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趣味の世界と零細企業末端社長としての近況報告。
書きたいことを書き、たまにアッと驚くことを発表する。

家康の強運

2012-10-07 05:30:00 | 永住できる目黒区を考える
●僕は、「運」をとても大事にしている。

運はあらゆる努力や挫折の上で、長い時間かけて付いてくるオマケみたいな気もするが、何となく見ていると運のいい人、悪い人には傾向がある気がする。

  短気な人
  自分が一番正しいと思っている人
  人の話が聞けない人
  許してあげようという気持ちの少ない人
  すぐ悪口に興じる人

  ・・・・・・見ていると何となく空気が硬い。

  人をあまり寄せ付けない、それは運も寄せ付けない気がする。


●徳川家康は三方原(静岡県浜松市の北部)の合戦で武田信玄に大敗を喫した。野球で言えばコールドゲーム、ボクシングならリングにタオルが投げられるほどのボロ負けだ。
相手の武田信玄軍は、川中島で上杉謙信と幾たびもも交戦し、戦上手この上ない日本を代表する屈強軍団なのだ。

とにかく家康は馬上で脱糞しながらも、ほうほうの体で逃げ伸びた。

●だが、家康は立派だった。この敗戦を教訓にするため、自分のみじめな姿を絵師に描かせているのだ。トップとして、なかなかできることではない。

この敗戦が忘れられぬ家康は、のちのちになっても
「負けを知らない人はよろしくない。私の場合、三方原で・・・」というようなことを周囲に語っている。

●余談ながら、天下の“赤具足”武田軍団に真っ向から立ち向かった若武者がいると、敗戦後には家康の名が天下にとどろくことになるから、家康という男はこのころから強運の持ち主だった。

●ともかく、負けや失敗を周囲から排除するから運がよくなるのではない、と私は思うのだ。
どれだけ沢山の失敗や挫折、それに不遇というものを知っていたり、体験しているかということが、人間の深みにつながるのではなかろうか。

●成功しか知らない人(そんな人はいないと思うが)や、成功することしか興味がない人(こういう人は多い)は、他人の感情や心の痛みが理解できなくなりがちだ。そういう経営者では良い会社が作れないと思う。

●哲学者ヴィトゲンシュタインは、「人間の偉大さを測る尺度は、その仕事に支払った犠牲の多寡である」と述べている。

犠牲を支払えばだれでも後悔するだろう。しかし、その後悔が偉大さを生むのだ。

●負け、失敗、犠牲、後悔、不運、不遇といったものを避けるのではなく、それらの上に成功や偉大さが成り立っていると考えみてはどうだろう。

奉仕の精神は、「明るいナショナル」である。


これからも僕はたくさん挫折を体験するだろうが、そのぶん人生ちょっと「まあいいじゃないか!!!!」とたくさん言えるようになったら、楽になれるような気がする。

その分にいい勉強をしたという「引きだし」が自分のものになれば、社会とはドデカイ教室である。






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