祭の時は 無礼講のような有様で
客や知人を呼び入れると それが又客を呼ぶというわけで
僕が戸主になってからも
家の中には全く知らない人が上がり込んで 飲み食いしている有様だった
家の女達は 其の接待の爲の御馳走作りに追われ
祭を見るなどという暇が全くないのが当たり前だった
寅・申の年という事もあるが
とにかく金もかかるので この年は婚礼をするなと言われるほどなのだ
この祭も戦後の混乱時代に廃れかけたが
今の祭ブ-ムに乗って盛んになってきている
柱は 引き始めても簡単には進まない 喧嘩も良くある
棍棒や斧(よぎ)を持った興奮した男たちが
一升瓶をラッパ飲みしながら やってるほどの祭だから危ない話なのである
父の話によると
昔 サ-カス団と血腥い喧嘩になり
猛獣が放された等という恐ろしい事件もあったという事だ
従って もとは男の祭だったが
今では 勿論女性も法被姿で参加している
☟親父が持っていた 諏訪市若れんの法被
今は 隠居部屋のクロゼットに・・・
そのうち飾ろうかな・・・
-続-
☆元々 戦中戦後を通し 全てが 男が中心で動いていた時代の残り
日本古来の 山岳信仰の中で
山から御神木を伐りだし 運び 建てる
荒々しい男の祭として 命をおとすことも含め
全てを捧げた祭りなのでしょう
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