goo!版・天理教よふぼくの集い

僕は、四年前に無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのため毎日ブログを書かせていただいています。

『教祖(おやさま)のひながた』

2009年01月31日 07時49分38秒 | Weblog
 天保九年十月二十六日、齢四十一歳を以て、月日のやしろと召されてからは、貧に落ち切れ、との思召のままに、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれた。
 この行は、家人や親戚知人に、理解され難く、厳しい忠告や激しい反対のうちに、十数年の歳月を重ねられた。かかるうちに、夫は出直し、一家は愈々どん底へと向つたが、この大節のさなかに、一身一家の都合を越えて、同年、末女こかんを大阪に遣し、天理王命の神名を流された。
 このように、常人の及ばぬ信念は、却つて人々の冷笑を呼び、離反を招いて、遂には、訪ねる者もなく、親子三人で食べるに米のない日々を過された。父なき後、一家の戸主となつた秀司は、青物や柴の商によつて、日々の生計をはかつた。しかも、教祖は、かかる中にも、人の難儀を見ては、やつと手にした米を、何の惜気もなく施された。
 或る年の秋祭の日に、村の娘たちが、今日を晴れと着飾つて、嬉々としているのに、娘盛のこかんは、晴着はおろか着更さえもなくて、半分壊れた土塀のかげから、道行く渡御を眺めていたこともある。又、夏になつても吊るに蚊帳なく、冬は冬とて吹きさらしのあばら屋に、あちらの枝を折りくべ、こちらの枯葉をかき寄せては、辛うじて暖をとり、点す油にこと欠く夜は、月の明りを頼りに、糸つむぎなどして過されたこともある。
 十年に亙る長い年月の間、かかる窮迫の中にも、教祖は、常に明るい希望と喜びとをもつて、陽気ぐらしへの道を説かれた。そして、時には、水と漬物ばかりで過されながら、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と、子達を励まされた。
 月日のやしろとなられてから、このようにして二十余年を過されたが、やがて、をびや許しによつて示された珍しいたすけが、道あけとなり、教祖を生神様として慕い寄る者が、近郷一帯にあらわれた。教祖は、これらの人々に、病の元は心からと教え、不思議なたすけを示されたことは数知れぬほどで、不治といわれた難病も、教祖の前には決して不治ではなかつた。盲人もその場で眼を開き、気の狂うた人も、すきやかに正気に復した。(天理教教典第五章「ひながた」より)

『関根先生の御講話』[B] つづき7

2009年01月30日 10時00分33秒 | Weblog
お道というものは、人を助ける心になって、自分が人を助けるのが、お道じゃないか………。心が違ってる………。前生の自分はどうだったか分からないんだから………。
ねぇ、地べたへ寝てお道をやろうと思って、俺みたいにやって………。そしたら、結構になっちゃって仕様がないんだ。東京で結構で仕様がないから、こっちへ来たんだ。
我が身が助かりたい、我が身が助かりたい、自分が結構になりたい、そんなものあるものか。いくら探したって………。
人を助けるから、自分が結構になるんじゃないか。こらよく聞いててよ………。(昭和42年6月28日の夕づとめ後の御講話より)

『関根先生の御講話』[B] つづき6

2009年01月29日 10時24分22秒 | Weblog
………で、その証拠にね、自分があのおっかさんのお腹に入って、俺は子供になって出て来てやろうと思って出て来た人などありゃしない。
そんなこと思っておっかさんのお腹の中に宿ってきた人などありゃしない。宿ってもらうなら、皆いいところに宿ってもらうはずだろ?悪いところに子供はできやしない。だが失礼だが、まったく食うや食わずの中へ子供ができるわけだ。ほら、子供はそんな望みはないんだろ?
ねぇ、その子の前生因縁でいいところにも悪いところにも出るんだ。前生の因縁で出てるんだ。
ねぇ、だから、前生の因縁をもってお道を聞いてりゃいいんじゃないか…。
ねぇ、道を聞いて道を守ってく。道を聞いて道を守ってくというのは、人を助ける心になって、真実の実をもって人を助けてりゃいいんだ。内にいても親を助け、兄弟を助け、内の中にいる者を助け、ねぇ、外に出たら、ねぇ、病人を見つけたらお助けをさしてもらう。
断じて自分を許さない。『身を捨ててこそ立つ瀬がある』というんだから、自分の身を捨てて人を助ける心になりゃあ、助かるに決まっているじゃないか。
ねぇ、これは皆が聞いとく事だよ。お道すりゃあ、皆助かると思っているけど、そんな了見違いして聞いてる奴あるもんか。教会来て話聞いてりゃ、お道だと思って………。こりゃ、お道じゃないんじゃないか………。

つづく

『関根先生の御講話』[B] つづき5

2009年01月28日 09時51分04秒 | Weblog
ねぇ、それでこの話を聞いて、全く天理を悟ったら、必ずその人の行く道は立派になる。天理を悟るってことなしに聞いてるよ皆………。ねぇ、聞いてる人間のところへ入ってく話がどう聞いてるかと言うと、ほら、自分が結構になって自分が立派になることが腹にあるだろ。だから、聞き間違いしてる、聞き間違ってる。
神様のお言葉には『身を捨ててこそ立つ瀬がある』。それ証拠に私はまだ身を捨ててられる。なぜって言うと、皆の顔を見ると一生懸命話をしてる。
自分が結構になったからって、人のことはほおっときはしない。顔見ると説いていたい。ねっ、一生懸命道やってる。私は結構になろうと思ってやっているんじゃないんだ。結構になろうと思ったってなれやしないよ。神様がしないもの。そんな欲な心持ってたんじゃ…。
ねぇ、私はまだ難儀するのを喜んで、神様のためだったらなんでもやろうと思って…。
その心だから、神様のために話をしてるんだから、皆に…。だから、こういうところにも坐っていられる。
ねぇ、だから皆も、お道を聞いたら、断じて自分を許さない。助かろうなんて心を持っちゃいけない。持たないたって神様の理に沿っていけば、助かるに決まってんだ。

つづく

『関根先生の御講話』[B] つづき4

2009年01月27日 10時59分46秒 | Weblog
『人を助けてこそ我が身が助かる』というお言葉が神様にはある。ねぇ、ですからどうしても一代自分を捨ててお道をやってやり抜いた者なら、こういうところに坐っていられるんだね。だけど、私はもうこういうところに坐ってたって、こういうとこに坐っている気はありゃしない。
やっぱり難儀する事を楽しみにやっている。これをこういうところに坐って、やれやれと、もういいと思って気を許してうっかりぼーっとしてやってると、いけない。ねぇ、なぜいけないかってい言うと、もうそれで偉い心が出ちゃってるから、その人間はかたわになるか、ねぇ、軽くいって命がいくか………。
「欲があるならやめてくれ」って言うんだから、欲の心を出して神様にすがったってダメじゃないか。
その神様のお言葉の中に、『身を捨ててこそ立つ瀬がある!』、こういうお言葉がある。ねぇ、だから、私はいまだに身を捨てている。
それ証拠にお前さんたちの顔を見ると、ねぇ、僕はお話をしている。偉い先生だから、もうお話もしないでさっさとえばって帰ってしまう人もある。ところがいけない。ねぇ、私の話と話が違う。神様がさせなさるんだ。
助かろうと思うんじゃない。助けようと思わにゃいけない。ねぇ、それが、私の信仰だったから、私は今立派になったって皆の顔見るとちゃんときちんと話をしてる………。

つづく

『関根先生の御講話』[B] つづき3

2009年01月26日 08時38分18秒 | Weblog
私は、一代地べたへゴザひいて寝てお道をしようと思ってやったんだ。一代やったら少しは人間らしくなるだろうと思ってやったんだよ。そうじゃない、やってる内にこんなことになっちゃったんだ。こんなことになっちゃったんだって、なんだか財産でも無くなっちゃって困ったような話だけど、そうじゃない。一代地べたへ寝てお道をしようと思ってやってみたんだ。そうしたら、一代どころのさわぎじゃない、そんなこと言ってやってみて一年経たないうちにこんなになっちゃった。
神様のお言葉にもあるよ。『身を捨ててこそ立つ瀬がある』これは、神様のお言葉なんだよ。
ねぇ、ところがどうもお道を聞いていると、ねぇ、お道をもって自分が助かろう、助かろうと、こう思って皆かかっているらしいんだよ。信者さんでも教師でも。ねぇ、だから自分が助からないんだ。
『身を捨ててこそ立つ瀬がある』って言うんだら、自分一代地べたへ寝てお道やろうと思って私はやってたんだよ。一代お道をやったら、なんとか人間らしく成るだろと思ってやってみた。そうしたら、一代どころじゃない、わずかの間にこんなになっちゃったんだ。
ねぇ、お言葉には、『身を捨ててこそ立つ瀬がある』っていうお言葉があるんだ。身を捨ててこそ立つ瀬があるって、それが分からないんだよ、人間には。私も分かんなかった。自分がやってみたら、なってきたんだ。やってみたって、成るだろうと思ってやったんじゃないんだ。成るだろうと思ってやったらだめだ、欲が働いちゃうから。
自分は一代難儀してもいいから、お道をやろうと思ってやったんだ。そしたら、こんな事になっちゃった。

つづく

『関根先生の御講話』[B] つづき2

2009年01月25日 10時45分06秒 | Weblog
ねぇ~、だから神様の事は、全く自分を捨ててやり切って行かなきゃいけない。
………………………………
お道というものは一種別のもんなんだ。私はさんざんその中を抜けて来た。ねぇ、どうにも人がいけないってものを助けしてきた。人間力でかなわんものが助かんのがお道じゃないか!
ねぇ、だから道というものは、まったく自分を捨て切ってやって、やり切ってみなきゃあ、本当の道は分からない。私は自分を捨て切ってやり切って来た。まあ一代地べたへゴザひいて寝られりゃいいって。
………………………………
私は、難儀しようにも難儀はできない。東京でもさんざん難儀しようと思ったけど、どうしてもできない。しょうがないから、こっちへ来たんだ。
だから、この道は、信仰して助かろう、助かろうでうまい事ばかり考えている人は、いいご守護がないんだよ。全く身を捨ててこそ立つ瀬があるんだ。私みたいに自分を捨てちゃって、お道のことを一生懸命やったんだよ。そうしたら、私みたいになっちゃった。そりゃまったくそうだろう。
御教祖様が自分を捨て切って、ねぇ、あんなご本部ができたんだよ。ご本部が出来たからって、御教祖様はそこにいて立派になったかというと、ご自分は苦労して苦労して、あれを拵えて終わられた。
ねぇ、だから、助かろうと思ったって助かりゃしないよ。助けようと思わなきゃ助かりゃしないよ。
ねぇ、だから、助かりたかったら、人助けたらいいじゃないか。助ける心が人を助けるんじゃない、自分が人を助けといたのが、自分が助かっちゃったんだ。そしてこんな立派な教会に坐れるようになちゃった。

つづく

『関根先生の御講話』[B] つづき1

2009年01月24日 11時01分58秒 | Weblog
ねぇ、だからみんな信仰しても、神様を軽くしないように。私はもう神様を重~くして東京の教会を拵えて、会長さんにいけないって言われて、親の方からもそんな馬鹿なことをするもんじゃないって言われた。何言われてもかまわない、金なんぞ持ってたってしょうがない。教会のことができりゃこんないいことはないんだから。私が教会を買って、そして新築して、なあにいけなかったら自分でもって教会を拵えりゃいいんだ、と思ってすっかり裸になっちゃった。裸になってこっちへ来た。
神様の言葉に『身を捨ててこそ立つ瀬がある』とある。私はもうお道の事には、自分を捨て切ってやったんだ。
東京でもって散々自分の物を捨てて、人に教会を拵えてやったりなんかして立たしてきた。で、私は教会を持って立つのは嫌だから、なるべく地べたへ寝て、一代地べたへ寝てゴザを敷いて、そして布教しようと思った。それ位やったら、ねぇ来生は少しは人間らしい人になるだろうとやってみた。だからこっちへ来ても、そこにゴザひいて布教した。
そうしたら、どうもまあまあ人の助かること恐ろしい。医者がもういけないという病人が、僕がお願いしたら治っちゃう。ねぇ、だからどうも、神様の事は一種別なもんだよ。やって、やって、やり切って通った道が、おかしいじゃないか。とにかくご覧な、周りはぐる~っと皆道路だもん、こんな教会ありゃしない。

つづく

『関根先生の御講話』[B] (「愛町分教会初代会長様のお声」より)

2009年01月23日 10時35分22秒 | Weblog
先代の麹町の会長さんが、もうひじょうに可愛がって下さった。子供以上に可愛がって下さった。「豊ちゃん、豊ちゃん」と言っちゃ可愛がって下さった。そして教会で育てられた。本郷二丁目に二軒長家の片っ方を借りて布教してなすった。息子さん達は反対…。
そこで、私が一緒に働いている内にお父っつぁんが死んじゃって、財産貰ちゃった。そのお金の使いどころがない。だもんだから、自分で好んで、あの今の大教会の建っている地所を私が買った。その時、まだ東京市にならない。でも東京市になるに決まっているんだ。私はそうとみたもんだから、私が買った。そしたらまあ、皆びっくりした!
そんなとこを買って大教会の地所…。まあ何でも僕がいけなかったら持ってるからいい。僕が持ってたってそこの地所に家作さえすりゃあ、もうそれで何にもしなくたって食ってられる。それから地所を買っちゃって、お金がまだあってしょうがない、それからそこに新築してあげた。そうして働いたよ。素っ裸になって働いてたんだ。
だもんだから、みんなが憎がった、親たちが…、「そんな事しちゃったらお前どうするんだ?」「私しゃどうするんだって?こじきしたっていいじゃないか…」「そんな馬鹿な事ばかり言って、いくら天理教やったって、そんな馬鹿になる奴があるもんか…」
それからまあ教会を買ったげて、それからこっちへ来ちゃった。裸一つで…。こっちへ来たら、一年経ったら新築ができちゃった。これは、本部でもびっくりしたよ。なにせ、どうも神様の事はねぇ、これは特殊なもんだ!

つづく

『愛町分教会初代会長関根豊松先生』

2009年01月22日 10時40分30秒 | Weblog
今日は、愛町分教会初代会長関根豊松先生の御命日です。数えでは四十一年、満では四十年目の御命日になります。

僕は、長谷の観音様を信仰していた頃から、当時のお師匠様に『天理教には、誠に素晴らしい愛町という教会の会長さんがおられる。』ということをお聞きしていました。
しかし、もう命が無いというところまで追い込まれた約五年前に、再びお道に導いていただきました。

それから、とにかく愛町の初代会長関根豊松先生のことを詳しく知りたいと資料を探し求めていましたが、なかなか見つからずにいました。
ところが、三年くらい前に所属の教会の本棚をごそごそと探していたら、ほとんど目のつかない開きの中に、関根先生の伝記である『因縁に勝つ』というご本がありました。それを見つけさせていただいた時には、もうほんとにびっくり仰天しました。
たぶん、僕に『因縁の自覚』ということを厳しく仕込んで下さった理の親さん(その教会の親々会長さんで上級の教会で勤めておられます)が求められて本棚の奥深くにしまっておかれたのだと思いますが、そのことを現会長さんや会長さんのお母さんにお話したら、ぜんぜんご存知なかったようで、またまたびっくりしてしまいました。
それで、これはもしかしたら、必死になって道を求めていた僕に、神様がプレゼントして下さったのかも知れないなあと、深く深く御礼を申し上げました。

それから、昨年の始めには、『愛町分教会初代会長様のお声』という幻のレコード(LP版)をお与えいただき、暮れには、『赫ける神人』というご本をお与えいただくことができました。

今年は、これからも精一杯頑張って、教祖(おやさま)のひながたの道を通り切られた関根豊松先生のお言葉や道すがらを主として書かせいただきたいと思っています。

ひろ