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▲原爆投下~玉音放送

2008-02-28 16:00:00 | 昭和初期
▼原爆投下~玉音放送(『はだしのゲン』、『ドラえもん』)
『はだしのゲン』もこの「終戦」の年の四月から記録されている。もとは『おれは見た』という自傳(傳≠傅)的作品であった。
原爆に関しては井伏鱒二も『黒い雨』でも扱っている。中沢啓治も『黒い雨にうたれて』を書いている。
『はだしのゲン』の主役、中岡元は当時、小学生二年。誕生日は一九三七年度(一九三七年春~一九三八年春)であろう。父親・大吉が戦争に反対していたので警察に連行されて殴られ、戦争を支持する町の者たちから「非国民」と呼ばれ、村八分にされた。父親は下駄に絵を描く仕事をしていたが、英子、元、進次が運ぶ際に町の者がいじめて下駄を川に落としてしまい、英子は学校で泥棒の濡れ衣を着せられ、また中岡家の麦畑も破壊された。日本国民のほとんどが戦争に協力し、進んで少数の反戦論者を弾圧していったことがわかる。「終戦」後になって。ひとごとのように「政府、軍部が悪かった」と言っている日本民衆、マスコミの偽善がここで見えている。同時に、多数意見を絶対化する「多数決」の安易さがわかる。
投資ブーム、手書きからワープロ、パソコンへの強制的な切り替え、テレビデジタル化の強制、エコロジーや禁煙など、世の中の流れに逆らうのは困難で、「大東亜戦争」もこれと同じである。株券電子化など、知らないうちに株主にされていた例もある。戦争への協力も同じだろうし、裁判員制度も赤紙と同じだろう。
こうなると、戦争が終わってから、「反戦」が輿論の主流となった時代に戦争を批判するのが、いかにご都合主義か、よくわかる。

ゲンの長兄・浩二は予科練に志願し、次兄・昭は田舎に疎開。

のび太の父・のび助も少年時代、疎開を経験していた。のび助は、昭和二〇年六月十日、食べ物がないつらい時期に「白ゆりのような女の子」からチョコレートをもらったと記憶しているが、その「女の子」は女装した息子・のび太であった。
また、のび助の弟(つまり、のび太の叔父)・のび郎によると、
争中、空襲で動物が逃げるのを防ぐため、動物園の象・ハナオが殺されたらしい(「ぞうとおじさん」)。実際はドラえもんとのび太がスモールライト(縮小灯)でハナオを小さくし、郵便ロケットでインドに送っていた。しかし、戦争中だったので、飛行物体は怪しまれ、撃墜される危険性があった。のび郎の証言によると、幸い、ハナオは無事、インドに着いたらしいが、どこでもドアを使ったほうが確実だったのではないか。

話を『はだしのゲン』に戻すと、中岡大吉は「アメリカと日本では資源がちがう」、「資源のない小さな国の日本は平和を守って世界中と仲よくして貿易で生きるしか道はないんだ」、「日本は戦争をしてはいけんのじゃ」と言っている。
そうなると、資源のある国が戦争をしていいことになってしまう。
また、大吉は日中戦争および太平洋戦争について、「軍部のやつらが金持ちにあやつられ、武力で資源をとるため、かってに戦争をはじめて、わしらをまきこんでしまったんだ」、「ひとにぎりの金持ちがもうけるために、国民のわしらになにひとつ相談もなくかってにはじめたのだ」と言っている。これはアメリカ、ロシア、シナといった外の戦争の原因への視点が欠けているが、のちにゲンと弟分・隆太は「戦争を起こした奴」と「ピカを落とした奴」を両方とも許せぬ責任者としている。久間元防衛大臣の「原爆しょうがない」發言は、日本が他国から戦争を仕掛けられた場合、報復に日本が敵国に原爆を落としていいという結論になる。
また、中岡大吉の言う「少数の金持ちが国民を無視」というのは、今の格差社会や、企業が勝手に生産を中国の工場に移している問題にも当てはまる。また、手書きからパソコンや携帯への移行の強制、株券電子化の強制、テレビの「地デジ」など、一部が国民に相談もなく、勝手にやっていることは多い。
日本では金持ちが金を公共に寄付する考えがなく、貧困層に分配されない。ゴッホ(Gogh)やルノアール(Renoir)の絵を買って、「自分が死んだら絵も焼いてほしい」と言った日本企業幹部もいたので、人類共通の遺産と言えるものは、オークションに出さす、公共の博物館などで保管したほうがいい。

戦争の原因を言うなら、第二次大戦だけでなく、秦王(始皇帝)が六国を「侵略」、「植民地支配」した戦争、『三国志』の戦争、川中島の戦争などの原因も考え、関係者を断罪し、被害者に賠償すべきであろう。自分の経験した戦争だけを問題にし、それ以前を単なる「歴史上の事件」にするのが人間の悪い癖である。

「國民食堂」では雑炊に箸が立つということで人が並ぶほど、食糧難だった。粥も米が少なく、顔が映るようなもので、もはやただの汁、「おもゆ」であった。
中岡家は知人から分けてもらったイモを警察に「ヤミで手に入れた」と見なされ、大吉、ゲン、進次は警官に殴られ、身ごもっていた君江も警官に蹴飛ばされ、イモは没収された。ここで警官が没収の口実にした「みなが空腹に耐えているのに、自分たちだけ食糧を独占するのはけしからん」というのは「平等」思想であり、「イモは兵隊の食糧」、「天皇に恥ずかしくないのか」は軍隊と天皇に特権を与えた差別思想である。これだから、格差社会の被害者はいつまでたっても救われないのだろう。社会の底辺の人は軍隊、自衛隊に入ったほうがいいということになるが、これも「政治」が作った間接的な徴兵システムであろう。
このように、「平等」と「差別」は表裏一体である。例えば、「日本国憲法」で「(日本)国民は法のもとに平等」とあるのは、「国民」でない人間を差別することに繋がっている。これはもう、宗教に近い。
一方、この警官も「大東亜戦争」の大儀を考えるなら、まず、一人でも多くの民衆に糧を与えることを考えるべきであった。「国のため」と言いながら、その「国」とは「天皇」と「軍」だけで、「(軍人以外の)国民」は入らないのであろうか。この警官の行動がかえって政府や戦争への反感を強める結果になった以上、この警官こそ「非国民」であるし、妊婦を蹴るなど言語道断。将来の小国民を誕生前に殺す気だったのか。この件で君江は「こんな日本なんかふっとんでしまえばいいんだ」と嘆いていた。こう言わせるまでに堕落した日本など、早く他国に併合されたほうがいいのではなかろうか。

大吉は「わしら貧乏人にとって戦争などなんひとついいことはない」として、平和を望んでいた。ところか六十年余りたって「ネットカフェ難民」(ネットカフェ関係者には不評らしいが、使用者は気にしないだろう)や「ワーキングプア(就労貧困層)」、「フリーター」(「フローター」のほうがいい気がする)が問題になっているとき、その格差社会の底辺にいると想われる人たちが「いっそ、戦争でも起きてほしい」と言っているようだ(赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』朝日新聞社『論座』二〇〇七年一月号」)。
つまり、「大東亜戦争」は貧困層が現状打破の切り札としての望む「戦争」でも国を豊かにできなかった意味で一時的には大失敗であった。フランス革命も一種の国内の戦争であり、ケーキもパンも食えない貧困層が怒ると戦争=一揆になる。戦争に反対する人たちが一揆、暴動、武力闘争を支持するのは大きな矛盾である。

『はだしのゲン』によると、被爆直前の廣島(→広島)にはアメリカ人の捕虜もおり、空爆を免れるため、Pという字を書いていた。Pris-on-er(=捕虜)の意味らしい。英子、ゲン、進次はこれを知ると、自分の屋根にPと書いた。
大吉と妻・君江は感動し、「わしは生きぬくぞ」、「こんな戦争で死んでたまるもんですか」、「あたしゃ、あの子たちを守るためならドロボウでもしてやりますよ」、「戦争をおこしてなん百万人の命の上にあぐらをかいて、かげでうまいものをくっているやつらにくらべたら、ドロボウなんてメじゃないわい」と言っていた。
戦争という殺し合いが正当化される社会では、もはや、あらゆる道徳は風化する。だから日本では殺人犯・赤穗浪士や窃盗犯・鼠小僧が英雄視され、いつまでたってもカネ目当ての住居侵入、窃盗、殺人が耐えないのだろう。
ゲンたちが書いたPの字は役に立たなかった。アメリカの原爆投下は、Pの書いた建物だろうと、無差別に破壊し、燃やした。
アメリカ側は初めから日本で核実験を予定し、原爆を落とすまでには日本を降伏させないよう、ポツダム宣言の内容や形式にも気を使ったらしい。
これに対して「黙殺する」などという、翻譯不能の妙な日本語で答えた当時の日本政府も思慮が足りなかった。
原爆に関しては、日本軍が事前にB29を迎撃できなかったのが大失態であるし、アメリカの核開發を事前に予知できなかった意味で、情報戦で失敗している。
現地で作業にあたっていた九州出身の兵隊がいた。ゲンとその兵士は焼け跡で防火用水に逃げ込んで死んでいた犠牲者を見て落涙。ゲンは「アメリカをやっつけてくれよ」、兵士は「やっつけてやる、アメリカを」と言っていた。この兵隊は「ピカの毒」の原子病で倒れ、逆にゲンが兵士を救護所に運ぶことになる。救護所についたとき、兵士は死んだ。こういった悲劇はアメリカではつたわっているだろうか。ゲンが真珠湾と廣島を別だと考えるのは、この犠牲者の無差別さと「ピカの毒」であろう。
アメリカの映画『The Day Af-ter』が描いた核戦争直後の地球は、町も人間もたいした被害を受けていなかったように見える。
(注釋・これは氷河期の到来を描いた『The Day Af-ter To-mor-row』とは別)
同じくアメリカの映画『True Lies』では核爆發の爆風を受けた人間がすぐに立ち上がって、走り出したようだった。アメリカ人は核をただのきのこ雲だと想っているようだ。
のちに焼け跡にアメリカ人の遺体があり、廣島市民が恨みをこめて石をぶつけていたが、ゲンだけは見るだけで「アメリカは自分の国の人間も殺した。ひどいやつらじゃ」(要約)とつぶやいた。
ゲンの父・大吉もアメリカ人の捕虜に同情的で、憎みあう戦争が悪いという考えだった。『はだしのゲン』を単純に「反米」と位置づけるのは無理であるが、少なくとも、かつて、「鬼畜米英」と呼ぶほどアメリカを批判していた日本の「大和魂」を受け継いでいるのは、その戦争を否定しているはずの沖縄の反米運動だけである。つまり、ヤマト(大和)のほうが腰抜けになったのであり、ピカを落とされて降伏した日本人が、「東京裁判」、「米軍基地」、「日本国憲法(昭和憲法)」、「安保条約」などを無批判に受け入れていることが、原爆の威力の正当化につながって、「原爆しょうがない」發言を生み、世界中の核競争を呼んでいると言える。

映画『LOST MEMORIES』では、原爆はベルリンに投下され、日米連合軍が東アジアを統合。これが実現していたら、拉致問題もなかったか、あっても早期解決しただろうが、農薬入り餃子や鳥インフルエンザ問題で「水際で防ぐ」ことはできなかっただろう。

『夕凪の町桜の国』は原爆投下当時(1945年)とそれから13年後(つまり
1958年か)を扱っている。

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『霧の火』『私は貝になりたい』『ガラスのうさぎ』『ひめゆりの塔』『はだしのゲン』

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2008年2/28(日中戦争~真珠湾~東京大空襲~沖縄戦~原爆~「終戦」)
2008年2/28(真珠湾~東京大空襲~沖縄戦~原爆~「終戦」~東京裁判)

関連語句
1945 はだしのゲン 原爆

▲太平洋戦争

2008-02-28 15:57:00 | 昭和初期
▼太平洋戦争(『トラ・トラ・トラ』、『パール・ハーバー』、『ビルマの竪琴』、『硫黄島からの手紙』)
1941年の真珠湾攻撃は映画『トラ・トラ・トラ』、
『パール・ハーバー(Pearl Harbor)』に出てくる。
フランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt、1882~1945)は日本の攻撃を事前に知っていたが、日本と戦争をするために、やらせたらしい。

チャーチル(Churchill、1874~1965)もドイツ軍による空爆計画を察知しながら、情報戦で勝つために、11月14日の空爆の際、避難勧告を出さず、
コヴェントリー(Coventry)市民を見殺しにしたらしい。

2001年の9/11テロも、結果としてアメリカが自己満足の戦争ゲームをする口実ができたので、ブッシュ政権の自作自演と言う声がネットなどであるようだ。
 2008年に日本でこのようなことを述べた教諭が謝罪したらしい。
└→「米テロは自作自演」教諭謝罪(Yahoo!Topics)

真珠湾攻撃は日本側がパーティーをやっていたのと、タイプライターを打つのが遅かったというのが定説だが、手書きのほうが速く書ける人は手で書けばよかったのである。年金の記録でも利用者の名前をカナに置き換えたことが問題を引き起こしたが、手書きで漢字をそのまま書き写せば問題はなかった。
タイプのほうが手書きより効率が悪いということは、タイプに計算機がついたパソコン、さらに電話がついた携帯電話にも言える。
アメリカは日本軍による真珠湾攻撃でどれだけの人が死んだとか、建物が破壊されたかは何も言わず、「卑怯な騙し討ちだから悪い」とスポーツのようなことを言う。そうなると、きちんと宣戦布告すれば、アメリカに原爆を落としてもいいことになる。戦争そのものでなく、不意打ちだから悪いということで怒るアメリカ人は戦争をゲーム感覚で考えているのだろう。そうなると、不意打ちであることを無視すれば、真珠湾攻撃など蚊が刺した程度であろう。

『山河燃ゆ』はこの時代から極東軍事裁判までらしい。

太平洋戦争を描いた記録は『男たちの大和YAMATO』、『ミッドウェイ』、『硫黄島からの手紙』など数多くある。

『硫黄島からの手紙』はLetters from Iwo Jimaである。
「硫黄島」は英語でIwō Jimaになるらしいが、これは「いわうじま(←ゆわう~)」という表記が
示す*Iwau~という音が現代音になる中間段階であろう。

日本で硫黄島の読みを「いおうじま」から「いおうとう(←~たう)」にする(戻す?)動きがあり、これがアメリカの一部で「名前の改竄」とされて問題になったらしい。こんな読みがなの違いは、同じ綴りの發音の違い、訛り程度である。問題にするほどのことではない。ただ、音と訓であれば翻譯に近い。

英語でもSulphur Island(またはSulfur~)とでも呼べばいい話だ。

シナ語で「硫黄島」を「硫磺岛」と書いて
Liúhuáng-dăoと読めばよく、日本での読み方など最初から問題外である。

1942年(昭和17年)、星一徹が巨人軍に入団したが、すぐに戦争に取られた。このとき、妻・春江が身ごもっていた子供が星明子であった。

1942年、日本軍がビルマで連合軍と戦闘。市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』で有名。
 
1943年5月20日、早慶戦中止。
└→『ラストゲーム最後の早慶戦』

1944年、沢村栄治が戦死。スタルヒンは白人であるため、連行され、抑留されたらしい。事実上、巨人軍から追放された。

1944年7月31日、サンテグジュペリ(Saint-Exupéry、1900~)の乗った戦闘機がドイツ軍の戦闘機によって撃墜された。のちに2000年になって撃墜された飛行機の破片がマルセイユ(Marseille)近郊で發見された。
 
Wikipedia山河燃ゆ放送タイトルとあらすじ

返信先: さん
漫画「キャンディ・キャンディ」によると第一次世界大戦(1914~18)で飛行船ツェッペリンがパリ爆撃に使われたようですが、ヒンデンブルク号の事故はその約20年後でしたか。1937年は日中戦争が始まった年で、1939年から第二次大戦、1941年から太平洋戦争ですね。

tweet

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2008年2/28(日中戦争~真珠湾~東京大空襲~沖縄戦~原爆~「終戦」)
2008年2/28(真珠湾~東京大空襲~沖縄戦~原爆~「終戦」~東京裁判)
 
関連語句
太平洋戦争

参照
第1次世界大戦、シベリア出兵、関東大震災 - teacup.ブログ
満洲事変から日中戦争へ - teacup.ブログ“AutoPage”
日中戦争、欧洲の第2次世界大戦開始 - teacup.ブログ

▲戦争禁止は国際法の範疇1

2008-02-28 15:56:00 | 昭和初期
戦時中のことは『母(かあ)べえ』でも出てくる。
当時は戦争に反対すると逮捕された時代のようで、法律、規則というのは理不尽なところがある。したがって、汚職、偽造品、交通違反であろうと、規則を守らない人間は必ず出てくる。

人の行動を批判するとき、「それは犯罪です」や「法律で禁じられています」と言ったところで、それは効果が限られる。

西暦2006年のテレビ報道によると、横浜の「よこはま乳腺と胃腸の病院」は「乳腺」を病院名に入れることが法律上、許されず、「よこはま と胃腸の病院」になっている。こうなると乳腺に病気ができた人はどこの病院を受けたらいいかわからない。ネットで確認すると「たかはし乳腺消化器クリニック」がある。これは「違法」なのだろうか。駐車違反への罰則が厳しくなると救急も引越しも宅配便も犯罪になる。これは大衆が無謀な駐車をしたせいで自業自得。そして、法律を守ると人を殺し、人を助けると法律に触れるというのが法律なるものの実態である。

逆に言えば、「戦後」の日本国憲法のように戦争をしないことを決めたところで、それも体制側による縛りであり、人によっては理不尽な法、ただの紙切れに見えるだろう。もし、「憲法」ごときが絶対なら、「9条」がなかったころの「終戦」前の日本では戦争をしてよかったことになるし、当時は明治「憲法」を守るべきだったはずだ。

ガリヴァーが出会った馬の論法で行けば、「戦争は殺人だから悪だ」というのが普遍的な真理、不文律であれば、法などなくても理性的な動物には理解できるはずだ。一々、法に書かないと守れないというのでは、「反戦」は単なる「意見」の一つにすぎない。

また、戦争は国家間の問題で、「戦争の放棄」は複数の国家が守る条約や国際法で決めるもので、これを日本一国だけの「憲法」で決めても、ロシアの船が日本漁船を銃撃したように、ほかの国には守る義務がなく、満洲や沖縄のように自国民が殺されるのを覚悟しないといけない。一国の法律で決めることができるのは「内戦の放棄」だけである。

日本では「どうして日本は戦争をしたのか」という論議が主流だが、戦争は相手がいるから起きるのであり、「どうして日本とアメリカと中国とソ連(ロシア)は戦争をしたのか」と考えるべきだ。日本以外の国で「9条」を適用させるなら、その国を日本領にする必要があるが、日本領になった途端、そこと本来との戦争は「内戦」、「暴動」になり、国家間の「戦争」を禁じた憲法の対象外になる。

もし、日本が世界中を占領して(『トップをねらえ!』でそういう展開になるらしい)、地上を全部、「日本」にしたら、戦争はなくなるだろう。その場合、『機動戦士ガンダム』で地球連邦からの独立を求め、戦争を仕掛けたジオンのような、独立戦争はありうる。中国にとって国内の独立運動は「暴動」であるし、大日本帝国における朝鮮の「三・一独立運動」も、言ってしまえば戦争を起こしていたわけである。

国境があるから戦争が起こると終われるが、その国境をなくして和平を実現しようとする動きも戦争になり、それは国境を維持しようとする側が反撃の戦争をするからだ。国境をなくそうとする動きは「侵略」ということばで否定され、抵抗を受けるが、その目的を達成すれば、ジョン・レノンの歌のように国、国境境はなくなり、かつて国境があったところの内外では「戦争」は起きようがない。ただ、国境を復活させようとする人たちが内戦を起こす。

中国はそれで戦争を境にして「侵略」=「統一」と、「分断」=「独立」を繰り返してきた。独立運動や自衛戦争すらなければ、すぐに世界は一つになれる。それで「国境のない地球市民」が実現する。

台湾、チベット、ウイグル、沖縄、アイヌ社会などに、もし独立(または独立維持、独立への回帰)運動があるとするなら、それらはかつての朝鮮の「3・1独立運動」や中国の「抗日戦争」と同じく、世界の「統合」を拒否する国家主義的な運動であり、「世界を一つに」の夢を妨碍する国境固定運動だということになる

また、日本が周辺の領土をどんどん飲み込んだら、外国産の食品が有害であった場合、「水際で止める」ことは、徐々にできなくなる。日ごろ、「国際化」、「グローバル」、「ボーダーレス」などと言っている庶民が、食べ物、銃、核の問題になると、途端に「国境」、「国の基準」に頼るのは愚かであろう。

日本では、赤穗浪士による吉良邸討ち入りに関しては「喧嘩両成敗」で正当化されるが、第2次大戦では日本の一方的な責任が強調されているように見える。これを逆にすれば、吉良邸のほうは浅野内匠頭と赤穗浪士という日本軍部による吉良邸への侵略、大虐殺である、一方、真珠湾攻撃は「松の廊下の刃傷」にあたり、日本の「敗戦」は「浅野への切腹処分」であり、「吉良邸討ち入り」による「喧嘩両成敗」は何にあたるか、考えてみる必要がある。

自民党政権がアメリカの言いなりになっており、沖縄の反米運動が「終戦」前の反米思想、自立精神を受け継いでいるというのは皮肉な話である。沖縄が日本政治を支配したほうが、本当の国防ができるかも知れない。
沖縄人がやっているのは「運動」と「陳情」だけで、肝腎の内閣、国会の中で多数になって国政を動かすまでには行っていない。現行憲法の前文によれば、日本国民は「国会における代表者」を通じて行動するのであって、「運動」や「陳情」で国政に参加するのではない。国会の議決より運動を優先したいなら、憲法を改正したほうがよかろう。

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2008年2/28(日清、日露~第1次大戦~満洲~日中戦~第2次大戦)
2008年2/28(日中戦争~「終戦」)
2008年2/28(戦争禁止は国際法の範疇~太平洋戦争~東京裁判)

関連語句
国際法の範疇

参照
戦争禁止は国際法の範疇1・補足(『母べえ』、乳腺の病院) - teacup.ブログ

▲日中戦争、欧洲の第2次世界大戦開始

2008-02-28 15:55:00 | 昭和初期

▼日中戦争開始、欧洲の第2次大戦(『南京大屠殺』、『野球狂の詩』、『巨人の星』、『いいタマ一本』『六千人の命のビザ』、『母べえ』)
盧溝橋、七七、通州事件、南京虐殺の通説
1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件、七七事変が起きて、日中戦争開始。
7月29日、中国の部隊が日本人居留民を抹殺する「通州事件」が起きた。日本軍の南京占領はそのあとで、南京陥落(12月13日)後、人口が増えたにもかかわらず、「終戦」後になってから「南京大虐殺」があったという説が出たらしい。

通州事件を中心に扱った映画は観たことがない。南京に関しては早乙女愛出演で『南京大屠殺』があった。内容を観ると、中国側の反日運動(という武力闘争、ゲリラ戦、テロ行為)が日本軍による反撃を生んだことがわかり、また、日本軍は戦争を終わらせるために鎮圧を考えていた可能性がある。日本と中国が反目しあうことで、中国にいる日本人、または結婚した日本人と中国人、その子供たちが、一番、被害を受けることである。

また、最初から何十万も殺すつもりなら、焼夷弾や原爆を落とすはずで(是非はともかく)、一々、刀や銃の「手作業」であれば、軍が間抜けであり、軍人個人の暴走か、あるいは、抵抗して来そうな中国人を日本軍が処罰していたら、すごい数になっただけというように見える。

大量殺人は、始皇帝もやり、始皇帝の死後、彼を敵視していた側もやったらしい。織田信長も延暦寺で同じようなことをやったし、アメリカ大陸を「開拓」していた白人もやった。これを反省するには全人類が60億總懺悔をせねばならない。

赤穗浪士の吉良邸侵入、虐殺を正当化する論で決まって出てくるのが「喧嘩両成敗」だが、それなら日本のやった戦争でも、相手国が「抗日戦争」をした罪、責任がある。
日本の場合、戦争で日本人が被害に遭った場合、直接の加害者であったアメリカ人、中国人、ロシア人などの責任を考えず、自国、日本政府の責任を問う声が多く出てくる。

もし、中国人がこの点で日本人と同じ国民性を持ったら、日中戦争での中国人の犠牲は自国民を捨てた中国政府のせいということになり、抗日戦争での中国人民への賠償と謝罪を中国政府がすることになる。実際はそうではなく、中国人はとにかく、戦争は相手がいるもので、自国の被害は相手のせいだということをわきまえており、日本人もこの考えは少し、見習うべきであろう。

映画『南京大屠殺』では、日本兵の中に台湾人がおり、中国大陸人を逃がそうとしていた。日本内地の兵士が普段は「台湾は日本の領土だから(台湾人は日本人だ)」と言いながら、その台湾人(台湾系日本人)が死ぬと、途端に「よそ者」扱いする場面があった。日本で中国製品を全否定しようとする意見があるが、それなら、なぜ満洲と台湾を「日本領」にしたのか、そこを考えてみる必要がある。

早乙女愛が演じた日本人女性は、日本兵に対し、自分やむすめが日本人であることを言って、自分たちを守っていたが、本来なら、「相手が日本人だろうと中国人だろうと、人を殺すのはやめてください」と言うべきであった。

2008年3月、チベットでの死傷者の数は誰が發表するかで異なる。1937年の南京での犠牲者の数に諸説あるのも当然で、そもそも、裁判でも被告と原告で事件に関する見解が異なる。歴史観とはそういうものだ。
 
補足
『南京大屠殺』で早乙女愛が演じた日本人女性は周りがシナ人だと日本人であることを隠す必要があったが、日本軍がくると日本人であることを言わないと逆に危険だった。
2012年秋の中国での反日暴動では、日本車に乗っている人は自分が中国人であることを国旗で証明しないといけなくなっていた。こういうシナ人の暴力的な国民性を考えると、日本軍が1937年当時、シナによる反日運動を警戒したとしても不思議はない。
中国人(シナ人)の暴力性がメディアで連日報道されると、多くの日本人は(特にインターネットで)中国を「シナ」「支那」と表現するだろう。「支那」が中国への蔑称であるということは中国を侮蔑する人は「支那」を使うべきだという意味になるからだ。

第2次大戦と野球、真珠湾攻撃前後から、すでにストライクは「いいタマ」?
1937年(昭和12年)、東京巨人軍でヴィクトル・スタルヒン
(Viktor Starukhin・Victor Starffin)がエースになっていた。
このとき、まだ17歳(推定)だった星一徹(1920~1978)がラヂオの野球中継を聴いて、川上を応援していた(『巨人の星』)。

1938年(昭和13年)、野比のび太の父親、のび助はこの年に生まれた可能性がある。「地下鉄をつくっちゃえ」では、のび助が昭和49年(1974年)の12月25日で36歳であったことが定期券から確認でき、36歳の誕生日が年明け以前(年末)なら1937年生まれで、年明け以降だったとすると、1938年生まれである。

『野球狂の詩』の「鉄五郎のバラード」で、岩田鉄五郎がこの時期を回想している。
原作では昭和13年(1938年)、当時18歳の岩田鉄五郎は帝京中の花形投手。甲子園で優勝。審判は「いいタマ、打者ダメ、これにて試合完了」と言っていた。
アニメでは昭和15年(1940年)が舞台。
画面には縱書きで























という文字が出て、やはり、審判が「いいタマ、打者ダメ、これにて試合終了」のようなことばを言っていた。

戦時中、英語から入った外来語が「敵性語」とされたのは有名だが、真珠湾攻撃で日本がアメリカと戦争を始めたのは1941年で、開戦より前に野球用語が日本語(和漢混合語)になっていたのだろうか。そうだとすれば、日本は戦争前から英語文化を敵視していたことになる。

星一徹が巨人に入団した昭和17年(1942年)は、『巨人の星』での川上哲治の台詞によれば、ストライクが「よし」、ボール(悪球)が「だめ」と言い換えられた時代だった。これは真珠湾攻撃の翌年であり、一応、英国と米国は敵であった。しかし、開戦の翌年にそうなったとは敵対の度合いが強かったのか。日本は日清、日中戦争でも日本語の中の漢語を和語にしようとはしなかった。

日露戦争のときらしいが、『皇國興廢在此一戰』などは完全にシナ語であり、あの乃木希典(のぎまれすけ、1849~1912)もうまい漢詩を書いたらしい。
あるいは、このときの日本人は、西洋を敵視するかしないかとは関係なく、純粋に日本語(和製漢語)に譯していたか。
中沢啓治の『いいタマ一本』でも戦時中の野球ファンの受難が描かれていた。

1939年(昭和14年)、『はだしのゲン』の作者、つまり、中岡元のモデルである中沢啓二(←*中澤~)が生まれている。この年、ヨーロッパにおける第2次世界大戦が始まった。
アジア大陸では「ノモンハン事件」と呼ばれるハルハ川戦争(5月~9月)。関東軍は大敗した。

『野球狂の詩』の「任侠三重殺」によると、昭和15年4月、岩田鉄五郎が山川中等学校の伊達源三郎と対戦。

1940年(昭和15年)、当時の日本で採用していた皇紀で2600年とされた。
漫画『紀元2600年のプレイボール』で扱っているのは、この時期のようである。神武天皇が即位したのが紀元前660年という解釋で、それから2600年たったという式典がこの年におこなわれ、「金鵄(きんし)輝く日本の……」という歌まで作られたらしい。この歌は民間で「金鵄上がって15錢……ああ、1億の民は泣く」というような煙草の値上がりを嘆く替え歌にされた。昨今のタクシー禁煙、煙草税で少子化対策、ガソリン値上げを考えると、煙草の値上げは妥当で、遠い昔のこととは想えない。

この1940年は東京オリンピックが開催される予定だったが、日中戦争により、内外から中止を求める声が出て、実現しなかった。代わりの開催地はヘルシンキだったが、これも第2次大戦で中止となった。

東京五輪は1964年(昭和39年)に実現する。ちなみに、孫基禎が金メダルを獲った1936年のベルリン五輪も、1916年開催の予定が第1次大戦で中止になっていたらしい。

六千人の命のビザ
この年、杉原千畝(すぎはらちうね、1900~1986)が「六千人の命のビザ」發給。『日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ』として放送された。21世紀になって、日本は「法を遵守する」という名目でクルド人難民を強制退去させた。見方を変えれば、憲法でも国旗・国歌法でもルールを認めない人、守らない人はいつの世にもいるわけで、食べ物の安全基準や銃の規制、個人情報、駐車違反、飲酒運轉にも言えることである。

ミュージカル『SEMPO』もこの杉原千畝を描いている。

この時期を扱った作品は『シンドラーのリスト』『カサブランカ』『プライベート・ライアン』『史上最大の作戦』『コンバット』など、多数。

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関連語句
1937 日中戦争 1939 第2次 1941 真珠湾

参照
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日中戦争、欧洲の第2次世界大戦開始
2008/9/14(日) 午後 6:11 

第2次大戦と野球(『巨人の星』『野球狂の詩』『いいタマ一本』など、「ストライク」→「いいタマ」はいつの時代か)
2008/9/14(日) 午後 6:15

『紀元2600年のプレイボール』『六千人の命のビザ』【作品】
2008/9/14(日) 午後 6:16

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「藝」の異体字

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/昭和の始まり、満洲事変(『オタスケマン』『二十四の瞳』『蒼天の拳』) | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

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/『紀元2600年のプレイボール』『六千人の命のビザ』【作品】 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

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/『ガラスのうさぎ』『ひめゆりの塔』(東京大空襲と沖縄戦)【作品】 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

 


▲満洲事変から日中戦争へ

2008-02-28 15:53:00 | 昭和初期

▼昭和、満洲事変から日中戦争へ(『オタスケマン』、『二十四の瞳』、『蒼天の拳』)
1925年(大正14年)、細井和喜蔵(ほそゐわきざう、1897~1925)の『女工哀史』刊。これをもとにして、明治~大正~昭和の製絲工場を描いたのが『あゝ野麦峠』だった。

1926年(大正15年=昭和元年)、川端康成の『伊豆の踊り子』が出た。
この年の12月25日、植木等誕生。

1927年、リンドバーグ(Lindbergh・語末gにhがつく)が大西洋横断に成功。
タツノコプロのアニメ『タイムパトロール隊オタスケマン』によると、オジャママンが妨碍を試み、オタスケマンが防いだ。リンドバーグは有名な「翼よ、あれがパリの灯だ」の台詞を言った。オジャママンとオタスケマンはどちらも未来のタイムパトロールのメンバーが極秘に化けた姿であった。
タイムパトロールはタイムマシンができた社会で作られた「歴史の改竄を防ぐ組織」であろう。『ドラえもん』でも出てきたが、ドラえもんたちがやっていることも、相当、歴史に干渉しており、ドラえもんたちが逮捕されなかったのは何か、理由でもあったのだろうか。
のちに1989年、渡瀬マキという歌手がLINDBERG(語末gにhがつかない)というバンドを結成、レコードデビューした。

1928年(昭和3年)、『芋たこなんきん』の花岡町子誕生。『二十四の瞳』の女教師・大石久子が瀬戸内海の小豆島(しょうどしま←*せうどしま)の分校に赴任(「goo映画」のあらすじより)。

1931年(昭和6年)に満洲事変。柳条湖事変または九一八事変と言われる。

1930年代に入ると、『オットーと呼ばれる日本人』、『蒼天の拳』の舞台である。『李香蘭』も佳境にはいる時期である。

1932年(昭和7年)に満洲国建国。清朝末期と満洲国に関しては『ラスト・エンペラー』でおなじみである。
20世紀の初め、朝鮮は日本と、続いて満洲と「一つの国」になったが、
高句麗(Koguryeo)、渤海(Palhae、Bóhăi)領を自国領と考える朝鮮民族の手で満洲国を作らなかったのが妙である。

今の日本の中国への投資ブームや、日本企業が、ただ「安い事件費」だけのために中国の工場で生産する経営方法は、かつての「満洲国」への幻想と、たいして変わりはない。
餃子問題でも偽造品問題でも、多くの日本人が中国大陸に住んでいる日本人と中国人のことを考えないのは昔も今も同じである。グローバル化した経済において、安全基準をたかが一国だけの法律に頼るのは初めから意味がない。

日本が戦争放棄、非核三原則を国際法でなく日本の国是とする限り、他の国はそれを守る義理はない。日本周辺の国が日本国憲法九条を守るには、日本周辺を日本の「傀儡(操り人形)国家」にする以外にないわけで、「傀儡国家」自体は悪いことではない。

今、日本企業や個人が中国の「東北地方」に駐在し、中国本土で鉄道などの技術支援をしているようだが、これが満洲国建国の目的であった。「大連は日本と関係が深い」というのをビジネスや観光客誘致に利用するのは「侵略」の正当化である。歴史は「侵略」を正当化する身勝手なものだ。

2008年になって静岡の業者が中国大陸産や台湾島産の鰻を「国産」と偽装していたことが問題になったが、かつて、台湾を併合し、満洲国を作った日本が、今では中国大陸と台湾を「日本でない」と想いたがっているのが皮肉である。そもそも、日本企業が工場を中国に移して、日本産も中国産もわからなくしているせいであるし、「正確」に書いたところで、日本での「中国や台湾産を国産に」(ネット上、毎日新聞、2008年2月20日)という報道のように「中国産」と「台湾産」を分けて扱っていることは、中国政府の立場から見て「正しい」のか。「国」など、所詮、承認と枠組み、解釋の産物である。
それはコソボ(Kosovo)独立についても言える。

大連京劇団の劇場は旧東本願寺だが、当時、生まれていなかった世代にとって、それは劇場であり、昔の名前などどうでもいい。かつて、寺であったので日本人の骨も多数、残されているらしい。「日本人公墓(公募ではない)」があるほうはましで、墓もない遺骨も多数、あるだろう。これが始皇帝のやった戦争、三国志の戦争であれば、どれほどの数にのぼるかわからない。

1936年(昭和9年)、マラソンの
孫基禎(Sohn Kee-Chung←Son Gi-Jeong)がベルリン五輪で日本選手として金メダル。この選手は1988年(昭和63年)のソウル五輪では韓国人として聖火ランナーを勤めることになる。
この年、ヴィクトル・スタルヒン(Viktor Starukhin・Victor Starffin、1916~
1957)が東京巨人軍に入団。
沢村栄治(←澤村榮治、1917~1944)が初のノーヒット・ノーランを記録。沢村とスタルヒンの経歴はWikipediaより。

福田康夫首相はこの年に生まれた。中国で野比のび太が
「野比康夫(Yĕ-bĭ Kāng-fū)」なので、福田康夫は「のび太」とされるようだが、福田康夫はのび太の父親より二歳年上である。

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2008年2/28(西南戦争~第1次大戦~満洲事変)
2008年2/28(日清、日露~第1次大戦~満洲~日中戦~第2次大戦)

関連語句
オタスケマン リンドバーグ 満洲

 

参照

/昭和の始まり、満洲事変(『オタスケマン』『二十四の瞳』『蒼天の拳』) | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/