<小学校でとても変化した子の話>
以前,小学校に勤務していた。その当時は、特別支援教育
メーリングリストなどもなく、学びが浅かった。今思うと、
特別支援の必要な子を何人も担任していたと思う。
その対応の中でも効果のあった出来事について1人の子をあげる。
1 時間をより多く共にする
小学校の2年生の担当となった。その学級に、いつも学級の
トラブルの中心になってしまうA男がいた。引継ぎのとき、
「相談学級に勧めたほうが良いといわれているが、保護者には
伝えられずにいる。」という子だった。
体育のとき、リレーなどをするとすぐに仲間割れをしてしまう。
休み時間のドッチボールもなぜかもめてしまう。昼休み学級に戻ると、
A男を中心に言い争いが起こっている。
そんなことがあるので、休み時間にはいつも、私も一緒に
A男とみんなでドッチボールをした。私がいれば、争いに
なりそうな手前で火を消すことができる。
当時、最も尊敬していたベテランの女教師がよく言っていた。
「一番手のかかる子を自分の手元においてかわいがるのよ。」
「その子を離さないこと。」
私はできるだけA男に寄り添おうとした。学級に30名。
どの子にも均等に時間を割いてあげたい。しかし、そのときは、
その一番手のかかるA男といる時間を多くした。学級を動かして
いくのに、やはりA男がキーとなっていた。
夏休み。学級で仕事をしていると、A男が来て教室を覗き込む。
「すぐけんかになってしまうので、なんとなく一人になって
しまうのかな。」と思い、いつも一緒に遊んだ。いろいろ話したり、
私が子どものころによくやった、石蹴り遊びを教えたりした。
砂の山を作って棒切れを立て、交代ずつその棒が倒れないように
砂を取っていく「山崩し」の遊びなど、たくさん教えた。
3学期になると、トラブルの回数がぐっと減っていった。
もう、私が行かなくても、友達とドッチボールをやっていられる。
当時、経験の浅い私がA男を変えていったのは、
「A男とできるだけ多く過ごした時間」が大きかったと思う。
2 できるようになること
学年のはじめ、A男の算数のノートを見ると、
ぐちゃぐちゃであった。それだけで、A男がいかに算数の授業で
苦しんでいたかが分かる。当然、A男は算数が嫌いである。
「算数がすき」と言わせたい。当時、プロ教師の算数CDが
出たころだった。迷わず買い、毎日毎日、車の中で聞いた。
そしてできるだけそのリズムや声の調子を真似ながら授業をした。
算数の授業では特に、「写すのも勉強です。一番いけないのは
何も書いていないことです。」を連発した。A男にはとにかく
写せばよいことだけ告げた。練習問題をやるときには、とても
3問やるのは難しかったので、「一問だけやりなさい。」とか、
「黒板のものを2つだけ写しなさい。」と最小限のことでもよいから、
丁寧に取り組むことでよしとした。
1マスに1つの数字を書くこと、計算と計算の間は指2本分あけること、
ミニ定規を使うことを徹底した。とにかく丁寧に、美しいノートを作る、
そのことにこだわった。たくさんやらなくてもいいので、あとで見て
きれいなノートになることを意識した。そして口癖は、「写すのも勉強です。
一番いけないのは何も書いていないことです。」である。
3学期、A男が練習問題を3問解いた。ノートはずいぶん
きれいに書けるようになった。早くできた子は黒板に答えを書くが、
とにかくそれを全部写すことはできるようになった。練習問題を、
みんなと同じ時間の中でノートに書いていくことができるようになったのだ。
算数の授業でのA男の顔はうれしそうになっていった。
3学期のある日、A男は、授業中に、「俺算数大好き。」とおどけて言った。
学級で一番手のかかる子。その子は一番自分の近くに置いておきたい。
仲間作りをどうしていけばよいか、その子が一番教えてくれる。そして、
最後にその子を変え、学級を変えていくのは、やはり「できるようになる」
という喜びである。駆け出しのときに過ごしたA男との時間は、
私の小さな自信となり、今も私の行動を支える。学級の中の一番手のかかる子、
今後もその子にこだわっていきたい。