自然はあるがままである。
自然の素晴らしさを表現するにも表層概念の言葉に頼れば
あまりにも貧しい表現になってしまう。
だから究極は自然量子ネットワークの超越性を
そのまま魂の共振というありかたでひとりひとりの自由意思に
ありのままを写してもらう他ないのだ。
表層脳ももちろん大切だが真偽を審神出来ないでどうするのだ。
先ずはそこからすべては始まる。
… … … … …
そうだ。言葉が神なのではない。
言葉は 特に「人間」が使っている言葉は表層の泡沫に過ぎない。
眞の自然神はエーテルネットワークの主催者である。『人』はその代行者であるか
ら相互に既にあるエーテル言語で直接判り合えるのである。
ありのままを写し合う時 すべては判然と顕われるのだ。