大日本文政年整鋳 村田整 2016年02月28日 | 骨董美術品 大日本文政年整鋳 村田整 此の作家は、江戸時代後期、江戸に生まれ、神田龍閑町に住し、 通称を総次郎、別号に整北玉叟と号した。 置物・花瓶・水盤・仏具等、多様な作品を残し、 中でも、新宿花園神社の唐獅子一対(文政4年 造立)は代表作、 また、仏具一式が国立博物館に展示されています。 彼の名が一躍世に知られたのは、文化12年東照宮二百年忌に際して、 将軍家斉及び紀州候より、日光山に進献する幣串の台の製作を命ぜられたからである。 本姓は木村氏で、田村家の後見となり両氏を合わせ村田と言う。 門人には、木村渡雲と栗原貞乗等が居る。 田川武の門人で、鋳金家(蝋型鋳造の名手)として一家を成した人物です。 初代整(1761年8月13日 生まれ、1837年11月24日 没)の後は、 子供が幼かった為、養子で弟子の木村渡雲(岩手県出身)が二代目整となり、 後に、初代の子(仙次郎)が三代目整となっています。 辞世の句に、『極楽も地獄もままよ死出の旅ここは追分ちょっと一杯』 « 昭和10年作 夫婦茶碗(家内... | トップ | 建水?花生? 計2つ »
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