goo!版・天理教よふぼくの集い

僕は、四年前に無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのため毎日ブログを書かせていただいています。

神様のおさしづ

2014年11月29日 13時09分50秒 | Weblog
『さあ/\第一条を以て尋ねる事情、さあ/\よき所/\、まあ/\それ/\に見分けるが第一の理。成らん事せいと言うた処がどうもならん。成らん処から尽して果てた者が何ぼあるか分からん。どうせこうせいとは言わん。これだけ第一という。』(M23.06.17)

神様のおさしづ

2014年11月28日 16時30分08秒 | Weblog
『さあ/\尋ねる事情は、まあ/\一寸一時分からん。何も彼もどんならんで。これからさあ/\三日三夜は何も彼もすっきり休む、一寸話をして置いて休む。三日の間皆談じ合い、一つ/\の理はこゝにある。一つ/\の理は何処にある。三日三夜は何も彼も休むによって、何を尋ねても答えはせん。まあ/\何も彼も待ち兼ね待ち兼ね、まあ/\よう/\いかなる事情も世界から理を運び、又々年が明けたら頼もしや/\、何でもなあと言う。皆世界から一日なりとも皆一つ/\の事情、この事情から話掛けるによって、よう聞き分け。どういう事である。まあ/\一寸一つ始め掛け。あちらも仮家/\、一寸事情があっていかなるも皆許し置いたる事情。こんな事がいかん。事情の理によって身上に迫り切る。のっけという、最初という、掛かりという。余儀無き事情に運んで、まあちよい/\との続き/\、事情は大抵の事やない。一寸その理は受け取る。たすけとても一日なりともひのきしん、一つの心を楽しみ。たすけふしぎふしん、真実の心を受け取るためのふしぎふしん。のっけから大層な事してはどんならん。一寸言わば日覆してあるようなものや。あちらも掛け出し、こちらも掛け出し、あゝ暑いから差し掛け、そら取れというようなものや。それより一寸これというは先々話。これもこう、心に成程々々、それより成程の理も治まる。頼もしいという。一日の日を見てようこそ真実という。後々の処は、人間心の理によって先に始め掛けるから、人間の心を開けて間違う。すっきり後へ戻る。戻るからどちから見ても、こちら理じゃない。めん/\も何をしたのやいなあ、何を見たのやらなあ、何と聞きたのやらなあ、勢の無い事や。くどく/\よう聞き分け。楽しみの無い事やと思うが、身に迫る。一寸まあ三日三夜の間すっきり休む。』(M23.06.15)

神様のおさしづ

2014年11月14日 18時16分26秒 | Weblog
『さあ/\身上に一つの事情、長らえての事情、不都合であろう。内々の処日々事情、あゝと思う思案ばかりでは分かろまい。身上に事情と言えばいろ/\ある。何か事情、皆世界いつ/\までもなあと思うやろう。出物に一つの理。身の内どういう処、不足処は何よの処も分かろまい。世上の理というは、幾重の理もある。同じかしもの・かりもの、この理聞き分け。日々身は清水と言えど、一日の処は計り難ない。なれど日々不足にても、この理を内々治めるよう、治めて貰いたい。』(M23.06.14)