通称 山梨ZERO研究会 (旧OLぷー子 れきし文化荘203号室)

街に残る何気ない文化や歴史をぶらぶら探索追及。趣味と実益を兼ねたぷー子の日記です!

山梨県大和村 不思議な地域の不思議な庭園 棲雲寺2

2019年12月27日 | ぶらぶら日記

先日の続きです。
本当は、奇岩奇景の棲雲寺庭園風景の写真を気楽に投稿しようと思っていたのですが、
当該物件「棲雲寺」の基礎情報を引っ張り出してみたら??? こっ、これはという事態に。

そもそも
・大量の花崗岩転石による庭園は「自然」か「人口」
 →もともとどのような地形に創建したのか
 →山頂からの流水で表層の土砂を洗い流し、新たな露頭に若干の手を加えたという従来説は本当に可能なのか
 →現地案内の須弥山、九山八海、鶴亀石など偶然の産物なのか

つまり、業海さんが人工的に作庭した場合、
・作庭技術(土木技術)の系譜 →禅宗の土木技術とは
・誰がどの様に指揮して岩を運び配石したのか →石材の調達、運搬、配石方法等
・作庭の元号(貞和4年か?)の銘が彫られた石材があるので目視し風化程度など確認したい →歴史の証拠と再検証
・中国天目山の思想 →山頂部に池状遺構の存在(西と東の天目山頂にある2つの池からの語源「天目」)
・貞和年間作庭の人工巨石庭園なら日本で他に類例があるのか →文化財的新たな価値

貞和4年(1348)に天目山護国禅寺という禅宗寺院として創建された棲雲寺
実は、スゴい遺構を持つ庭園かもしれない と思ったら気軽に書けなくなりました
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チョッとパワースポットな感じ? 山梨の巨石

2019年12月26日 | ぶらぶら日記
ふ山梨県甲州市の上萩原地区に大きな花崗岩がお祭りされています。
この付近には「裂石」という山号をもつ雲峰寺もありますし、江戸時代には口止め番所もありました。

車を止め、少し散策すると おっ

なかなかの大きさ

しっかりお祭りされています。しかも相当しっかり。

節理で破断しているようで、人工的に割ったような痕跡や矢穴はないようです

この付近、明治時代になると山梨の一大採石地になり、全国で唯一県営採石業が営まれ始めます。
そのお話はまた今度にしますが、この地域の石文化の原点ではないでしょうか。

花崗岩の断面写真です
ちょっと行きにくいところですが、先日あっぷした棲雲寺の石庭園とあわせ、何やら面白げな地域です。



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山梨県大和村 不思議な地域の不思議な庭園 棲雲寺

2019年12月25日 | ぶらぶら日記
お待たせしました私の中華まん大賞が決まりました
肉まんはデーリーヤマザキ(ヤマザキ)、ビザまんはセブンイレブン(新宿中村屋)となりましたので報告します

山梨県甲州市に大和村があります。

景色と水のきれいな渓谷の小さな村ですが、なんとなく負の歴史の証拠が多くある不思議な場所。
例えば、
上杉禅秀の乱による甲斐守護武田信満の敗死と墓
天目山の戦いで武田家が滅亡
有馬晴信の流刑地
近藤勇率いる甲陽鎮撫隊(新選組)の甲州勝沼の戦いの戦場

切子蕎麦発祥の地というのもありますが、地形的には甲府盆地の東端の端。交通では甲州街道、鎌倉街道、青梅街道など結束地付近。文化財的には国宝大善寺。

勝沼地区も入れれば、なんだかんだ人が集まりやすく歴史的文化的に賑やかな場所なのでしょうか

そんな大和村に武田信満が貞和4年(1348)に創建した臨済宗建長寺派棲雲寺(栖雲寺 せいうんじ)があります。







※開山は業海本浄。師の仲間の遠谿祖雄が創建した「西天目」と言われる兵庫県丹波市の瑞巌山高源寺に対し「東天目」とも呼ばれたそうです。
※もともとは天目山護国禅寺とのこと


文化財的には、重要文化財「木造普応国師坐像」
特に興味深いのが県有形文化財「絹本著色十字架捧持マニ像」(美術工芸品)。手に十字架を持っており、キリシタン大名有馬晴信由来の逸品という説もあったほど。現在は学術的に有馬さんとの関係はないとされています。
切り蕎麦発祥の地とも言われております。

しかし、今回ご紹介しておきたいのはこちら

続きは、次回です。


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山梨県笛吹市の史跡国分尼寺 ≦ 花崗岩

2019年12月24日 | ぶらぶら日記
山梨県笛吹市にある甲斐国分尼寺(史跡)
中央道勝沼インターまたは一宮御坂インターから至近で、春は桃の花などとてもきれいな散策文化財です
今回のネタは、甲斐国分尼寺では石材の花崗岩
この付近は中学校の社会科教科書でも登場する「金川扇状地」
金川河川敷や周辺の石垣も白い花崗岩で美しい



花崗岩の建物礎石が1300年間、鎮座し続けています

訪問の目的は、礎石の風化程度の観察

すべてが1300年間露出していたとは思えませんが、まぁ様子見です

そして同じ花崗岩と言っても、それぞれ表面の雰囲気が違います

こちらは大粒な鉱物粒子

こちらは細かな鉱物粒子

石英、カリ長石、斜長石、黒雲母、白雲母など専門家ではないのでよくわかりませんが、
とにかく、花崗岩といっても学術的には細かく分類されます

なぜ、このブログを書いたかというと、連戦している棲雲寺の巨石庭園
これも花崗岩なので、現地調査に向けた備忘録です
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甲斐石工が造った品川台場 観光でお出かけの際は思い出してあげてね!

2019年12月23日 | ぶらぶら日記
フジテレビのあるお台場
すっかり観光地ですし、毎朝「めざましテレビ」に登場する御台場


当初計画では、十数基建設予定でしたが、大変費用のかかる難工事
完成したのは第1~6台場。第7台場以降は未完成か未着手でした。
大正時代に史跡指定され、現在は第3台場だけが公園として自由に散策できます。
第6台場は海鳥の巣窟と言われ、現在は上陸できません(;゚Д゚)



品川御台場は、当時伊豆韮山代官をしていた江川英龍に幕府が命じて、外国からの江戸防衛のため建設した洋式の人工海上砲台。



ところで、この第3台場。
海のない山梨県の石工が他藩の石工とともに造ったんです。
海のない山梨の石工が人工島を造るなんてと、思いますよね~

海がなくとも360°山に囲まれた甲斐国は水害に見舞われやすく、また富士川舟運が大動脈でした。
厳しい地形的制約の中で発達した河川技術と天野海蔵を中心とする技能集団。
彼らの技術力は忘れ去れていますが、お台場にお出かけの際はぜひ思い出してあげてください。
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