goo!版・天理教よふぼくの集い

僕は、四年前に無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのため毎日ブログを書かせていただいています。

なんでだろう???

2014年05月31日 14時13分19秒 | Weblog
昨日、ある病院に行って家で寝たきりになっているので、どこが悪いのか?という検査と出来たら治療しながらリハビリができるないか?とお願いしたのですが、ダメでした。僕らのように発症してから年限が経っているものは、なかなかリハビリも無理なようです。国のシステムがそうなっているらしいけど、発病したり事故にあって年限が経っている人たちは体調をくずしたらどうしてはるんだろうか???(≧∇≦)

ひろ

今日は月次祭なのに・・・

2014年05月26日 12時17分14秒 | Weblog
三月の初旬くらいから、体調をくずして四月の七日から五月の八日まで入院させていただいていましたが、もう何も検査とかもすることもないしどこも異常が見られないので退院することになりましたが、ぜんぜん体調は快復しません。(^^;;

ちょうど三年前と同じような天の配置、その時も一月から三月まで入院して、五月には肋骨骨折、八月に盲腸捻転の手術といろいろたいへんでしたが、その時とよくにた天の配置です。
とにかく今、生かされているということに感謝させていただいて通らせていただきたいと思います。(⌒▽⌒)

神様のおさしづ

2014年05月22日 10時33分59秒 | Weblog
『さあ/\呼び取りて話する。大抵は皆分かりてある。世界の処も大抵は分かりてある。いんねんというも分かりてある。神一条の道、親族事情の理、在姿の事情これ第一。三つの理をしんばしらはよう聞いて置かねばならんで。神一条の支配は、親族の事情と、いんねん事情と、しんばしらの事は親族へ。このやしきのしんばしらと成るというのは、生れ出ん先からのいんねんの事情、一つの理。分からん先から先にしんばしらと言うも、前々より諭してある。又この席というものは、何から出来て来たものや。この事情いんねんというは、神一条の道は連れ帰るというのはいんねん、皆一軒限りの在姿の理を見て、大抵々々分かりてもある。しんばしらというは、穏やかなる心がしんばしらという。親族には神一条の道は何にも言うやない。神一条の道があればこそ/\と言うて、しんばしらより家内へ皆話すれば皆得心する。さあ/\何にも案じる事は無いで。難儀するような事は言わんで。日々に出けて来る。神一条の道からどんな事でも皆出けて来るのやで。年限日柄という。』(M23.04.20)

神様のおさしづ

2014年05月20日 13時12分47秒 | Weblog
『さあ/\しんばしら/\、後一つは親族。刻限という、刻限というてはとんと分かり難ない。秘っそ/\にして真の親族、いんねん、しんを定めてこれもこうかい、あれもあゝかい、一つの理が治まりたら何彼の事も治まる。又々話、今日は親族の理というは深きの理、これで親族という。神一条の道は又一つ別派、それより血分け、心の理寄り来る理がある。誠の道に寄り来る。神一条の道から始まりた真実の心という。たんのうの心より治まる。こうすればこう成る。鏡やしき/\と言うてある。不自由さそうと思うてするのやない。一つ/\あたゑという。親族々々、これよう聞き分け。前の親族いんねんの理、一つ心治め。………』(M23.04.20)

神様のおさしづ

2014年05月15日 11時50分03秒 | Weblog
『さあ/\一寸一つ事情尋ね掛ける。初めてさあ/\うちのしんばしらを初めとして、親族一同の者一人々々どういうものや。一つの事情を尋ねに出よ。どういうものや分かろまい。今までというものは、あちらこちら取り混ぜての人間心あるから分かるまい。事情が違うてはどんならん。そこでしんばしらを初めとして、親類一同一人に一人付き添えて、明日の朝より尋ね出よ。さあ明日の朝、夜が明けたら早天に尋ね出よ。』(M23.04.20)

神様のおさしづ

2014年05月10日 09時24分50秒 | Weblog
『さあ/\広く/\、広くする/\がよいで。 さあ/\広くにしてこれでよいというは、未だ/\や。一つの理を今と言うて今事情は今にある。成程という理に運ぶよう。何か一つに治め、神一条の理に運び来るなら、何時なりと始めてくれるよう。又心にこれだけこうして置こう、心に一つの理があれば始めた処がどうもならん。一人の心の理があってはどうもならん。見難くうてはいかんで。すっきりとして広く/\。これでよいと言うは先やで。広く広く一寸々々、今の処はほんの仮家、一寸して今一時は風吹き雨凌ぎ/\や。順序来て広くして、それまで建て出し。あんな事何を言うやらと思うやろ。年限来たなら何でも彼でも見せにゃならん。なれど先を楽しみて居るなら分かるやで。めん/\こう心がむさくろしい。そこらあたり塵だらけでは、成程の理が治まろまい。これでなあ、あちら見苦しい一つの理を離れまい、楽しみ成ろうまい。前々急がしいと言うて、前々にも諭してある。

神様のおさしづ

2014年05月09日 09時53分43秒 | Weblog
『さあ/\尋ねる/\処、人数皆揃うて居るか。一つの話、話はよう聞き分け。聞いて何か順序運び掛ける。話通りの理を通らねば何もならん。このやしきは何やしきと言うか、聞いて居るか。神やしきと言う。神やしきならば神のまゝ聞くならば神が支配する。これはこうして置け、どうして置けと言うならば何にもならん。さしづ通り出来んとすれば、さしづは要らん。尋ねるにも及ばん。皆んな話にも及ばず。前々難しい処運びを付けて、前々の理を立て替える。難しいてならん、どうもならん。どうなるもこうなるも神やしき、神のまゝ皆いんねんを以て連れて帰る。どうこうと言う心は持たんよう。どうしたらどう成るこう成る、めん/\も一人の主ならば、世上のため何か事情、成る日成る理は成ろまい。成る年限は成ろまい。何でも彼でもこれにも自由という理を諭してある。自由は誠一つという。誠一つ無いから何よの処も分からん。丹精尽すは世界一つの道理や。難しい事をせいとは言わん。成る理だけの事や。前々の道、皆一つの理世界という。一日の日も信心、十日の日でも信心、一年の日でも信心や。陰ながらも千日であろうとも受け取る。道の理、幾らあるも聞き分けるが神や。めん/\神一条の道、成程一日、神一条の道は知って居ると言うも、それだけの理を運ばねば何にもならん。神一条の理をめんめん分かったとも言われまい。このやしきは鏡やしきと言うは、映るが鏡やしきと言う。鏡やしき裏も表も日々の処照らしてあるが、理というは、どんな理もある。前前の理にもさしづある。一つの理、談じ合いの理が合わねば難しい。何にも難しい事はない。皆めん/\より難しいするのや。皆出て来る処、皆親里や。一度は親里や。一人一つの子やない、一人一つの理やない。理だけ諭して置くから、これまでいんねんの理、どうせいこうせい言わん。皆んなこれまで見たであろう、聞いたであろう。分からん中一つの理を聞かすなら、運ぶなら、何よの処もこの理をよう聞き分けてくれるよう。』(M23.04.19)

神様のおさしづ

2014年05月08日 07時09分51秒 | Weblog
『さあ/\第一心得んから一つ理が分からん。尋ねて一つの理を諭す。何でも無くば何でも無い。一つの事情聞き分けて、ほんに成程十分に話を聞いてくれ。今の一時は世界の道理上とも言うてある。一寸の事情、古き事情は何にも無い、紋型も無い。何から成っても分かろまい。女である。百姓の中へ生れ行き、一つの理、幾年の年限、一つの年限の間は難しい道を通り、艱難して年限経って年という。一つの功もあろうと思う。一つの世界内々の事情ともいう。内々事情は、人間心の道とは更に何かの事情を持たずして、心胆真実の理を教会事情。又は一つの万事取り扱い事情は、世上一つの事情を以て一つ通る。難しい道は大抵通る。分かる分からんの道は順序一つの道は未だ鮮やかでないという。事情始めた姿は影一つも見えん。不思議一つの道に及び来る理である。席と言うて諭してある。内々成程とは思えぬ理はあれど、実際々々の事情一つの理を運んで世界という。日々入り込む事出来んようになれば、一寸難しい。どんだけの加勢すれども外れる。一人のためにするでない、内々のためにするでない、皆世界のため。夜分になればそれ/\の用のため聞かす事は出けん。今日は晴天である。身上に事情があれば思案という。何かの処よく聞き分けよ。』(M23.04.18)p