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『カーネーション』

2011-11-08 13:24:00 | 昭和初期
NHKの『カーネーション』の公式HPで「あらすじ」を見ると、第1週は大正13年9月、つまり1924年から話が始まっている。

他のテレビ小説の主人公が当時何歳だったか検証してみる。
おしんは1907年(明治40年)に子守奉公に出された当時で7歳(数え年か?)だったとすると、1924年当時は24歳だったことになる。
『純情きらり』の桜子は1920年(大正9年)生まれだから1924年では満4歳、数え年5歳であった。
『おひさま』の須藤陽子は1922年(大正11年)生まれだから1924年当時では満2歳、数え年3歳だったことになる。

そして『カーネーション』では、第1週のうちに年月が3年経過したので、1927年(昭和2年)になったのだろう。
この時点で主人公・糸子は14歳になったらしいから、これが満年齢なら1913年生まれ、数え年なら1914年生まれだ。
なお、糸子のモデルは小篠綾子(1913~2006)らしい。
第2週で数日、第3週で2年経過したので1929年以降になっている。
第4週で1週間経過し、第5週では東京・黒田屋百貨店の火事で、和服を着た女性が逃げ遅れて犠牲になったというニュース。
これは1932年(昭和7年)12月か。
調べると白木屋の火災でこのようなことがあったらしい。

今ではこの時代でも完全に時代劇である。
主人公が父から「慈善事業で(仕事を?)やっているのではない」と言われたそうだが大正時代に「慈善事業」ということばがあったようだ。
『必殺仕業人』の「あんたこの親子をどう思う」でも又右衛門が使っていた。
『ステラ』を見ても西暦何年の話か書かれていない。

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2011年11/8 11月

関連語句
カーネーション 純情きらり おしん

シャンハイ(コン・リー主演の映画)

2011-08-26 06:22:00 | 昭和初期
シャンハイ』はコン・リー(鞏俐)主演の映画で、8月26日朝の『テレビで中国語』再放送によると太平洋戦争直前の上海が舞台らしい。

日中戦争は1987年に始まり、第2次大戦は1939年に始まり、太平洋戦争は1941年の真珠湾で始まった。
作品の舞台はいつの時期であろうか。

関連語句
上海 世界史 太平洋戦争 映画

日本人と中国人の歴史観に関して

2008-07-15 16:00:00 | 昭和初期
中国は世界がアメリカの価値観一色に染まるのを警戒し、世界に多様な価値観を求めているが、国内では「チベットと台湾の独立はだめ」という同じ価値観で染めようとしている。
アメリカも民主主義を標榜しながら、世界をアメリカの価値観で統制しようとしている。
これは「反ファシズムというファシズム」である。

中国人は義和団の暴動や満洲などでの抗日戦争を美化するが、義和団も抗日戦争をした中国人もチベットの「暴徒」と同じであろう。
中国は日露戦争後に国境が無意味になって植民地化されたが、それは居間のチベットも同じである。

中国人は、日本が満洲国を作った結果、中国本土と「東北地方」が分断されたと言いたいのだろうが、遼(契丹)の時代もシナ本土と満洲は別の国だった。
また、分断がいけないなら、日本が満洲と台湾だけでなくシナ本土も占領すればよかったことになる。

遣唐使から奈良時代へ

渤海論争、「満洲史」を想定すべし

奈良~平安初期、『竹取物語』、『陰陽師』

「侵略」されても国を奪えばいい

もし、日本が中国全土を占領していたら、日本政府は1930年代に抗日運動をしていたシナ系の国家分裂主義者を弾圧し、今日では日本政府がチベット民族を弾圧していただろう。

日本軍が空爆した四川省に自衛隊が派遣されるらしい。
これで中国で賛否両論があるらしいが、今の自衛隊が四川を空爆に来るわけではないことは自明で、中国人もいい加減、幼稚な恨みは捨てたほうがいい。
中国を空爆した国、中国と戦争した国などいくらでもある。

時代の変化、国際情勢の変化、個人の違いを無視して、かつての敵国・日本だから憎いという中国人の考えは明らかに低次元である。その意味では中国人は歴史を充分には理解できていない。

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日本人と中国人の歴史観に関して(弐)

 中国人は「日本=悪」と洗脳されながら、実際に会った日本人はいい人だと気づくことが多い。では、その日本が中国を「侵略」する悪玉と化したのは中国の側にも少なからぬ原因があったはずで、中国は自分たちの側の戦争責任を考え、反省すべきである。
 日本では東京大空襲や原爆投下に関して、日本政府と軍部がアメリカに対日攻撃の口実を与えたという、自国への批判に行き着くが、中国もそこを見習って「抗日戦争をして中国人民を苦しめた中国政府の責任」を考えるべきだ。
 中国人は自分の国の政府を支持する意見を言う場合が多く、他国民の前で自分の政府を批判しない。
 中国では、特に知識分子は自国批判ができないらしいが、これは異様である。日本では知識人こそ、自国を批判するのである。
 裏を返せば、日本国民もいつもは自国政府を批判していても、外国人に対しては自国・日本の政府に成り代わって、政府の考えを強調してもいいはずである。
 日本国民として大東亜・太平洋戦争をなぜ支持したか、そしてそれは中国の側にもどういう責任や原因があり、互いに何が間違っていたかを話す必要がある。

 多くの中国人が言う「一握りの日本の『軍国主義者』と日本国民は区別すべきだ」、「日本人民も日本軍国主義の被害者だ」は中国国内向けの台詞であって、日本人が自分たちで「自分たちは被害者であり、日本政府と旧日本軍が全部悪い」と考えるのは卑怯である。日本国内では日本国民全員が戦争を支持し、支えて、敗れたという認識をすべきであり、そして日韓併合、満洲国建国、大東亜・太平洋戦争などの大儀を政府に代って国民が外に説明すべきなのだ。
 日本では中国側が半ば外交辞令として言う「日本人民も日本軍国主義の犠牲者」という美辞麗句に甘えすぎていて、満洲国建国や大東亜戦争に関しても自分たち庶民の責任を放り投げ、当時の天皇、政府と軍部に責任を押し付けて、自分たちは無罪だと想いたがる傾向がある。

 沖縄の集団自決でも多くの大衆、マスコミは「軍の関与があった」ということにこだわり、「軍」が悪ければ「市民」は悪くないという逃げ口を作りたがっている。しかし、たとえ、「軍」が関与していても、「軍人」は軍服を着た市民であり、「軍の関与」があっても日本国民の国民性や当時の輿論が戦争の悲劇を生んだことには変わりがない。

 昨今の格差社会でも「小泉内閣のせいだ」という意見があるが、小泉内閣を圧倒的な支持率で熱狂的に支えたのは日本の大衆である。
 今の世界での戦争への反省は、日本がやった戦争の結果の悲惨だけが強調され、それを生んだ内外の原因が無視されている。
 中国人が日中戦争に対して持っている考えは、「自分の国が侵略されたから悔しい」という幼稚なナショナリズムの感情論にとどまっている。
たかが感情ごときを捨てて、人類全体にとって戦争がいかに悪いことかを考えるべきであり、中誤記がやった抗日戦争も人類に対して有害であったし、そもそも、中国も「侵略」で国土を廣げた歴史がある。

 どこの国であれ、「侵略」で国を作りながら、他国から「侵略」されるのを嫌がるという身勝手なところがあり、そこは日本も中国も同じである。

SAPIO最新号
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 5/28發賣の『SAPIO』6/11号でロシアに関して非常に参考になる記事がある。
ロシア人は国内では新大統領Medvédevを批判するが、外国人が同じ批判をすると怒り、また、自国政府への批判は国内で、あるいは同胞どうしでするものであり、外国人の前では自国の悪口は言わないらしい。
 それで、日本の野党議員が海外で自国の總理大臣の靖国神社参拝などを批判することについて、あるロシア人が「選挙で選ばれた自国の首脳をなぜ海外で批判するのか」と記事の筆者に疑問を投げかけたらしい。

 中国人も自国の政治などの腐敗を批判しながら、外国人が同じ批判をすると激怒する。
 そうなると、日本人が外国で、あるいは外国人に対して日本の悪口を言うのは、自国だけでなく己個人の恥をさらしていることになる。

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日本人と中国人の歴史観に関して(参)

「日本の軍国主義」を批判する場合、それは「日本」が悪いのか、「軍国主義」が悪いのか、区別する必要がある。
もし、日本人が世界でも例がないほど軍国主義におちいりやすいなら、日本という国をこの世からなくして、ネパールが王制を捨てたように日本も天皇制を廃止し、日本列島を他の国の一部に併合するのが一番いいし、それ以外に方法はない。
平成の大合併と同じである。
一方、もし、「軍国主義」が悪いのなら、「中国の軍国主義」も悪いし、「ロシアの軍国主義」も悪いし、「イギリスの軍国主義」も「朝鮮、韓国の軍国主義」も悪いことになるから、世界中で軍国主義を作らない努力をすべきであろう。

中国人の歴史観の問題点は、「中国は悪くない」、「日本が悪い」、「日本人がこういうことをした」というように国家や国民を単位にして考えていることである。「中国人」や「日本人」は頭の中だけの作り物であり、戦争をするのは個人である。むかし、日本人が敵だったから今の別の日本人を憎むという考えが中国人の間が主流であるようでは、日本での中国人の犯罪によって全ての中国人が批判されても仕方がない。
60年前の犯罪者が今の遼寧省の人間だからといって、今の遼寧人を全て同類に扱うのは間違いである。

例えば、秦が他の六国を「侵略」した戦争、『三国志』にある魏、呉、蜀の「侵略」戦争など、中国の地域同士で戦争の加害者、被害者となった歴史がある。始皇帝没後ならともなく、今、「趙」の人が「秦」の人を恨むだろうか。そんな人がいたら、よほど、視野の狭い人である。

「国」というのはたかが制度にすぎない。

戦争への反省が「どこの国が悪い」、「この国が被害者」、「この国が加害者」というように「国」単位でおこなわれているのでは、進歩がない。
中国が日本軍から空爆を受けたとしても、それは「日本が悪い」のでなく「戦争が悪い」というように見なすべきで、中国を含めた世界各国が戦争をしていた状況、義和団のような暴徒がいた状況では中国が日本以外の別の国から空爆されても不思議ではなかったというように、自分や相手の国籍を問わず、地球人同士として国際情勢の中で戦争を「反省」すべきだろう。

すると、「日本人の歴史観」、「中国人の歴史観」というのも幻想であり、結局、国籍が「日本」だったり「中国」だったりする地球人の十人十色の歴史観があるだけである。
本来、歴史認識は個人によって違うし、同じ個人でも一生の間に変わるものである。

そして、「左翼」も「右翼」も「軍国主義」もことばだけで、実態は存在しない。
野球の外野や鳥、飛行機の「左翼」、「右翼」は例外である。

中国人は何かと「右翼分子」という詞(ことば)を使うが、そんなものは詞だけで、存在しない。


もし、中国人が日本人と同じ国民性を持っていたら、まず、日中戦争の犠牲に関しては、相手国・日本を恨む気持ちは忘れ、日本軍から自国民を守らなかった中国軍と中国政府の責任を強調し、中国の市民団体が中国政府を相手に裁判を起こしていただろう。
また、今回の四川省地震では、中国人は日本に感謝するとともに、最初に日本の部隊の受け入れを拒否して救助を遅らせた自国政府の責任を問うであろう。そして、こんなに親切な日本に自国を攻撃させる口実を作った旧中国軍部の暴走を反省するのが歴史学習になっていたはずだ。

また、もし、日本人が中国人と同じ国民性を持っていたら、中国、ロシア、アメリカを「侵略者」として批判し、これらの国の歴史教科書に干渉し続けていただろう。

ガイドブックか何かで「中国人と会話するときの注意」として「文革など、中国の体制を批判することは、中国人にはなかなかできない。とくに知識人ならなおさら」とあって、疑問に想った。日本では知識人なら、一番、自国の政府に対して批判的であるのが誇りなのだ。中国ではそうではないのかね。中国の学者は政府のスポークスマン、俗に言う「御用学者」なのかね。

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歴史 歴史観

▲「帝国軍人」は今と同じ普通の人だった(『私は貝になりたい』)

2008-02-28 16:02:00 | 昭和初期
▼「帝国軍人」は今と同じ普通の人だった(『私は貝になりたい』
中村獅童主演のドラマによると、一九四〇年に陸軍に召集された加藤哲太郎は「終戦」当時、外国語が得意ということで、新潟で俘虜収容所の所長をしていた。玉音放送から数箇月前、逃亡を図った捕虜が処刑された。その処刑のとき、哲太郎はいなかったようだが、哲太郎は戦争が終わって部下が罰せられることを予想し、自分が罪を背負って逃走。所長なら部下の罪を背負うのは当然で、時津風邪部屋の元親方やオウムの麻原も見習うべきである。
世間で言われる「無条件降伏」とは誤解であり、実際は「有条件降伏」だった。俘虜収容所関係者はBC級戦犯として裁かれることとなった。それは『戦場のメリークリスマス』でも同様である。

「終戦」から三年、哲太郎は逮捕された。
一九四八年師走から始まった軍事法廷で、哲太郎は絞首刑を宣告された。家族は必死に助命嘆願の運動をするが、急速に進む戦後復興の中、その声はかき消されていったらしい。つまり、一九四五年八月十五日は戦闘行為の終結であり、その後の軍事法廷こそ日本の戦争の正念場であった。ところが日本の大衆は、日本の政府と軍が負けると、途端に責任を放り出して復興に夢中になり、元軍人の名誉を守ること、戦争の功罪の検証、反省などすっかり無視してしまった。家族がマッカーサーに直訴、加藤哲太郎は終身刑に減刑、すぐに禁固三十年となり、一九五八年出所(Wikipedia「加藤哲太郎」より)。

フランキー堺主演の『私は貝になりたい』では、同じ境遇の主人公・清水豊松が絞首刑となり、「生まれ変わるなら、私は貝になりたい」のことばで終わる。このテレビ版が放送されたのが一九五八年だったらしい。
もし、日本軍人が本当の帝国軍人、言い換えれば軍国主義者であるなら、国が負けた時点で自分たちが処刑されることは覚悟の上であるはずだ。むしろ、自分が裁かれる法廷の場で、パール判事と同様、勝者による裁判の問題点、さらに歴史上、アングロ・サクソンが重ねた罪を並べ、日本の戦争の正当性を後世に残すため、ことばで戦ったはずだ。そして、多くの戦友、戦争指導者とともに靖国に祭られるなら本望と、処分を受け入れたはずである。

実際の日本兵士が、「敗戦」のあとに弱腰になって、「自分の意思ではない、上官の命令だ」などと、元時津風邪部屋力士のようなことを言うとことから見て、日本軍人は対して皇民化教育に影響されていなかったわけで、半世紀以上前も今の人と同じ意識を持っていたことがわかる。
つまり、第二次大戦当時、「日本軍国主義」という得体の知れぬ化け物がいて、人々があやつられたような歴史観は、余り正しくない。命令にしたがった結果、あとで上司と部下の責任問題になるのは、最近の食品の賞味期限や生産地の改竄でもあったと想う。
江戸時代の奉行を主役にした時代劇では、白州で犯罪の首謀者が「子分たちが勝手にやった」と言い、子分は「親分の命令で」と開き直る場面が多かった。もし、逆に首謀者が「子分のしたことについては全部、俺の責任」と言い、子分が「あっしらがしたことで」と言えば、むしろ、評価は違っただろう。残念ながら現代の裁判制度では、辯護士という者たちの入れ智慧もあり、被告とされた者がいかに罪を逃れるかが法廷戦略となっている。相撲部屋の事件、食品の安全性での関係者の「ひとごと」のような態度は、すべて、辯護士、法律が支配する社会での、法廷を意識した戦略であろう。
沖縄の集団自決に関しても、日本軍人は軍服を着せられた市民にすぎない。「終戦」から六十年たっても自殺の強制は「無理心中」という言い方で、半ば、正当化されている。戦争や軍隊だから悪いという問題ではない。
沖縄でアメリカ兵(つまり、昨今、はやりのことばでいうヤンキー)がやっている犯罪も、アメリカ人が民間人だとしても、アメリカ人でなくて中国人や朝鮮人でも、不心得者が同じ罪を犯していた可能性がある。では、どう防衛するか、それが重要である。

極東軍事裁判、戦犯になった日本人に関しては『東京裁判』『プライド・運命の瞬間(とき)』『明日への遺言』、『私は貝になりたい』がある。『明日への遺言』は米兵を処刑した部下の罪を背負って信念を貫いた中将の話。『私は貝になりたい』の元兵士がこの中将の部下だったらどうだったか。
『はだしのゲン』によると、戦時中、日本兵がアメリカの捕虜の病気を灸でなおし、米兵は「東洋の医学はすばらしい」と魚炉込んだが、「終戦」後、その日本兵は助けたはずの米兵から「火あぶりの虐待を受けた」と言われて、裁判にかけられた。また、別の日本兵は、米兵が腹をすかせていたのでゴボウを食べさせたが、「終戦」後に「木の根を食べさせられてひどい目に遭った」と批判されたらしい。
これは「アメリカの正義」の一面性であるとともに、「法廷」なるものの欺瞞をしめしている。法を守らない者や、裁判所の決定にしたがわない者が今でも多いのは当然。ガリレオ裁判は三百年かかったし、江戸時代には国外から帰国することも違法、昭和の初めは戦争に反対することも違法だった。裏を返せば戦争の禁止を「憲法」という紙切れで決めたところで、そんなもの、実効性はないということだ。

一九四五年八月十七日、占守島(しゅむしゅたう)をソ連軍が攻撃。双方で数千名が犠牲となった。戦争は八月十五日以降も続いていた。今でも続いていると想ったほうがいい。
日本の戦争は邪馬台国やヤマトタケルノミコト(日本武尊)の時代から列島内部での戦争があり、大陸では秦による周辺国への「侵略」と、魏・呉・蜀三国の戦争、新羅が百済と高句麗を「侵略」した国際情勢もあり、白村江、蒙古襲来、日本列島内部の相互「侵略」=「国盗り合戦」を経て、大航海時代に朝鮮への派兵に發展。これは頓挫したが、日本も琉球と蝦夷を「侵略」して併合。欧洲での魔女狩りや宗教裁判など、キリスト教会の脅威の中で日本はキリシタンを弾圧して鎖国。そして、18世紀にはロシアとアングロ・サクソン、スペイン系民族が欧洲から地球を半周して太平洋近辺に接近。アメリカ大陸や豪州の先住民族も虐殺され、国土を奪われた。
アヘン戦争から黒船、薩英戦争、日清、日露、第一次・第二次大戦、東西冷戦、沖縄の反米運動は、ロシアとアングロ・サクソンの脅威の中で日本が右往左往した結果である。

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『私は貝になりたい』【作品】
2008年9月14日 [1]

フランキー堺主演
中村獅童主演
中居正広主演

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2008年2/28(真珠湾~東京大空襲~沖縄戦~原爆~「終戦」~東京裁判)
2008年2/28(東京裁判~星飛雄馬の高校時代、プロ入団)

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東京裁判 私は貝になりたい