第1章 ヨーロッパの近代社会の成立と日本
①ヨーロッパの近代社会の成立
・17~18世紀 市民革命⇒市民社会の成立➡民主主義の発達
・18~19世紀 産業革命(=科学技術を産業に応用)⇒工業社会の成立➡資本主義の発達(=利潤の追求が目的➡安い資源・原材料・市場が必要=植民地)
②19世紀の国際情勢
◎欧米列強のアジア侵略(植民地獲得競争)
イギリス➡インドの植民地化
フランス➡ベトナムの植民地化
オランダ➡インドネシアの植民地化
ロシア➡シベリアを征服し、千島列島を南下して日本に接近(18世紀末~)
アメリカ➡捕鯨船の補給基地確保と対中貿易のために日本に接近
⬇ ⬇ ⬇
しかし、最終的目的地は中国
(豊富な資源・材料と市場)
③徳川幕府の対応
◎幕府の基本的外交方針=鎖国体制の維持
1792➡ロシアのラクスマンの根室来航
1804➡レザノフの長崎来航⬅拒否
⇒北方探検の必要性-最上徳内
・近藤重蔵・間宮林蔵の派遣
伊能忠敬➡大日本沿海與地全図の作成
1808➡フェートン号事件(イギリス軍艦の長崎襲撃)
◎欧米列強の日本近海への出現とロシアとの紛争続発
1825➡異国船打払令(無二念打払令)
1828➡シーボルト事件
1837➡大塩平八郎の乱/モリソン号事件 ⇒蛮社の獄=幕府の外交政策を批判した知識人グループ(尚歯会)を弾圧
1840~42アヘン戦争
(清がイギリスに敗れたという情報)
⇒天保の薪水給与令
1844➡オランダ国王の開国勧告
⬅幕府は黙殺
1844➡ビッドル来航(威力偵察)
⬅幕府は拒否
②19世紀の国際情勢
◎欧米列強のアジア侵略(植民地獲得競争)
イギリス➡インドの植民地化
フランス➡ベトナムの植民地化
オランダ➡インドネシアの植民地化
ロシア➡シベリアを征服し、千島列島を南下して日本に接近(18世紀末~)
アメリカ➡捕鯨船の補給基地確保と対中貿易のために日本に接近
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しかし、最終的目的地は中国
(豊富な資源・材料と市場)
③徳川幕府の対応
◎幕府の基本的外交方針=鎖国体制の維持
1792➡ロシアのラクスマンの根室来航
1804➡レザノフの長崎来航⬅拒否
⇒北方探検の必要性-最上徳内
・近藤重蔵・間宮林蔵の派遣
伊能忠敬➡大日本沿海與地全図の作成
1808➡フェートン号事件(イギリス軍艦の長崎襲撃)
◎欧米列強の日本近海への出現とロシアとの紛争続発
1825➡異国船打払令(無二念打払令)
1828➡シーボルト事件
1837➡大塩平八郎の乱/モリソン号事件 ⇒蛮社の獄=幕府の外交政策を批判した知識人グループ(尚歯会)を弾圧
1840~42アヘン戦争
(清がイギリスに敗れたという情報)
⇒天保の薪水給与令
1844➡オランダ国王の開国勧告
⬅幕府は黙殺
1844➡ビッドル来航(威力偵察)
⬅幕府は拒否
①ヨーロッパの近代社会の成立
・17~18世紀 市民革命⇒市民社会の成立➡民主主義の発達
・18~19世紀 産業革命(=科学技術を産業に応用)⇒工業社会の成立➡資本主義の発達(=利潤の追求が目的➡安い資源・原材料・市場が必要=植民地)
②19世紀の国際情勢
◎欧米列強のアジア侵略(植民地獲得競争)
イギリス➡インドの植民地化
フランス➡ベトナムの植民地化
オランダ➡インドネシアの植民地化
ロシア➡シベリアを征服し、千島列島を南下して日本に接近(18世紀末~)
アメリカ➡捕鯨船の補給基地確保と対中貿易のために日本に接近
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しかし、最終的目的地は中国
(豊富な資源・材料と市場)
③徳川幕府の対応
◎幕府の基本的外交方針=鎖国体制の維持
1792➡ロシアのラクスマンの根室来航
1804➡レザノフの長崎来航⬅拒否
⇒北方探検の必要性-最上徳内
・近藤重蔵・間宮林蔵の派遣
伊能忠敬➡大日本沿海與地全図の作成
1808➡フェートン号事件(イギリス軍艦の長崎襲撃)
◎欧米列強の日本近海への出現とロシアとの紛争続発
1825➡異国船打払令(無二念打払令)
1828➡シーボルト事件
1837➡大塩平八郎の乱/モリソン号事件 ⇒蛮社の獄=幕府の外交政策を批判した知識人グループ(尚歯会)を弾圧
1840~42アヘン戦争
(清がイギリスに敗れたという情報)
⇒天保の薪水給与令
1844➡オランダ国王の開国勧告
⬅幕府は黙殺
1844➡ビッドル来航(威力偵察)
⬅幕府は拒否
②19世紀の国際情勢
◎欧米列強のアジア侵略(植民地獲得競争)
イギリス➡インドの植民地化
フランス➡ベトナムの植民地化
オランダ➡インドネシアの植民地化
ロシア➡シベリアを征服し、千島列島を南下して日本に接近(18世紀末~)
アメリカ➡捕鯨船の補給基地確保と対中貿易のために日本に接近
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しかし、最終的目的地は中国
(豊富な資源・材料と市場)
③徳川幕府の対応
◎幕府の基本的外交方針=鎖国体制の維持
1792➡ロシアのラクスマンの根室来航
1804➡レザノフの長崎来航⬅拒否
⇒北方探検の必要性-最上徳内
・近藤重蔵・間宮林蔵の派遣
伊能忠敬➡大日本沿海與地全図の作成
1808➡フェートン号事件(イギリス軍艦の長崎襲撃)
◎欧米列強の日本近海への出現とロシアとの紛争続発
1825➡異国船打払令(無二念打払令)
1828➡シーボルト事件
1837➡大塩平八郎の乱/モリソン号事件 ⇒蛮社の獄=幕府の外交政策を批判した知識人グループ(尚歯会)を弾圧
1840~42アヘン戦争
(清がイギリスに敗れたという情報)
⇒天保の薪水給与令
1844➡オランダ国王の開国勧告
⬅幕府は黙殺
1844➡ビッドル来航(威力偵察)
⬅幕府は拒否