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桃太の一写一句

駄句が一枚の写真で様になるか!?

京都「俵屋」 到着の夜

2008年11月24日 | 

「秋深し月次の軸定まりぬ」

 

 昨年の秋に引き続き、京都の俵屋に一泊した。年に一度では常連とは言えぬが、二度目となると不思議なもので、初回に感じた緊張感というものがない。初回と比較して二度目は感激が薄くなるとよく言うが、こと俵屋においてはそんな心配は杞憂に終わった。

俵屋では月次(つきなみ)のしつらいにも拘っており、11月の泉の間の掛け軸は土佐派中興の祖といわれている土佐光起の「鹿園」という作品。江戸前期の芸術品を気楽にさり気なく使っている。作品の良し悪しは良くは分からぬが、その掛け軸は簡素な床の間に、いかにもという感じでしっくりと定まっていた。(08-11-9)


富士スピードウェイ

2008年11月08日 | 

「スタートが明暗を分け秋曇」

 

トヨタのホームコースになった富士スピードウェイでのF1グランプリ。秋晴れの天気予報は外れ、富士の山麓は今にも雨が降り出しそうな曇空。コースの路面温度も16度と上がらず、肌寒いF1観戦となった。

スタートに遅れをとったポールポジションのハミルトンが第一コーナーに無理して突っ込んだため、ブレーキングが遅れてコースアウトする波乱が起き、巧みにそれをかわしたアロンソが戦略的なピットワークもあって見事に優勝。ハミルトン12位・マッサ7位となり、上位2人のチャンピオン争いも面白くなってきた。

トヨタはトゥルーリの5位が精一杯。マクラーレン・メルセデスとフェラーリにはまるで歯が立たず、ルノー・BMWをも抜けないでいる。何時になったらトヨタに女神が微笑むことか。(08-10-12)


朝顔プロジェクト その3

2008年10月11日 | 

「朝顔の思いも知らず秋の空」

 

会社の朝顔プロジェクトも終盤に入ってきた。あとは種を採集して来年に備えるばかりだ。

朝顔の魅力は、凛とした華やかさとともに、一日でしぼんでしまうはかなさにある。屋上まで伸びた朝顔もピークを過ぎて、低い蔓は葉が落ち初めて哀れな姿になってきた。しかし、屋上まで伸びきった蔓はまだまだ元気一杯だ。不勉強で申し訳ないが、朝顔にも種類がいろいろあり、花を咲かせる時期も種によって様々のようだ。屋上から上はロープがなく、蔓はもじゃもじゃ頭のようになってきた。紺色というよりは、鮮やかなブルーの大形の花をいまだに沢山咲かしてくれている。もっとも社員の方はひと時の興味も薄れ、出勤時に蔓を見上げる者も少なくなってきたようだ。

ところで、遅まきながら、朝顔の蔓は左巻きだということを最近初めて知った(08-10-1)


五箇山菅沼合掌造り集落

2008年10月11日 | 

「暮らしある遺産の里や稲の秋」

 

富山県の五箇山の合掌造り集落は、岐阜県の白川郷とともに1995年に世界遺産に登録された。その五箇山にある菅沼集落を、出張途中に時間があったので訪れてみた。

菅沼は険しい山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にあり、観光化されてテーマパークのような白川郷と比べると、素朴な雰囲気が漂っている。日本の原風景ともいうべき山村の景観だ。小さな集落に村人は今も生活しており、自給自足の米作りもしっかりと行われており、秋晴れの天気に輝く稲穂が見事。遺産登録した観光の村ながら、自転車や洗濯物など、生活の匂いを表わすものも目に付いて、一昔前にタイムスリップしたかのような不思議な感覚にとらわれた。

ところで、生活の足となる車はどこに止めてあるのだろうか。駐車場が別にあるのだろうか。確かに合掌造りの家屋に自動車は似合わない。(08-10-3)


永平寺町のそば畑

2008年10月11日 | 

「混沌の世にも一面蕎麦の花」

 

福井県はそば処である。県内には「おろしそぱ」を売りにした店が、それぞれの個性を競い合っている。蕎麦そのものには余り差はないように思う。つけ汁の味付けと大根の辛さに店の個性が表れる。ただ、失礼を承知して言えば、「おろしそば」そのものは決して上品な蕎麦とはいえない。しかし、これが何故か癖になる。土日ともなると、人気の店は昼時には長蛇の列だ。随分と待たされて、ようやくテーブルに通されて、蕎麦をかき込む時間は5分足らず。つくづく日本的な食べ物だなと思う。

ところで、乱立する蕎麦屋の中には、蕎麦の花すら実際に見たことのない輩もたくさんいるそうである。ましてや、都会の蕎麦通と自称する客の中には、蕎麦の花を見たことのある者の方が少ないことであろう。

そば処の福井県には、当然そば畑も多い、昔は山間で育てられたそばも、減反政策のお蔭か今や街中近くでも見られるようになってきた。福井は丸岡産のそばが有名であるが、会社のある永平寺町の休耕田にも一面にそばの花が咲き乱れている。混沌とした世の中、清新の気に満ちたそばの白い花畑を見ていると、邪念が拭い去られていくような思いを持つ。(08-10-2)

 


北陸高速道路「有磯海」

2008年09月11日 | 

「蜩の声も届くか有磯海」

 

 北陸自動車道の有磯海SAに寄った。芭蕉の「早稲の香やわけ入る右は有磯海」の句碑がある。裏手の展望台からは富山湾が一望出来る。晴れた日には能登半島まで見渡せるとのこと。

ところで、有磯海は北陸を代表する名所歌枕である。そもそも有磯海という名の海は存在しなかった。昔の歌の伝承の過程で生まれ、歌人たちの幻想の中で生まれたイメージの産物といってよい。「ありそ海の浦吹く風にあらねども止む時もなくものをこそ思へ」等々、恋心をありそ海に託した和歌が多く詠われている。

それに比べて我輩の句は情緒がない。展望台まで歩く途中、僅かな命を惜しむような蜩の鳴き声の騒がしかったこと。(08-9-6)


信州小布施「せきざわ」

2008年09月11日 | 

「新涼や三番札で蕎麦を待つ」

 

 信州は江戸時代から良質の蕎麦が穫れる地域として知られてきた。標高の高い山々に囲まれ、寒暖の差の激しい冷涼な気候風土であることから、現在も全国有数のそば処となっている。

金沢から蓼科への車での移動の途中、信州そばのガイドブックを基に、小布施にある「せきざわ」に寄ってみた。「せきざわ」は信州栄村でそばの自家栽培を始めて20年。群馬県の高崎市に店を構えていたが、より畑に近い場所を求めて2年前に小布施に移転したのだとか。有機栽培したそばを手刈りし、畑で完熟させて天日乾燥。そば粉10割を水で生粉打ちにする等々、ガイドブックのキャッチコピーは信州そば気鋭の店。

土曜日のお昼、中を覗くとそんなにも込んではいないのに、三番札を渡され待たされた。ようやくありついた蕎麦は、「もり」と「かけ」をいただいたが、大将の気合が入りすぎたのか、少々茹ですぎの印象もあり、評価は今一だ。(08-9-6)


おわら風の盆

2008年09月11日 | 

「編笠におさなさ隠し風の盆」

 

 富山市八尾の「おわら風の盆」の歴史は江戸時代の元禄の時代からとか。本来は二百十日の頃、秋の収穫期の風害を避けるための風祭りであったが、今は毎年新暦の9月1日から3日に行われている。有名になりすぎて山の麓の小さな町に観光客が殺到するようになり、混雑緩和のために本祭前の前夜祭が開催されるようになった。

その前夜祭は町ごとに11日間に行われ、観光客の数も緩和されるために、この方を好む人も多いそうである。8月23日の日曜日、西新町の前夜祭の見物に初めて八尾の町を訪れた。

三味線に胡弓に太鼓、歌い手と囃子方、そして主役の踊り子が町を流してゆく。揃いの浴衣に、編笠を深めにかぶった踊り子の姿は何とも優美である。顔を直接に覗くことが出来ないので女性のお歳はよくは分からぬが、聞くところろによると踊り子は25歳までで、しかも未婚に限るそうであるぞ。(08-8-24)


朝顔プロジェクト、その2

2008年08月29日 | 

「朝顔の天まで伸びる心意気」

 

会社の朝顔プロジェクトが育てている朝顔が順調に成長して、毎朝たくさんの花を咲かせている。水当番を決めて、夏休みまでしっかりと面倒をみてくれたそうである。

ロープに絡んで伸びる蔓が、本当に屋上まで届いてくれるのかと一抹の不安があったが、朝顔の栽培はそんなに難しいものでもなく、蔓が絡んで伸びていくものさえあれば、どこまでも伸びるのではないかと思うほどの勢いだ。

反省点もある。ロープの間隔をもっと狭くして、朝顔の種ももう少し沢山蒔いたほうがよかったようだ。思いは一面緑のカーテンのイメージだったが、残念ながらやや疎らになってしまった。(08-8-25)


金沢市「大乗寺」

2007年12月23日 | 

「散り際の美学に賭ける紅葉かな」

 

大乗寺は今から700年ほど前に、永平寺の三代目の住職だった富樫家尚が開いた寺で、足利尊氏の祈願寺となったという、歴史のある名刹。

曹洞宗の厳しい修行道場として世に知られてきた寺で、この日も修行中の雲水と見受けられる若い僧の姿を見かけた。現在の寺院は加賀藩家老の本多家の帰依を受けて、野田山の中腹に再興されたもので、禅宗の典型的な伽藍配置を今に伝えている。

写真は山門で、左右に仁王像を安置してある本格的なもの。裏側には釣鐘があり、時折参拝人がつく鐘の音の響きが、まわりの静寂感を一層深いものにしてくれる。(07-12-8)