goo!版・天理教よふぼくの集い

僕は、四年前に無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのため毎日ブログを書かせていただいています。

『暫く心澄まして、一寸根の方へ力を尽せ。』

2009年04月29日 09時39分05秒 | Weblog
『さあ/\何かの処も一ちと言うで分からん。一人々々の心に留まる。天然自然道や。往還道でも心に掛けずしては、踏み被ぶる。細道でも、心に掛けば、よう通れるものや。暫く心澄まして、一寸根の方へ力を尽せ。成るだけの踏ん張りをせねばならん。だん/\奮発する故よりの事。』(M20.11.16)

『心々、神一条の道は誠一条の道を分かりてくれねばならんで。』

2009年04月28日 10時57分22秒 | Weblog
『さあ/\よう聞き分けねば、分からんで。結構々々で道を通る。たゞ結構では分からせんで。心々、神一条の道は誠一条の道を分かりてくれねばならんで。心一つ定めてくれねば分からんで。世上にどんな事があろが、心一つの心で通れば、よう通れるで。誠さい定めて居よなら、独り救かるで。』(M20.11.16)

『“因縁の自覚”と‘不足’と“たんのう”』

2009年04月27日 10時38分51秒 | Weblog
先日、あるブログのレスとして書かせていただいた、お道で最も大切なことを少し手を加えて、今日の記事とさせていただきたいと思います。m(_ _)m


「足りない、足りない」というのは、‘不足の心’。
『有り難い、有り難い』というのは、“満足の心”。

人間は、今与わっているすべてのものに“喜び”、“感謝”させていただくのが、《たんのう》させていただくということなのです。
ゆえに、自分(自我)を捨て切って、精一杯、今与わっていること(仕事、役割)に打ち込むこと。それこそが、その人に与えられたミッション(使命)なのです。その与えられているもの以外に目を向け、何か違う、何か足りないというのは、‘不足の心’以外の何ものでもありません。
“青い鳥”は、あなたの心の中に住んでいるのです。

しかし、しっかりと“因縁の自覚”ができていないと、チンプンカンプンなことになってしまい、なんで自分は何もしていないのに、足が不自由なんだ!!というふうな‘不足’をしてしまうことになります。

“因縁の自覚”をさせていただくためには、まず最初に自分自身は神様の子供であるという“元の因縁(いんねん)”を悟らせていただき、そして、苦しみ悩みの原因は、いったいどこにあるのか???ということをしっかりと悟らせていただくことが大事なことなのです。
つまり、前生前々生において、自分自身が蒔いてきた埃(ほこり)の種(心づかい〔言葉や行動を含む〕)が、どのようなものであったのかをしっかりはっきりと認識させていただくことが、“因縁の自覚”の元となります。

例えば、僕自身を例にとると、先日書かせていただいた記事のように、「前生で私利私欲のために他人を妨害するということは、下肢の麻痺を招く」というエドガー・ケイシー氏の言葉や、理の親さんからお教えいただいた「足が不自由なのは、前生で人を倒して来たからだ」というようなお言葉を、心にしっかりと治めさせていただく。
そしてまた、自分自身でも‘はらだち’のほこりが、特に強いということは自覚させていただいているので、“立つ”という《つきよみのみこと》様の守護が欠けてしまっているのだなあというふうに悟らせていただいています。

こういうことが、はっきりとわかってくると、自然と“たんのう”をさせていただけるようになり、『今、自分が神様から与えられているすべてのことを“喜べる”ようになり』、そして、『すべてのことに“感謝”させていただけるというようになって来る』のです。そうなってくると、宇宙(この世)は、理詰めの世界であり、完全円満に出来ているということがわかって来るのです!!これは、般若心経の世界でもあるということが、理解できる(悟らせていただく)ようにもなって来るのです!!

ひろ

『心の錦、真実の錦を心に置き、傍の錦は何にも欲しいはない。』

2009年04月26日 09時32分14秒 | Weblog
『さあ/\/\身の処に/\、さあ/\分からずして胸の内しいかりして、所々に一つ、今の処大き事は大きと思わず、心々。他の錦は要らん。心の錦、真実の錦を心に置き、傍の錦は何にも欲しいはない。心の錦を欲し。真実の道を弘めば、他の錦はすぅきり要らん。心にほうと思てはいかん。日々の処一つの思やんを定め。又々の道をしたら、二度三度ではいかん。又心に錦を置くよう。又々一つの話として置く。』(M20.11.13)

『ハイオクでフグを食べずにありがとう!!』

2009年04月25日 10時54分59秒 | Weblog
これは、「ハ(腹を立てない)・イ(イライラしない)・オ(怒らない)・ク(くよくよ悩まない)で、フ(不足)・グ(愚痴)を食べずに(言わないで)、何があっても常に“ありがとうございます!!”と、いつも喜び、常に感謝の心で陽気ぐらしをしよう!!」という意味です。ヾ(*゜▽゜)ノ

これが、真の“たんのう”の実践であり、どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しいことがあっても、どんなに嫌なことがあっても、決して腹を立ない、イライラしない、怒らない、くよくよ悩まないこと!!
そしてまた、いかなる状況におかれたとしても、不足や愚痴を一切言わずに“ありがとうございます!!”(始めのうちは訳がわからなくてもいいから、心の中で繰り越し繰り越し唱える)と喜び、感謝させていただくということが“因縁に勝つ秘訣”なのだということがわかりました。

なかなか、これは理解しがたいことだと思いますが、しっかりとした“因縁の自覚”ができれば、誰にでも実践できることなのだと僕は思います。

毎日が、しんどい方、いろいろな悩み苦しみがある方々は、ぜひ一度、騙されたと思って実践してみて下さい!!(*^U^*)

ひろ

『さあ誠一つ願う時の心定めねばならん』

2009年04月24日 10時29分37秒 | Weblog
『さあ/\身の内の処よう聞き分けねばならん。さあ/\神の方には不足の身体は貸してない。不足というは、めん/\の心より。成程結構という事は分かるである。一寸道歩く。あゝ綺麗な花やなあと言うて通ったまで。さあ誠一つ願う時の心定めねばならん。内々めん/\身に知らす。』(M20.11.08)

『これだけと思えばこれだけのこうのう』

2009年04月23日 11時54分43秒 | Weblog
『さあ/\よう聞き分けて、いつ/\までも、何かの処順序一時一つ聞き分け。諭する処、これは天然自然の道、一寸見え掛けてある。どうか一つたんのう、前一つ心でいうは第一の処、世界中善も悪も無い。どうもならん。どんと一つ処長々道、家内銘々それ/\、銘々一つ心得んと思う処、これだけと思えばこれだけのこうのう。これだけの事ならたんのう。聞くと直ぐや。すきやかなれば直ぐと一つ尋ねに出よ。』(M20.11.05)

『それでもやはり、送らにゃならん。』

2009年04月22日 10時20分35秒 | Weblog
『さあ/\暫く/\。大抵の処運び切り/\、今までの処、分からなんだ。分からんなりに運び来た。天然自然誠という事、天然自然の道失わさん。心一つ映して、成程の処へ諭して分かる。大層々々の処、こうして運べ。さら/\癒さにゃならんならん。あちらからもと言うて、組み立てる。固めねば治まり付く。案じる処無い。身上一つ尋ね出る。日々送る処、年々に送る処、日々の日一日の日でも、うっとし日もある。それでもやはり、送らにゃならん。』(M20.11.02)

『後へ戻りたら、何にもならんで。』

2009年04月21日 10時26分41秒 | Weblog
『さあ/\/\/\日々の事/\/\今一時どうせねばならん/\とは言わん。今の処というは、今日はこう/\と思う処ある。一人なりと一所なりと/\。内々成る処も思やんの処もある。日々の処も思う処がある。日々一人なりともという処続くよう。どうこもならんようになるで。今処内々の処も案じあるようなものやで。随分名も通る。どうせえとも言わん。後へ戻りたら、何にもならんで。随分々々じいとして/\も、今からや/\、世間から言うように成りて来るで。そこでじいとして居られんように成る。成りて来るで。今の処は心を配ばりて、楽しんで居るようの心定めてくれ。』(M20.10)