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アイデアの散策

仕事・研究・日常の中で気付いたことのエッセイ。

海外留学か国内留学か

2011年07月20日 | 日記・エッセイ
 今夜は日本郵政に働く社会人3年目の友人と、東京霞が関の「霞ダイニング」にある「RISTORANTE di HOKKAIDO Mia Angela」でディナーを共にした。最近の夜は、外食が多い。
 
 その友人の最近の週末はというと、大学時代の旧友や職場の同期と、お互いの不安や悩みについて相談し合うことが多いらしい。
 転職や結婚、自己実現など、果たして今の自分のままでよいのか、将来の自分はどうしたいのかについて、語り合うという。

 たしかに、社会人になって、会社の理不尽さや会社への失望を感じることもあれば、あるいはどうすれば自分の夢を果たせるのかといった将来設計を考え直すこともある。自分を見つめ直し、会社を客観視する。それが、ちょうど社会人3年目という時期になるのだろう。
 社会人になったばかりは、会社の人との良好な関係を築くためにも、自分の本心はある程度抑え、周りの人に迎合するもの。そうこうして社会人生活にも慣れてくる3年目という時期に、ふと我に返る。

 「若者はなぜ3年で辞めるのか?」とか「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」といった、城繁幸さんの本は、僕もかつてよく読んだ。自分が社会人3年目だった頃を回想しながら、お食事をした。僕も社会人3年目の頃、大学時代の旧友や職場の同期と夜な夜な語り合ったことを思い出す。

 留学。

 会社に留学制度があると、その選択肢を考えるのもちょうど社会人3年目の頃が多いと思う。最近、自分の周りにも海外留学に行く人がちらほらいる。ここでいう海外留学とは、語学留学、短期留学ではない、正規の大学院課程を修了するディグリー取得の海外留学を指す。修士号とか博士号とかの類。

 海外留学は正直憧れる。本音を言うと、留学に行く人、行った人と会うと、若干隣の芝は青く見える。他方、自分は海外留学ではなく国内留学、すなわち社会人大学院生として働きながら大学院に通い、学位取得を目指している。しばしば海外留学という選択をなぜ自分は選ばなかったのか。多少後悔しそうになることもある。一般的に、海外留学をしたいと願望する人は多いようだ。

 海外留学のメリットは「1.語学力の向上」「2.海外の文化や自然に触れること」「3.多様な価値観を持つ人に出会うこと」など。
 他方、国内留学のメリットは「1.深く考える訓練」「2.仕事を続けるため金銭的余裕があること」「3.多様な経験を持つ人に出会えること」と言えるかもしれない。

 それぞれのメリットの1番目は、言語の問題。海外留学は語学力の向上につながるのは言うまでもない。一方、国内留学の場合、母国語である日本語で議論し考えるから、より深く考えることが可能であろう。

 2番目のメリットは、機会の問題。海外の文化や自然に触れることは、海外留学の醍醐味。海外旅行でも多少は味わえるが、じっくり体験するには、留学が良い機会だ。ただ、留学には学費や生活費等のお金がかかる。会社の留学制度を使わない場合、一千万円を超えるケースも多々あろう。一方、国内留学は社会人大学院生の場合、さほど金銭的心配をする必要はない。もちろん、給料の一部を学費に使うから負担にはなるが、海外留学と比べれば深刻ではない。日本にいるままなので、新たに文化や自然に触れるという海外留学のメリットは享受できないが。

 3番目のメリットは、人の問題。これはいずれもほぼ共通すると思う。要は人の輪が増えるということ。あえて違いがあるとすれば、国内留学の場合、年齢層が海外留学生よりも比較的高く、社会経験が多いという特徴がありそうだ。また、国内留学の場合、大学院を修了後でも、国内にいる友人とはいつでも会うことが可能といった「末永い付き合い」ができるといった効果もありそうだ。

 そうした、留学一つをとっても、どう自分の人生をデザインすべきか考えてみることは多い。
 社会人3年目。このときに何を考えるかが、将来の自分の道しるべのきっかけの一つになるのだとすれば、ある程度、真剣に自分の未来を夢見ることをした方が良い時期なのかもしれない。

新丸ビルのソファ

2011年07月19日 | 日記・エッセイ
 今日は、仕事のあと、友人と2人で新丸ビルにある「酢重正之 楽」というお店でダイニングを楽しみました。

 信州の味噌を使った料理がたくさんある。銀むつの味噌焼きや、鳥ももの照り焼きなど、本当においしい食べ物が多くてお互い大満足。炊き立てごはんや味噌汁もあって、お酒を飲みながらおなかいっぱい食べられる、オススメのお店です。
 店員さんもとても丁寧な方が多く、心地よく流れるジャズが日頃の疲れを癒してくれる感じでした。

 新丸ビルには各フロアロビーにソファがあって、それぞれのフロアで違ったデザインのソファが並ぶ。
 お食事のあと、いろんなソファを座り比べてみました。6階にある革張りのソファはいい感じ。これまたオススメ。

 新丸ビル7階のテラスから東京駅方面を眺めると、再開発中の建物が見える。
 東京駅近辺がまだまだ進化しているのはスゴイと思う。そういえば、数年後には、上野発着の在来線が東京駅まで延伸するとか。
 旧東京中央郵便局跡地が再開発でどのように生まれ変わるのかも楽しみ。

 時間がある夜は、新丸ビルに足を運んで少し贅沢な夜を楽しみたいと思います。

幸せの3原則

2011年07月18日 | 日記・エッセイ
 幸せの3原則。それは・・・。

 自分を信じること
 周りを愛すること
 明日を夢見ること

 矢沢あい『天使なんかじゃない』に出てくる言葉だそうです。

 世の中にはいろんな啓発本があって、それぞれの本が思い思いの表現で書かれているけれども、結局要旨は上記の3つに集約されているように思える。
 現在留学中の職場の同期の女の子と、久しぶりにメールでそんな会話をした。思えば以前、ある区議会女性議員とお話したときも、そんな話になったことがある。

 また別の話題として。

 愛、美、夢。

 「愛」や「美」や「夢」は、倫理とか、芸術とか、希望とかに対応する人類の絶対的な価値である。
 と、佐久間章行『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』pp218-219には述べられています。引用してみます。

 第2次大戦の勝利者である連合軍は、苛酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命を最後まで維持させた人々の特性とは次の3種類に分類されたという。

 第1の分類には、苛酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。
 アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

 第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。
 鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨垂れや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

 第3の分類には、「夢」を捨てない人々が属した。
 戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたいなどの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

 生きるヒント。それはいつも、自分の内に秘めているものかもしれません。

座れないグリーン車

2011年07月17日 | 日記・エッセイ
 今朝は、久しぶり横浜みなとみらいに出かけることになった。

 自分へのご褒美にと、湘南新宿ラインのグリーン車に乗って出かけようと、赤羽駅でグリーン券を購入。電車に乗った。

 ところが、満席で座れない。

 大宮方面からずっと立ちっぱなしだったのだろうか。10人近いお客さんがドア付近で空席が出るのを待ち、立っていた。新宿駅で若干降りるお客さんがいたので、私は無事に座ることができたが、新たに新宿から乗ってきたお客さんたちは、同じように座ることができず、ドアの付近に立ったまま横浜まで乗車したようだ。

 都内近郊の在来線普通列車グリーン車は自由席のため、どのぐらいのお客さんがグリーン席に乗車するのか把握ができず、立席になることもしばしばあるようだ。せっかくのグリーン車に、立ったまま乗るのは少しもったいない。

 横浜みなとみらいからの帰り道は、東急東横線にした。全区間で座ることができた。その後、新宿に足を運んだ。

 ここからは他方、空き過ぎの話。

 新宿駅近辺を巡回する「新宿WEバス」がある。
 土日はおよそ10分おきに走る、100円で乗車できるコミュニティバス。新宿西口、新宿南口、新宿御苑や東京都庁を巡回している。ところが、これがほとんど利用されていない。
 あまり知られていないのか、利便性がよろしくないのか。走るバスを歩道から見ると、数人乗っている程度。少しさびしい。

 どうやらバスも電車も、乗車率は路線しだい。乗車率の少ない路線でどう収益を上げるかは本当に悩ましい問題だと思います。

仮説の検証

2011年07月16日 | 日記・エッセイ
 昨日は、グロービス経営大学院で働く方と麹町で語り合った。
 
 ときどき「経営学」とは何だろうと、考えさせられる。個人的には戦略論や消費者行動論、ビジネスモデル論に興味がある。

 しばしば言われるように、過去のある企業の戦略とは、将来の別の企業の戦略として有効なものであるとは限らない。時代と場所によって、とるべき戦略は常に異なるはずである。市場や組織に適合して、適切な戦略を練る必要がある。戦略とは「市場の中の組織としての活動の長期的な基本設計図」である(伊丹敬之『経営戦略の論理(第3版)』より)。

 ところで、経営学に隣接し、ミクロ経済学や産業組織論など、いわゆる経済学という学問がまたある。古典的な経済学は、市場における人間の行動は合理的であり、利潤最大化を図るとする。しかし、必ずしもそうではないだろうと、最近では行動経済学をはじめ、新たな経済学説も生まれている。

 前置きが少し長くなったが、そうした学問的な概念を踏まえて、どれだけ現実起きている事実、将来起こる可能性を説明できるのだろうか。

 東日本大震災直後、東京電力は週明けから計画停電に「即座に」踏み切ろうとした。この判断は、どのような意図(意味)で行われただろうか。2人で議論になった。

 あの3月の時点で即座には、計画停電にするほど、供給不足の状態にはなかったはず。つまり、あの時点では、計画停電をする必要はなかった。と、まず彼は前提する。その上で、なぜ計画停電をあの時点で踏み切ったのだろうか。それは、夏にきっと起きうるだろう電力の供給不足を少しでも国民に知らしめる、恐怖感を与えるため、電力消費を抑えてもらうため、「即座」に計画停電を行ったに「違いない」と仮説した。
 
 「国民に知らしめるため」「恐怖感を与えるため」というのが、計画停電に踏み切った「理由」だという。それも「そうに違いない」という。私は若干違和感を感じた。真実はそうなのか。何度か、彼に本当にそうだろうか尋ねてみたが、「そうとしか考えられない」という。一つの仮説として、私はひとまず頷いた。

 ケーススタディをはじめ、経営学ではしばしば企業の戦略や意思決定について考える。その「考え」の多くは、ある程度の客観的事実(資料)に基づく「仮説」であり、場合によっては「主観」である。その妥当性はみなで議論することによって「検証」できることがある。したがって、仮説についての議論をしばしば行う。

 議論することは「仮説の検証」のためには重要なプロセスである。また、JR東日本は東日本大震災直後、なぜ管内全在来線の運休に踏み切ったのか。その意思決定は、どのように行われただろうか。そうした議論も行った。議論を通じて、論理的に考える力はある程度養われると思う。そうした議論のできる友を何人か持ちたいものだ。