現場発掘説明会とか、このような催しも好きです。
この男性の前を通って、石畳を見て戻ったが姿勢はそのままだった。
仲のいい親子って感じ!
太陽が照っていて気温は高かったが、風が冷たく感じた。
伊波普猷(1876~1947)は古琉球の歌謡集『おもろさうし』の研究を始め、民俗学や言語学の研究を進め沖縄学の父と呼ばれた研究者です。論文「浦添考」とその後の東恩納寛惇による研究により、浦添グスクが首里以前の古都であったと述べています。墓の前には顕彰碑が建てられ、「彼ほど沖縄を愛した人はいない。彼ほど沖縄を識った人はいない。彼ほど沖縄を憂えた人はいない。」と刻まれています。
ディーグガマは浦添城跡内にある御嶽です。「御嶽」とは、琉球王国で信仰されてきた琉球神道における聖域で、祭祀などが行われる場所のことです。
ディーグガマは鍾乳洞が陥没してできた円形状の窪地となっていて、デイゴの木があった洞穴だったことからその名前がついたとされています。
なお、1713年の地誌「琉球国由来記」には浦添城内に「渡嘉敷嶽」という御嶽があったことが記されていて、それがディーグガマであると考えらています。
浦添城跡には中頭方西海道の完成を祝して「浦添城の前の碑」が建てられています。記念碑は「尚寧王の命により首里平良から浦添城までの道を拡張し、平良橋を木橋から石橋に架け替え、道に石畳を敷く国家的大土木工事を実施した」という内容が記されています。
添城の尚寧王(しょうねいおう)が首里城までの道を整備した石畳の道が、浦添城の東側で発掘整備され見ることができる。幅3.1mの道で、石の表面には一部滑り止めに溝が掘られているものもあるらしい。石の中で色が濃いものが当時の石。今でも道は、安波茶橋など市街に部分的に残り一部使われている。
浦添ようどれ(王家の墓)、浦添大公園、浦添城跡は私の散歩のコ―スです。