goo!版・天理教よふぼくの集い

僕は、四年前に無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのため毎日ブログを書かせていただいています。

『心のたんのう心第一』

2008年09月30日 10時19分23秒 | Weblog
『さあ/\いかなる処身上一条尋ねる。尋ねる処、さあよう聞き分けねばならん。何程十分々々まあ十分暮らする。何かに十分暮らする処、これまで何も/\分からん。分からん間そのまゝ。身の内理上神のかりもの、聞いて/\一つ理を聞き分ける処速やかならん。尽す一つ理上ある。まあこうして月々年々暮らす。一々不自由、一寸心のたんのう。身の内一つ不足、十分心持ち、身のかりものこれを聞き分け。十分理まえよう聞き分けて置かねばならん。まあたんのうして十分たんのうの心の誠より無いものである。一時成る成らん、日々不自由、よう聞き分けて思案、分からんであろ。じっと身の内治まった処たんのう。誠の誠十分を受け取る。いかなる心十分思う。尽せども、一時一寸思う処聞き置き、いかなるも世上世界を眺めればいかなる人もある。一時何も不自由無く、たんのうの心分からん。心のたんのう心第一。めん/\天のあたゑ十分にあるものじゃ。今までどういう事も世上聞き置く。神の道、思いを取り直せ。理を聞き分けて、心と神の道と身の内話聞き分け。第一身の処
不自由年々不足と聞き分け。何不自由無き処聞き分け。たんのう誠、一つ取り直せ。心早く急ぐ。』(M20.08.16 おさしづ)

【堪忍】と【たんのう】

2008年09月29日 10時16分56秒 | Weblog
『成ってくる理、あるいはあるがままをそのまま何一つ愚痴や不足心を持たずに素直に受け入れること』、まずこれが【堪忍】ではないかと思案します。
そして、それがもう一歩進んでくると『因縁の自覚』ができるようになり、『さんげ』の心がわいてきて、たとえいかなる難儀なことが生じて来たとしても、“決して不足せずに、大難を小難に通らせていただけた”と『感謝』の心がわいてくるようになる。そして、すべての成ってくることを『十分に満足』させていただけるようになってくる。
このように、いかなることに対しても『十分に満足して心を治めさせていただくこと』を【たんのう】というのではないだろうか!?と思案させていただいています。

ひろ

『後とも知れず先とも知れず…』

2008年09月28日 09時19分28秒 | Weblog
『さあ/\尋ねる事情/\、身上に迫る処、尋ねる。尋ねるからは一つ諭しよう。よう聞き分け/\。この道は、常々に真実の神様や、教祖や、と言うて、常々の心神のさしづを堅くに守る事ならば、一里行けば一里、二里行けば二里、又三里行けば三里、又十里行けば十里、辺所へ出て、不意に一人で難儀はさゝぬぞえ。後とも知れず先とも知れず、天より神がしっかりと踏ん張りてやる程に。二人三人寄れば皆皆話し、今までは、わしはこんな心で居た、俺はこんな心使うて来た、と皆んなめん/\の心通り、言わしてみせる。神の自由自在、よう聞き分け/\。案じる事要らん/\。こういうさしづあったと、皆々の処へ伝えてくれ。一人や二人のさしづやないで。皆々伝えてくれ/\。』(M20.04.03 おさしづ)

『成程の理』

2008年09月27日 10時20分33秒 | Weblog
『さあ/\身上一つの処、さあ/\心得ん/\いう処、めん/\身上心得んと言う。一つ諭しよう。何かの処諭しよ。めん/\事情聞いて、理を聞き分けんという処、めん/\心の事情、心事情世界にある。諭して居る処の理を聞き分け。いかなるも速やか、身上速やか。さあ/\、身の処より定まらにゃ、定まりあらせんで。 身の処諭する処、成程の理が見える見えんは、成程の理を見てくれにゃ分からん。』(M20 おさしづ)

『堪忍』

2008年09月26日 08時06分45秒 | Weblog
『これからの道危なきの道もあれば頼もしい道もある。危なき道よう堪忍して。この道は難しい事は要らん。堪忍はこの道を始め掛けたると言う。よう尋ねて始め掛けてくれた。堪忍互い結ぶなら、あら/\の道。堪忍というは誠一つの理、天の理と諭し置く。堪忍という理を定めるなら、広く大きい理である。………心に堪忍戴いて通れば晴天同様、一つ道と諭し置こう。』(M26.07.12)

『どんと心下ろさにゃならん』

2008年09月25日 09時48分15秒 | Weblog
『さあ/\尋ねば一つ、前々の一つのさしづ身の処、又々一つ分からん。前々身の処、めん/\に一つ定め踏ん張りの処、内々一つの処、定め一つを、未だ/\身の処、速やかならん。さあ/\聞き分け/\。めん/\踏ん張り一つでどうでも成ろ。一寸の理であろまい、大層であろ。安心ならん。早く/\安心の理を定め。内々安心ならん。多くの中の一名である。理を見て一つ、どんと心下ろさにゃならん。内々も見分けて治めにゃならん。』(M20 おさしづ)

『案じ思えば案じになる』

2008年09月24日 09時37分10秒 | Weblog
『さあ/\いかなる尋ねる事情を、どういう事聞き分けと言うならば、とんとなる案じ/\、とんと随分急く処、一つ治まる。誠真実定めば連れて通るという処、前々より知らしある。案じがあってどうもならん。あちらもこちらも、世界中へ柱を付けてある。怪しい道であれども皆連れて通ってある。十分々々の実を尋ぬれば 、真夜々々々々に尋ね出るよう。一寸の事と言えば、一寸のさしづして置こう。一寸一寸の何事も案じの無きようのさしづ。実を聞けば、実を知らそ。五十年以前からの道、何でもない所の何でもない者、一人の処をよう思案して見よ。聞き分けば随分分かる。さあ/\案じは要らん。案じ思えば案じになる。そこを思え。よく 思案せねばならん。』(M20 おさしづ)

『“たんのう”』

2008年09月23日 09時16分17秒 | Weblog
『さあ/\いかなる処身上一条尋ねる。尋ねる処、さあよう聞き分けねばならん。何程十分々々まあ十分暮らする。何かに十分暮らする処、これまで何も/\分からん。分からん間そのまゝ。身の内理上神のかりもの、聞いて/\一つ理を聞き分ける処速やかならん。尽す一つ理上ある。まあこうして月々年々暮らす。一々不自由、一寸心のたんのう。身の内一つ不足、十分心持ち、身のかりものこれを聞き分け。十分理まえよう聞き分けて置かねばならん。まあたんのうして十分たんのうの心の誠より無いものである。一時成る成らん、日々不自由、よう聞き分けて思案、分からんであろ。じっと身の内治まった処たんのう。誠の誠十分を受け取る。いかなる心十分思う。尽せども、一時一寸思う処聞き置き、いかなるも世上世界を眺めればいかなる人もある。一時何も不自由無く、たんのうの心分からん。心のたんのう心第一。めん/\天のあたゑ十分にあるものじゃ。今までどういう事も世上聞き置く。神の道、思いを取り直せ。理を聞き分けて、心と神の道と身の内話聞き分け。第一身の処
不自由年々不足と聞き分け。何不自由無き処聞き分け。たんのう誠、一つ取り直せ。心早く急ぐ。』(M20.08.16 おさしづ)

《たんのう》

2008年09月22日 11時50分06秒 | Weblog
ほんとうに《たんのう》は難しい。なんとかわかったように思っていても、なかなかわからない。
今回いろいろな節を通してなんだか少し理解が深まったように思う。


『すべての成ってくる理をまるごと受け入れて堪忍し心を治めることを《たんのう》という』と思うようになりました。

ひろ

天理教教祖伝逸話篇一三『種を蒔くのやで』

2008年09月21日 11時24分10秒 | Weblog
 摂津国安立村に、「種市」という屋号で花の種を売って歩く前田藤助、タツという夫婦があった。二人の間には、次々と子供が出来た。もう、これぐらいで結構と思っていると、慶応元年、また子供が生まれることになった。それで、タツは、大和国に、願うと子供をおろして下さる神様があると聞いて、大和へ来た。しかし、そこへは行かず、不思議なお導きで、庄屋敷村へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いた。すると、教祖は、「あんたは、種市さんや。あんたは、種を蒔くのやで。」と、仰せになった。タツは、「種を蒔くとは、どうするのですか。」と、尋ねた。すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わる
のやで。」と、お教えになった。更に、お腹の子供について、「子供はおろしてはならんで。今年生まれる子は、男や。あんたの家の後取りや。」と、仰せられた。このお言葉が胸にこたえて、タツは、子供をおろすことは思いとどまった。のみならず、夫の藤助にも話をして、それからは、夫婦ともおぢばへ帰り、教祖から度々お仕込み頂いた。子供は、その年六月十八日安産させて頂き、藤次郎と名付けた。
 こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の胸に伝えて廻わった。そして、病人があると、二人のうち一人が、おぢばへ帰ってお願いした。すると、どんな病人でも次々と救かった。