時が過ぎてアレアレということに成りかねない・・
幸か・・甥っ子の結婚式が7月にある。
それを利用して休みを取ることに
千葉県内・・結構行ってる・・・で、X
那須高原・・友人がログハウスを経営してる・・
http://www.chausunomori.com/shisetsu/mori.html
電話してみた・・・OKだそうな^^
日にちが空いていた
これで、決まり。
8月に何時も宿を取るのですが
お盆休みもあるので
少し早い夏休み
ここは小さな子供さんや家族も4,5人で行かれるにはよさそう
楽しみ^^庭でお料理もできるとか・・・
行ってきました。白いカーネンションの花束を持参。
帰りは私の運転で、妙高に入りました。
道は意外と通行量多かった・・・でも、安全運転^^
のんびり信濃路を・・桜が丁度終わる頃かな
でも、見られました。
山の新緑も今年は少し遅い。
ようやく芽吹き始めた。そんな感じです。
所々に桜が咲いています。周りの畑には梨の花が咲き始めて
いました。
いつもの"イモリ池"経由・・ワァ・・サいてる~~~
もう終わっているかと思いましたが、もしかして?
今年は、雪も多く寒さも何時までも続いていたから
『水芭蕉』が満開でしたぁ!!
ラッキー
苗名の滝もこの分だと水嵩おおいね・・・
そう思いながら行って見ると
物凄い水音!!川の堰からの音です。
滝までの山道4,500m登ると滝が見えます。
落差はどのくらいなんだろう?
5,60mモットあるかな?
物凄い水しぶきです。
マイナスイオン一杯浴びて「はぁ~~~」
思いっきり深呼吸~~~~
気持ちいい
まだ朝早めで人も少なく滝つぼまでは行かれませんが
まじかまで行ってきました。(岩がゴロゴロで道はほとんど獣道
登るのはいいけど下るのが大変で途中まで^^)
わくわくしながらまた天候を気にしながらのたびでした。
夜、韓国乗り継ぎ
イスタール約12時間。機内食3回もイいらないよ~~~
時差は7時間。トルコリラでス・・日本円で約く65円1リラ
18時40分(トルコ時間)ホテルに・
23日バスにてダーダネルス海峡をふねで渡りトロイ遺跡に
観光後アイワルクへ(泊まり)トロイは前日雪が降りました。
24日
バスにてエフェソスへ
晴れていいてんきです。気持ちよい中遺跡観光広~~~イ
パムカッレに(宿泊)
25日
世界遺産パムッカレいさんに・・石灰棚を歩きましたが、湯量が減ってきていて今は限られた場所のみ流していました。冷たくて歩けず早々にあがりました。
コンヤに向かいます。博物館見学後ホテルに(泊まり)
この地方は大地が広いこと行けども行けども大地でした・・麦がとれるそうです。
26日+27日
ウチヒサール見学カッパドキヤに・・広いトルコは日本の3倍?
大地を感じます。町はイスタンブールが賑わっていましたが後は何処に家が?
北海道の何倍もあるようなとちです。はるかかなたに村か町が点在?
カッパドキヤも山脈が風や雨水で何千年のときを経て風化してあの奇岩にまだまだ風化はすすんでいるそうです・・
また変わった岩が見られるかも・・
アンカラから列車に乗り(車泊)イスタンブルへ
28日
ボスボラス海峡をクルーズ・・もすくを見学
29日
グランドバザール、エジプシャンバザールに・・
ここは大きなアメ横みたいなところ。
メイン通りを右に右にで元にもどる・・・え?迷子になったら私は何処?
になります・・って・・・いた!まいごさん・・つれてって~~って^^
横道入るともうどこか解らなくなります・・・
29日はやめの夕食で夕方空港に19:45分ソウルへ・・
30日ソウル12:40分乗り継ぎ新潟へ
19:50分お疲れ様でした・・
トルコ料理は癖があります。香辛料がきつく感ずるかも。デザーとはあま~~い><
魚料理は虹鱒、さばのやいたものがでました。
ホテルの夕食はバイキング。
寒波でやはり天気はよかったのですが寒い。(新潟と変わりないか・・^^)
このツアーは全部込みのツアーで安いです。燃料も、空港税もクルーズも入っていてオプションは何も無い。
東京からの人はOOツーリストはオプションだそうです。荷物もすべて運んでもらいました
手荷物(貴重(* ̄◇ ̄*)♪品のみ。皆さんに好評でした。現地ガイドさんも親切で
詳しく説明過ぎるくらい説明してくれました。別れは空港まで・・名残惜しいわかれでした・・
というのはホテルはいいのですが・・
トイレ。
之には驚き!!どうするの?って・・・
トルコトイレは昔の日本式みたいな・・・
アナがあいてるそこをめが・・・・・・・
ペパーも無い。
水道?がありバケツが?ひしゃくに水を汲んでお尻りを洗う?
濡れたお尻どう・・どうするの^^
え~~~~~~~~~~~~~~~~
町のお店に注意っていっても・・・・
あなたならどうする?
:追記
トイレの写真載せます・・こんなので~~~す^^
実はナビが???
未だ使いこなせていない・・「次は右ヘ」え?ルートは直進のはず・
夫は木島平を通過したから違う・・
戻ってみよう・・ということで一回転・・もと来た道を・・
渋温泉・・アリマシタ。ナビの嘘つき^^
私たちは今回高速使わず旧国道から山越えして車を走らせました。
温泉街に出たけれど・・電話して一方通行の道を宿に向かいました。
こ洒落た宿でした。時間は未だ早く3時。町をぶらぶら・・
春蘭の宿と別名がある・・浴衣からタオルすべてに春蘭の絵が施されています。
夫は宿の下駄をからから鳴らしながら、湯巡りする?
この湯巡りは9箇所もあります。
「夢ぐり願い処」ですって・・
一番湯(初湯)・・僧行基が最初に発見し托鉢の鉢を洗ったいわれが鉢湯何時しか
初湯になったといわれています。
二番湯(竹の湯)・・・というようにそれぞれ効能いわれがあります。
石畳の道をだらだら降りていくと所々に石碑が立っています。
なにやら歌が・・
宿の人に聞くと、なんと葛飾北斎が詠んだ川柳だという・・
1つ1つ詠んでみると面白い・・それにしても北斎といえば日本画ですが・・
北斎は晩年長野の小布施に逗留していました。
お布施に記念館があります。小布施の豪商に世話になり庵を建ててもらい
ここで、晩年をすごしています。
その折この渋にも来たのでしょうか・・
チョット興味のある話。調べてみたくなりました・・
約200近くもあるそうです。
句の一つ一つ調べてみようと思った渋温泉でした。
明日は松本よりR158~R471で奥飛騨に向かいます。
大阪~名古屋から四日市に夫と合流。
大阪の宿は女性専用ビジネスホテル。
なかなかのホテルでした。疲れからいつの間にかぐっすり。
朝7時目を覚ますと外は雨。
大阪駅で傘を買いました・・一路伊勢市へ。
お伊勢参りの人でごったがえしておりました・・
13日皇太子様がこられるとかで、庭を大勢の方が整理していました。
内宮はこの石段をあがりここで参拝。
こんもりとした森はぴんと気持ちが引き締まるようです・・
天照大御神・・がおわすという
一度はお参りしたいとおもっていました。
参道から少しいくと土産物屋が立ち並んでいます・・
人人・・次々と大型観光バスがはってきます。
暫く人の波に飲まれながら・・”赤福”の看板をみつけました。
あの、食の問題になった赤福・・
寒いのでそこで「ぜんざい」をいただきました。
温かくておいしかったです・・お土産に「赤福」を。
雨は小雨ですが寒いので名古屋にもどることにしました。
名古屋は愛知博の時来たのですがあまりに駅の構内は広くて・・
歩きつかれました・・しかしよくあるいたなぁ・・
こんなに歩くのも久しぶり・・・
高島屋が駅に入っていてデパートだか駅だか解らない・・・
ツインタワーを目印に夜は食べ物やさんを探しまたあるきました・・
町は街路樹にイルミがともっています。
きらきらとまばゆいばかりのクリスマスイルミ。
しばし見とれて・・
タクシーの運転手に聞いた名物は「ヒツマブシ」ボソっと答えてくれました・・
居酒屋風の和風の店に。(やはりお手ごろな居酒屋でした)
名古屋名物の手羽と、肝焼き、ヒツマブシなど・・
いまいちかなぁ・・モット歩けばいろんなお店があったけど・・
大阪のオフカイでは・・お好み焼きと、たこ焼きたべましたよ^^;
お好み焼きおいしかったなぁ・・
夜景の綺麗なビルにいきました。
360度見渡せるパノラマ。
恋人らしきカップルがゾクぞくエスカレターから。
クリスマスに掛けてはカップルだらけになるんでしょうね・・
吉本にもいきました・・たのしかったよ。
顔のわかる芸人さんも多数出ていました。
とりは、大介花子さんでした。
もう一人で涙が出るほどわらいました。
歩き疲れた旅でしたが楽しかった・・・
あまり・・長いとおたいくでしょうから・・この変で失礼しますね・・
ミラノのドゥオモです・・ヴェネチァ、アッシジ、フィレンッエ
などをまわりました。
ミラノでは憧れの革製品のみせに。。
靴、手袋、財布をかいました。
財布は今でも十分使えますどこもも悪くなっていません。
ここは大きなカツレツが有名ですね・・
兎に角でか!大判のお皿いっぱいになるくらいの大きさ。
ただ、日本のようにサラダというか野菜が少ない・・(付け合せ)
別に、注文しないと・・それと決まって「ワイン、ビール?」って
お酒が付いてくる・・ガズ抜き炭酸をいつものんでいました^^
これは本当にまずい。ガス入りはとてものめない><;
アルコール飲める人にとっては食事の水とおなじ感覚でしょうけど・・
トマトはおいしかった。市場で買って食べました。イチゴも。
ホテルの部屋で。
お隣の女の子はおトイレがこまっていました・・
帰りのバスではにきびだらけに・・
かわいそうに・・
旅はそんなこともかんがえないとね^^
バスツワー一行様到着。ポンペイ・・あの火山でなくなった都市です・・
一歩はいると・・犬だらけ・・こw・・えさを挙げないで・・そういいたくなります。
ところがやはり居るのですよね・・むやみやたらと菓子あげる人が。
もには正直苦手なの・・野良だし・・(以前噛みつかれたから)
ゾロゾロいる・・付いてこないで・・そうっと前の列に加わり見学に。
文化はすばらしいです・・2000年の時を経て掘り起こされ(まだ堀つずけて居ます)
道も馬車の轍と馬の歩くところをきちんと区画されています。
そしてなんと、歩道まで造られていました。
共同炊事場も、あり今も水がながれていました。
お金持ちは家の中に水道を引いています。ライオンの口からとうとうと
まだ水が流れていましたよ。(お風呂屋さんのライオンの口想像してね)
日本はまだ、竪穴式?の時代こんな立派な水道が・・
改ためて、異国の文化に驚嘆しました。
広い町の中共同浴場はそれは見事な彫刻でいろどられていました。
どこも、芸術だらけです。風呂場の衣類を掛ける場所も
それは見事な彫刻が・・一体いくら?そんなことをフトおもいました。
写真が載せられなくて・・(どうするのやら・・まだ?)
ゴロンとコンクリートの塊?・・いえ人です・・
デスビアスが噴火し、そのままの状態でなくなられた姿の人。
が、・・口をあけた其の形相は恐怖そのものです・・
そこには、日本で言う江戸時代の・・遊郭?もありました・・
赤い塗り壁|///|′ェ`*)ノ゛*;は時を経ても変わることなく赤く異様な雰囲気
そこに、多くの女と、男が行き来した様子がうかがえます。
お金持ちが、門の前にいろんな模様を施し多くの人の出入りが逢ったことを物語るような・・はげ掛かった様子もみられます。
毎日毎日まだポンペイは掘り起こされています。新しい発見もあることでしょう。
海岸近くのレストランに入り昼食。
あぁ・・きた!
ヴァイオリンを持った老人・・悪いけど場所を移動。
マタ、テーブルをまわります。日本人と思うとくるのかな?
ボーイさんが変な日本語つかっていました^^。
いわゆるスパゲッテーを食べナポリ湾の方へ・・
かの日本の総理村山さんがおなかをこわしたとか・・言うサミットのホテルは
最先端に要塞のような佇まいで建っていました・・
丘からしばしナポリの町を眺め(其の広場にも物売りや、いかがわしい
占い、荷車を引いた叔父さんが)バスの中に・・サテ明日は?