ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

3/21 私のショウ。愛するショウ

2010年03月21日 06時01分01秒 | ショウという名の宝物
ショウがいなくなって、もう半年以上が経過してしまった。

私の人生の中で、最も愛し、最も大切にしたショウ。
どこにでもいる・・・そんな普通の猫だったかもしれない。

なのに、どこにもいないショウ。

出逢った時から、ショウは特別だった。
特別に気になって、特別に心配で、特別に可愛かった。


人になじられても、馬鹿にされても私はショウを大切にしてきた。
それだけがショウに誇れるたった一つの事。

忌み嫌った白血病というショウを脅かし続けたウイルス。
今は、その経験を人に広めていく事しかできないが私は細々広めている。

今回、同じウイルスに脅かされている「りらちゃん」に出逢った。
私はショウが幸せだったと同じように、りらちゃんに幸せだったと
生まれてきて、幸せだったと・・・
そう・・・想ってもらいたくて、自分の時間を切り分けた。

よくわからない。とか、そうなんですか・・・とか。
心配ですね~とか
適当に私は言う事が出来る間柄だった。

でも、私はしなかった。いや、出来なかった。
時間と労力をかけて、「りらちゃん」を救いたかった。
救える命を救いたかった。

・・・だって一生懸命、生きてるんだから。生きてくれているんだから

りらちゃんを幸せのスタート地点に並べてあげたかった。

いつか、自分がそうしてもらったのだから・・・


あのままショウをこの場所で放置していたら、私はやせ細っていくショウを
怪我をしているショウを見て自分を悔やんだだろう。

何もしなかったくせに、ショウを案じる自分の無責任さに辟易しただろう。
数多の反対を押し切って、家族にしわ寄せして作り上げたショウの世界。


昔、私は、ショウを救ったつもりでいた。
ショウを保護したつもりでいた。
ショウを幸せにしていたつもりでいた。

でも、実は私が一番、救われていて、幸せになっていた。

そして同居のコウもまた
ショウに譲ってあげていた。
ショウと仲良くしてあげていた。

でも、コウもまた、ショウに仲良くしてもらって嬉しかっただろう。
ショウに譲る事がみんな普通だった。

ショウは私も沢山の猫を飼ってきたが、本当に気高い命だった。

ショウ程に私を変えた命はいないと思う。
ショウは必死に生きていた。
短いだろう人生を、まるで知っていたかのように。
体が動かせる間は、ショウは大好きなおもちゃと遊んだ。
大好きな食事を食べた。

今も涙するショウとの想い出は色あせない。

そして、そのショウを守る様に、同居猫もまたショウに譲り続けた。
この世界で悪意を持って悪事を働くのは人間だけなんだろう。

そんな人間達の中で生きていく事はとても苦しい。
でも、私は、生きる。

ショウがくれた希望を忘れず私は未来を生きる。
ショウともう一度出逢う為に。

いつか、今回のNさんが、同じような状態になった人を、猫を助ける側になるといい。
そして、私は、ショウとの日々を最高の幸せだったと未来永劫語り続ける。

たった一匹の猫がもたらした悲しみと幸せ。
私はショウと出逢う事がなければ、今回のNさんを助ける事は出来なかった。
あの悲しみがなかったなら、私は今、こうではなかった。

何もない平凡で傷む事ない人生がいいのだろう。
ショウと出逢い、苦しみ泣いて、笑って嬉しくて、そして絶望に泣いた。
あの日々を失くして平凡な道を歩めるとしても私は選ばない。

ショウと出逢えない道を私は選ばない。いや、選べない。
かけがえのない命と出逢う事がなかったなら、私は思わなかっただろう。
そんな事を言う人を、「きれいごとだ」って笑ったかもしれない。

今回、私は主治医の元にいるO先生に名指しで電話し、事情を話した。

飼い主さんはいつかの自分の様だから、力になってほしい。
短いだろう命という事も伝えています。
でも、頑張ろうとしているんです。
だから・・・力を貸してくれないか・・・
助けたいんです。頑張ろうとしてる命を。

その言葉を私がどんな思いで紡ぎだしているかは
ショウを亡くした直後、私と話をしてくれたO先生には十分理解できていた筈で
その思いは、ちゃんと院長にも伝わっている様だった。

白血病の猫。
生きているだけで羨ましい。
ショウと同じ年の猫
生きているだけで羨ましい。

羨んでいた季節が私には確かにあった。
どうして、ショウが・・・
どうして、ショウばっかり・・・

でも、私は羨む事をしなくなった。
羨ましいの羨ましい。
だけど、それはショウじゃない。
心の底から、その小さな命たちを応援したいと思っている。

ショウは元町で人気者だった。
みんなに心配されていた仔猫だった。

私が独占して幸せいっぱいの時、みんなに申し訳ないと正直想った。
多分、ショウを心配しだしたのは、みんなの中でも私が最後の方だったから。

でも、私は想う。
誰にも連れて行かれなかったのは、私と暮らすためだったと。
そして、ショウを腕の中で旅立たす事が出来た事を幸せに想う。

ショウに今日も想うよ。
あなたに出逢えて本当によかったと。
そして、ありがとうって。


3/21 猫白血病キャリアの未来

2010年03月21日 01時13分01秒 | 白血病

以前、記載したかもしれないが、母が仲良くなった雑貨屋さんの定員さんのNさん。
Nさんは、半年間、一時預かりをし、二つの命を里子へと出した。

猫がいなくなったので、再び、一時預かりをした。
ものすごい多頭飼育。劣悪な環境だった所から一匹の猫を救出した。

その猫ちゃんの名前は「りらちゃん」

りらちゃんはロシアンブルーがかかった雑種。
性別はメス。
彼女は、りらちゃんの後にも一時預かりをする事を想定し、血液検査をしてほしい。
そう、元親さんに頼んだが、どうもらちがあかない。

そこで、自分で血液検査をした。
結果は残念ながら「猫白血病陽性」だった。

引き取った翌日に、食欲不振、嘔吐、猫風邪の様な症状から
動物病院を受診。
そこは私が過去に見限った病院だった。

そして、インターフェロンの注射を打ち、抗生剤を処方され帰宅。
帰宅後もよくならない事から、翌日、私に連絡をくれた。

私は、このままでは危ないと判断し、私の主治医の病院へ
彼女と共に、その翌日、訪れる段取りをした。

主治医は、口腔内を念入りに見た。
歯槽膿漏の様になっていた。
猫風邪もあって、鼻が利いていない。

その日は、くしゃみ処置をし、食欲増進剤を経口投与した。
その夜の食欲を見て。
そう言われた。
夜、缶詰をちょっとは食べたが、どうも口が痛いみたいで
食べたいのに食べられない様だと翌日、院長に伝えると

緊急手術へと院長は踏み切った。
食欲があるかないか、あるのなら、今、処置しましょうとのこと。
結果は、舌の付け根にできた炎症が問題だったとのこと。

現在は、術後も安定し、Nさんのお宅で健やかに過ごしている。
後は、家に慣れてくれるのを願うばかりだと。

私は、いつか自分が言ってもらった言葉を彼女に伝えていた。
行き帰りの車の中、電話、メール、私はりらちゃんを救ってほしい。
その話を一生懸命した。

彼女は、自分なんかが飼い主でいいのか・・・
金銭的に大丈夫だろうか。
いろんな不安を話してくれた。

リスクがある子はいい子が多い

この名言に反さず、りらちゃんは温厚でいい子だった。
だからこそ、私は、短いだろう命を大切にしてあげてほしい。

元親に戻せば、死を待つだけだった命。
そう、思えば、無理のない範囲の一生懸命をりらちゃんが呪うだろうか・・・

私は、そう考えた。

結果、彼女とご主人と家族は、りらちゃんに生涯の名字を与えてくれた。
あまり、聞きすぎても・・・と思い最近は連絡していないのですが
りらちゃんは、きっと幸せになる階段を一歩、一歩上っているのだろう。

猫白血病は確かに怖い病気かもしれない。
でも、ショウが猫白血病だったからこそ、私をNさんは想い出した。

ショウが導いたキセキだったと私は思えてならない。
そして、ショウを保護した時、NPO法人KAVAの会の矢吹さんに
私が貰った言葉を今回私は彼女にしただけ。

彼女は最初は戸惑っていたが、終生飼育を決断してくれた。

よかったね。りらちゃん。
たとえ、短い命だったとしても、りらちゃん今、生きてるんだもん。
今、幸せの一歩を歩みだしたんだもん。

よかったね。Nさん。
強い絆にきっと結ばれて、家族みんながきっと幸せになる。

頑張れ!頑張れ!