キラキラ輝く! 幸せなママになるブログ

~幸せの法則で自分を磨き、子供と一緒に成長しよう!~

信じて、見守る 3

2009年10月22日 03時50分03秒 | すべては自分

(前回の続きから・・・)

 

その日、私は子供たちに、

『宿題は?』『明日の用意は?』

と、一言もいいませんでした。

 

そして、この『何も言わない』と言う行為が、

とても難しいことに気づきました。

 

がみがみ言うことが、習慣づいてしまっているので、

つい、何か言いたくなってしまうのです。

 

 

そこをぐっとこらえ、

子供たちを見守る。

 

子供たちがちゃんと自分で、やろうとするかどうか、

私が『やらせる』のではなく、

自ら『やろう』と動けるかどうか、

子供の自立を、

『信じて、見守る』

 

 

案の定、子供たちは、外遊びから帰ってきた後、

テレビを見て、ご飯を食べて、またテレビを見て・・・・

 

なかなか動く気配が感じられません。

 

私は気になって、そわそわしながら、

でも、声をかけるのをぐっと我慢。

 

 

しばらくして、子供たちがふっと立ち上がりました。

 

そして、自ら自分たちの学習机まで行き、机に向かい始めました。

 

ちゃんと宿題をして、次の日の用意もして・・・・

 

自分たちが見たいアニメを見終わった後の行動でした。

 

 

ああ、

ちゃんと分かってるんだ。

自分たちがするべきことは何なのか。

この子達はちゃんと分かっていたのだ。

 

自分たちのペースで、

一つ一つをこなしていこうとしていたのだ。

 

私は、私のペースに子供たちを合わせようとしていたのだ。

『先に宿題をやってからテレビ』

そのほうが、気兼ねなく、ゆっくりテレビを楽しめるでしょう。

やることやらないんだったら、テレビ見せないからね。

 

・・・・・・

 

 

ママのペースに合わせるのは、しんどかったろうな。

子供たちの『遊びたい』気持ちを尊重してる、

なんていいながら、

君たちが、

ママの言うとおりに動いてくれないと、すぐに怒っていた。

宿題をしていかなかったら、君たちが困るだろうと思っていたけれど、

本当に困るのはきっと、君たちではなく、ママのほうだった。

 

 

宿題をちゃんとさせてない親って見られるのはいやだったし、

学校でいるものもちゃんと用意できない親だって思われるのもいやだった。

 

ママは、ママの世間体や、自己中心的な心で、

君たちをママの思い通りに動かしたかっただけなのだ。

 

君たちは、ママの操り人形ではないのに。

 

本当に、ごめん。

 

 

 

子供たちのことを思う気持ちに嘘はない。

けれど、

子供たちのことを思うあまり、

つい、『ああしなさい』『こうしなさい』と、

私が『いい』と思っているレールのうえを、歩かせてしまいたくなってしまうのです。

 

そして、私の言うとおりに歩いてくれる子供たちを見て、

私の『親』としての心が満たされる。

 

でも、それはやっぱり、違うのです。

そんなのはきっと『子育て』とは言わない。

 

子供を親の言うとおりに動かすことで、

自らの『親心』を満たそうとしてしまいがちな私は、

まだまだ、『親』としての成長が足りないのだと痛感しました。

 

でも、それに気づけたことは、

すごくありがたい。

『気づく』ことが出来れば、

そこからまた、伸びていけるから。

 

私がこれからすべきことは、

子供たちの足元にせっせとレールを作ってやることではなく、

子供たちをおぶって歩くことでもない。

 

私が『親』として本当にすべきことは、

子供たちが、自らの手で『道』を作り、

自らの足で、その『道』を歩いていく姿を、

信じて、見守ること。

 

子供たちが、自分で考え、行動する力を身につけるために。

 

 


信じて、見守る 2

2009年10月21日 17時23分03秒 | すべては自分

(前回の続きから・・・・)

 

 毎日同じことを、口をすっぱくして言い続けても、

ささっと宿題に取り掛かれない子供たち。

遊びたいだけ遊んで、自分たちのやるべきことをおろそかにするなんて・・・

と、私は子供たちの『困った』行動に、頭を抱えていました。

 

でも、毎日毎日この状況が繰り返される中で、

私はあるとき、ふと思ったのです。

 

何かが、違う。と。

 

それまで、私は、いくら声をかけても宿題にスムーズに取り掛かれない子供たちの行動を、かなり問題視していました。

どうしたら、私が声をかけなくても、自分から進んで宿題に取り掛かれるようになるのか。

どんな言葉をかけたら、この子達はやる気を起こすのか。

 

でも、何かが違う。

果たして本当に、子供たちだけの問題なのだろうか?

宿題にスムーズに取り掛からない子供たちのことを、

『困った』ものとしてみているけれど、

じゃあ、毎日がみがみ同じことを繰り返し言う私の行動は?

全く問題ないといえる?

 

子供たちのあり方ばかりに向いていた目を、

そこで始めて、自分自身に向けました。

 

なぜ私は、口をすっぱくしながら、

何度も何度も『宿題は?』『明日の用意は?』と言い続けているのか。

 

宿題を忘れたら、学校で困るだろう。

忘れ物をしたら、授業が出来なくて困るだろう。

だから言う。

言われないとやらない。

言われてもなかなかやれない。

だからやるまで言い続ける。

 

われながら、あまりの過保護さに驚きました。

外で子供が困らないように、先回りして、声をかけて・・・・

子供のためを思ってしていたことが、

実は、

子供をだめにしていることだと気づきました。

 

親が先回りして、声をかけて、

子供が転ばないように、つまづかないように、

背中におぶって歩くような。

 

背中におぶわれたままの子は、

転ぶことも、つまづくこともしない代わりに、

自分の歩く道を覚えず、

歩き方も覚えず、

自力で立つことすら、しようとしなくなるでしょう。

 

私は声をかけすぎたのです。

 

もしかしたら、

私がいくら言っても子供たちが宿題に取り掛かろうとしないのは、

自分で歩こうと、私の背中から降りたがっていたからなのかもしれません。

 

宿題をせずに学校に行って、

先生に注意されることや、お友達の前で恥ずかしい思いをすること、授業で気まずい思いをすることも、ひとつの『経験』。

それも、自分の身を持って体験しないと、

決して身につかないもの。

 

それを根こそぎ削除した道を歩かせようとしていました。

辛い思いや、嫌な思いは出来るだけさせたくないと願う、

いわゆる『親心』と言うやつで。

 

嫌な思いをすることが、子供をだめにするのではなく、

子供が自分で考えて行動する機会を奪うことが、

その子のもっている行動力や、考える力を乏しくし、

自立できない子にしてしまうのだと言うことを、改めて感じました。

 

親が先回りし、声をかければかけるほど、

子供は自分で考えることをやめ、

自分で動くことをやめていくのだと。

 

そして私は、

それまで毎日のように『宿題は?』『明日の用意は?』と、

がみがみ言い続けていたのを、止めてみることにしました。

 

 

(またまたつづく・・・・)

 


信じて、見守る

2009年10月20日 21時46分17秒 | すべては自分

みなさん、ご無沙汰してます。

 

なんと、一年二ヶ月ぶりの更新です。

 

やっと、我が家にもネットが繋がりました。

 

もう、見に来てくれる方はいらっしゃらないかも・・・・・・

 

でも、またゆる~いペースで更新していきますので、

何卒、お付き合いお願いいたします。

 

 

 

さてさて、今回のタイトル『信じて、見守る』ですが・・・・・

 

うちの子供たちも大きくなり、

このブログを始めたころは幼稚園児だった長男と次男は、

今ではもう小学生です。

 

二人とも、学校から帰ってきたら、かばんを置いて、

一目散に外へ遊びに行っちゃいます。

 

子供は元気に遊ぶのが仕事。

外遊びは明るいうちしか出来ないからと思い、

夕方までは思いっきり遊ばせています。

 

ただ、問題はこの後から・・・・・

外遊びから帰ってきた後、ご飯が出来るまでの間に『宿題』をやるのが我が家での決まりごと。

 

・・・・・のはずなのですが、こどもたちはそれをしないのです。

 

テレビを見たり、おもちゃで遊ぶことを優先してしまって、

なかなか宿題に取り掛かろうとしません。

 

私はその子供たちの様子が気になって気になってしょうがない・・・・

 

『宿題はやったの?』

『明日の用意は出来てるの?』

 

声をかけると、はっとしたように机に向かう子供たち。

でも五分もすると、もう机から離れてほかのことをし始めるのです。

 

で、また『宿題は?』『明日の用意は?』と、声をかける。

すると、しぶしぶ机に向かう子供たち。

 

またしばらくすると遊び始めて、また声をかけての繰り返し。

 

そのうち、

『宿題は?』『明日の用意は?』

と、口をすっぱくして何度も言うのが毎日の日課になってしまいました。

 

そうすると、もう、声をかけたくらいじゃ子供たちも動かない。

 

『君たちのやるべきことは何なの?

遊ぶことも大事だけど、学校の宿題も大事なことでしょ。

自分がやるべきことはちゃんとやらないといけないよ』

 

 

私は、最初のうちこそ諭すように言い聞かせていました。

が、ちっとも状況は改善されません。

寝る間際になって、『宿題が終わらない』と泣き出す次男。

『だから言ったでしょうが!』と、怒る私。

 

私は毎日悩んでいました。

ため息ばっかりついていました。

 

子供たちが、言われなくてもささっと宿題をやってくれたら、

こんなに毎日がみがみ『宿題は?』と言うこともないのにと。

 

宿題をやってから遊びに行かせようとしたこともありましたが、

子供たちは、『お友達が待ってる』といって、

とても目の前の宿題に集中することは出来ず、

字が雑になったり、書き漏れがあったりと、

かえってよくない結果になってしまいました。

 

私は、めいっぱい遊んだ後は、きちんと、自分たちがしなければならないことに取り組んでほしいと思っていました。

 

なので、こちらは『遊びたい』という子供たちの意思を尊重しているのに、

『しなければいけないことはきちんとやってほしい』

と言う私の思いを、子供たちに汲んでもらえないことがすごく辛く、腹立たしく思えてなりませんでした。

 

どうしたら、自分の好きなこと、やりたいことばかりではなく、

自分がしたくないことでも、しなければならないことがあるということをわかってくれるのだろうか・・・・・・

 

私はそればかりを考えていました。

 

(つづく・・・)