♂超~塾長爆裂日記Ψ

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■ピリカラ日記(表現者)

2004-10-10 12:28:37 | よもやま話
以前、村上 龍 が「表現者」ということを書いてました。

この表現者という言葉・・。今後、私の1つのキーワードになっていきます。


あいまいで、かつ意味も広いので、作家の言葉としては「どうかな?」という感じもしますが・・・
でも、これしかなかったんでしょうね。


多くの行動は表現するという事です。作家が「書く」ことも、講演家が「話す」ことも、
はたまたオリンピック選手が「走る・投げる・泳ぐ・・」ということも表現の1つです。


塾屋は塾を通して表現しているわけです。
当たり前のことです。



作家でも講演家でもオリンピック選手でもありませんが、塾を通して何かを表現しているわけです。
事業を通して何かを表現するということは簡単なようで難しいことです。


何故ならば、上記のような例とは違い、「その人でないとダメ」という部分が非常に少ないからです。


「つまり代替品がいくらでもあるのですから。



私は、多くの塾長先生のブログを、あくまでも「塾の先生」ということを前提にして眺めています。
作家(物書き)の作品として読んでいるわけではありません。


すると、優秀な先生には「代替品がない」という事を感じます。

つまり、その先生でないといけない。その塾でないといけない・・そんな何かを感じます。


ただ誤解しないで欲しいのは、決してそれが「反応」や「生徒数」などで決まるというものではない!
ということです。


現在、執筆中?の「笑の大学」に細かいことは譲りますが、最終的に私のいう「反応」は「感情」を越えた
部分に存在します。そのため、私は、「自塾から未来永劫?ある種の「気分」が得られるようにする」ことが
最終的に勝つ条件になっていくのだと感じています。ブランド戦略に近いかも知れません。
それをサザンやBZ、モーツアルトなどで書いていきます。


今回、ピリカラ日記に書いたブログがおかしくなったのは、これを「反応」とか「尊敬」とか、
はっきり言えば・・・「教えたろ~」という陳腐なキーワードで書いていたからに他なりません。

他人だけを見ると、もうそこには自分の存在価値はなくなります。
書いてある内容が、いくら高尚でも「本に書いてある限り」その人の存在価値は我々には無いんですね。

切り口とか、反応とか以前に、その人のなりとか考え方とかを見てるもんでしょ?

どうも・・・その辺りが・・・納得出来なかったんだよ。

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