トゥーン便り

トゥーンの街で起こったこと、トゥーン昔話などなど

オバマの祖先はスイス人?

2009-01-20 18:27:23 | 歴史
 いよいよ今日 Obamaオバマ次期米大統領の就任式が執り行われる。
Obamaは ここベルン州 Seelandにルーツがあるとのこと....?

 まずは 1720年、オバマ氏の祖先が Freiburger Seeland、Kerzersから Elsass(現フランス)へ移住。この祖先の名はJohannes Gutknechtで、その息子 Christian Gutknecht が 約30年後に 新世界アメリカへ渡る。

そこで、Christianは 苗字Gutknechtを英語風に Goodkneitに変え、これがその後 Goodnightとなる。

Christianから6世代目として 1942年 オバマ氏の母親 Stanley Ann Dunhamが誕生する。
そして1961年 8月4日、めでたくオバマ誕生となる....。

とは言え 家系図というのは祖先も子孫も果てしなく入り組んでいるのであって、世界中 つながっているのだろうから、こういう話は いく通りも出てくるのではと、ま、100パーセントの話ではない。

が、この騒ぎ。まるで救世主の登場だ。
これだけ期待がかけられたオバマ氏、栄誉以上に 大変だろう。
家族も気の毒なことだ、と器の小さな私は思う。


冬の散歩

2009-01-13 02:05:11 | その他
 週末 下界は霧の中氷点下、暗く寒い。
案の定 夫が「青空を見に行こう。」しかたがない、家の中は暖かいのに。
「どこへ?」
「Kanderstegカンデルシュテークで散歩しよう。」
「散歩なら 普通の靴で大丈夫?」
「問題ない。10分で支度できる?」
そういうことは慣れているので 15分後には電車の中だ。

 Kanderstegの駅からバスでSunnbueel行きのケーブルカー乗り場へ。
すでに雲ひとつない青空、日は燦々。
この時点で私も気がつけば良いものを、人任せにした私が悪いのだが。

 Sunnbueel標高1920mから Gemmipassまで歩くという夫。
目の前にはなだらかな道、もちろん どこも雪で覆われている。
案内表示には3時間コースとある。
なんとかなるだろうと歩き始める。
クロスカントリーやソリを楽しむ人たちもちらほら見られる。
だんだんと上り坂になってくる。
ここでヤット気がつく私がアホなのだが Gemmipassは標高2314mなのだった。
要は 登らなければならない。
夏場ならまだしも いくら柔らかいとはいえ雪は雪。
「途中Schwarzenbachのレストランでお茶でも飲もう。」しかたがない、引き返すのも馬鹿らしい。

岩場を抜ける時は陰の中、 風の音がゴ-ゴー。

Schwarzenbachに到着、屋外のテーブルは日が射し暖かそうだが、目の前に完全に陰を落とした岸壁が立ちはだかっている。その圧迫感にどうにも我慢ならず、「とにかく 目的地に行く。」と私。「オボマルティン(麦芽飲料)が飲みたい。」という夫を無視し歩き続ける。

すでに踵には水ぶくれができているようだ。
「散歩といったから山靴も履いていないのに。どういうことよ、これは。」と夫を責めつづける。

あまりの剣幕に恐れをなし、ケナゲに夫 背中を押すわ、手を引くわ、いろいろ試みてはいる。

やっとついたGemmipassだが、如何せん、3時半という時間ではすでに陰の中。
遠景のアルプスは夕焼けに映え素晴らしく美しい、が怒り狂っている私には成すすべなし。
「こんな陰の中でお茶なんか飲まない。」と言い張り、下りのケーブルカーでLeukerbadへ。このLeukerbadは分不相応な市庁舎、プールを建設、大赤字で問題のところだ。村の中心のバス停を見落とし、村はずれまで歩く。Leuke駅までのバスは15分も待たなければならない。寒い。
やっとバスに乗り込むが、満員で座る席もない。
駅に着くが、次の電車まで45分待たねばならない。
駅前のレストランは日曜日で閉まっている。
駅は待合室のみで何もない。

とんでもない。「どこでも良いから次に来る電車に乗る、ローザンヌだろうとどこだろうとこの寒さよりは増し。」

結局 ローザンヌ行きに乗り、Sierre駅でまたLeukeに戻る。
Sierreの待ち時間8分で 夫「何かアペロのものでも買ってくる。」と走り去る。

駅の売店で 焼きたてのパンとチーズ、ハム、白ワインを買って、 大急ぎで戻ってきた夫に いつまでも怒っているわけにはいかない。

暖かい車内で 乾杯と相成った。

Vicky Christina Barcerona

2009-01-07 23:50:52 | その他
 ウディ・アレンの「Vicky Christina Barcerona」を観た。
 一年半前訪れたばかりのバルセロナに郷愁を覚えて。
飛行場からの風景は完全に同じ、「大阪の感じに似てるわ。」と同行の一人が言ったのはぶち壊しの感。

 なんともウディ・アレン的、ウディ・アレンそのものの映画だ。
奇妙な三角関係、不確かな愛のいろいろな形が演じられるが、まったくもって神経症的だ。
Vicky (Rebeccca Hall)とChristina (Scarlett Johansson)二人のアメリカ人女性がバルセロナでAntonio(Javier Bardern)と恋に落ちる。Antonioの元妻Maria Elena (Penelope Cruz)が強烈に登場。

 軽快にシニカルに 南国の煌びやかな街では 何が起こっても許されそう。
とは言え 50代の女性三人で訪れたバルセロナは ここまでおしゃれにはいかない、もちろん。

「都会気分とおいしい食事」が目的のスイスの田舎者達とはやはり巡ってくるものが異なるのだ。

ガウディ公園で 二人が(どの?)ばったり出会うシーン、芸術家のAntonioが「ちょっとスケッチにきたんだ。」なんてのたまうが、そんなことあるわけない。あそこに前衛芸術家がどうしていくのだ。あの旅行客と物売りの溢れる雑多なところへ。
あ~ウソだ。
が、旧市街の町並み、ガウディの建築物、何もかも美しい。
バルセロナが魅力ある街なのは真実だ。

 50年前のキャサリン・ヘプバーンの「旅情」の上品さをかなぐり捨てると この
映画になるような...。

アメリカ人女性と南国の男。

 音楽が素敵だ。
Giulia y los Tellariniの歌う「Barcerona」が耳に残る。
Paco de Luciaのギターもぐっとくる。

 いずれにせよ 男に迷うなんて 面倒なことだ。

Vaporama蒸気機関博物館

2009-01-06 20:45:42 | 歴史
 Vaporamaは1983年協同組合として発足、汽船ブルームリースアルプを再びトゥーン湖への活動を開始する。

1906年、ブルームリースアルプ 2気筒エンジンはチューリッヒで製造された。
1969年 船はモーターターエンジンに取って代わり、汽船はお払い箱となった。

1990年からVaporamaにより、汽船の改築が始まる。
1992年5月22日、20年9ヵ月後 再び湖上に。

 現在Vaporamaは蒸気機関博物館として公開されている。

様々な蒸気機関 50台以上が展示されており、 1859年から1960年までの100年間の技術歴史がつぶさに見られる。

1905年 マンハイム製造1気筒エンジンから、欧州宇宙機関が開発した人工衛星打ち上げ用ロケットArianeアリアンの1985年製造のエンジン等、機械好きにはたまらない魅力だろう。

 ここまでは良いのだが この財団法人Vaporamaは大きな問題を抱えている。
現所在地はベルン州に所属した土地なのだが、これが売却されることになった。
元々 園芸場の廃屋を利用した博物館なのだが、今後の行き場がないのだ。
トゥーン市からの援助を望んでいるが 今のところ回答なし。
Vaporamaのプロジェクトで この5月から9月まで シャダウ城庭園を機関車が走ることになっている。この900mの線路の一部20cmは 我家の寄付だ。

 新聞の投書欄にも、「現在 法律、 経済を学ぶ学生の多い中、技術者育成のためにも、子供の頃からそうしたものに親しませるために この博物館は必要ではないか、『蒸気機関は 技術の真珠』」との記載がある。

 工学技術なるものに一切関わってこなかった私には どう転んでも興味は湧かないのだが、これも教育の行き届かなかった所以だろうか。

 トンネルを通るたびに窓を閉めなければならなかった思い出を持つ私は 蒸気機関車は日常だったのだ。
因みに そうしなければ 車内中 ススだらけになってしまうのだ。

初スキー

2009-01-05 01:17:24 | その他
 できることなら引退したいスキーなのだが、冬場のスキーは我家族には必須の項目。
 昨年 スキーコースを取った折、私の古い型のスキー板では上達は望めないと先生に言われた。
これを盾に家に引きこもろうとしていたのだが、クリスマスの後「さあ、板を買いに行こう。」と張り切る夫。
しかたがない。
 正月二日、アーデルボーデンへ。
下界は深い霧に覆われているが、2000m上は 雲ひとつ無い上天気だ。
霧の上面がぴったりふたを閉めたように灰色を呈し、谷をふさいでいる。

 新しい板は確かに軽く持ち運びにはすこぶる便利だ。
気分的には これでスイスイ急激に上達ってな感じだが、もちろんそれは夢想でしかない。
やはり家族の後を見失わないよう 必死で追いつくのが関の山だ。

わけがわからないまま転倒、気が付けば板が外れている。友達の娘10才が「マユミ、板はここだよ。」と支えてくれる。
こうして家族、友達に見守られ慰められ、あと何シーズンかはこなすしかないだろう。

言い訳すれば 下手ながら結構どこでも滑れるのだ、 私は。

村に戻り板をはずしビールで渇きを癒すのは これはこれで最高に気持ちの良いことには違いないのだから。


初滑り

2009-01-02 05:03:06 | その他
大晦日 乾杯の後、娘等に電話で「おめでとう」
長女は友達のうちでパーティ、次女はグリンデルワルドの友達家族のホリデーアパートで年越しだ。

寝坊した元旦、思いのほか上天気。夜の間に降った雪で一面の銀世界、真っ青な空。スキーには時間的に無理だが散歩にでかけようとじっとしていられない夫が言う。じゃあ のんびりとグリンデルワルドまで出かけようじゃないかと気軽に電車に乗り込む。

お山のセイコーさん(ホテル・ベラリーの中島さん)にせっかくだから挨拶しようとお邪魔。さすがにホテル稼業は大変だ。真夜中の乾杯を済ませ、朝は6時に発つお客様を駅まで見送り、奥様は掃除の真っ最中、息子のダニーは駐車場の雪掻き、そこへ暇な我々が コーヒーをご馳走になりに。次回の航海のためのボートは雪に埋もれていた。

ホテル近くのバス停から Bussalpへ行くことにする。グリンデルワルトの村は早朝日が射すのみで陰の中なのだ。雪山は日が燦々と照っている。
1800mまで登ると暖かいほどの日差し。ここから皆 ソリで村まで滑り降りる。
たまたま会った知り合いご夫婦とお孫さん、5歳児Lynnが「とっても楽しいのにどうして滑らないの?」と聞いてくる。 「怖いからいやなのよ。」
まったくソリ滑りなど念頭になかった私はお茶でも飲んで次のバスで戻ろうと思っていたが、1時間ほども待ち時間がある。一人で滑って降りる予定だった夫に便乗、結局 私も二人乗りで滑り降りることになった。
予定外の行動、夫はごく普通の靴のままで ブレーキをかけるごとに靴下まで雪まみれになっているが、嬉々としている。
全信頼を夫に置き、私はソリ前部分に腰掛けているのみ。針葉樹に積もった雪もまた美しい。
大晦日の夜は300台が下ったそうだ。

村に降りるとちょうどインターラーケン行きの電車が待っていた。それに乗り込み家路に着く。いっしょになったLynnが 「ね、楽しかったでしょ。」と得意げに。

トゥーンの駅に降りると 三日月がきりりと澄んだ空に光っていた。

大どろぼうホッツェンプロッツ   

2009-01-01 07:11:08 | 催し物
トゥ-ンの街の真ん中、ミューレ・プラッツのテントの中、お芝居「大どろぼうホッツェンプロッツ」が 催されている。

1997年から2年毎に催される「冬の魔法」、今年も12月10日から翌年1月3日まで。

  日本語にも訳されているOtfried Preusslerのお話だ。
大どろぼうホッツェンプロッツにおばあちゃんのコーヒー挽きを盗まれた。カスパリーとセッペリは コーヒー挽きを取り戻すための大冒険に。
魔法使いに囚われながらも 妖精の手引きで、脱出、まんまとホッツェンプロッツを出し抜いて おばあちゃんの元へ。

 セッペリ扮するは うちの娘の同級生、美術関係の大学生ヨシュだ。
ギムナジウム時代は授業の合間によくうちに来ていた彼を見るため娘、息子と出かけた。

さすがに 幼稚園、小学校低学年の子供達でテント内はいっぱいだ。

おまわりさんが、「ホッツェンプロッツはどっちに行った?」と客席に問い掛けると、子供等が一斉に「あっちだよ!」と答える。

面白おかしく演じるセッペリに子供等は大喜びで笑いころげる。

このお芝居のパンフレットは毎度 シュテファン http://www.stefan-werthmueller.ch/  の作だ。
うちの敷地内のアトリエの画家だ。
12月には 2度週末 アトリエ オープン・デーでにぎわっていた。

お芝居が終わると 外は真っ暗寒い冬、そそくさと家路につく。