まだ寒さが残る4月21日
弟は静かにしずかに逝きました・・・
余命1年半とは言ってましたが、こうも早くその日がこようとは・・・
1月抗がん剤治療が終わり一時退院してきました。
その後は意外と元気で過ごしていた弟でした
そこに、あの大震災です
高校、大学と岩手で過ごした弟は友人、知人の安否をまず心配しておりました。
わたしにも、「調べられたら調べて」
唯一仙台に住んでいる知人の連絡取れたのは1週間後
あの高田、気仙沼、大船渡が壊滅状態を知りました。
幸い知人は家も家族も無事とのこと・・・
高田に住んでいた友人への連絡ヤット取れたと言ってきました
それからです・・・震災ボランテアに取り組み自分で野菜、布団、米など集め
被災地へ・・・
被災者と囲んだ弟の笑顔は・・・・・
顔はむくみ笑顔が心なしか寂しそうにかんじました・・・
このときもうすでに死が近づいていたのです。
時間がないこと自ら悟っていたような
何度も何度も被災地に物資をはこんだそうです。
最後の時間自分のためでなく人のために生きた・・・
そんな最後でした。
顔も手も足もパンパンにむくみ肺炎をおこし救急で運ばれたときは手の施しようもない
そんな状態でした。
駆けつけた時はかすかに反応するくらいで会話はできませんでした。
意識も日を追うごとに薄れ4日後息を引き取りました。
アレから49日
12日に納骨いたします。
安らかに
そしてキャンデーズのスウちゃんの歌をきいているかも^^(同じ日です)
父母も居ます。今頃甘えているかも・・・