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四季の森空間

四季の草花、ゴルフ、旅行

台湾/台北・九ふん・三峡・鴬歌

2015-04-16 06:50:26 | 旅行
台北近辺 (15.4.13~4.15)                                15.04.16
国内旅行並の安い料金の台北近辺のツアーに出かけてみた。

このところ中国人の”爆買ツアー”がしばしば報道されているが、こちらは場末の安い中華料理店での”爆食”と
コースの半分ほども時間を割いて無理やり連れ込まれる土産店巡り主体のツアーである。

その爆食も、どうもせわしなくていけない。間がないのである、急がされるのである。日本料理にしろ、西洋料理
にしろ食べ終わった頃次の料理が運ばれて来るのが普通で、その間に色々な話に花を咲かすものである。大皿
に盛った料理を次々に運んできてさあ食べろという。これはよろしくないね!満漢全席などでは数日間かけて100
種類以上の料理を出しもの等を観ながら食べ続けるらしいが・・・。ミニ満漢全席を食べさせる店が東京にもある。

   → 新橋亭新館
   → 涵梅舫   

日本の一流ホテルの中国料理は旨いという。確かにそうだ。本場の一流シェフを雇って、日本式(中国では日式
という)で料理を出してくれる。日本流の間を置いている事も旨さに込められているようにも思える。食材もここな
ら安心だろう。


台湾の一日目の夕食は魯肉飯(ルーローハン)であった。
日本の牛丼の感覚で食べられるもので安い。安いのは当たり前で豚バラ肉の甘煮をご飯にぶっかけたものである。
   




魯肉飯の他には、卵焼、炒飯、海老の揚げ物、烏賊ダンゴ、スープ、空芯菜の炒め物等。ビールは台湾ビール600円程。
  
  




成田を14:30に発つと台湾桃園空港へは18:00頃到着する。

夕食の後、士林(しりん)夜市の見学に出かける。
アジアの市場には、どこも同じようなアジア特有の猥雑さがある、匂いがある、活気があるが相当に汚い!
  





それはここ台北もしかりである。
色彩はけばけばししく、落ち着きがない。
  





野卑た音があり、声がする。






だが果物は、どこも豊富だ! これには脱帽する。
熟した釈迦頭は取分け旨い。

しかし、豊富な果物も台湾辺りが北限だろう。もっと南の国へ行くと更に果物は種類も増え旨くなる。
ドリアンも売っていたが、台湾では獲れないだろう。
  





チープなギャンブルがあり、小銭で遊べる。
市場で食べ物を食べると、免疫の無い我々は、まずお腹をこわす。
   





白いゴーヤは「蜂蜜苦瓜汁」として売っている。
今年この白いゴーヤの種を播いた。苦味が少ないのだそうだ。収穫したらこの食べ方を真似てみよう。




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二日目の朝食はバイキングである。
<これもどこのホテルでも大体同じである>  <華國大飯店のロビーの楠>    <中にエレベーターのある寺院>
    





忠烈祠の衛兵交代、1時間毎に行われる。
    





故宮博物館
ここはカメラ禁止で今回写真は一枚も撮らなかった。この辺りは前回の台湾旅行記に載せている。

 → 2010年の台湾一周「四日目」





昼食は阿美飯店で担仔麺(タンツーメン)
 




この店が有名→度小月担仔麺(ドゥシャオユエダンヅーミエン)




途中、茶芸店でショッピングをしたが、前回と同じ店で同じ様なサービスを受ける。その時買ったプーアル茶はまだある。

午後は蒋介石の中正記念堂へ向かう 

    



台湾ではウエディングドレスを着て撮影するのが流行っている。ここでもやっていた。
    





ここはまだオートバイが多い。店の前にはオートバイがずらりである。
  




そしてまたもや民芸品店で買い物である。
この店も前にも連れて来られたところで、僕の買うべきものは何も無い。
  





そのあとは九ふんへ向かう。
高速道路を経由して約1時間の距離である。高速の傍には国内線の台北松山空港がある。






中国の道教の寺院の独特の屋根
  




九ふんは、19世紀末に金の採掘で栄え、日本統治時代に藤田組(現在の藤田観光)により最盛期を迎えたと
Wikipediaに書かれている。街並み、路地、石段も当時に作られたとされる。     
   




急な階段が上へ上へと登る
  




  






「千と千尋の神隠し」のイメージの建物だそうな。        
   





急傾斜の横道には店が沢山ある。
  





  





  




    





一転して、夜景はこうなるらしい。
灯が入り、余計なものを隠すとまさに「千と千尋」の映画の様になるのである。
                       <写真はtravel bookさんのHPからの借り物>
  






夕食は台北の「金品茶楼」の小籠包だった。
鼎泰豐(ディンタイフォン)は有名になりすぎて、現在台湾では他の店の方が人気らしい。
鼎泰豐は日本にも数軒支店があり、新宿、池袋にもある。




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3日目は、またしても例の「免税店」でお買い物タイムである。
前回もここで鞄を買った、今回も帽子を買ってしまった。商品は空港での引き渡しとなる。


台北市の南西35kmにある三峡・鴬歌へ向かう。
初夏を思わせる好天であった。





とっくり椰子も実を付けている。
  





三峡河に掛かる長福橋を渡って清水祖師廟へお参り。
  





三峡市街と清水祖師廟
   




この独特の屋根、装飾、彫刻はどうだ!
日本の神社などのようなすっきりと簡素な直線や緩やかな曲線が恋しくなる。
  






埼玉・坂戸に聖天宮という台湾の寺院がある。
台湾の人が”神のお告げ”があって建てたという、いかにも場違いな感じのものだが・・・。

→ 坂戸の聖天宮





  





もう少しスッキリとならないものかなあ?
  





  




    




  





三峡老街(三角湧老街)
牛の角の形をしたクロワッサンに似た「牛角」というパンを売っている。
  






日本の統治時代に出来た赤レンガの通り
  






ここにも興隆宮という廟があった。
  









鴬歌の陶磁器街
    





両側に陶磁器街が並んでいる。路上も街も清潔で気持ちいい。
益子よりや多治見より小規模だが、こじんまりとしていい。
陶磁器の値段は結構高価なものが多い。
  





鴬歌の陶磁器街を散策後、空港へ向かい帰国。
帰国時は約3時間一寸であり、機内食を食べて映画が1本を観れば成田着となる。
映画は「不思議な岬の物語」を観た。いつも思うのだが、中国語の字幕をなんとか消せないものか?






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笠間陶炎祭

2014-04-30 13:56:05 | 旅行
                                

2014.4.29日、第33回陶炎祭に行ってきた。
お隣の益子陶器市にはもう何回も行っているのだが、笠間の方は2,3回しか行っていなかった。
笠間でまず思い起こされるのは笠間稲荷とつつじ公園、日動美術館、そして笠間焼と大石内蔵助である。
笠間観光協会のHPを開いてみると他に、石切り山脈、笠間城址、芸術の森公園や宍戸ヒルズCC等も出ている。





8時半頃に到着したが、会場近くの駐車場はすでに満車であり、教育研修センターの駐車場に車を停めてそこからバス
で会場に向かう。


会場の芸術の森公園は200を超えるテントでビッシリ埋まっている。



予想を超える人出である。





見事な芝桜の花壇





それぞれのテントには様々な陶器が並べられている。






会場は陶器市ロード、お祭りエリア、稲田縁日、フードコートそして飲食店と分けられている。

会場の近くの小高い丘を登ると躑躅が咲き乱れている。






  

とにかく人混みに疲れる。テントから隣のテントへと見て歩くのだが、単調でいけない。
益子などのように、夫々の窯元や販売店に入ってじっくり見るという訳ではないのがダメなのだろう!
早々に退散することにした。

下記サイトが参考になる。

  笠間ひまつりHP

  笠間ひまつりブログ




岐阜市之倉陶祖祭

2014-04-14 17:22:13 | 旅行


早朝3時半頃に自宅を出て、環八、東名、新東名を走って三ヶ日で再度東名に入り豊田JCTで東海環状
に入り、せと品野ICを出たのは八時過ぎであった。

この4月から高速道の割引が変わってしまい、平日はETC割引が殆ど無くなってしまった。平日利
用が主の定年退職組には大打撃である。休日はどこも混むし、料金が全て高いのである。東京~せと
品野間は325kmあるが休日割引だと4,340円(平日は7,750円)である。

帰りは多治見~狭山日高で324km4,610円(平日8,170円)である。走行標準時間は東名が
3時間40分、帰りの中央高速が4時間06分である。これに休憩時間や渋滞時間が加算されるので、
帰着したのは8時半頃になった。

一般道も走るので走行距離は約700kmである。プリウスで経済運転を行うと25km/Lは走る
のでガソリンは28Lで済んだ。運転は好きなので、疲れる事は無いが少々腰が痛くなった。


瀬戸と多治見の中間ぐらいのところに市之倉という焼き物の町があり、春と秋に陶祖祭を開催してい
る。そのメイン会場は「市之倉さかづき美術館」である。そのすぐそばに幸兵衛窯がある。






幸兵衛窯HPには以下の様に説明がある。

幸兵衛窯は、文化初年(1804年)初代加藤幸兵衛により、美濃国市之倉郷
にて開窯され、間もなく江戸城本丸、西御丸へ染付食器を納める御用窯となりました。流麗精緻な染
付の優品を手掛けた二代、中国宣徳染付の研究に没頭した三代、名人気質の四代の後を受けた、五代
幸兵衛(1893~1982)は、青磁、金襴手、染付、赤絵、天目など中国陶磁をはじめ、乾山、
李朝など幅広い技法を駆使した名品の数々を生み出し、幸兵衛窯の礎を築き上げました。

六代加藤卓男(1917~2005)は、長年の研究の末、ペルシア陶器や正倉院三彩の技法を復元
し、ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵など伝統と独創の融合した作品を制作しました。これら
の功績により人間国宝に認定されました。

現当主である七代加藤幸兵衛は、独自の現代的な作風をはじめ、桃山陶やペルシア陶器といった幅広
い作風を展開し活躍しています。そして七代幸兵衛の指導のもと、三十余名の熟練職人を擁し、品格
ある和食器の制作を志しております。



ペルシャ風の焼き物が展示されている。






























これらは美濃焼である。























市之倉川に沿って13程の窯がある。

ここは下流の八幡神社で、陶天井がある。







2年前にも来たが、我が家人の目的は豊泉窯の染付の器が目的らしい。





帰りは中央道を走った。甲府を抜けて笹子トンネル手前の釈迦堂PA。

このあたりまだ桃が残っている。






往路で厚木辺りを走っている時に、NHKのラジオ深夜便だと思うのだが、久坂部 羊氏が自然死について興味
深い話をされていた。こちらは四季の森空間の「生きる」に載せているのでそちらを参照ください
→医者の父がめざした”明るい最期  





2年前には一泊で来たので、今回よりも詳しく美濃・瀬戸について載せている。

→ 新東名で行く瀬戸多治見参照 


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上海蘇州北京

2013-10-29 11:17:10 | 旅行
                  (06.02)
上海蟹・北京ダックを食べに行って来た。
吃上海螃蟹北京鸭去了

蘇州 *************************************************
車で移動。高速道の側に広告塔が林立している。
規格が決まっているのか、全て同じ大きさ、高さ。






蘇州のはずれにあるホテル。造りは極めてお粗末!
これでは西洋人は泊まれない、国内用か?
隣の音が聞こえるし、水周りが全くダメでした。








蘇州は水の都。水路がいたるところにあり、船で物資を運んでいた。















中国庭園には太湖石がたいてい利用されている。太湖石は石灰岩で質が軟らかく、風雨により侵食され奇怪な形をしている。中国版「ピサの斜塔」が虎丘にある。
ここもピサの斜塔と同じく倒壊防止策が施されている。



















この書は有名なものらしい。








留園
この留園は世界遺産に登録されている。








建物は素晴らしいが、庭園は太湖石がゴテゴテしていて、日本
人好みではない。























































寒山寺

月落鳥啼霜満天            
  江楓漁火対愁眠          
  姑蘇城外寒山寺   
  夜半鐘声至客船  張継           


この詩で有名である。






ここには日本から送られた鐘があり、大晦日には日本人が大勢来る
と言う。

























































蘇州の昔の町並み

























上海 ********************************************
上海にこの時期行ったら食べない手は無い。
味はこってりと濃厚、口中に広がる幸せ・・・。
蘇州の陽澄湖、無錫の太湖で9~11月頃取れた蟹を「上海蟹」
と呼ぶそうな。
しかし、子供の頃食べた川蟹と変わらなかった。いや、むしろ
そちらの方が旨かったかも知れない、のであります。ゴメン、上海蟹さん!!







上海雑技団、これじゃ日本の体操は勝てる訳がない!
























豫園
 ”日本の浅草のようなものです”との事前説明があったが、
 実物を見てびっくり仰天!
 スケールがまるで違うし、浅草の顔見世なんざこれじゃ”屋台”
 じゃないか!
























ここ豫園は世界遺産ではないらしい。
庭はやはり太湖石がゴテゴテで・・・









































外灘(がいたん)
上海のウオーターフロント。高層ビルが林立している。
森ビルもやっと工事再開とか。




















兵馬傭のレプリカ。ホテルのロビーにも陳列されている。







 北京
北京には立派な建物があり、道路もよく整備されているが、まだ
自転車も結構残っている。







 天安門前広場は100万人が収容できる大きさであり、ここで様々な
出来事が起きた場所である。
























 毛沢東は今でもここに眠っている。
しかし今の経済発展は小平の政策によるところが多い。














紫禁城は故宮博物館として今もその威容を誇る。
日本の古代建造物などはかすんでしまうほどの規模だ。














































故宮はあちこちで改修工事中。
オリンピックに向けてやっているのだろう。















故宮内のある建物内で、書画骨董を売っている。
本物だとの説明があり、著名な書家?がサラサラと書いて1万円
の書を日本人は気前良く購入する。
紅梅の縁起物の画も4,5万で売りつけて来る。(これは政府の
指示なのだろうか?)








景山公園・故宮外堀を掘った土で造成、標高90m。







故宮外堀。ここに数人の物売りと物乞いがいた。











6,350kmもあると言う長城。
これは人類の遺産である。使われた労働者(農奴など)は数百万人
で、煉瓦を焼くため付近の山の木は無くなったとも言われる。








いかに北方騎馬民族の侵入を恐れたかが実感される。






















北京ダック






新宿京王プラザの南園の方がきっと旨い。












京劇・舞台装置は殆ど使わず、演技者の演技で表現する。
例のキョンキョン、ギャンギャンの音楽に乗って演じられる。
歌舞伎と同じ様にイヤホンで説明を聞くことも出来る。






北京夜景








 高速道路の総延長距離は既に日本を抜いたそうである。もの凄い勢いで
経済が成長している。世界の工場になる日も直ぐであろう。土地は広大
だし、労働力は余りあるほどある。
 外貨準備高は1兆ドルを上回り日本よりも多い。台湾も巨額の外貨準備
高をもっており、両者とも米国の大債権国となっている。いづれ通貨の
切り上げなどの調整が入るであろう。

 サービスに関してはまだまだである。接客態度などこれから再教育が
必要である。自動車の運転もまだまだである。しかし、この国はこれから
一体どうなるのだろうか。政治体制は社会主義で、経済体制は資本主義で
ある。沿岸都市部と内陸農村部の著しい経済格差、都市部の内部でもその
著しい格差、伝えられる政治指導者の権力腐敗、米国との激しい覇権争い。
 21世紀は確実に『BRICs』の最大国家となろう中国は、最も日本
が関わらねばならない国家・地域である。




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08年05備前小旅行

2013-10-14 13:11:49 | 旅行
                 (08.05)

岡山から赤穂線に乗って東へ10駅行くと備前焼のある「伊部(いんべ)」があ
る。駅の前を国道2号線が通っていて、それを突っ切るとこのような備前焼の
ふる里に行く事ができる。

この写真の突き当たりが伊部駅舎である。向こうの山を越えると瀬戸内海の
久々湾が広がっているはずである。月曜日の10時前という時なので人出はまだ
無い。
 なお、この赤穂線を兵庫県の播州赤穂の終点まで行くと、あの「赤穂浪士」
の赤穂である。














 備前焼きは1000年もの昔から窯の煙が絶えず続いている古い焼き物の里であ
る。












 今もなお、昔ながらの登り窯、松割木の燃料を使い、上薬をかけないで窯変
による妙を追求しているそうである。













 とにかく値段が高いのである。よく行く益子焼きなどと比べると2~3倍の値
札がついているように見受けられる。

 それは古来の焼き方を継承しているのに加え、粘土が違うのだそうだ。「田
土(ひよせ)」と呼ばれる、たんぼの底(5m以上掘る場合もある)から掘り起
こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を含む土で焼かれるからである。
さらに数年間も土を眠らせておいてから焼くのだそうだ。










天津神社には備前焼の狛犬が鎮座している。







ここには13の窯元と170人もの作家がいる。
個人で店を構えているものも多い。






人間国宝を5人輩出し、うち伊勢崎淳(1936年生)は現在も活躍中。


























天保3年(1832年)に築窯された「天保窯」





お稲荷さんの狐も焼き物である。





歩き疲れたら、コーヒーを飲みながら休憩である。







 いつもの様に、家人は数万円のお皿を、僕は千円少々の品物を購入し、備前
焼の里を後にした。















備前市作成のHP
http://www.city.bizen.okayama.jp/bizenyaki/hineri.htm














牛窓(うしまど)
伊部から30分ほど南下すると牛窓である。







この牛窓の名前の由来:
『神功皇后の乗った船が大和へ帰還の途中、牛窓の瀬戸を通過する際、その威
光におされて牛鬼か転んだところから、以来この地は「牛転(うしまろび)」
と呼ばれ、それが訛って「牛窓」になったとか。

 とにかくここは、出ていく漁船、帰る大漁船、そしてファッショナブルなヨ
ットやクルーザーの群れと、海からの活気ぬきでは語れない瀬戸内海の良港。

潮の香りに誘われて、町の歴史をひもとけば、江戸時代は西海航路を好んだ参
勤交代の大名たちが、風待ち、潮待ちをした港とか。 また、鎖国の江戸時代、
日本と朝鮮の間には交隣の友好か結ばれ、朝鮮通信使の一行が寄着する、海の
玄関口であったとか。』と観光案内に載っている。







手前の島の向こうに小豆島が微かに見える。





オリーブ園が山の上にあり、その中腹からの眺め。
















岡山城(金鵜城又は鵜城とも呼ばれる)

旭川の流れを取り入れて城を防御している。























『岡山城天守閣の天守台が、不等辺五角形をしているいて、それを上階にいく
につれ、徐々に四角形に修正しているため、このような特徴的な構造となった
のである。五角形の天守台は全国唯一のものであり、四角形以外の天守台も、
岡山城の他には織田信長が築いた安土城(八角形)以外には見られない。』と
説明がしてある。




















正面から見た天守閣
左の白壁は塩蔵



















後楽園


正門入り口







延養亭













唯心山











沢の池























寒翠(かんすい)方面を唯心山から望む











城を望む














僕は岡山・備中高梁の出で、高校までは高梁に居たのであるが、この備前、
や備後も殆ど知らないまま神戸・大阪・東京へ行ってしまったのである。
こんな事では”おえりゃーせん、のー”








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