じようと自由です。他者とのかかわりの中で、他人の自由や最低限の秩序を侵害しなければ、基本的に何をしようと自由です。これは、人間として生まれたという一点において、私もあなたも等しく同じ存在だからです。個人はそれぞれ自由かつ平等です。より正確に言うならば、個人はその自由性において平等だということです。このことを宣言したのが、憲法14条です。

 この憲法14条の唯一の例外が、日本国の象徴たる天皇です。裏を返せば、天皇以外は日本国との関係で当然に特別扱いされることはありません。むしろ、してはならないのです。特別な対応をしようとするならば、その根拠となる法律がなければなりません。

 今回の安倍氏に対する国葬儀は、日本国として安倍氏を特別扱いして国費において葬儀をするということです。当然のことながら、私やあなたも、将来亡くなったときに国が葬儀をしてくれることなどないでしょう。どうして安倍氏が国葬の対象になるのか、納得のいく説明はありません。憲政史上最長の首相在任期間は理由にはなりません。加えて、その長期政権の中で政治の私物化を追及されるなど、安倍氏の政権運営には否定的評価も多くありました。首相の座こそ降りましたが現職の国会議員でしたし、この評価は今なお定まるところではありません。そのような中で国家として葬儀を行うとするのは、あまりに安倍氏の特別扱いが過ぎ、個人の平等という基本的な大原則に正面から反するものです。

ウ 憲法19条違反

 先に述べたように、日本国憲法が施行されてから、「国葬」は皇族を除けば吉田茂元首相の例しかありません。首相経験者について、これまでの慣例をあえて破って半世紀以上上行われてこなかった「国葬」という形式を取るということは、そのこと自体に意味を見出していると言わざるを得ません。

岸田首相は、7月14日の記者会見で、本件国葬によって、安倍氏を追悼するとともに、暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す、活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り拓いていくという気持ちを示す、としています。また、8月10日の記者会見では、「国葬」について、故人に対する敬意と弔意を国全体として表す儀式、と説明しています(資料7)。

すなわち、「国葬」という形式を取ることの意味は、国を挙げて故人を追悼し、一定の決意や気持ちを示す、ということにほかなりません。そのために、本件国葬当日は弔旗の掲揚や黙祷の「要請」が官民問わず行われ、またマスコミも本件国葬一色の報道になることが高度の蓋然性を以て予想されます(吉田茂氏の国葬に際してはまさにそのようなことが行われましたし、安倍晋三氏についても、7月12日の家族葬儀に際して多くの公共団体が弔旗の掲揚を行いました。)。

しかし、故人に対して追悼の念を抱くか否かは本来きわめて個人的な営為であり、とりわけ、首相経験者である故人に対するそれは、個人の歴史観や世界観、政治信条に深く根ざした行為です。そして、「国葬」は、個人の歴史観や世界観に基づいた営為であるはずの追悼を、故人に対する敬意や弔意を持ち合わせていない人も含めて、国中の人々に強いるという意味で、思想良心の自由を保障した憲法19条に反するものです。

エ 憲法20条・89条違反

 安倍氏国葬は憲法20条や89条の政教分離規定に違反し、市民の信教の自由を侵害する可能性があります。

 憲法20条1項前段は信教の自由は何人に対しても保障するとし、2項は何人も宗教上の行為を強制されないとしています。しかし、明治憲法のもとでは国が宗教、とりわけ神道と結びつくことによって市民の信教の自由が保障されていたとはいえませんでした。そこで日本国憲法20条1項後段、3項や89条は、政教分離原則に基づき国と宗教が結びつくことを禁止する政教分離規定を定めました。それによって、信教の自由の保障を制度的に確保しようとしたのです。

 安倍氏国葬は、故安倍晋三元内閣総理大臣に対し、哀悼や追悼の意を表するために行われるものです。岸田文雄首相は、2022年7月14日夜の記者会見において、「国の内外から幅広く哀悼や追悼の意が寄せられていること」などを「勘案し、この秋に『国葬儀』の形式」で本件国葬を行うと表明しました。

本件国葬は、「国」として故安倍晋三元内閣総理大臣を追悼し、故安倍氏に弔意を示す儀式です。追悼とは故人の生前を思い返してその死を悲しむことであり、弔意とは故人が亡くなったことによる自分の悲しみ・弔いの気持ちを意味します。いずれにせよ、国民一人ひとりの内心に深く関わり、人それぞれであり、宗教的側面と切り離すことができません。

 本件国葬を決めた同年7月22日の閣議後の記者会見で、松野博一官房長官は、「無宗教形式で行うこととし、厳粛かつ心のこもった国葬儀となるよう関係者と密接に連携をとりながら速やかに準備を進めていく。」と述べました。しかし、形式が無宗教であったとしても、既存の宗教団体の方式を踏襲しないというだけで、「国葬儀」が宗教的な意味合いをもった行為であることに変わりはありません。

 日本国憲法20条3項は国及びその機関が「宗教的活動」を行うことを禁止しています。したがって、国が主催して本件国葬を執行し、地方公共団体の知事等がこれに参列し、公金を支出することは、憲法20条3項に反するものであり、許されないことです。

 

オ 憲法21条違反

 故人に対して追悼の念を抱くことはもちろん、さらに追悼の念を表明する、しないということも、思想良心に基づく表現行為としてきわめて個人的な営為です。

儀式の価値は、外形にあらわれた荘厳な形式によって発揮されると言われることがあります。前述のように、「国葬」当日は弔旗の掲揚や黙祷の「要請」が官民問わず行われることが強く予想されます。「国葬」が「故人に対する敬意と弔意を国全体として表す儀式」であるならば、本件国葬の会場である日本武道館にとどまらず、国全体に弔意の表明が行き渡っている必要があります。「要請」であると言いながらも、本件国葬が儀式として完成するためには、安倍氏に対する「敬意と弔意」を表明することの有形無形の圧力が生じるものと考えられます。しかし、追悼の念を表明するということは一種の表現活動であり、弔旗の掲揚や黙祷はその具体的な表明行為です。

「国葬」を実施することは、そのような弔意表明の「要請」が官民問わず行われ、有形無形の圧力がかけられることにつながり、憲法21条が保障する表現の自由が侵害されることになります。

 

⑸ 本件国葬の違法性について

ア 行政活動は法律に基づいて行われなければならない

 ところで、今回の国葬は内閣府に実行委員会を置く方式で運営されることと閣議決定がなされました。内閣総理大臣が実行委員長であり、その実務機関を内閣府に置くのですから、今回の国葬儀は国の行政活動の一つというべきでしょう。

 大日本帝国憲法の下においては、国家権力のすべてを統帥する天皇がいましたから、行政権はア・プリオリに法に先立つものと考えられていました。しかしながら、日本国憲法の下においては、憲法によって行政権が創設され、国会の制定した法律によって組織され、個別の法律によって一定の権限を与えられることになりました。つまり、行政という営みの本質は、「法律を誠実に執行する」こと(憲法73条1号)にあるというべきです。そのため、行政権を発動するためには、法律を執行するための機関を作る根拠となる「行政組織法」と、具体的に行政活動を営む際の手続や要件、活動の内容や効果に関する「行政作用法」が必要になります。行政組織法がハードウェアで、行政作用法がソフトウェアといえばわかりやすいでしょう。

行政活動は、あくまでも個別具体的な行政作用法の存在を前提とし、その法律に拘束されるのであって、行政権は法律による授権なしに私人の権利義務に影響を与える決定をしてはなりません。

このような行政法の執行過程を貫く基本原理を「法律に基づく行政の原理」といいます。

イ 内閣府設置法を根拠にするという詭弁

 本件国葬の実施に際して、国葬を行う具体的な法律根拠がないという厳しい指摘がなされていました。先の述べた通り、戦前の日本で実施されていた国葬は「国葬令」に基づいて行われていましたが、日本国憲法の制定によってこの国葬令が廃止されています。そこで、政府が打ち出した法律が内閣府設置法です。内閣府設置法には内閣府の所掌事務として「国の儀式」が挙げられていると言うのです。

たしかに、内閣府設置法第4条第3項第33号をみると、「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」とあります。

しかしながら、この説明は詭弁にすぎません。内閣府設置法は、「内閣府の設置並びに任務及びこれを達成するため必要となる明確な範囲の所掌事務を定める」(同法第1条前段)とあることから明確なとおり、「行政組織法」の一つだからです。先に確認した通り、行政活動は、あくまでも個別具体的な行政作用法の存在を前提とするものです。内閣府設置法はハードウェアであって、国葬を実施するためのソフトウェアにはなりえません。

この内閣府設置法にいう「国の儀式」は、天皇が行う国事行為として定められている「儀式」(日本国憲法第7条第10号)が念頭に置かれています。この「儀式」の行政作用法の1つとして、皇室典範が挙げられます。天皇の即位に伴う「即位の礼」は同法第24条に、天皇の崩御に伴う「大喪の礼」は同法第25条に規定されています。今回の閣議決定が皇室典範の規定と同等の位置づけにあると言い難いことは明らかです。

結局のところ、今回の国葬儀は、何らの法的根拠のないものというほかなく、違法な行政行為と言わざるを得ないものです。

 

4 本件国葬に関して地方公共団体が公費を支出することの違法性について

 

本件国葬に地方公共団体の知事等が出席したり、公金を支出したりすることは、地方自治法に反します。

地方自治法2条2項は、普通地方公共団体は、「地域における事務及びその他の事務」で「法律又はこれに基づく政令により処理することとされるもの」を処理するとしています。これは、住民自治と団体自治を地方自治の本旨とする憲法92条に基づく規定です。

そこで、問題は地方公共団体の知事らが本件国葬に出席したり、そのための出張費用等に公金を支出したりすることが、地方公共団体の「事務」といえるかです。これについて、関係省庁が検討したり、地方公共団体が検討したりしている形跡はありません。

この点を検討すると、地方公共団体が行う「事務」はまず「法律」により処理することとされているこことが必要とされますが、本件国葬に知事らが出席したり、公金を支出することを根拠づける「法律」は存在しません。

また、「法律に基づく政令により処理することとされている」場合は、それも地方公共団体の「事務」といえますが、本件国葬に知事らが出席したり、公金支出することを根拠づける「政令」も存在しません。

仮に、本件国葬に関する法律や政令がなくても、地方公共団体が社会的実体を有し、「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」されていること(地方自治法1条の2第1項)から、法律や政令に基づく「事務」に直接該当しなくても、なお独自に地方公共団体の「事務」にあたるといえる場合があるという議論もありえます。

しかし、国葬への出席は「住民の福祉の増進」を図るものとは言えず、やはり、地方公共団体の「事務」には該当しないというべきです。

このように検討してくると、本件国葬に知事らが参加したり、公金を支出したりすることが、地方自治の本旨を具体化した地方自治法2条2項に反する違法な行為であることは明らかです。

 

5 本件国葬に関して地方公共団体が公費を支出することの不当性について

 

   ⑴ はじめに

  唐突に「国葬」なる言葉が飛び出しました。法律に規定もなく、誰も考えてもいなかった言葉が岸田首相の口から飛び出しました。漫画であれば、皆が口をあんぐりと開けて驚きあきれている姿です。規程も何もないから基準もない。しかし、言葉の意味からは、「立派なことをした人」というイメージが浮かびますが、この安倍元首相に関しては想像もできないミスキャストであると、多くの国民が思っています。そのこと自体が、国を挙げて追悼すべきことか(不当性)という問い掛けにほかなりません。

 

⑵ 国民生活の困窮-賃金は全く上昇せず

本件国葬を実施する理由として挙げられたのが「憲政史上最長の8年8ヶ月」です。そうであれば、単に長い期間、首相の座に座っていただけではなく、最長期間その場にいた者の国民に対する責任が問われなければなりません。

実は、日本は20数年にわたり、労働者の実質賃金は全く上がっていません。OECD諸国は概ね1.5倍以上になっているのに、ひとり日本だけ下がっているのです。大企業はアベノミクスの恩恵を受け、史上最高益を稼ぎ出してきた一方で、労働者は「国際競争力強化」を口実に低賃金を強いられ、労働市場の非正規化が急速に進んだのです。この最大の責任者が安倍元首相です。

安倍元首相がしたことは、国民の貴重な年金財源を取り崩し、これを大企業の株価安定のために投資し続けたことです。従来違法であった年金財源を法改正して投資にあてました。このようなやり方で日本経済が再生するはずはなく、実質経済はガタガタです。多くの国民にとって生活水準は低下する一方です。安倍元首相に「経済の功績」など認めることはできません。

 

⑶ 権力の私物化-「モリ」「カケ」「サクラ」

  安倍元首相に国葬と聞いて、第一に思い浮かぶのは、「モリ」「カケ」「サクラ」です。いずれも「ミミッチイ」話です。権勢を傘に、違法行為に蓋をして強行突破しようとして、芝居がかった「大見得」を切りました。「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということをはっきり申し上げておきたい」と安倍元首相は国会質疑の中で高らかに宣言しました。これを聞いて泡を食った財務省は公文書の改ざんを行い、事実を消してしまいました。そのために最もまじめで貴重な一人の国家公務員の命が失われました。

  「国葬」になる様な人は、このような違法はもちろん、人格的倫理性に傷がつく事実があれば、初めから候補にならないはずです。

 

(4) 死亡した銃撃事件で明らかになった世界平和統一家庭連合=旧統一協会(以下、「統一教会」という)との関係も然りである。

連日報道される統一教会と政治との癒着の中心に安倍氏が存在していたことは、同氏の評価をさらに厳しいものにしている(資料8ないし17)。

とりわけ、2016年7月参院選挙比例代表区で初当選したものの、2期目となるはずであった2022年7月参院選では出馬を辞退した、長野県下伊那郡泰阜村在住の宮島喜文氏を巡り、安倍晋三氏が統一教会信者の投票を差配したという、ビッグニュースは、安倍氏の評価を大きく揺るがすものとなった。

 

元参議院議長伊達忠一氏の証言に端を発して、現在までに明らかになった事実を宮島氏に関するウキペディアがまとめているが、その要点は、以下の通りであった。

 

2016年の参院選に、宮島は、同じ臨床検査技師出身で細田派に所属する伊達忠一からの打診を受け、立候補を決めた。「票が足りない」と踏んだ伊達は安倍晋三首相に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を回すよう依頼し、安倍はこれを了承。公示の直前、伊達は、「世界平和連合」の支援を取り付けたことを宮島に告げた。宮島は「世界平和連合」が統一教会と関係があると知らされて戸惑うが、陣営幹部から「上がつけてくれた団体ですから、もうあとには引けません」「外でおおっぴらに言っちゃいけません」と忠告された。この結果、宮島に統一教会の票が回り、宮島は自民党が比例で獲得した19議席中、17位で初当選を果たした。元事務所職員も宮島が「世界平和連合」から推薦を受けていたと証言し、宮島自身もその事実を認めた。

  • 2022年の参院選に際して、宮島は安倍に2回会いに行き、前回選と同様に「世界平和連合」の支援を依頼した。しかし安倍は「6年前のような選挙協力は難しいかもしれない」と返答した。代わって伊達が接触すると、安倍はかつて自身の首相秘書官を務めた元職の井上義行に票を割り振ると述べ、明確に断った。再選の望みが薄いことを悟った宮島は同年4月に公認を辞退し、不出馬を選んだ。

      この両参院選挙の間における宮島氏の動静

  • 2017年5月14日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)のイベント「孝情文化フェスティバル in TOKYO」に来賓として出席。祝辞で韓鶴子総裁の参加を称えるとともに「昨年7月の参議院選挙で皆様方の応援をいただき当選させていただきました」と述べた。
  • 2018年7月1日、統一教会が、韓総裁を主賓に迎えて「日本宣教60周年 2018神日本家庭連合 希望前進決意2万人大会」をさいたまスーパーアリーナで開催した。来賓として、宮島ら6人の国会議員が招かれた。
  • 2018年10月25日、統一教会の関連政治団体「国際勝共連合」が創立50周年記念大会をザ・キャピトルホテル 東急で開催。宮島は同大会に出席した。
  • 2021年6月11日、統一教会の関連団体「天宙平和連合」が創設した世界平和国会議員連合の日本の議員連盟「日本・世界平和議員連合懇談会」の総会が衆議院第一議員会館で開催。宮島を含む20人の国会議員が出席し、宮島は事務局長と幹事に就任した。
  • 2022年6月13日、「日本・世界平和議員連合懇談会」は総会を開催。宮島は前年に続いて事務局長に選出された。

 

以上の宮島喜文氏を巡る2016年参院選から今回の2022年参院選までの経 

過によると、安倍晋三氏は、内閣総理大臣・自民党総裁であった2016年参院選当

時、伊達忠一氏からの依頼を受けて統一教会に宮島氏への投票を依頼し、宮島氏

は比例区で当選した自民党19名のうちの17位で初当選した。宮島氏は、細田派

(安倍派)に入会して財務政務官にも就任するとともに統一教会との関係を深め、2

021年6月には、20人の国会議員が出席した統一教会系の議員連盟「日本・世界 

平和議員連合懇談会」総会において、事務局長兼幹事に選出された。宮島氏は、今

回2022年参院選に際しても再選をめざし安倍氏に2回会って、前回選挙同様統一

教会からの投票を依頼したものの、安倍氏は、かつての自身の首相補佐官井上義行

氏に票を割り振ると述べ、宮島氏からの依頼を明確に断った。これにより、再選の望

みがなくなったとして不出馬を選んだ。他方、井上義行氏は、今回の参院選挙におい

て、統一教会の「賛同会員」であると公言するなど統一教会との関係を密にし、落選

した前回2019年選挙から約8万票上積みし、自民党の当選者18名中11番目の得

票で再選された。  

 

       以上、要するに、安倍晋三氏は、内閣総理大臣・自民党総裁であった2016年当時、並びにその職は辞したものの、政界における影響力抜群であった2022年当時、統一教会に宮島氏や井上氏への投票を依頼しその当選を実現させる、或いは、宮島氏への差配を明確に断って不出馬に追い込むなどの役割を果たしたのである。このことは、安倍氏が統一教会と強固なつながりをもって自民党政治家の当落を左右していたということ、逆に見れば、統一教会において日本の政界を動かしていたことの一端が証明されたことを意味する。

      このように、一端とはいえ、いわば日本国民の命運を統一教会に委ねる役割を意識         

 的に果たした安倍晋三氏を対象にする国葬など、決して認めることは出来ない。

直ちに 中止し、精々自民党と統一教会との合同葬にでもしてはいかがか。

 

(5) 「民主主義」と「憲法秩序」の破壊

ア 教育基本法の改悪

2006年第一次安倍内閣が真っ先に取り上げた課題は「教育基本法」の改悪でした。もともと、旧教育基本法は、準憲法的性格をもつと言われた法律です。戦前の天皇制絶対主義国家において狂信的軍国主義を発生させた反省から、新憲法の平和主義・基本的人権尊重主義の実現は「教育の力による」として、この基本法が作られました。

ところが第一次安倍内閣は、この基本法から、教育行政の根本たる「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という規定を削除しました。その結果、今では、行政当局の意のままに行われる上意下達教育と愛国心教育に子どもたちが晒される事態を作り上げ、教育の危機を招いています。

安倍元首相は、ここで、教育に関する「憲法改悪」を断行したのです。

その結果、ユニセフ「レポートカード16」(2020年)によれば、日本の子供の精神的幸福度は先進国38か国中37位という状況になっています。

イ 安保法制・集団的自衛権行使の違憲行為

 安倍元首相の最大の「罪」は、集団的自衛権行使を可能とする「安保法制」を強制採決したことです。これによって、日本国民全体は、いつ何時でも、アメリカの行う戦争にその片棒を担がされることになり、戦争国家による被害を受ける危険が発生しています。もし、台湾有事でも発生すれば、沖縄の米軍基地ならびに今さかんに南西諸島に自衛隊が配備している軍事施設から戦争がはじまることになりかねません。安倍元首相は、ここで、「専守防衛」の憲法9条の政府解釈を変える「実質改憲」を断行したのです。

 この責任をとらずに安倍元首相は死亡しました。

 思い起こせば、集団的自衛権行使を認める閣議決定を行なった2014年4月、安倍元首相はワシントンに行き、オバマ大統領の前で、「越えられぬ山はない」という恋歌を引用して、「私はいつでもあなたのおそばに参ります」と言いました。民族主義者でなくとも日本国民の名誉と誇りに傷つけ、戦争国家への道筋をつけた総理でもありました。

岸田首相は、これも実績として「追悼」するのでしょうか。

 

(6) 小括

以上に述べたとおり、安倍元首相の「実績」は、肯定的に評価することなどできないものです。仮に百歩譲って「功罪」両面があるとしても、「罪」の側面が大きく、今後起こり得るアベノミクスの破綻や格差と貧困の拡大、米軍との戦争遂行などの日本の行く末を考えたとき、いま安倍元首相を国葬にして評価することは、時期においても内容においても、全く適当でないというほかありません。

 

 

6 結論

 

よって、請求人は、地方自治法第242条第1項の規定に基づき、 本件国葬に知事及び議長が出席・参列するに際して、公金を支出することの差止めの措置を求めて、住民監査請求をします。

 

 

第2 事実証明書

    別紙のとおりです。


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