海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

海辺のカフェ(仮想)開店のご挨拶と店主紹介

2024-07-05 11:37:54 | 日記
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このブログ、
「海辺のカフェMARZO
 都会の片隅で暮らすがんサバイバーの記録と銘打ちました。

MARZOはスペイン語やイタリア語などの「3月」。
好きな月なのです。

今は都会と呼ばれる地域に住んでいますが、海辺は私の大事な場所です。

インターネットやSNSの普及、仮想現実という概念が広がりつつある今だからこそ、実際の場所を問わず「カフェ」もできるのではないかと。あえて「海辺のカフェ」を名乗ってみました。まだ世の中のIT技術が未熟で飲み物や軽食をご提供できませんが、
「今日は冷たい麦茶がお供です」など、お客様にてご用意いただいた飲み物だけコメントに残していただくのも結構です(笑)。実際にカフェで提供出来るようになる際には大いに参考にいたします。

皆様の毎日の中で、たまに立ち寄り一旦心を空(カラ)にして一息入れる場所にここがなればと願っています。


さて、自己紹介に「関西と関東の田舎、沖縄と東北の海辺育ち。」と書いていますが、自身のルーツ、両親の出身地も山陰と中部地方の海辺です。

ところが誕生から18歳までは盆地や平野の海なし県。

盆と正月だけ見せられる両親の育った海。たまに車で何時間もかけて行く海。なぜか両親が時々語って聞かせてくれた深海や極地の生き物の話。16歳の時に図書館で見つけた「海辺」「海からの贈り物」などの本。祖母が誕生日に買ってくれた写真集「地球母なる星」の地球の青い広がり🌏🌎。そして気づいたら、宮沢氷魚さんの父上、若き頃の宮沢和史さんが三線(さんしん)を弾きながら島唄を歌うCMは沖縄本島で見ていました。

夏休みなど長い休みには離島で住み込み、潜水ツアーの助手とペンションの炊事洗濯お掃除のアルバイト。東北・西日本の海は、拠点が都市部になってから、都度呼ばれるようにして向かいました。

並行して、インターネットが普及し始めたばかりの頃、うれしいことに、海で吸収してきたことを学生のあいだに専門学校の学生さんたちに伝えるお仕事を頂き何年か続けることが出来ました。(そのため自由な発想で投げかけられる素朴な疑問質問にも慣れております。)

同時に、居ながらにして海を越えて世界と繋げるお仕事を10年ちょっと続けました。最近の10年は「形のないもの」を売る会社のコールセンターに勤め、後半5年はそこで事務職をしています。

お休みの日には天気が良ければ海辺を散歩します。18歳で家を出てからずっと一人暮らしです。新幹線1本で両親の元に駆けつけられるのをいいことに、ここまでのほぼ全ての休日を自分の思うままに過ごして来ました。

世界と海でつながるこの島国で、身の丈に合ったお金を稼ぎ、一人でも安心して暮らせる。これまでの友人の連絡先はよくわからないけれどSNSでなんとか見つかる。蓄えはないけれど何も不安がない。体も心も痛くも辛くもない。人類史上最も安全で幸福な女性の一人暮らしなのではないかと満足していました。

平穏だったのはコロナ禍が明けていく2023年のゴールデンウィークまででした。
(次回に続く)