「見る」と『観る』
その相違は?
簡単に言えば
「見る」とは
五感情報主体の取得情報系に
意識の焦点を合わせることである。
もちろんその管轄下の思惟思念を含んでいる。
『観る』とは
肉体を持ちながらも五感を超え
六感に至り更に振動波層メビウスを透過し
本源共振による(本源光照覧)透過洞察を
日常とすることである。
もちろん
『洗心』が大前提で「見る」から『観る』の
次元層の壁を超えて観透すのである。
洗心がなければ本源サポートを喪い魔界に堕ち易い。
この意味合いは実に深く
例えば地球学思考癖で病膏肓となり
寿命が尽きて霊体となった場合
頑迷に「見る」次元に固執し続ければ
地球学の未練波長の残像に囚われ
霊界での自由闊達さは喪失される。
魔界と繋いだものがどうなるか?
推して知るべしであろう。
生前に『洗心』を励行し
深い振動波次元の観察&洞察を通じて
本源に至るメビウス層を透過し
『観る』生き方が当たり前に
出来るならば輪廻転生を超えて
進化効率を劇的に高めていくことが
可能となるだろう。