蔵は今のあるので触れない
庭の方を見ると 離れのすぐ東側にはポンプ井戸
裏の畑との境には下の物置 その前の石垣脇には外便所があった
外回りは台所前の池から畑までは 一位(ミネゾウ)の垣根
表の通りに向かって黒板塀が出来ていた
玄関前に出来たのは その後であった
入口の松の木の下には「碑」が建立されていた
※下の写真を見ると 家の前には塀は無い
松の木の下に 碑が建立されている 爺さんが座っている
抱っこされているのは 親父なのかな?
浄瑠璃を教えていた曾祖父の弟子達によって大正四年に建立された
文章は 小川平吉 書は中村不折 石工は中町の北原さんにお願いした
庭には 葡萄・苺・なつめ・ゆすら梅・カキ・カラタチなどが石垣にあったが
戦後気を切ったり
最近になって道の工事の爲 この土手に植えたものは消えてしまったが
今 三月には除虫菊 四月にはフクジュソウ・水仙
五月には桜草 七月には花魁草 九月には紫苑の花が咲く・・・
今は 私の育った古い家は取り壊し小さな家に建て替えてしまった
子どもの事を考えると 歴史のある生家ではあるが
私の代でこの生家 自体を畳もうと考えたこともある
ただ 生家を大切にするという意思が退職をして考えるようにもなった
これが 昔からの呪縛なのかもしれない
今は息子たちが 大切にしてくれることを願っている自分がいる
-終-
☆僕の時は 黒板塀は無く 上の写真のようなブロック塀でした
家の造りは改築した物の昔の儘
ポンプ井戸は親父が建替えた時 空気穴をあけて閉じてしまった
毎年帰ると お米を筒から入れて
竜神様にお祈りしたものです
抱かれているのは、年代から見て日出男さんより下の子供?