海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

丁稚奉公も井戸端会議もない時代

2024-07-15 10:34:11 | 日記
クーラー要らずのひんやりした曇り空。
2024年の海の日。
J-WAVEラジオの特番で時々南紀白浜から中継。
ここは昨年10月最高でした。また行きたい!

海の日が制定されてすぐの頃、海の日を記念日としてご結婚された先輩が多数いたのですが、まもなく月曜に移動する祝日になってしまい、日付がぼやけてしまった模様。「うごく」結婚記念日にしてしまっているご夫婦が一定数いると見られます。

がんも、がん以外も話題にできる仮想の海辺のカフェMARZO
店主です。


今日は日記です。海の思い出は海の日以外に随時書きます。
今回は居場所について。ネットのない時代を海藻、じゃなくて、回想しつつ書いてみます。


私は三木大雲さん、大愚元勝さん、ケリー・スレーター、葛西紀明さん、村田らむさん、マツコデラックスさん、キムタク、中居正広さん(敬称適当)と同い年なのでまわりに丁稚奉公している同級生はいなかったのですが、祖父母の世代にはよくあったようで「あんたくらいの歳の子でもよう働いてた」と子供時代に聞いていました。富士そば創業者は丁稚奉公経験者のようです。

1950年代には中学校を卒業して丁稚奉公に出る若者は珍しくありません。同じ境遇の若者と会えるのは銭湯でした。1日の仕事を終えて、つかの間のおしゃべり。

店では一人ぼっちの奉公でも、銭湯で同じ境遇の若者と会っておしゃべりできた。なんかあったかい。「スーパー」でない銭湯、今もいいよね。
(話それますが、災害に強い銭湯を全国各地に作っておいてみんなで定期的に変わるがわる利用しておくのも防災上良いって思うんだけど。温水プールに併設とか。テルマエ増進。)

私が子供の頃は、専業主婦のお母さんがとても多くて、道端でしょっちゅう井戸端会議が繰り広げられていました。
人口の多い都市部かつそこまで「おはいそ」エリアではないからか、出勤時に住宅街を抜けるときに幼稚園バスを見送ったお母さんたちの井戸端会議を見ることもあります。

私は友達とも遊ぶけど、とくに約束がなく友達がやってこない日は、家に集まっているお母さんたちの輪にスルッと入って一緒におやつなど食べていました。

学生時代は、先輩たちが「人数が足りない。手を貸して」と言ってくれば必ず手を貸し、ついでに一緒にご飯を食べに行き、卒業後は集団で離島への旅に出て時にベビーシッターを買って出たので子を持ったことがなくともお子を預かるのは得意です。潜水して帰ってくるまでくらいの短時間なら。

その習慣が社会に出ても抜けなくて、もちろんある程度の様子見期間がありますが、学校の放課後や職場の休憩室でお姉様方がおしゃべりしている輪にも入っちゃう新入生・新人でした。

何気なく毎日のように立ち寄れる「居場所」があること。
そこが他愛無いことも悩みも話せる境遇の近い「友人・隣人」と会える場所であること。

多くの人たちは
かつては学校がそう言う場で、
社会に出てからは職場もそうで。

ほかには、

習い事をする、スポーツを楽しむ、
犬と一緒に散歩する、などが
そういう場だったり。
近頃はYouTuberが主宰する「オンラインサロン」とか。

丁稚奉公の銭湯も井戸端もないけれど
生まれた時からスマホでネットに繋がる時代。
一部の若い人たちにとって居場所がトー横だったりする。


海辺は、昔も今も割と
そういう場所かも知れない。

かつて海のことを学ぶ学校に進んで、
海辺で出会う学生は
日本中から来ていて個性豊かだったけれど
海に呼ばれて来ちゃっているから
どこか共通点があって
説明不要のところがありました。

でもそこだけでは私には物足りなくて
いろんなアルバイトをしたり社会活動をしてみたり
大勢が一つの部屋で働く職場に10年ずつ。今も。


そんな自分の偏った目で見ると、
コロナ禍に大学生でそろそろ社会に出た子たちが
大丈夫かと思っていましたが、
よくよく話したりしてみると問題ないし
むしろ楽しそうだったりします。

ちゃんと世の中の大人たちをよく見てきてる。
あらゆるメディアと、身近な大人たちを
よく観察して来ている。

情報の洪水の中でも
自分にとって必要なものが何か、
好きなものが何かをちゃんとわかっている。
時代に合わせて若い人はちゃんと生きてる

と言うことで

「丁稚奉公も井戸端会議もない時代」を憂える必要は何もなく。

私は私で、好きな海辺で仮想のカフェをはじめて
気ままに日々を綴ったりしております。

とくに話すこともない幸せ

2024-07-14 13:03:51 | 日記
海の日までの三連休。
梅雨空はいよいよ仕上げの大雨をもたらす模様。
雨の合間に食料買い出しに行かなくちゃ。

がんも話題にできる仮想の海辺のカフェMARZO
店主です。

今日は日記です。幸せについて。


現在がんの術後補助療法で抗がん剤治療中。
週1回の通院・血液検査を受けていて、今は抗がん剤点滴後約2週間後の骨髄抑制が起きている時期。病原菌などと闘う白血球(特に好中球)が減っているため、感染症と食中毒に要注意。人混みと生ものを避ける生活です。

休職中で平日に出歩くことができるので、連休は大人しく在宅。
離れた家族、実家に電話をしました。

まず、ぬるっときょうだいが応答。今朝は一人予定もなく家にいる。両親はレンタル菜園の一斉草刈りに出ている。きょうだいの子は出勤日。なんでもない会話を小一時間。

やがて父が自転車で帰宅。シャワーを浴びているという。しばらくして母帰宅。騒がしいからすぐわかる。お茶を片手に母が電話口へ。なんでもない会話を30分ほど。そして「長電話させたね」と話が終盤に向かい「今日もありがとう。水分補給してな。ほな」と終話。


すみません、なんらオチがありません。
でも思ったんです。

1年の半分以上、もしかしたら8割くらいを占めるこんな感じ
のんびりした休日などが
幸せってものかも知れません。


一言で言うと「ふつう」であること。ふつうのこと。

がん告知の時に人が泣くのは、

もちろん、将来に待望している大きな夢が手に入らないかも知れない、と言う場合もありますが、多分全員に共通するのは、これからも無限にあるかのように思っていた「ふつう」の毎日が失われるからではないでしょうか。

一人暮らしでがん告知を受けた時、できれば離れている実家の家族に知らせたくないと思いました。彼ら全員の「ふつう」を奪ってしまうからです。


不器用な私の場合、一人暮らしで
ちょうど良かった

がん告知を受けてから半年。

幸い、一人で公共交通機関で通える病院で診断・手術・治療と進めて来れました。セカンドオピニオンも片道プラス30分、実家からは家族がプラス新幹線で駆けつけてくれました。手術含め、要所要所で家族が来てくれました。抗がん剤治療が始まってからは、骨髄抑制から回復した最終週に何度か帰省して家族と過ごしました。

正直、抗がん剤点滴から2週間は調子が良い日ばかりではないので、そこは一人が気楽で良かった。「本当にがん患者?」と言われるくらいが私にはありがたかった。あと1回残っていますが、私の場合は一人暮らしで良かったなと。どんな顔していいか、最初はほんとに分からなかった。逆に、いろいろ想像しすぎて一人で無駄に泣いたりもしていました。頭の整理をするのに、私は一人の時間がたくさん必要でした。


同じ病気、またはもっと辛い病状でご家族と一緒に暮らす方、小さなお子さんや介護の必要なご家族をお持ちの患者さんたちには頭が上がりません。尊敬します。


がん患者といっても多種多様。
それぞれのスタイルで泣き笑いしながら歩んで行く。

そう遠くない未来には、

がん治療をしていることさえもより乗り越えやすくなって「とくに話すこともない」こと、そういえばがん治療を受けているのよ、くらいの出来事になるといいなと密かな野望を持っています。

根本原因をつきとめ健康に導く鍼灸整骨院と接骨院

2024-07-13 12:08:21 | 日記
「神経」「内臓」をあるべき状態・位置に整える治療院。
どちらもネットで丁寧に調べ上げてたどり着きました。
この二つのある周辺は人口密集地でもあるせいか整体激戦区。

西洋医学というかスポーツ医学的な技術と、東洋医学を融合させた独自の「脳バランス整体」。こちらでめまいが軽減。不調の根本原因の「大人になってからの」トラウマを一つ特定できました。友人にもおすすめしたところ、スポーツ特待で進学を考えているお子様が通われるようになったとのこと。

脳の誤作動信号を書き換え脳の働きを正常にします。
運動器系・・・筋肉のこりや体のバランス異常、痛みなど
自律神経系・・・不眠、胃腸障害、めまい、吐き気など
メンタル系・・・うつ、パニック、不安障害、トラウマなど
ホルモン系・・・婦人科系、ホットフラッシュ、甲状腺系など
免疫系・・・・風邪、免疫低下症状、リウマチなど
アレルギー系・・花粉症、気候アレルギー、化学物質過敏症、電磁波過敏症などを根本から改善

まず、肩こりが秒で消えて驚きました。これまでのマッサージはなんだったんだ。
がんと確定する前の不調を見事に抑制し、生活の質を高めてコロナ明けの旅行三昧を叶えて頂きました。痛みや凝りの解消はもちろん、妊活を含めた婦人科系に特化した施術もあります。詳細はまた改めて書きますが、ここで購入しているたんぽぽ茶は解毒作用がすごいです。

痛みの根本原因に総合的にアプローチ。
本当の原因は電気療法やマッサージなどで対処できる痛みの表面的な部分ではなく、別の所にあります。
例えば、
  • 骨格(骨盤、背骨)の歪み
  • 筋肉の硬直
  • 内臓の不調
  • 頭蓋の歪み
  • 自律神経の乱れ
など、様々です。
当院では丁寧なカウンセリング・検査のもと、原因を特定して、総合的にアプローチする事でどんな痛みも、早期に根本改善できます。
さらに、全身が整う事により自然回復力を高め、人間の本来持つ再発しない健康なお身体へと導いていきます。

ほぐし好きのほぐし遍歴

2024-07-12 11:12:36 | 日記
「ととのう」と近頃評判のサウナ、サ活。平仮名なのは「整う」ではなく「調う」だからだそうです。「調う」だと初見ちょっと読めない。

がんも話題にできる仮想の海辺のカフェMARZO
店主です。

昨年開腹手術を受けて術後の治療をしているためまだサウナはお預けの身。今日はサウナ(高温多湿!)以外の「ほぐし」のお話です。

ぜひ、おすすめ「ほぐし」や「サ活」もコメント欄で教えて!


人生初の「ほぐし」は、なんと幼稚園児の頃。
針と糸で縫うことを教えられて夢中になるあまり、見かねた祖母が私の小さな肩を揉んだのが始まりです。「ちょっと凝ってる!」という祖母の反応が面白かった。その後、持ち前の飽きっぽさを発揮し、外でガンガン遊ぶ子に戻って行きました。それでも、お題として与えられると裁縫や手芸は嫌ではなく「布をつかう」「糸でとじる」は創造の一手段として必要に応じて活用しています。

そしてよくある、学生の頃の友達の「ほぐし上手」との出会い。
手のひらや肩を上手に揉む子が一定数います。たぶん、日頃親や祖父母に孝行しているのです。その頃までに私も流石に「かつて揉まれた祖母を揉む」機会がありました。「肩たたき」とよく言うけれど、その頃までに祖母はたたく必要なレベルの凝りを持っていました。当時の私にはその凝りの程度がどのくらいなのか想像もつきませんでした。手のひらほぐしは、クラスで仲の良い女子中学生、女子高生どうしのコミュニケーション手段の一つになっていました。お互いの手の形なども見るの楽しかったな。今思えば、心もほぐされていたかも。(ほぐしの漢字は「解し」)

18で親元を離れてから10年ちょっと、仲間と海三昧で「ほぐし」要らず。
浮力と水圧で運動しながら自ずとほぐれる水泳、遠泳、潜水はすごい解しでした。


30代、ラフィネとの出会い
海から離れ自分で収入を得るようになったことと、インターネットやITの普及で仕事がペーパーレスのPC作業中心になり、ガラケーからスマホへ。目を酷使して体をほとんど動かさない生活が始まり、その頃に「ラフィネ」に通うようになりました。手のひらや足の裏が全身の縮図のようになっているという「反射区」と言う発想が面白く、実際そこを刺激してもらうとお腹がぐるぐると動き出したり。指名するようになって担当してくださった方の指摘により、極早期の段階の大腸炎に手を打つことが出来たお手柄もあります。ラフィネ通いは途中引っ越しなどで中断しつつも、以後現在まで会員です。

スーパー銭湯でタイ古式マッサージと出会う
Jcom(ケーブルテレビ)の海外の番組の合間のCMでタイ古式マッサージの存在を知っていました。すでにお店も複数ありましたが、個人のお店は敷居が高く。私のネットワークでは試した人、紹介者がおらず。そんな時、スーパー銭湯でタイ古式マッサージを発見。早速最長の120分を試してみました。ハマりました。ただ、体の小さい女性に「大丈夫ですよ」と言われるものの、体重全部を委ねるのが気になり、ラフィネほど頻繁に通えませんでした。

Dr.ストレッチは5年以上
今や都市部の各駅直結、全国急展開している理由は通えばわかります。運動だけ、セルフケアだけではほぐせない筋肉がほぐれます。「脱力して伸ばしてもらえる」のは重要。しかも、私の体重で壊れるとは到底思えない、私よりはるかにデカいトレーナーを指名できるので安心でした。これも長く続けています。

現在のところ都市部中心の展開ですが、こちらも私としては満足度が高いです。特に台湾式足つぼマッサージが大好きです。足湯で温めるところから始まります。全身のトリートメント、顔や頭皮のケアなどもあります。私よりリッチなみなさんはきっとホテルなどでこういうトリートメントを受けているんだろうなと思っています。

ここで挙げた以外にも試したものがありますが、40代で役に立って特におすすめしたいものを挙げてみました。最近は人の手だけでなく機械(椅子・ベッドや器具)も興味があります。定期的に人の手をかけてもらいフィードバックを受けることに加え、毎日流し解し高めておくと最強ではないかな?!

ほぐしや血流アップ
「調う」おすすめがあったら
ぜひコメント欄で
教えてください!

がん家系でなくても

2024-07-11 10:35:46 | 日記
世の中には親子代々とか、
親族内にがん経験者が複数いるなどして
「うちは、がん家系だから」
などと言う人がいたりします。

がんも話題にできる仮想の海辺のカフェMARZO
店主です。

今日は日記です。「がん家系でなくても」というお話。


素人目線ですが確かに、言われてみれば
そう見えるご家族もある気がします。

がん治療を受ける中でさまざまな出会いがあり、その思いをつよくしています。

がん家系ではないウチの家系は、日本の医療が心臓や脳の循環器系疾患を克服してきたおかげで、父の代になると男性も長生きするようになり、父の兄たちが50代以降にがんを経験するに至りました。(ちなみに女性は大病なしで平均寿命を全うする者ばかりの家系で「がんを経験した初めての女性」になってしまいました。)


社会の高齢化で「がん罹患率格差」が公平に?

店主はそう思っています。


実は今朝、いつも拝読してきたブログの著者の旦那様が亡くなられたと言う記事を読んだばかりです。

著者である女性は50代半ば、旦那様は還暦を迎えたばかり。私の婦人科がん告知とほぼ同時期に膵臓がんの告知を受けられ、私が抗がん剤治療の折り返し地点を迎えた今年のGW頃からは女性一人で看取りに向けた在宅療養を続けておられました。彼女自身も過去に良性の脳腫瘍の経験があり、お父上は療養中、兄上は大腸がんで他界されています。

比べるものではありませんが、

一方、私の70代の両親・兄妹は健康診断で何も指摘がなく、祖父は二人とも50そこそこで亡くなっていますが祖母は二人とも平均寿命を全う。

「人生100年時代。二人に一人が生涯のうちにがんを経験。」

がんは日々新しく生まれ変わる(代わる)細胞のうち、遺伝子などのエラーで本来は不良品として排除されるものが増えすぎて「がん」と呼ばれるもの。加齢はその排除の仕組みがうまくいかなくなる一つの大きな要素で、加齢は誰もが避けて通れないもの。

なので

今や家族間の「がん罹患率格差」が小さくなってきたのではないかと。
(そして次に課題になるのは「がん罹患年齢格差」ではないか。 早すぎるがん罹患は避けたいけれど、遅ければ良いと言うものでもない気がします。)

昭和あたりまでは「あのご家庭はがんの人が多くてお気の毒」なんて言ったりしたかも知れませんが、もはや全員なることを想定して、令和の時代ここから先は誰もが「いつがんになるか」「ちゃんと早めに見つけられるか」を考える必要がありそうです。

日頃の生活習慣に気をつけ、
不調にはちゃんと手を打つこと。
それでもなる人はがんになってしまうのですが。


20代の人たちには「がん保険は、迷うくらいなら入っておきなよ」と言っています。

ちなみに親族の20代以下には「全員入っておけ」です。遅かれ早かれ必ずがんを経験します。保険料をもったいないと思うような余裕のない状況にならないよう導くことも大人の役割。貯金残高に関わらず切り崩さない闘病生活は治癒効率にも影響するって。

私には子がないので、今後、復職のあかつきには職場の若い人たちに老害と言われながらも、自分と関わる人たちには親族の子らへと同じように言っていこうと考えています。