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柏梨庵先生の歴史ブログ

柏梨庵先生の歴史と文化について語るgooブログ

②ルネサンス

2018-05-09 00:55:16 | 元日本史教師の柏梨庵先生が歴史と文化について語ります。
14~16世紀にヨーロッパで起こった文芸復興運動=人間性の解放➡後に科学発達の基礎となる。
フィレンツェが中心。毛織り物や金融業でメヂィチ家が実権を握り、パトロンとして芸術家を集める。
・ミケランジェロ
・レオナルド・ダヴィンチ
・ラファエロ
イタリア戦争により、中心はローマに移る。教皇レオ10世(メヂィチ家出身)サン・ピエトロ大聖堂の建設資金集めのために贖宥状を販売。⬅ルターからのら批判⇒宗教改革へ発展
1637年、カール5世によるローマの噛劫略により、ルネサンスの芸術家たちはフランス国王フランソワーズ1世に招かれフランスに拠点を移す。(フォンテンブロー派=マニエリスム)
16世紀以降、ルネサンスは北方に広まる(北方ルネサンス=地方色が強い)
◎イギリス-トマス・モア「ユートピア」(空想的理想社会を描く)
シェイクスピア(イギリスの劇作家)
◎ネーテルラント-ブリューゲル・ボス・デューラーなど➡庶民の生活を描く
◎スペイン-セルバンテス「ドン・キホーテ」
画家エル・グレコなど
◎音楽もルネサンスから変化。3度和音を使うようになる。

③宗教改革

2018-05-08 22:23:48 | 元日本史教師の柏梨庵先生が歴史と文化について語ります。
③宗教改革:16世紀のキリスト教世界における教会体制上の革新運動。
(背景)・ローマ教皇の世俗化、
   ・聖職者の堕落など
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信徒の不満
13世紀、インノケンティウス3世の時代がローマ教皇の最盛期
11~13世紀・十字軍の失敗
1309~1377・アヴィニョンの捕囚
1054・東西教会の分裂(大シスマ)
1378~1417小シスマ(ローマ・アヴィニョン・ピサに教皇が並立)
⇒教皇権の衰退
宗教改革運動の始まり
ex.1369~1415ヤン・フス(ボヘミア)
1419~39フス戦争(フス派と神聖ローマ帝国・ポーランドの戦い)
◎ルターの宗教改革
・1617年、ルターの95カ条の論題
➡レオ10世のサ・ン・ピエトロ大聖堂の建設資金集めのための贖宥状販売を批判。➡ザクセン侯にかくまわれ、ラテン語の聖書をドイツ語に翻訳し、活版印刷により広まる➡1524~98ドイツ農民戦争➡1555アウクスブルクの和議=諸侯都市の信仰の自由を認める。

- - - ➡1学期中間考査の範囲(大航海時代・ルネサンスそして宗教改革のここまで)はここまでだよ。

◎カルヴァン➡フランスからスイスに亡命し、予定説を唱え、勤労の大切さを説く➡商工業者に広まる➡1562~98ユグノー戦争➡1572/8/24:サン・バルメルミーの虐殺(カトリック教徒が新教徒を虐殺)➡1598ナントの勅令=ユグノーの信仰を認める。
◎宗教上の対立であるとともに、ブルボン家(プロテスタント)やギーズ家(カトリック)などフランス貴族間の党派争いでもあった。加えて、この戦争はスペイン王(カトリック)フェリぺ2世とイングランド女王(プロテスタント)エリザベス1世との代理戦争の性格も有している。1589年にギーズ公アンリ、次いで国王アンリ3世が暗殺されてヴァロワ朝が断絶し、アンリ4世が即位してブルボン朝(王家はカトリック)が興った。。

◎イギリス国教会➡ヘンリ8世の離婚問題からローマ教皇と対立。1534年、首長法を制定し、イギリス国教会が独立。

◎対抗宗教改革=カトリック内部からの改革➡1543~63トリエント公会議(教皇の至上権とカトリックの正当性の確認)➡新天地への布教活動(ex.1534年、イエズス会の結成➡フランシスコ・ザビエルの日本布教)

日本史A・研究ノート 第4章 公武合体と尊王攘夷運動

2018-05-03 22:03:37 | 元日本史教師の柏梨庵先生が歴史と文化について語ります。
第4章 公武合体と尊王攘夷運動
①公武合体策
1860年の「桜田門外の変」の後、幕府は朝廷の権威を背景に幕府権力の強化を図る=公武合体策
・1862年、皇女和宮(孝明天皇の妹)を将軍:家茂(いえもち)の正室に迎える

・1862年、薩摩藩主の父・島津久光が軍を率いて上京。

途中京都で勅使を奉じる。往路で伏見寺田屋に集合していた薩摩藩過激派を粛清(寺田屋事件)。上京した久光は幕府に公武合体の実現を迫る=文久の改革
・人事の刷新(安政の大獄で処罰された大名の復権)➡徳川慶喜を将軍後見職に松平慶永を政事総裁職に、会津藩主松平容保(かたもり)を京都守護職に任じる。
・幕府海軍の創設・参勤交代の緩和など
1862年9月帰路で生麦事件を起こす。➡翌1863年イギリス軍艦が鹿児島を報復攻撃=薩英戦争

⇒この頃、京都では尊王攘夷派の活動が活発化(長州藩が中心)
・朝廷工作➡幕府に圧力をかける。
1863年将軍・家茂の上洛➡5/10に攘夷を約束させる。1863/5/10長州は関門海峡を通る外国船を砲撃(単独攘夷決行)
・志士の活動が活発化
➡「天誅」(要人暗殺テロ)の横行
将軍上洛に当たり、庄内藩の清河八郎が浪人を集めて将軍警護に当たらせることを建言。➡浪士隊が結成され、将軍に先立って上洛、清河八郎は浪士を尊攘派の尖兵としようとするが、水戸藩浪士芹沢鴨らと江戸試衛館組の近藤 勇らは京都に残留➡清河八郎は江戸に召還され暗殺される。➡京都残留組は後に「新選組」となり、京都の治安に当たる。

・1863(文久3)年8月18日、薩摩・会津ら公武合体派は軍事クーデターを決行=八月十八日の政変➡長州・尊王攘夷派の公家は京都 を追放される。➡全国で尊王攘夷派の弾圧が行われる。(大和天誅組の乱・土佐勤王党の弾圧など)
・翌1864(元治元)年6月、長州は活動家を京都に潜伏させ、勢力挽回を図る⬅これを新選組が察知、尊王攘夷派の秘密会議を襲撃=池田屋事件
・同年7月長州藩軍勢を率いて上洛御所を攻撃、薩摩・会津・新選組などと交戦撃退され、朝敵となる。=禁門の変
同年8月、第一次長州征伐⬅長州は責任者を処罰して幕府に恭順。
・同じ頃、英仏米蘭の連合艦隊が前年の単独攘夷の報復攻撃に下関砲台を占領。

高杉晋作が講和交渉に当たる。
⇒旧来の尊王攘夷運動は潰滅する。

日本史A・研究ノート第3章 安政の大獄

2018-04-26 09:11:23 | 元日本史教師の柏梨庵先生が歴史と文化について語ります。
①井伊直弼の大老就任
1858年4月彦根藩主井伊直弼が大老に就任
・無勅許調印の強行←反対派からの反発(水戸藩徳川斉昭など)
・13代将軍家定の継嗣問題
一橋慶喜(水戸藩斉昭の子)を擁立=一橋派(能力重視)
徳川慶福(徳川御三家紀州藩主)を擁立=南紀派(血筋重視)
➡南紀派紀が勝利 ⇒慶福(よしとみ)が15代将軍家茂(いえもち)として就任

井伊直弼は反対派の大名や藩士を弾圧
ex.徳川斉昭・越前藩主松平慶永は隠居謹慎、橋本左内・頼三樹三郎・梅田雲浜・吉田松陰は処刑。=安政の大獄

1860年3月3日、江戸登城中の井伊直弼を水戸・薩摩藩浪士が襲撃暗殺。=桜田門外の変
(▼2010年映画『桜田門外ノ変』)

(茨城県HPより)
(▼再現されたオープンセット)

(茨城県HPより)

日本史A・研究ノート第2章 開国

2018-04-25 22:57:02 | 元日本史教師の柏梨庵先生が歴史と文化について語ります。
①黒船来航
1852年オランダ商館からの別段風説書でアメリカが軍艦を派遣して、日本に開国を迫るという情報を得る。
1853(嘉永6)年 ペリーが率いる4隻のアメリカ東インド艦隊(サスケハナを旗艦とする4隻艦隊)➡6月琉球王国に来航、小笠原群島上陸、7月に浦賀来航➡久里浜に上陸➡大統領フィルモアの国書を浦賀奉行に渡す。空砲で威嚇射撃➡恫喝外交➡小舟で江戸湾の水深測量
> cf.船の比較
・旗艦サスケハナ号

全長78.3m幅13.7m外輪蒸気船大砲15門装備、4隻で73門、
日本の大型船(樽廻船や菱垣廻船)
全長29m幅7.5m15人乗り

(エピソード)ペリー来航の前にジョン万次郎が帰国していた。中浜万次郎:土佐の漁師

・1841年5月、操業中(15歳)に遭難、鳥島に漂着。アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに留学。1843年ハワイ、アメリカ本土に渡る。船長ホイットフィールドの養子(ジョン・マンと呼ばれる)となり、マサチューセッツ州ニューベッドフォードで生活。オックスフォード校などで航海術などを学び1846年、捕鯨船の乗組員となる。ゴールドラッシュのカリフォルニアへ行き600ドルを稼ぎハワイへ渡り1951年にアメリカ船で琉球に渡り薩摩藩経由で帰国。ペリー来航時、英語が話せる者がいなかったので通訳として控えていたがスパイの嫌疑をかけられ、幕府はオランダ語を通してペリーとは会話。万次郎の帰国はペリー来航に合わせた可能性もある。

1854年1月で再来日。神奈川に上陸

旗艦ポーハタン号➡船上で「日米和親条約」調印=開国(下田・箱館の開港アメリカ総領事の赴任)
下田に回航したポーハタン号に吉田松陰(長州)が密航を企てるが捕まる。

時の老中は阿部正弘

➡大名・庶民から意見を求める。江戸湾の防衛強化(お台場の建設など)

②通商条約の締結
・1856下田にハリス総領事着任➡江戸で条約交渉➡1858日米修好通商条約の締結(これを巡る問題については〈安政の大獄で扱う〉)
⬇ ⬇ ⬇
神奈川・新潟・兵庫・長崎の開港
江戸・大坂の開市
不平等条約条項
・治外法権を認める(領事裁判権)
・関税自主権がない。(協定関税制)
⇒この後、英・仏・露・蘭とも条約
=安政の五ヵ国条約
③開国の影響
・輸出超過
・金銀比価の違い➡金の流出
⇒物価の高騰
➡1860五品江戸廻送令=効果なし
・庶民➡「世直し」一揆・打ち壊しの激化
・下級武士➡尊皇攘夷運動に走る