東京★秩父★函館ノマド生活 末端社長!森田博の公式ブログ

趣味の世界と零細企業末端社長としての近況報告。
書きたいことを書き、たまにアッと驚くことを発表する。

生きているということは大切なことです。

2008-06-12 00:54:15 | ラスト
「多くの人に知ってもらいたいということで書きました」
「日記はリンクフリーとさせてもらいます。 コピペしてもらっても全然かまいません。」

とありますので、コピーさせていただきます。

皆さんも、考えて読んでもらいたい。



今日は空の境界を観たあと秋葉原にいった。




・・・最悪だった。
今日は人生で、生涯で一番最悪な日だろう。
僕は大切な人を二人失いました。
大学の友達・・・
こんなにもあっさりと・・・


今日は行くあてもなく適当に歩いていた。
緑信号の横断歩道。
いつも通りのグダグダな雑談。
どこにでもある平和で普通な話。
思い出すと涙が止まらない。


・・・トラックが自分らに猛スピードで突っ込んできた。
・・・ほんの一瞬だった。
隣にいた友達と俺はぎりぎりでよけて腰の打撲だけで済んだ。
本当に死線だった。
すぐ振り返った。
後ろにいた友達二人が・・・いない。
ゾッとした。
震えがとまらなかった。
その直後発せられた「逃げろ!」
ナイフを持った男?通り魔?
意味がわからなかった。
直後ひかれた友達にすぐさま駆け寄った。
・・・立ち尽くした。
素人でも分かる、重体。
自分はなにもできなくて
ただ大声で、何度も何度もそいつの名前を呼んだ。
やがて応急処置の知識のある人達があつまりだした。
・・・すごいなと思った、半面、情けない。
そんな中
回りを見回すと
カメラ、携帯、カメラ、携帯・・・
なんなんだよお前ら、馬鹿ばっか・・・
カメラぶっ壊してやろうかと、携帯逆折りしてやろうかと
そう思った。
「不謹慎です、やめてください!」
とりあえずやめさせようとした
無視された。
嫌な顔もされた。
・・・なんで?
悔しくて涙が止まらなかった。
その後救急隊が到着した。
・・・と、すぐに口から出た言葉。
「この子は"黒"だから搬送は後だな」
二人の身体に告げられた。
黒・・・馬鹿でもわかる、イメージできる。
白より、嫌な色。
重体なら先に助けてよ。
こんなに血が、意識もなくて・・・
可能性があるほうから・・・
わかってる。
そのほうが賢明だってことくらい
・・・ただ悔しかった。
俺と軽症の一人が
一人づつ付き添いで
病院にいくことになった。
なのに
事情調査、事情調査、事情調査
名前は?住所は?生年月日は?電話番号は?状況は?
同じ質問を何度も何度も何度もされた。
その間友達は運ばれてしまった。
「彼の友達なんです、連れていってくださいっ!!」
「混雑してるから無理だね」
何度も懇願した
あげく
「手術室には入れないし、行っても・・・意味ないよ?」
意味・・・いらない
最期かもしれないんだ、孤独なんてかわいそうすぎる。
結局、なにもできず、別の病院に搬送された。
俺はただの打撲、レントゲンとって湿布はって終わり。
待合室で電話がきた。
双子から。
友達が一人亡くなった・・・。
ボロ泣きだった。
その後病院を出た後。
事故にあった友達の携帯を
自分が預かっていた。
その携帯が鳴った。
・・・友達の親だった。
「中山君?あのね、○○・・・死んじゃった・・・。」
号泣でいわれた。
涙が止まらない。
ぷよぷよで俺涙目にするんじゃなかったのか?
ギルティー今日どっちが強いか決めるんじゃなかったのか?
くだらないけど、叶わない夢。
今後永遠に。
神様・・・僕らが何をしたの?
運命だから?
そんなの残酷すぎる・・・
明日・・・当たり前の日常が消えている
浮「・・・
犯人・・・ネット上で予告してたらしい
人を殺すために来た?
アホか
死ねよ・・・カス・・・



私は、報道関係の仕事をしてますが、今日、某TV局でニュースの映像の使い方に異議を唱えてきました。

やはり、ニュースとワイドショーは違います。
こう、繰り返し惨劇を放送しなくても良いのではないでしょうか?

より悲惨な映像のほうが価値があるというのはいかがなものか。

オウムのときも、阪神震災のときもそうですが、マスコミが競争するようなことでもない。
あのときにそれを学んだのではないだろうか。
懸命に現場で救命活動をしている横で、リメ[トする暇があったら、救命に手を貸すべきだ。

私は、震災のとき、ニュースの仕事を休暇を取り、ボランティアに行った。
しかし、その後その評価は真っ二つであった。

ヘリコなんかも、救出に使うべきで、各局がそれぞれ出す必要があるのか?
それこそ経費と資源の無駄遣いだし、愉快犯、また犯罪を扇動する可能性もある。

事実を伝えることは大切なことだが、興味本位で
    「生きる方向を見失ったときの選択肢のひとつ」
のような伝え方を今ひとつ考え直すべきではないだろうか。
我々は、こういうのを「垂れ流し」と呼んでいるが、もう少し良識と心の闇なんて誰にでもあるものなので、「抑止力」としての議論よりも「闇」に「明かりを当てる」報道を心がけて欲しいものだ。

新しい情報がどこまで大事で、なにが大切なことなのか、役に立つ情報なのか!

レベルが下がっているニュース・報道の関係者は自分たちの「心の闇に気がついてもらいたいものだ。