Gooブログに「うたことば歳時記」というサイトがあって、「アクティブラーンニングに対する疑問」が書かれていた。文科省や県教委はアクティブラーンニングを進めようとしているけど、そのブログの筆者は一斉講義授業の大切さを説いている。僕はブログの筆者と同じ考えです。確かに「へぇ~、そうなんだ」という発見があってこそ授業に興味が湧くわけで、それを提供するのが教師なんだと思う。だから僕はなるべく雑学を話すことにしている。でも生徒は「それはテストに出るんですか?」というレベルでしか聞こうとしない。なんでそんなに功利的なことしか考えないのだろうか?
かつて僕が教育実習生の指導教員をやった時に、まず聞いたことは、「高校の先生の授業を覚えているか?」だった。「忘れました」と言うと「君は誰をモデルにして授業をやろうとしているのか?今から実習までに寄席とかライブにいって、落語家や漫才師やミュージシャンのMCを学んで来い」と課題を出した。授業はエンターテイメントであるというのが僕の基本的スタンスです。ビートルズだってローリングストーンズだって最初はコピーバンドからスタートしたんだよ。オリジナリティーは真似から生まれるというのが僕の考えです。演劇もそうでした。オリジナリティーが生まれるのに10年以上掛かったけどね。授業も同じですよ。
かつて僕が教育実習生の指導教員をやった時に、まず聞いたことは、「高校の先生の授業を覚えているか?」だった。「忘れました」と言うと「君は誰をモデルにして授業をやろうとしているのか?今から実習までに寄席とかライブにいって、落語家や漫才師やミュージシャンのMCを学んで来い」と課題を出した。授業はエンターテイメントであるというのが僕の基本的スタンスです。ビートルズだってローリングストーンズだって最初はコピーバンドからスタートしたんだよ。オリジナリティーは真似から生まれるというのが僕の考えです。演劇もそうでした。オリジナリティーが生まれるのに10年以上掛かったけどね。授業も同じですよ。