早朝のコンビニ。
充が届いた本の品出しをしていると、
いつも同じ時間に買い物にくる作業着姿の常連客に声をかけられた。
「あの……今週号のサンデー、ありますか?」
「サンデーですか? サンデーは先週号が合併号だったから、今週は休みなんですよ」
「あっ、そうなんや……」
「はい」
充がニッコリ笑いかけると、常連客は何故か頬を赤くして俯いた。
男は常連客だったが、こうして言葉を交わすのはこの日が初めてだ。
「次の発売日ってわかる?」
「来週からはいつも通り、毎週水曜日の発売です」
「そっか。ありがとう」
「はい。――あっ、そうだ!
いつも買ってくれてるタバコに面白いオマケがついてきたんですよ。今日も買います?」
「うん、買う」
「じゃレジで渡しますね」
常連客はいつものように惣菜パンと紙パックのリンゴジュースを持ってレジへやってくる。
「いらっしゃいませ」
充は含み笑いをかみ殺すと、
レジの下から茎と葉っぱのついた真っ赤なリンゴの置物を取り出した。
素材は光沢のあるプラスチックで、手のひらサイズの大きさだった。
「えっ、なにこれ?」
「これが新しいマルボロのオマケです。
これ、ほら、ここを押すと、茎の部分から火が出るんですよ」
「ライター?」
「そうです! カワイイでしょ!? これ!
しかも、いつもリンゴジュース買ってるお客さんにピッタリ!」
男は火を噴くリンゴのライターを困ったように見つめながら、
「確かにかわいいけど……」
「あれっ、あんま気に入らなかったですか?」
「いや……何て言うか」
男は急に挙動不審になって店内を見回す。
他に客はいない。
「俺はすごくカワイイと思うんですけどねー。
色も綺麗だし、形もいいし、こっからオイルも継ぎ足しで――」
「君の方が可愛いと思う!」
瞬間、時が止まる。
「え?」
「俺前から君のことが気になってしゃあなかった!」
「えっ……」
「あっ、俺――」
男は慌てたように財布から千円札を取り出し、
折りたたんだ一枚のメモ用紙と一緒にレジカウンターへ置くと、
「釣りはええわ! ごめん!」
買った物をレジに置いたまま逃げるように店から出て行く。
「えっ!? あの! お客さん!」
充が店の外へ出るのとほぼ同時に、男は車で走り去ってしまった。
「ええ~……なんやあの人……変なのぉ」
店内に戻った充は、男の置いていったメモ用紙を広げてみた。
君はこっちの人ですか?
どっちかようわからんけど、俺は君の笑顔がむっちゃ好きです。
よかったら友達になってください。
電話090XXXXXXXX
メール Kazuya-ozaoza@XXXXXXXX
尾崎和也
――えっ、あの人ゲイやったんや。
それが和也と充の出会いだった。
**********
充はその日のうちに和也に電話をかけた。
「もしもし」
「もしもし。あの、俺今朝コンビニでメモもらった木下って言う者ですけど――」
「えっ……あっ! あぁ! うん、あの、そうなんや、さっそく電話くれたんや」
「はい。清算済んだ商品と、お釣りと、リンゴのライター、
――そう言えば明日も仕事ですよね?」
「うん」
「よかった。じゃまた明日渡しますね」
「うん」
「それじゃ――」
「あっ! ちょっ待って!」
「はい?」
「木下君……下の名前、なんていうの?」
「みつるですけど」
「みつるか……、あの、みっちゃんって呼んでええかな?」
「えっ、みっちゃん? はぁ、まぁ、別にいいっすけど」
「みっちゃん、今何歳なん?」
「17です」
「高校生?」
「いや、高校辞めてフリーターやってます」
「そっか。そしたらまた明日」
「えっ?」
電話は一方的に切れた。
――なんやこの人、ほんま変な奴やな。
充はふと店でいつも見ていた和也を思い浮かべた。
濃い太目の眉が印象的で、その下にある黒目がちなつぶらな瞳。
ほとんど坊主頭に近い短髪で、いつも無精髭を生やしていて、鼻先が少し赤くなっている。
田舎の農夫、といったような面持ちだが、作業着には工業の文字が刺繍されていた。
肌の感じからまだ若いはずだが、背も高く体もがっちりしていて、低めの声でゆっくりボソボソと喋るせいか、
年齢より落ち着いた雰囲気があった。
――いくらここが田舎言うても、あそこまで田舎臭い冴えん男がゲイって意外や。
充は大きな体を丸めて頬を赤らめていた和也のことを、何となく可愛いと思った。
**********
翌日。
いつもの時間に和也が店にやってきた。
「あっ、いらっしゃいませ」
「おはよう」
「おはようございます」
「あ、あの――」
「昨日の商品は袋に入れて置いてますよ」
そう言って微笑む充。
「うん、ありがとう。あの、俺、尾崎和也って名前で今25歳。
ごめんな、昨日訊くだけ訊いて自分のこと何も言うてなかった」
「いいですよ。そう言えば和也さんは――」
充は他に誰もいないのに急に声を潜め、
「ゲイなんですか?」
「う、うん。まぁ一応」
「あははっ、一応ってなんすか、一応って」
「なんつーか、俺たぶん男好きになったの初めてかもしれんし」
「そうなんですか?」
「うん」
「今までそういう経験ないんですか?」
「ないよ。半年前は彼女おったし」
「じゃ初めての相手が、俺ですか?」
「そう、一応」
「うおっ、一応って酷いな、一応って」
「いや、違う。ほんまにこんな気持ちになったん初めてなんや」
充は和也を真っ直ぐに見つめる。
「えっ、なに?」
「俺も、和也さんのこといいなーって思います」
「えっ、そうなん?」
「はい」
「みっちゃんもその……ゲイ、なん?」
「そうです、一応」
「そうなんや」
「和也さん初心者の割りに見抜く目はもってんですね」
「いや、ただの玉砕覚悟やった」
「ははっ、そうなんだ。じゃ今度家に遊びに行っていいですか?」
「家に? あぁ、もちろんええよ! おいで!」
「じゃあ、連絡先交換しましょうか」
「うん」
和也は慌てて携帯電話を取り出すが、
「いや、和也さんのはもう知ってます。昨日メモもらったし」
「あ、そっか」
「後でSMSでメアド送るんで、登録お願いします」
「うん、わかった」
そうして和也は、いつものように惣菜パンとリンゴジュースを買い、
昨日置き忘れた商品と共に店を出た。
**********
ほどなくして、充と和也は恋人同士になった。
和也の田舎臭い顔や、地元訛りのきつい喋り方、仕事で汚れたままの指のツメ、
目を覆いたくなるようなダサい私服、一見マイナス面に思える和也のそんな所が、
いつの間にか充にとっての和也の魅力に変わっていた。
誰かを好きになるということは、そういうことなのかもしれない。
何よりも、和也は充の作る料理を馬鹿みたいに褒めてくれた。
何を作っても嬉しそうに顔をほころばせ、残さず全て食べてくれた。
そして太くて力強い腕で充を抱きしめると、耳元で囁くのだ。
「みっちゃん、いつもありがとうな」
低くて甘い、男の声だった。
**********
二年後。
充は和也のアパートで同棲を始めた。
両親にはバイト先の先輩の兄と一緒に部屋をシェアすると嘘をついた。
とりあえず和也に髭を剃ってもらい、身なりを整えてから同居人として親に紹介した。
年上の社会人がルームメイトなら特に問題はないだろうと思ったのか、
充の両親と和也はすぐに打ち解けて仲良くなった。
和也は働きたくなければ充に家に居ていいと言った。
贅沢はさせてあげられないけど、例えば専業主婦のように、
家のことをやってくれたら嬉しいということだった。
充はそれを悪くない提案だと思い、
コンビニのバイトは辞め、家の中の仕事をすることにした。
炊事洗濯に掃除、基本的なことは何でもうまくこなせた。
特に食事に関しては、充は天性の才能とでも言うべきか、
料理本やレシピなど見なくても、一度口にした料理は何でも再現して作ることができた。
和、洋、中に、一般的なお袋料理、そのどれもがプロ顔負けの味だったのだが、残念なことに、
それから約4年間、充はその才能に自身でさえ気づくことなく過ごすこととなる。
「ただいまー」
「おかえりー」
「みっちゃん、今日の晩飯なに?」
「カレーにした」
「おぉー! みっちゃんマジ最高やな! 腹減ったー! 早よ食わして!」
「ちゃんと風呂入ってから」
「ええ~。じゃ服脱がしてくれや」
「自分で脱ぎなよ。何言うとん」
「疲れて腕うごかんわ」
「もぉ~」
充がまんざらでもない様子で和也の服を脱がしてやると、
胸に大きなアザがあるのに気づいた。
「あれ? 何このアザ」
「あぁ、今日ちょっと機械にぶつけてな」
「大丈夫?」
「うん」
「気をつけてな。確か救急箱ん中に湿布あったから、風呂から出たら貼ろっか」
「うん、ありがとう」
「カズ君、今日も一日ごくろうさまでした」
「みっちゃんも、毎日ありがとうな」
充は幸せだった。
和也も同じだ。
二人はそんな幸せな日々がいつまでも続くと信じていた。
つづく。

