
6月3日に報告された「岡山県教育大綱案」をもとに、パブリックコメント等の意見聴取を経てとりまとめられた「教育大綱案」が今日の県議会総務委員会に報告されました。
※)6月3日の総務委員会での質疑についてはこちらをご覧ください。
※)パブリックコメントでは、30人の方が45件の意見を提出しました。結果(出された意見と県の考え)についてはこちらをご覧ください。
(1)大きく変更されたのは、前文が入ったことです。
「本県は、寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光正公により我が国初の庶民の学校である閑谷学校が開かれ、また、江戸時代の寺小屋の数が全国第3位、私塾の数は全国第1位であるなど、早くから充実した教育環境を有していました。そして、明治18年の小学校就学率は全国第2位と非常に高く、女子教育でも、明治41年の高等女学校の数は全国第1位であり、さらに、山田方谷や緒方洪庵など我が国有数の教育者をはじめ、県内のみならず国内外で活躍する人材を数多く輩出してきました。
このような人材育成に対する熱意や教育環境は全国的に高い評価を受け、本県は教育県として知られていました。
しかし、現在、暴力行為などの問題行動や不登校が増え、学力面も低下が見られるなど、本県の教育環境は厳しい状況にあります。こうした状況も踏まえながら、これまで培われてきた教育の土壌や姿勢をしっかりと受け継ぎながら、郷土岡山を愛し、本県の将来を担う人材を育成するため、この大綱を策定し、教育県岡山の復活を目指します。」
「教育県岡山」といわれる由縁を、古いふるい時代まで遡らねばならないのもどうかと思いますが、特に気になるのは下線部分です。問題行動の認知件数が増えているのは、先生や地域の人たちが子どもの様子についてしっかり目配りしている結果でもあるわけです。学力については、学力テストの全国順位は低いとはいえ、わずか1点で順位が大きく変わることもみておかなければなりません。
ところがこの前文では、そういう事情は抜きに、今の岡山の教育は「問題行動の増大や学力低下が問題」としてしまっています。そして「基本方針」では、「規範意識の確立」「暴力行為等への対策」が必要だと、子どもへの監視・監督を強め、「学力向上」対策が必要だと、過度なテストで子どもを追い詰め、「指導力向上」が必要だと、過度な研修で教員を苦しめ、子どもと触れ合うの時間を奪ってしまいかねない方針も盛り込まれています。これらは、子どもと教員を苦しめ、学校を息苦しい場所にしてしまう危険をはらんでいるのではないでしょうか。
処方箋の間違いは、問題の解決につながらず、悪循環に陥ることになります。私は、競争を激しくする教育では子どものためにならないことを指摘するとともに、新しく加わった前文については、上記の点を指摘し、「後段の記述は慎重にするべきだ」と述べました。
(2)「大綱案」で「基本目標」は、
「教育をめぐる社会情勢が変化する中で、自立した一人の人間としてたくましく生きる能力、自他共に尊重し主体的に社会とかかわる能力、そして郷土を大切に思い、世界に視野を広げ、よりよい社会づくりに参画する心を持つ人材が求められています。本県では『心豊かに、たくましく、未来を拓く』人材の育成を基本目標とします」 と記述されています。
一方、教育基本法には第1条で、
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と「教育の目的」がうたわれています。
前回の委員会でも指摘しましたが、大綱案の基本目標は、「教育基本法にある『教育の目的』からずれてしまっている」と意見を述べました。「人材の育成」と「人格の完成」の違い、「平和で民主的な社会の形成者としての国民の育成」のための教育という視点の欠落、大問題だと思いますが、前回提案された内容から変更されませんでした。
※)6月3日の総務委員会での質疑についてはこちらをご覧ください。
※)パブリックコメントでは、30人の方が45件の意見を提出しました。結果(出された意見と県の考え)についてはこちらをご覧ください。
(1)大きく変更されたのは、前文が入ったことです。
「本県は、寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光正公により我が国初の庶民の学校である閑谷学校が開かれ、また、江戸時代の寺小屋の数が全国第3位、私塾の数は全国第1位であるなど、早くから充実した教育環境を有していました。そして、明治18年の小学校就学率は全国第2位と非常に高く、女子教育でも、明治41年の高等女学校の数は全国第1位であり、さらに、山田方谷や緒方洪庵など我が国有数の教育者をはじめ、県内のみならず国内外で活躍する人材を数多く輩出してきました。
このような人材育成に対する熱意や教育環境は全国的に高い評価を受け、本県は教育県として知られていました。
しかし、現在、暴力行為などの問題行動や不登校が増え、学力面も低下が見られるなど、本県の教育環境は厳しい状況にあります。こうした状況も踏まえながら、これまで培われてきた教育の土壌や姿勢をしっかりと受け継ぎながら、郷土岡山を愛し、本県の将来を担う人材を育成するため、この大綱を策定し、教育県岡山の復活を目指します。」
「教育県岡山」といわれる由縁を、古いふるい時代まで遡らねばならないのもどうかと思いますが、特に気になるのは下線部分です。問題行動の認知件数が増えているのは、先生や地域の人たちが子どもの様子についてしっかり目配りしている結果でもあるわけです。学力については、学力テストの全国順位は低いとはいえ、わずか1点で順位が大きく変わることもみておかなければなりません。
ところがこの前文では、そういう事情は抜きに、今の岡山の教育は「問題行動の増大や学力低下が問題」としてしまっています。そして「基本方針」では、「規範意識の確立」「暴力行為等への対策」が必要だと、子どもへの監視・監督を強め、「学力向上」対策が必要だと、過度なテストで子どもを追い詰め、「指導力向上」が必要だと、過度な研修で教員を苦しめ、子どもと触れ合うの時間を奪ってしまいかねない方針も盛り込まれています。これらは、子どもと教員を苦しめ、学校を息苦しい場所にしてしまう危険をはらんでいるのではないでしょうか。
処方箋の間違いは、問題の解決につながらず、悪循環に陥ることになります。私は、競争を激しくする教育では子どものためにならないことを指摘するとともに、新しく加わった前文については、上記の点を指摘し、「後段の記述は慎重にするべきだ」と述べました。
(2)「大綱案」で「基本目標」は、
「教育をめぐる社会情勢が変化する中で、自立した一人の人間としてたくましく生きる能力、自他共に尊重し主体的に社会とかかわる能力、そして郷土を大切に思い、世界に視野を広げ、よりよい社会づくりに参画する心を持つ人材が求められています。本県では『心豊かに、たくましく、未来を拓く』人材の育成を基本目標とします」 と記述されています。
一方、教育基本法には第1条で、
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と「教育の目的」がうたわれています。
前回の委員会でも指摘しましたが、大綱案の基本目標は、「教育基本法にある『教育の目的』からずれてしまっている」と意見を述べました。「人材の育成」と「人格の完成」の違い、「平和で民主的な社会の形成者としての国民の育成」のための教育という視点の欠落、大問題だと思いますが、前回提案された内容から変更されませんでした。