オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

風俗三十二相 うるさそう/しだらなさそう

2017-09-20 | 風俗三十二相

月岡芳年が女性のしぐさを ~~そう と描いた風俗三十二相より

㐧一  『 うるささう 』 

寛政年間(1789~1800) 処女之風俗

明治廿一年二月廿五日印刷

 うるさいと言っているのは猫のほうなんです。

 

㐧二  『 しだらなささう 』 

寛政年間(1789~1800) 京都芸子風俗

御届明治廿年十二月十二日

「しだらない」は「だらしない」こと

なにか嫌なことでもあったのでしょうか?



「艶雄六歌撰」 藤原保昌

2017-09-19 | あづまにしきゑ

晦日月の今夜は趣向を変えてみました

 応需芳年(月岡芳年) 艶雄六歌撰

日本橋小田原屋小竹 

 

小竹さんは小田原屋の若奥様なのかな?

小田原屋が何なのかわからないのですが。。。


江戸時代にタイムスリップした藤原保昌

『 影くらき みどりの 林あとにして

しずかにかえる 月のよなよな 』


藤原保昌は月百姿 『 原野月 保昌  にも描かれている人物です




月百姿 志津か嶽月

2017-09-17 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『志津か嶽月』 秀吉

しずがたけのつき  ひでよし

明治二十一年印刷

 


 

 羽柴秀吉は安土桃山時代の武将。

天文六年(1537年)~ 慶長三年八月十八日(1598年9.18)

尾張国愛知郡中村の百姓で織田信秀の足軽木下弥右衛門を父に

同郡曾根村の百姓の娘なか(天瑞院)を母として誕生。


 国立国会図書館デジタルコレクション 027

 

賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は

天正十一年四月(1583年)近江国伊香郡の賤ヶ岳付近で起きた

羽柴秀吉と柴田勝家の戦いである。

この戦いは織田勢力を二分する激しいものとなり

これに勝利した秀吉は亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し

天下人への第一歩がひらかれた。

出典:ウィキペディア

 

余呉湖?に映る満月がきれいですね。



月百姿 鳶巣山暁月

2017-09-16 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

鳶巣山暁月』 戸田半平重之

『とびがすやまのあかつき』 とだはんべいしげゆき

明治二十年届

 


 

  戸田半平は戦国~江戸時代前期の武士。

生没年不詳

徳川家康、秀忠につかえ、関ヶ原の戦い直前に行われた

信濃上田城の戦いで活躍したとされる上田七本槍のなかにも

戸田光正の名でみえる。


 国立国会図書館デジタルコレクション 025

 

長篠の戦い 天正三年五月二十一日(1575年)

三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と

武田勝頼の軍勢が戦った合戦では

徳川勢の松平又七郎家忠、天野惣次郎、戸田半平らも

鳶ケ巣山砦で勇戦した。中でも戸田半平の一番槍の働きぶりは

のちまでも語り草とされた。 ところが「三河物語」には

世間で戸田半平の槍が評判になっているのは

旗差物を指していたからである。

その時天野惣次郎のほうが先に進んでいたが旗差物を指さない

「ずんぼう武者」であったので目につかないだけで

じつは半平より惣次郎のほうが先であったとしている。

戸田半平は二番槍であったが、「銀のしゃりこうべ」の差物が

人目についたのである。 ところが一番槍の天野惣次郎は

夜討であるからといって差物を略していた。

また松平家忠も、戸田半平と同時に槍を合わせたが

これも差物が目立なかったので噂にならなかったといい

いかなる出陣にも差物を付けるように心得よと教えている。

(校合雑記) (常山紀談)

形原松平家について より転用